再生

植月和機

第1話 訳ありの少女たち

 ひんやりとした冷気の満ちる、煉瓦造りの廊下を複数人の歩む音が響く。

 その施設内に換気用として開けられた蛇の目の穴からは冷たい風と吹雪く雪が入ってきて、嵌められた鉄格子と室内の空気を凍らせる。

 歩く集団の中、片眼鏡をした一人の男が足を止めると、それに合わせて他も歩みを止める。

 彼らの視線の先にある鉄格子の向こう側には、両手を鎖で拘束され壁に磔にされた状態の少女がいた。赤い髪に華奢な身体、少女は衣服をまとっておらず顕な身体には暴行の痕跡である痣や火傷が幾つもあった。

 「リリス・フランケンシュタイン。元モスクワセルのエージェント。違いないな?」

 片眼鏡をしたアルフレッド・J・コードウェルは…。かつてのUGN創始者、今のセントラルドグマ代理は、鉄格子の向こうにいる少女に問うた。

 少女は顔を上げ、無気力な表情でコードウェルと、後ろに控える看守たちを睨む。

 「…何の、ようかしら?」

 口を開くと口内に残っていた血液が唾液とともに零れた。吐く息は白く、拘束された身体は震えている。

 コードウェルはその彼女の様子に何の感情も表すことはなく、淡々と答える。

 「君に任務を任せたい」

 「…あたしに?」

 「そうだ。詳しい説明はメンバーが揃ったら行おう。それまで…」

 コードウェルが背後に控えた看守に合図を送ると看守は牢の鍵を開け、中に入ってリリスの拘束具に手をかける。

 「それまで、傷を癒やし、体力の回復に努めるといい」

 リリスは、自分の拘束を解除した看守に唾を吐き、急所に蹴りを入れる。長い拘束から開放されたためか、あまり力は入らなかったが、急所に一撃が入ったことで看守はもんどりを打って倒れた。他の看守は、コードウェルの前だからか動かない。リリスは倒れた看守からコートを剥ぎとって羽織る。

 「…あたしなんかでいいの?」

 鉄格子を隔ててコードウェルに向き直る。リリスの顔の一部には火傷の痕が痛々しく残っていた。

 「問題ない」

 コードウェルは短く答えると来た道を引き返す。

 リリスはその背中を目で追いながら、自身の能力を使用し身体の中に溜まった老廃した血液を吐き出す。さらに牢内にあった水差しをとり、ひとなでしてから煽る。先程までの無気力さはいくらか解消した。

 裏切り者としてFHの収容施設に投獄していたリリス・フランケンシュタインは、奇妙なことに釈放された。彼女は傷の痛みを感じながらもコードウェルの後を追うように牢獄から、外の世界へ出る。



 金色の長髪を後ろで一つにまとめ、白いパーカーを着た女性は、パンや缶詰などの食料が入った紙袋を片腕に抱え人気のない薄暗い路地を歩いていた。

 その進行を遮るように角から黒いスーツの男が数人現れ、彼女を囲む。いつの間にか付近には一般人を近づけさせず、無力化するワーディングが展開されていたことに、女は気づいた。そういえば普段このスラムの路地に寝転がるホームレスも、食料を奪おうとする悪ガキも、襲ってくる盛った猿も今日は見ていない。

 「レベッカ・ヴァローネだな? コールドウェル博士からの招集に応じずこんなところで何をしていた?」

 黒服の男の一人が金髪の女、レベッカに問いかける。彼らの手には銃や剣、そしてオーヴァードのエフェクトによって作り出された武器やらが構えられており、いつでも攻撃できる様子だった。

 いつでも攻撃を仕掛けられる彼らを前にして、レベッカは鼻を鳴らす。

 「…おいおい、女相手に大勢で何やってんだよ?」

 呆れたように、無気力な笑いを男たちに向ける。

 「安心しろ、裏切ってねーよ。ただちょっと、色々たらい回しにされたから、疲れたのさ。しばらく休ませろよ」

 肩をすくめる仕草をするも、その言葉でこの場の全員が納得することはない。

 「お前のような下っ端に、博士直々の招集だ。至急本部に向かえ」

 「だから…休ませろって言ってんだろ?」

 「抵抗、拒否するなら、力ずくで連行するまでだ。お前に拒否権など無い」

 「あーあーあーあー。つまんねつまんねつまんね…ってな。だったら最初っからかかってくりゃいいのによ」

 からからと一人で可笑しく笑う。どこか寂しさが篭った声は彼女の周囲から発する熱と炎の渦にのまれ、掻き消える。



 FHエージェント、シャーロット・ベラーターはコードウェル博士に呼び出されていた。

 遠く東にあるFH日本支部本部跡地。当時の都築京香が殺されたことによってそのまま放棄され、廃墟と化したビルの最上階一室。そこまでの廊下には埃と、壁にこびりつく黒く汚らしい大輪の花のような染みがいくつもある。

 尊敬に値する彼に呼び出されたことは光栄に思うが、なぜこんなところに呼ばれたのかがわからない。

 指定されたオフィスへのドアは、ドアノブが変形し、こじ開けられており、扉として機能を果たしておらず、視界の先に目的の人物の後ろ姿が見えていた。

 不安と不満、そしてちょっとの期待を抱く彼女は、オフィスに一歩入ると金髪がよく映える黒いドレスの裾をつまみ、恭しくコードウェルに一礼した。

 「コードウェル博士、お会いできて光栄です。命令に従い参上しました」

 「慣れぬ言葉遣いはいい。本題にはいろう」

 「……はい」

 見透かされたような物言いに、シャーロットはバツの悪そうな顔で応じる。

 「私が遺産回収に力を入れていることは知っているかな」

 「はい、プロジェクトインフィニティコードに関係すると聞いています」

 聞いて入るものの、それは噂程度だった。FHという組織は個の集合体で他のセルが何をしているかの情報は全く入ってこない。さらに末端の末端であるシャーロットには噂程度の情報しか持っていないのだ。

 「ああ、しかし近年。UGN、ゼノスとの争奪戦は激化する一方だ。UGNにいたっては遺産専用部隊ナイトフォールがいる」

 コードウェルはそこで一旦言葉を区切り、シャーロットをみる。彼女はもともとUGNに所属しており、コードウェルの帰還の後を追うようにFHへ移籍したUGNの一人だった。そのため、こういったUGNの内部事情には少なからず知っているため、話に相槌を撃つように頷いた。

 UGNの遺産専用部隊、ナイトフォール。先の遺産を利用した大規模なFHの作戦を邪魔したチーム。遺産専門というだけあってかなりの実力者たちだったと聞いている。

 「そこで、我々も、遺産回収・奪取専門の部隊を編成することになった…君に、その部隊のリーダーを任せたい」

 「…えっ?」

 きょとんとした。シャーロットはUGNからの離反者、敵対組織だったということもあり、あまりFH内でいい顔はされていない。

 それにコードウェル博士には使徒という崇拝者の組織がある。シャーロットは詳しく知らないが、そのうちの一つが遺産を専門に扱う組織があったはず。

 「私で…よろしいのでしょうか? 博士には第十使徒が…」

 「私の決定に不満が?」

 「い、いえ。…謹んでお受け致します」

 「ならばいい。メンバーの資料を渡しておく。顔合わせまでに目を通しておくといい」

 「はい…」

 「話は終わりだ」

 「…失礼します」

 資料を受け取りすごすごと部屋を出る。振り向いてコードウェルの姿が見えなくなったところで歩みを止め、廊下の壁によりかかり、緊張をほぐすように深い息をつく。

 遺産専門部隊、か。使徒がいるにもかかわらず使徒でも、マスターエージェントでもない自分が指名されるあたり、使い捨ての陽動のように扱われるのだろうかとネガティブな考えに頭を支配されていた。


 「…っはー」

 コードウェルとの会談が終了し、自分がアジトとして使用しているマンションの一室に戻る。渡された資料を机に放り投げるとベッドに倒れこむ。

 胸下のリボンを緩め、また深い溜息をつく。そして先程の短い会話に考えを巡らせる。

 各組織は遺産の回収に力を入れているのはわかっている。UGNのナイトフォールは、FHの大規模な作戦を覆した油断ならないチームだ。それに対抗するために同じ専門的なチームを作るというのにも納得はいく。

 しかし、コードウェル博士には既に第十使徒という遺産専門の作戦部隊が存在していたはず。彼らを表に出したくないのか、もしくは私兵ではなく、FHという組織としてのチームを用意しようとしたのか。

 いや、組織としてのチームなんて、FHらしくない。そういったまとまりはこの組織には殆ど無い。ならば考えられることは限られていく。

 「…使徒は作戦行動中なんだわ」

 そう結論する。作戦を遂行中で、長期間他の任務が行えないため、その間の代用として自分が選ばれた…。

 つまりはコードウェル博士は近いうちになにか遺産に関係する何かを起こすのか。それともこれもインフィニティコードというもののためか。答えはわからない。だが…。

 「…代わりっていうのは、腹立たしいわね…」

 忌々しげに舌打ちをする。彼の役に立てるのは嬉しいが、こんな形なのは不服であった。

 「いいわ。素晴らしい戦果を上げて私の有能さを知らしめてあげるわ」

 ベッドから上体を起こし、机に投げ捨てた資料に腕を伸ばして引き寄せる。その資料には自分がこれからチームを組むエージェントたちの詳細が書かれているのだ。

 資料は数枚の印刷物がまとめられたファイルである。開いた一枚目には用紙の中央には『ティターンズ』と印刷されていた。おそらくはこれがチームの名前なのだろう。

 ページをめくると、チームメンバーとなるエージェントたちのプロフィールが掲載されていた。

 一枚目には長い金髪を後ろで一つにまとめ、溌剌とした笑顔で写る女性の写真。


レベッカ・ヴァローネ 19歳 女性 イギリス人

コードネーム:“灯す火(プロメテウス)”

最終所属:ヴェネツィアセル

サラマンダーピュアブリード 白兵戦闘を得意とする。

プロジェクト:パンドラの被験体。本来ジャーム化を目的とした研究であったが、ジャーム化せず、失敗作の消耗品チルドレンとして各地のセルを転々としていた。

ヴェネツィアセルのリーダーの消息不明と同時期に行方不明。アメリカのスラム街で発見、本プロジェクトのため確保。


 プロジェクト:パンドラ…、セルが独自で行う実験はいちいち把握していない。しかし彼女はその実験以降各国各地のセルを転々としているようだった。名前と簡単な事情は知れ渡っているようだ。

 「失敗というのなら、どうして処分されなかったのかしら?」

 お優しいセルだったのかしら。くすりとあざ笑って、次の人物へ。


リリス・フランケンシュタイン 19歳 女性 ロシア人

コードネーム:“幽閉の罰(メノイティオス)”

最終所属:モスクワセル

ソラリス/ブラム=ストーカークロスブリード 従者操作を得意とする。

FHから脱走を図ったため、粛清対象として拘束されていた。モスクワにあるFH管理の収容施設に収容。粛清間近であったがコードウェル博士によって釈放される。

本プロジェクトへの参加には、裏切り防止として監視者が同行する。


 二人目のメンバーは脱走を試みたエージェント。ムスッとした表情で、キャスケットを被った赤い髪の女性だった。なぜ脱走しようとした人を任命したのだろうか。コードウェル博士の考えを読めないシャーロットは、このリリスという女性に面倒臭さを感じて、残りの詳細を読み飛ばす。


シャーロット・ベラーター 19歳 女性 フランス人

コードネーム:“耐える者(アトラス)”

最終所属:なし

バロール/ハヌマーンクロスブリード 歌による支援を得意とする。

元UGNパリ支部に所属していたが、コードウェル博士の帰還と同時期に離反し、FHエージェントとなる。


 自分のプロフィールも当然あった。ヨーロッパUGNで遺産についての研究が進んでいたパリ支部のエージェントであった私が、このプロジェクトを任されるのも、少し納得がいく。具体的な作戦がまだ聞けていないのでなんとも言えないが。


クルル・ハグラー 14歳 女性 アメリカ人

コードネーム:なし

最終所属:なし

ブラックドッグ/ノイマンクロスブリード

アメリカのジュニアハイスクールに通っていた少女。非オーヴァードであったが、事故により家族がジャーム化、窮地のところを保護。事件の影響で覚醒。その後現在、本プロジェクト参加のため、チルドレンとしての教育を施している。

プロジェクト始動時まで施設にて調整中。


 最後のメンバーを見て少し困惑した。写真には学校の制服を身につけ友人と楽しげに登校している幼さの残ったあどけない少女の笑顔が写っていた。まだFHに所属して日の浅い…いや、オーヴァードになって間もない少女が、この遺産を回収、奪取を目的としたチームに入っていいのだろうか。しかし、コードウェル博士の判断である。なにか意図があるのかもしれない。元UGN(世界の守護者)だった頃の良心からか、クルルという少女への不安を抱きながら、資料をめくる。

 チームメンバーのプロフィールを読み終えると、次の項には集合時間と場所が指定されていた。そこで顔合わせや、最初の任務が言い渡されるのだろう。

 指定された場所と日時を記憶し、資料を閉じる。起こした上体を再びベッドに沈める。

 今のところ、自分以外のメンバーには遺産についての関係は見えなかった。単純な戦闘要員として選ばれたのかもしれない。

 しかし、面白いことに、クルル以外の自分たちのコードネームには関連するものがあった。

 「ティターンズ…か」

 ギリシャ神話に登場する神々。奈落の深淵へと封じられた種族。その神の名前を皆持っていた。

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