第16話

「何人かの生徒さんから、碓井君と君が親しかったみたいだ、って聞いてね」

 校庭の乾いた砂埃が、晩夏ばんかの匂いを運んでくる。

 教師の横で話しかける顔見知りの刑事を見つめながら、不思議だ、とぼんやりと頭のすみで少女は考えた。碓井舜との間に存在したのかどうか、自分自身でさえさだかでないそれを、どこでどう見て察するのだろう、同級生というものは。

「友達、だったんです」

 やっとの思いで答える沙穂に、谷田部は微笑み小さくうなずいた。

「そうだったんだってね」

 単独で立つ谷田部は、父と一緒にいる時よりもなぜか大人びて見えた。

「お父さんに言われて来たんですか」

 刑事はにっこり笑って答えた。

「水沢さんは今出張で日本にいないんだよ。明日帰国するけどね」

 幼い反抗を内心で恥じながら、沙穂は口をつぐんだ。

 父親は仕事で海外。そんなことも、自分は知らない。

 少女を眺めていた刑事は穏やかに「沙穂ちゃん」と呼んだ。

「みんなね、ここ最近、碓井君の様子がなんとなくおかしいっていうのは気付いてたんだって。でも実際に彼がどんなことで悩んでたのかは、誰も知らないんだ」

 学生じゃないよ。

「もし沙穂ちゃんが碓井君のことで、何か見たり聞いたりしたことがあれば、教えてもらえないかな」

 安心できるんだ。

 だいぶ上。

「彼女が」

 谷田部が手帳を取り出す。

「できたみたいでした」

 刑事は優しく訊ねた。

「名前とか、聞いた?」

 沙穂は首を振った。

「年しか」

 たぶん、三十とか。

「すごく年上で、三十ぐらい、って碓井君は言ってた」

 谷田部が書き取る手をふと止め、顔を上げた。

 沙穂は顔を覆った。

 あの時、不意に舜はほうけたような顔をした。それまで見逃していた何かに気づいて、愕然としたかのように。

「沙穂ちゃん」

 まるで昨日のことのようだ。

 あの瞬間、あの会話の何かが、碓井舜の心を揺るがした。

 自分は気付いていた。

 けれど見ない振りをした。

「大丈夫?」

 心配そうな刑事の声に、沙穂は顔を覆ったまま首を振った。「このへんで」と担任教師の控えめな声がする。やんわりとそれを制して谷田部が続けた。

「ごめんね、沙穂ちゃん、もう一つだけ」

 父親の相棒が不要不急を無理強いする人間でないことは承知している。沙穂は懸命に顔を起こし、頬をいてうつむいた。

「高槻宰っていう名前を、碓井君から聞いたことある?」

 まだ濡れた目で、沙穂はまぶしそうに刑事を見上げた。

「誰?」

 谷田部はどちらかといえば童顔で、くせのない顔をしている。その顔が真剣に沙穂を見つめた。

「高槻宰。碓井君は亡くなる直前、この人に電話をかけてるんだ」

 沙穂はぼうと相手の顔を見た。

 亡くなる直前というのは、つまり舜が手首を切る直前ということだ。いや、切った後かも知れないが。

 沙穂は訊ねた。

「その人、碓井君の彼女?」

 人が表情を隠す際の表情、とでもいうものを、過去幾度も沙穂は父親相手に目撃していた。

「いや」

 谷田部が言った。

「高槻宰は男の人だよ」

 少女の目が大きく広がった。

 両手がぶるぶると震えた。

「知らない」

 校門の脇に立ち尽くし、見えない何かに向かって宣言するように、沙穂は顔をゆがめ叫んだ。

「知らない。そんな人」

 涙が一気にあふれ出た。刑事が手をさしのべるより早く地面にしゃがみ込み、わあぁ、と声を上げて沙穂は泣き出した。

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