第35話 藤田雫
後堂は片山に最後の別れをし、虎太郎は廊下に向けて足を早めた。
碧は雫と共に歩き出し、アンナはソニア、ミルトニア、ディモルフォセカの順に三体を担いでいく。そして最後に少し離れたクリスの回収に向かった。
「碧。ごめん」
「いいんだ。また今度うちに遊びに来い。さあ、急ぐぞ」
「うん……」
碧が部屋の出口に向かう時、ちょうどクリスの横を通り過ぎようとした。雫は少し前を歩く碧の横でうつ伏せになって倒れているクリスを見る。碧たちとの関係は回復しても、アンドロイドという存在とはおそらく一生関わることはできないと感じた。
その時雫は見た。
クリスの指先がピクリと動いたのを。
左の指から細い光線が出ると、一瞬にしてあるものを形作った。
「待っ――碧ッ!」
「え――?」
振り向いた時にはすでに遅かった。
霧吹きのように血が空中を舞う。
「う――あ……」
虎太郎たちも雫の碧を呼ぶ声に振り向いて呆然とした。その目に映ったのは、
「雫――――――!!!!」
舞うように倒れる雫の姿だった。
「雫さん!」
「藤田!」
まだ動こうとしていたクリスの背中にアンナが瞬時に飛び乗り、電源ボタンを押した。
「システム停止――オフライン」
クリスは絞り出すようにそう言うと、目の輝きが消え、ゆっくりと力が抜けていった。
雫がクリスに命じたことは、アルメリアの破壊、そして美島姉弟を始末することだった。その命令に最後まで忠実に従った結果、碧は狙われた。
「雫! 雫ぅ!」
「あ、おい……」
「すぐに上に連れて行くからな、アンナ!」
腹部中央から止まることなく流れ続ける血。碧はただ血を止めようと必死だった。
「待っ……て」
雫は駆け寄ろうとしたアンナを目で制止させた。それから碧の目を見つめる。
「わたしはすべてが終わったら死ぬつもりだった……それにもう、きっと、ダメ」
「なにを言ってんだ雫! あきらめるな!」
「最後に……。言っておきたいことがあるの。わたしね、虎太郎くんの言うとおり不器用だから……演技ってできないの」
雫の目から再び大量の涙が溢れ出した。
「あなたといた時間はね……わたしも幸せだったよ。たからものだった。これは偽ることのできない事実。笑っていたときは楽しかったし、怒ったときは本気でムカついてた……。そしてさっき言ってたことも本音。あなたたち家族が羨ましくて、羨ましくて……ただの嫉妬で行動してた」
「ああ……」
「今更信じてほしいなんて言わないけど、やっぱり碧の内定の件が一番後悔したかな……本当はね、アースヴィレッジはどうせわたしがすぐ潰すつもりだったから、失業させるよりこの方がいいって思ってやったの……。でもあなたがあんなショックを受けるなんて予想できなくて……ごめん。ごめんなさい碧」
「ああ……」
「けほっ。……許してなんて言わない。でもそれだけは伝えておきたかった」
「ああ……!」
「……これを」
雫はジャケットのポケットから一枚のメモリーカードを取り出し、碧に手渡した。
「ここにあの事件の全貌が入ってるわ。どうするかはあなたに任せる」
「わかった」
「虎太郎くんもごめんね……。今までありがとう。蒼穹ちゃんにも謝って……おいてね」
「必ず伝える」
「実はわたしの弟も君と同い年。生きてたら君みたいにかっこよくなってたのかなぁ。君みたいに料理作ってほしかったなぁ。ははは、そんなこと言ってたらお腹空いてきちゃった……」
「また食べさせてやるよ。ウチに来ればいくらだって……」
虎太郎のその言葉に返す声はなかった。
「うう……雫……しずくうう。いやだよお、死なないでよぉお。ねえ、しずくうううう」
碧は血で濡れた手で雫の頬をさすりながら、ただただ泣いた。
「うわあああああああああああああああああああぁああぁあああ」
姉がこのように声を荒げて泣く姿を見るのは初めてだった。そもそも小さいころから年が大きく離れていたため、転んで泣いたり親に怒られて泣いた姿は見たことがない。
虎太郎も涙が止まらなかった。虎太郎にとって雫はもうひとりの姉だった。優しくされ、時には馬鹿にされ、からかわれる。さりげない日常が虎太郎にとってもたからものだったのだ。最後に二人がわかり合えて本当によかった。心からそう思った。
「行こう美島。藤田はお前にすべてを託した。ここで死んだら意味がねーぞ」
止まない振動の中、後堂は優しい口調で碧に言葉をかける。
流れ続ける涙を必死に拭い、碧はそれに頷いた。
「蒼穹たちとも合流しなきゃいけないな。アンナ、場所はわかるか?」
「八つの生体反応が出口にゆっくりですが向かっているのがわかります……蒼穹さまのネクケーのGPSもそこに含まれているので、おそらくもう大丈夫かと」
「わかった。あとは俺たちだな」
虎太郎たちは雫に向かって最後の別れを言い歩き出した。その直後天井が一気に崩れ、今までいた場所に瓦礫の塊が降り注いだ。
「まずい! 後堂さん!」
「うおッ」
碧とアンナは先に廊下に出た。しかしあとに続く虎太郎と後堂の頭上から大きな瓦礫が落ちてくる。けが人に悪いと思いながらも、虎太郎は肩を貸していた後堂の背中を思いっきり前方に突き飛ばした。
後堂は廊下まで飛び出し無事落石から回避できたが、虎太郎と出口の間には数メートル級の大きな瓦礫がいくつも重なるように落ち、見事に部屋から出るルートが塞がれてしまった。
その後も細かい瓦礫や大きな瓦礫が降り注ぎ、虎太郎の周りはコンクリートの塊で埋め尽くされた。一つも直撃することはなかったものの、体全体を擦りむき、足をくじいてしまった。
「痛ぅ……」
「虎太郎!」
「大丈夫だ! 生きてる!」
瓦礫の向こう側で碧が呼んでいた。声が通らず小さく聞こえる。心配させたくないので怪我をしたことは伏せておくことにした。
「しかしまあどうしたものか……」
上を見上げると、屋根ができたように瓦礫が覆いかぶさり薄暗く、穴があいて見えるはずの外も見ることができなかった。秋の夜の冷たい風が体を冷やしていく。
塞がれた向こう側では、虎太郎をどう救出するかを考えていた。
「俺たちじゃどうすることもできない。早く上に行って救助を要請したほうがいい」
「でも、でも虎太郎が! まだ揺れてるし、今度また崩れてきたら……」
「ここだって危ねーんだ! 俺たちが巻き込まれるのをあいつは望まねーだろ!」
今の碧に良い判断を下すことはできそうになかった。後堂はその分冷静に考え対応しようとする。
「お二人は行ってください」
「お前……」
突然口を開いたのはアンナだった。
「建物の構造上ここがおそらく次に崩れるでしょう。わたしは頑丈ですから、多分大丈夫です。できる限りのことをやってからわたしも逃げます」
「アンナ……」
「お別れは言いません。またあとで会えますからね。話したいこともたくさんありますし、なによりたくさん謝りたい」
アンナはにっこり笑うと、担いでいた〝AZ〟三体を壁に寄りかからせて座らせ、
「さあ、行ってください!」
今度は力強く言った。
碧は頷き、後堂に背中を貸して歩き出した。
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