第36話 子守唄

 アンナは二人の背中が見えなくなるのを確認してから作業に取り掛かった。


「虎太郎さま!」


「――っ。アンナか!」


「はい。お二人には先に行ってもらいました」


「そうか、ありがとう」


 アンナは少しずつ慎重に瓦礫をどかしていく。その間長い沈黙が続く。


「本当に……お前はアンナ……なんだよな」


 声は小さかったが、アンナにははっきりと聞こえていた。


「はい。アンナです」


「じゃあ……あの時のことも、覚えてる……のか?」


「……はい。感情としては残っていませんが、わたしがアンナだった時間の映像、音声はすべて残っています」


「そうか」


 再び長い沈黙が続く。そして次に口を開いたのはアンナだった。


「アンドロイドが嫌いになったのは、やはりわたしのせいですね」


 虎太郎は顔を下げ、答えた。


「……本当は、本当はお前が悪くないって、そう思ってた。でも怖かったんだ、アンドロイドがじゃない。大好きだったお前があんなことになって、今度またアンドロイドと関わって同じことが起こることを怖れていたんだ。だからいっそアンドロイドのことを嫌ってしまおう、近づかないようにしよう、そう思うようにした。だから気づいたらアンドロイドを見ると気持ち悪くなるようになってた。ひどいよな俺って。大学で姉ちゃんに的をついたようなことを言われたときはどうしようかと思ったよ」


「虎太郎さま……」


「だからお前は謝らなくていいんだ。今日すべてがわかったから。お前が悪くないってわかったから。謝るとしたらそれは俺のほうだ、ごめんアンナ……ごめん」


 アンナはゆっくりとかぶりを振り、


「わたしは幸せだったと思います。あの時に感情がなかったのが悔しくてたまりません。わたしはあなたが小学校に入って少し経ってから美島家でお世話になりましたね。まだ小さい虎太郎さま、さらに小さい蒼穹さま、中学生の碧さま。三人とも可愛かったです」


「はは、よせよ。こんな状況で思い出語ると悪いことが起こるぞ」


「それは困りますね。やめておきましょか」


「まあいいよ、勝手にしてくれ」


「あ、これを動かせば……」


 アンナはそう言って、他の瓦礫を崩さないように一つの大きなブロックを引き抜いた。すると、大人一人が通れるほどのスペースが作られた。


「虎太郎さま!」


 そう言ってアンナは手を伸ばした。虎太郎はそれに応じ手を伸ばす。引っ張られるように虎太郎はアンナのもとへ引き寄せられ、一〇秒近くかけながらようやく向こう側へ抜けることができた。


「ふう、サンキューな。助かった」


「いえ、急ぎましょう」


「ああ」


 アンナは座らせておいたソニア、ミルトニア、ディモルフォセカを担ぎ虎太郎をすぐに追う態勢に入った。虎太郎はそれを確認して走り出す。


 その直後――虎太郎の後方に爆発のような轟音と振動。


「え?」


 恐る恐る振り向く虎太郎。その目に映ったものはあまりにも残酷な光景だった。



 絶叫――

 叫ばずにはいられなかった。


 背中から下を食い込むように巨大な瓦礫に押しつぶされているアンナ。他の三体共々同様に体半分が潰されていた。


「アンナ! アンナぁ!」


「虎太郎……さま……早く逃げて。ここはもう」


 虎太郎はそれを見るや、必死にアンナに覆いかぶさる瓦礫を持ち上げようとした。誰がどう見ても動かすことができない巨大な石の塊は、案の定一ミリも動くことはなかった。


「うおおおおおおおおおおおおおッ」


「早く……逃げ……無理です」


「俺は、俺はっ! 前とは違うんだよ! ガキだった時の俺とは違うんだ! あの時お前を引っ張ることもできなかった俺とは、違うんだよおお!」


 虎太郎はあの事件当時のことを思い出しながら叫んだ。


「会えた、また会えたんだ……! こんなに嬉しいことがあるか! なのに! そんなこと言うんじゃねえ。諦めるんじゃねえよ!」


 アンナはその言葉に奮い立たされ力を込めるが、下半身は動かず、両腕も関節のモーターがキュルキュルと音を立てるだけで、左手の指数本しか動かせなかった。あれだけ強い戦闘力を持つ第四世代アンドロイドのポテンシャルがあっても、数百トンクラスの衝撃には耐えられなかったようだ。


「きっとまた、アンドロイドを好きになってくださいね」


 虎太郎は聞く耳を持たず夢中で瓦礫を押し上げ続ける。


「その子も幸せになるはずです。わたしがそうだったんですから……保証します」


「……」


「聞いて……ますか?」


 少し収まっていた揺れが再び始まった。頭上からはパラパラと細かいものが落ちてくる。


「……ああ。約束する。俺はもうお前たちを嫌いになったりなんかしない」


 そう言って虎太郎は、瓦礫を押すのをやめた。


 アンナは優しく微笑んだ。そして数本動く左手の指から青白い細い光線が放たれる。


「動いてよかった……」


《クレアシオン》で生成されたのは、《ゼクスト・フリューゲル》だった。

 アンナはそれに乗るよう虎太郎を促した。

 振動はさらに強まる。立つのが困難になり、虎太郎は《ゼクスト・フリューゲル》にしがみつくように乗った。


「行って……」


「アンナっ……!」


 アンナの声に従い、《ゼクスト・フリューゲル》は三〇センチほど浮かび上がった。


「後堂さんに伝えてください。味覚プログラム――絶対に完成させてください。楽しみにしてますと」


「ああ」


「蒼穹さまに伝えてください。昔みんなの見てないところで密かにわたしを綺麗にしてくださってありがとう。嬉しかったですと」


「ああ」


「碧さまに伝えてください。服には気を使ってくださいと」


「ははは。なんだそりゃ」


「そして最後に虎太郎さま……。〝あの時〟返事ができずにすみませんでした。今答えていいでしょうか……。心配なさらずとも、わたしは、あなたの――」


 この時、天井が砕け、《ゼクスト・フリューゲル》は自動的に発進した。この場を離れた直後、次々と瓦礫の雨が降り注いだ。


「アンナああああああああああああああああああああああああああっ!」


《ゼクスト・フリューゲル》は外に向かって自動的に駆ける。そんな機能などないはずなのに……まるでアンナの意志がそうさせているかのように進み続けた。



 アンナは歌う。

 大好きな少年のために。大好きなあの歌を――

 自分のすべての機能が停止するまで、歌い続けた。

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