第6話
「あっちゃんとアザミって、本当に仲いいよな。一緒の中学校にも進学しちゃうし」
小学校を卒業する日、俺はアザミと一緒にいた。
不思議な話ではない。早く学校に来すぎたら、アザミがもっと早く学校にやってきて他人の席を撫でていただけだ。不審なアザミの行動だったが、彼は「昔、ここに同士が座っていたのさ」と笑うだけだった。アザミの手首には、Aのイニシャルが入ったビーズ。それが編み込まれたミサンガがあった。
「近くに住んでいるんだから、行く学校ぐらいは被るだろう」
アザミは、実にクールにそう言った。
あっちゃんの影に隠れることが多いけれども、アザミだって頭は良かった。だから、あっちゃんが進学する学校に、俺とは違ってアザミは行くことができた。俺は、親の転勤がなくてもあっちゃんと同じ学校にはいけなかっただろう。
「なぁ」
アザミが、口を開いた。
「浅宮と仲良くしてやってくれて、ありがとうな」
アザミがあっちゃんのことを浅宮なんて呼んだのは、それが初めてだった。
「なに言っているんだよ、アザミ・・・」
「なんでもない。いつか俺がいなくなっても、お前みたいな友人ができたから浅宮は大丈夫だな」
アザミは、そんなことを言った。
俺は、目をぱちくりさせた。俺の方があっちゃんから離れるのに、まるでアザミの方があっちゃんから離れるみたいだった。
「アザミ、なにを言っているんだよ」
「俺、たぶんいつか浅宮の事を持てあますときが来ると思うんだ。浅宮の事が分からなくなって、恐くなって、自分から遠くに離れようとするとき・・・その瞬間がいつかやってくる。そんなとき、お前みたいな友人が浅宮には必要なんだよ」
だが、俺はもうここにいれない。
親の転勤に付き合って、遠くに行ってしまう。
「春樹が一緒にいられないのは知ってる。けどな・・・春樹みたいな友人は、人生に一回きりじゃないだろう」
そのとき、俺は酷いことを言われたような気がした。
あっちゃんが友人を作る練習台、そんなふうにアザミに扱われたような気がしたのだ。自分は特別だけど、俺みたいな友人は浅宮にとってはそうではない。そう言われたような気がしたのである。
俺は、それがどういう意味なのかアザミに問いただしたかった。
でも、俺はそこまで子供ではなかった。別れる友人との間に、荒波をたてることを恐れたのだ。
「春樹、俺は浅宮の事を尊敬してる。出会った瞬間から、この世の誰よりもすごい奴だと思っている。だから、俺は浅宮には自信を持って生きていて欲しかったんだよ。そうすれば・・・あいつはきっとこの世の誰よりもすごいことができるような気がしたんだ」
「それなのに、自分から遠くに離れる瞬間が来るのかよ」
俺には、アザミが理解できない。
すごい人ならば、ずっと側で見ていたいだろう。
「ああ、そうだ。天才は、凡人には理解されない。俺は浅宮をいつか理解しきれなくなって、離れる・・・と思うんだ」
俺には、分からない世界の話だった。
話を聞いてみると、アザミの思っていることを少しだけ理解できるような気がした。
なぜならば、俺もアザミに対して同じようなことを思うことが多くなっていたからだ。正確には、浅宮とアザミに対して同じ思いを抱いていた。
絶対にこの二人には敵わない、という感情。
俺はこの二人を越えることはできない、という事実。
俺が抱いている気持ちがアザミと同じというのならば、俺はアザミのことを理解できるだろう。
「浅宮は、そんな瞬間を迎えたくはないと思うぞ」
「でも、いつかは来るんだよ。子供が親の元を離れるみたいな、そういう瞬間が」
このとき、アザミはなにを思ってそんなことを言っていたのだろうか。
***
歩きながら、俺は考える。
どうして、世界がこんなふうになってしまったのかを。
人を殺せば獣になるだなんて、理不尽なルールが突然に適用されてしまったのかを。
「まるで、地獄みたいだな・・・」
先に歩く浅宮に、俺はそんなことを呟いていた。三谷山高校まで、もう少しというところだった。ところが、俺はというと浅宮がどんどん分からなくてしまっていた。
俺は浅宮を知っていたはずなのに、俺の知らない浅宮を知れば知るほどに心が遠くに離れるのである。だが、浅宮を知るほどに過去の浅宮とアザミを理解することはできた。
アザミにとって、同士とは津川のことだったのだろう。
アザミと津川は、かつて自分がなんであるのかも分からなかった浅宮に「あっちゃん」という自信を与えた。その「あっちゃん」は、津川のあだ名のお下がりだった。浅宮は、津川の「あっちゃん」を譲り受けたから、強くあらないといけないと思った。そして、強くなった。
津川は引っ越して、かわりに俺がやってきた。
なにも知らない俺は、無邪気に「あっちゃん」を慕った。アザミと津川と浅宮の三人が作りあげたものの上辺だけを見て、憧れていた。強い「あっちゃん」は、浅宮の元々の性格ではなかった。津川とアザミが作ったものだった。
真相を覗いてみれば、なんて滑稽な話しだろう。
「なぁ・・・どうして、浅宮はアザミと最初は会いたがらなかったんだ。学校の屋上では、あんなにアザミと会うのを嫌がっていただろう」
俺の質問に、浅宮が振り返る。
人の気配がない、街。
遠くに獣の気配や一の悲鳴が聞こえるような街のなかで、浅宮は唇を開いた。
「父親を殺した時、俺はアザミに電話をかけたんだ。一番に・・・助けてほしくって。でもさ、あいつは助けてくれなかった。学校でも、電話も、メールも、全部無視をした。おかげで、俺は一人ぼっちだ。いいや・・・アザミたちが作った「あっちゃん」だけは残っていたから、性質が悪い。俺はあいつに捨てられたのに、俺は絶対にあいつを忘れられないんだぜ。だって「あっちゃん」は、アザミと杏里の作品だから」
アザミが浅宮を無視した、という言葉に俺は思い当たることがあった。アザミはかつて俺に、アザミ自身が浅宮から離れる瞬間が来ると言った。
浅宮が父親の死を見た瞬間に、アザミにとってのその瞬間が訪れたのであろう。
アザミにとって、浅宮はもう手に負えない存在になってしまったのだ。
「でも、それをアザミに知られることも嫌だった。だから、俺はアザミと会わないようにした」
それが、俺の知らない中学校時代の浅宮だった。
「なら、どうしてこんな世界になったらアザミに会おうとしたんだよ」
俺の言葉に、浅宮は苦笑いする。
「それは・・・やっぱり、俺は終わるならばあいつの目の前が良いんだ。今の俺がいるのは、全部あいつのおかげだから」
その言葉に、俺は愕然とした。
「浅宮、おまえ・・・ずっと死に場所をさがしていたのか?」
俺の言葉に、浅宮はほんの少しだけ困ったような顔をした。
「そう・・・だよ。俺はずっとこのために、アザミに会おうとしていた。アザミじゃないとだめなんだ。アザミが、いいんだ。最後に見る風景には、アザミがいて欲しいんだよ。俺は、アザミに作られたから」
浅海から、するりと述べられる言葉たち。
その言葉の全てが、浅宮の遺書のようだった。桜のようにハンカチにも書かない、儚い遺書。その遺書を、俺だけが読んでいた。俺が忘れてしまえば、浅宮の思いなどこの世から消えさる。
それでも、浅宮は俺を選んだのだ。
自分の言葉を、俺に残すと決めてしまったのだ。
「浅宮・・・馬鹿なことを考えるのは、止めろ」
俺は、震える。
俺は、浅宮を止める権利があるのだろうか。いつも浅宮に守られて、後ろに立ってばかりの俺に、浅宮に意見をする権利はあるのだろうか。
浅宮は、ずっとアザミの前に立ちたかったのだ。
アザミを最後の視界に収めたかったのだ。
「ハル、生きのびてどうなるんだよ」
浅宮は、冷たく言った。
「こんな、地獄みたいな世のなかで生きててどうなるんだよ」
浅宮は、俺に詰め寄った。
「忘れたか・・・。俺は、呪われているんだよ」
そう、囁いた。
俺は、首を振る。
「そんな非科学的なことがあるわけないだろ」
ああ、こんな言葉では呪いを解くことなんてできない。
主観という空虚で頑丈な檻を砕くことなんて、絶対に出来ない。
俺は、どうしてこんなに無力なんだろう。
アザミみたいに、杏里みたいに、絶対の自信を浅宮に与えることなんてできない。
「俺にとっては、そんな非科学的なことが全てだったんだ。アザミだったら、たぶんこの呪いを解いてもらえるような気がするんだ。だって、あいつは・・・。俺に「あっちゃん」をくれた」
浅宮の呪い。
浅宮の父親が、呪われているという思い込み。
その呪いは、遺伝子のように浅宮にも受け継がれた。
俺では、その呪いを解くことができない。
「あっちゃん!」
俺は、強く浅宮を呼んでいた。
「俺が見ていたあっちゃんは、呪いなんかを信じるほど弱くない。自分に向かってくるものは、全部跳ねのけていたろ」
「ハル、それは俺の一面に過ぎないよ」
浅宮は、言う。
「俺は、おまえが思うほど強くはない。アザミがいなければ、絶対に悪童の「あっちゃん」は作れなかった」
その言葉は、浅宮にとっては悲痛な告白であった。
アザミは、父親の死を見つめた浅宮を恐れた。
浅宮は、アザミに見捨てられたことを恐れた。
「俺は、俺を見捨てたアザミを恨んだ。恨んでいたけど・・・もう世界がこんなんになったら、アザミを恨んだことなんてどうでも良くなった」
最後に会えれば、それでいい。
浅宮は、そう言った。
「なら・・・浅宮はどうして俺をここまで守ったんだよ。浅宮、一人の方がずっと簡単に三谷山高校まで行けただろ」
俺の疑問に、浅宮は答えた。
「言っただろう。俺は、おまえに憧れている。おまえを守っている間は、俺も人でいられるような気がした。だから同じ理由で守りきれないと分かっているのに、守る他人を増やし続ける桜が嫌いだった。自分勝手で俺自身と同じくらいに嫌いだった」
思わず、俺は浅宮を叩いていた。
殴る、ことはできなかった。渾身の力を込めて、女みたいに浅宮を叩いていた。
「浅宮も、桜さんも、殺されるようなことをしてないだろ!」
俺は、せいいっぱいの力を使って叫んでいた。
泣きたかった。
泣いていたのかもしれない。
「ハル・・・?」
「おまえが、桜さんが嫌いだったわけはわかったよ。でもな、俺はその自分勝手がないと生き残れなかった。おまえは俺を自分勝手で守っていたっていうけどな・・・そんなこというなよ!」
俺のなかには、今でも小学生のころの俺がいる。
それはつまり、浅宮に憧れるだけでなにもできない自分だ。
「そんなふうに言われたら・・・守られた俺たちはどんな顔をすればいいんだよ」
俺の言葉に、浅宮は言葉を失った。
「ごめん・・・はる。ごめんなさい」
「謝るなよ、浅宮。悪いのは・・・俺が弱いからなんだ」
どうして、この世に弱者と強者なんているのだろうか。
どちらか片方だけだったら、片方に負担をかけることなんてないのに。
ここに残ったのが津川だったら、浅宮のことも上手くやってくれただろうか。「あっちゃん」を作った津川ならば。
ぐあぁあぁあ、と人とも獣ともつかない声が響いた。
俺たちが空を見上げると、そこには竜がいた。大きな翼を広げた竜は、俺たちの方に向かって降りてくる。
「浅宮!竜だ!!」
「分かってる。とりあえず、建物の中に入れ!」
津川は、俺の腕をつかんだ。そして、開いていた電気店のなかにはいる。そこそこに大きな電気屋であったが、食料や水もないので、籠城には向かなかった。なにより、恐ろしかったのは
「ここって、竜に壊されたりしないか?」
という疑問だった。
「大丈夫だと思う。竜の体重は見た目よりもずっと軽いはずだし、あいつらは牙以外は武器がない。建物を破壊することはできないはずだ」
浅宮の見立てに、俺はほっとしていた。
けれども、同時にここでも浅宮に頼っていることに嫌気がさす。
「それよりも、裏口とかを探そう。そう言うのがあれば、さっきの竜を迂回して三谷山高校に行けるのかも・・・」
浅宮は、店の奥に行こうとした。
だが、浅宮が店の奥を目指す前に店の屋根が崩れた。土埃が舞い、浅宮の姿が一瞬だが見えなくなる。ようやくそれらがおさまると、さっきまで浅宮がいた場所には瓦礫が積み上がっていた。
「浅宮!」
「大声を出すな」
浅宮が、俺の腕を引っ張った。
どうやら、浅宮は寸前のところで逃げのびたらしい。
「でも・・・どうして屋根が?」
「分かるものか。竜以外の獣がやったのかもしれないし・・・」
どしん、地響きがした。
振り返ると、そこには竜がいた。
「竜が、知恵を働かせてやったのかもしれない」
浅宮は、静かに呟いた。
平屋の電気店は、浅宮に圧倒的に不利な場所であった。浅宮の武器は、圧倒的なジャンプ力とキック力。だが、この場所では浅宮がジャンプできるような空間はない。しかも、商品棚に邪魔されて、キックの威力をあげるための助走をつけることもままならない。
「ハル、隠れてろ」
浅宮は、そう言った。
今までの俺ならば、それに従ったであろう。だが、今の俺にはそれに従えないと思った。津川のように戦わないといけない、という使命感があった。隠れない俺に、浅宮は不安げな顔をする。
「浅宮、俺が竜を惹きつける」
「まっ、待て」
浅宮が止めるのも待たずに、俺はその場に転がっていた石を竜に向かって投げた。石は竜の目にあたり、竜は思惑通りに俺を敵だと認識した。
俺は、その場から逃げだ。
竜は、俺を追いかけてくる。
だが、竜は薄暗い店内では、俺の場所を認識できないみたいだった。少なくとも竜は、俺がたてる音は聞こえているが姿までは捕らえきれていない。今も、見当違いのほうに首を伸ばして吠えている。だが、その誤差は小さい。
俺は、走り続けた。
これぐらいの広さの電気店ならば、おそらくはおもちゃ売り場も併設しているはずである。現代の若者は車離れが進んでいるというが、子供はそうでないといい。玩具売り場にたどり着くと、俺の思っていたものがあった。
ラジコンだ。
俺は急いで箱を壊して、中身を取り出す。思った通り、ラジコンの箱のなかには電池もついていた。俺は急いでラジコンに電池を入れると、それを走らせた。思った通りの音が出て、それが竜を撹乱させるはずであった。
ラジコンが俺から遠ざけて、俺はそれを追いかける竜を笑うはずだった。なのに、竜はぎろりと俺の方を睨んだ。ラジコンの音に惑わされないで、まっすぐにこっちに向かってくる。
「な・・・なんでだ?」
俺は、リモコンを落としてしまった。
その音で竜は立ち止り、わずかに軌道を習性する。竜は、俺のことを完全には捕らえてはいなかったのだ。なのに今音をたてたことで、竜に俺の居場所が正確に気づかれてしまった。
「ハル、伏せてろ!」
浅宮が、竜に飛びかかる。
だが、竜は浅宮の蹴りを避けた。
蹴りが外れた浅海は、そのまま商品陳列棚に突っこんだ。
「浅宮!」
「無事だから、叫ぶな!それにしても・・・この竜、学習してるのか?いや、ハルの居場所の判断はほとんど知識みたいなものだな」
浅宮は、ぶつぶつと呟く。
「知識って、人間はラジコンを動かせるって知ってることか?」
俺の言葉を、浅宮は否定した。
「違う。この状況下だったら、人は囮を自分の反対方向に向かわせるってことを知っているんだ。それに、何らかの道具を使ってここの天井まで壊してる。たぶん、なにか大きなものを上空から落としたんだな」
浅宮は、喉の奥で「くくく・・・」と笑った。
「ものすっごい執着だな。学校の屋上で俺たちを襲って、杏里のアパートでも・・・それで最後はここか?俺たちは、おまえたちから見ればそんなに美味そうなのかよ!」
浅宮が、叫ぶ。
竜が「ぐるるう」と鳴いた。
その竜の思いのほかに細い手首には、紐みたいなものが引っかかっていた。
俺は、その紐みたいなものを見ることができた。
浅宮が、側にいるからよく見ることができた。
よく見たことを、俺は後悔した。
「ミ・・・ミサンガ」
しかも、Aのイニシャルが入ったビーズが編み込まれた。
俺の呟きに、浅宮は息を飲む。そして、自分の目でもよくそれを確かめた。
浅宮は、戦慄する。浅宮の腕にもはまっている、Aビーズが編み込まれたミサンガ。俺の知っている限り、そんなものをそろってつけているのは浅宮とアザミだけだったから。
「おい・・・アザミなのか?」
浅宮は、竜に向かって問いかけた。
竜は「ぐるるるぅ」と吠える。
肯定なのか否定なのか、俺たちには分からない。けれども、竜は俺たちを襲おうとはしなかった。まるでそれこそが、竜がアザミである証拠のようだった。
「あ・・・あざみ」
浅宮は、たどたどしく無二の友人の名前を呼んだ。
「ぐるるぅ」
と、竜は吠える。
「あざみ・・・あざみぃ!!」
何度も、何度も、浅宮は友人を呼ぶ。
それに答えるのは、竜だ。
「なんで・・・・・・なんで、おまえが竜になっているんだよ。俺は、おまえに止めを刺されたかったのに。おまえに見捨てられた「あっちゃん」なんていらなかったのに・・・」
竜が、浅宮に向かって尻尾を振り下ろす。
俺は、浅宮をかばった。彼を竜の尻尾の着地点から離すために、彼と一緒にその場から飛びのいた。飛びのいたもののどこに着地するかまでは考えていなかった俺は、浅宮と一緒に商品棚に突っこむ。
沢山の玩具が、俺たちの上に落ちてくる。
無意味なのに、俺は息を止めた。
その息を止めた数秒間だけ、俺は浅宮の気持ちにシンクロしたような気がした。浅宮が持っている悲しみも絶望も、全部が分かったような気がしたのだ。
けれども、それは錯覚だった。
生きるために呼吸をし始めたとき、俺の下にいる浅宮の気持ちが俺にはまた分からなくなっていた。
「アザミ・・・あざみぃ」
浅宮は、力なくアザミを呼んだ。
「俺は・・・俺は、ずっとアザミの事を尊敬していたんだ。アザミだけ、絶対に獣にならないって信じていたのに」
浅宮の気持ちは、少しだけ分かった。
けれども、その気持ちは常に裏切られる。
特に、今のような世界では。
「・・・浅宮、立て」
俺は、立ち上った。
そして、浅宮に手を差し出した。
「ここで立たないと、生き残れないだろ。だから、浅宮・・・立ってくれ。立ってアザミを倒して、『あっちゃん』を乗り越えろ!」
「・・・そんなの無理だ」
浅宮は、俺から視線を外す。
俺は浅宮の顎を捕まえて、無理矢理に自分の方を向かせた。
「浅宮・・・飛び越えろ。この世界の呪いを飛び越えて、『あっちゃん』も飛び越えて見せろよ!」
顎を掴まれてもなお、浅宮は顔をそらそうとした。
俺は、それを許さなかった。
浅宮に、俺以外を見ることを禁じた。
「浅宮、勝て。俺を生かしたいなら、勝って生き残れ!!」
俺は浅宮の胸元をつかんで、竜の・・・アザミのほうに投げだした。
浅宮は空中に放り出されながら茫然とアザミを瞳のなかに収めて、考える間もなく足を出した。
その足は、弱い蹴りを竜に繰り出す。
それだけだった。
けれども、それは浅宮の意識に一石を投じた。
これまでは浅宮は、友人は攻撃できないと思い込んでいた。いや、そういう信念を抱いていたのだ。だが、この攻撃で浅宮は知ってしまった。
友人であっても攻撃できる、と。
友人であっても戦える、と。
その一石が、浅宮にとって良いものだったのか悪いものだったのか俺には分からない。分からないけれども、俺にはそうすることが一番正しいと思ったのだ。
浅宮は、飛び上がった。
そして、無言で身体を捻った。
空中で、体を捻る浅宮の真っ直ぐな足がやたらと綺麗に思われた。竜は、そんな小さな浅宮に向かって吠えた。
「ぐぁぁぁぁ!」
すぅ、と浅宮が大きく息を吸った。
「うあああああぁ!」
人間の言葉ではなかった。
けれども、勢いがあった。
この世のものなんて、全部吹き飛ばしてしまいそうな勢いがあった。
浅宮は、そのままアザミであったはずの竜を吹き飛ばした。浅宮は呼吸も荒く、竜を見つめていた。俺は、見ていなかった。
竜は、起き上がる。
浅宮は、蒼白になりながら竜に立ち向かう。
もう、浅宮はアザミの名前を呼ばない。
竜も、吠えることはない。
浅宮と竜は、無音で向かいあっていた。それでいて、この世の終わりみたいに静かだった。この世の終わり――みたいに。
もう、とっくの昔に世界は終わってしまっているのに、浅宮と竜が対峙することによって改めて世界が終わってしまうみたいだった。
俺は、それでもよかった。
俺は、それでよかった。
浅宮が生き残れるのならば、世界ぐらい終わってしまっても良かった。
浅宮は、竜が開けた穴から外に逃げだした。
竜も浅宮を追って、外へと飛び出していく。
俺も、二人を追って外に飛び出した。
俺が二人を見たときに、竜と浅宮は青空に飛び上がっていた。浅宮のほうが竜より高く跳び上がっている。竜も浅宮を追っているが、浅宮に追いつけていない。浅宮はくるりと回って、竜に向かって足から落ちた。
それは、キックであり落下であった。
浅宮とアザミは、すごい勢いで地面に落ちる。二人が地面に叩きつけられて、辺りには砂ぼこりが舞う。
「浅宮!あさみやっ!!」
俺の呼び声に答えたのは、浅宮ではなかった。
「ぐるるるぅぅ」
と、竜が吠えた。
竜は、地面は横たわっていた。
「アザミ・・・本当にアザミなのか?」
わずかに息がある竜に、俺は問いかける。
竜は、ぐわりと口を開けた。生臭い息が、俺に迫ってくる。こんなに弱ってもなお、竜は俺を食べようとした。執着という食欲に、俺は涙する。
アザミを憐れんだのではない。
こんなにも貪欲な食欲を抑えつけてもなお、俺を守ってくれた浅宮に向けた感謝の涙であった。獣として生きた方が、ずっと楽なのに。
「浅宮・・・どうして生きづらい方を選ぶんだ?」
俺を一飲みにしようと、竜は大口を開ける。あまりに大きな牙がむき出しになり、俺の頭部は竜の口のすっぽりと収まろうとしていた。
「俺が、人間でいたいと願ったからだ」
俺の視界が、明るくなる。
竜が口を閉じ着る前に、浅宮が竜を蹴り飛ばしたのだ。
「俺は・・・人でいたい。たとえ父親を殺しても、食欲だけで殺すような獣にはなりたくない。ハル!」
浅宮は、俺の方を振り返った。
浅宮は、とても悲しそうな顔をしていた。
「この地獄みたいな世界で、あえて人でいてくれ。俺に、守られてくれ。獣になりかけている俺は・・・ようやくそれで人になれるんだ」
その瞬間、俺と浅宮の間に絶対の絆ができた。
守る者と守られるもの。
強者と弱者。
俺と浅宮ではないと、築かれなかったものができあがった。
「いいよ・・・。俺は人でいいよ、浅宮」
「ありがとう、ハル」
浅宮は、もう振り向かなかった。
そして、浅宮はアザミに止めを刺した。
これが始まりだった。
俺と浅宮の間に出来た繋がり。
主観しかなくて、俺たちしか理解できなくて、俺たちしか理解しなくていい、そういう呪いみたいな繋がりだった。
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