第26話 黒幕

「な――っ!」


 背中から刺さり、胸に向かって貫通した細い刃は一瞬にして引っ込んだ。それと同時に吹き出る鮮血は、一粒一粒を数えられるほど虎太郎にはスローモーションに映って見えた。全くと言っていいほど今起こった出来事が把握できなかった。

 ゆっくりと受身も取らず倒れる片山。しかしすぐに近づく余裕は虎太郎にはなかった。


「……どういう、ことだよ。クリス。お前自分のオーナーを」


「これがオーナー? 言っている意味がわからないの」


「いやちょっと待て虎太郎。こいつ、さっき片山って言ったぞ」


 クリスが片山を刺す直前、確かに彼を「片山」と言っていたのを思い出した。オーナーを呼び捨てにすること自体、アルメリアの例からわかるように第四世代では特別なことではない。ではなにがおかしいのか。それは先程この部屋に入ってからも、クリスは自分のオーナーのことは「オーナー」という風に呼んでいたという点だ。しかしそれは片山に対しての呼称ではなかったのだ。


「じゃあ、本当のオーナーは……誰なんだよ」


 その時ようやく気づいた。虎太郎の心拍数が急に上昇する。


「姉ちゃん……雫さんって今、何歳だっけ」


 碧は答えなかった。


「あそこにいるのは七年前、〝あの事件〟を企てた研究者たちって……言ってたっけ」


 碧は無言を通す。


「関わった数は八。七人が傷つけられて、そして今、片山さんが制裁を受けた」


「やめてくれ虎太郎……」


「雫さん、あんた――」


「くふっ」


 気絶していたものかと思っていた雫の口が、三日月のような孤を描いた。


「一番」


「はい」


 コツコツと音を立てながらゆっくりと一番と呼ばれた少女――クリスは雫に近づき、腕にくくられていた金属製の縄をなにかの刃物で切断。そして落ちてくる雫を、大切なものを傷つけないようにするようにそっと抱きかかえた。


「はぁ。片山には犯人役を被ってもらって、もっと醜態を世間に晒してから死んでもらうつもりだったけど、なんか色々バラしちゃうんだもん。予定が少し狂っちゃったじゃない。……まあいいわ。めんどくさくなった。ここですべて終わらせてしまおう」


「雫っ……」


 雫はクリスに支えられながら立つと、今度は邪魔だと言わんばかりにクリスを強く押しのけた。雫の表情は未だかつて見たことのない暗く濁った笑顔だった。生気のない、しかし希望に満ちている――不気味な笑顔だ。


「碧。ようやくこの時が来たわ」


「なんの……ことだ? この制裁のことか」


「そうよ。ずっとこの日を。ずううううううううううううっと待ってた!」

 先ほどよりも目に輝きを増した雫は、両手を広げ碧に語りかけた。


「雫さん、あんたが第四世代を使って、会社を壊したり社員を連れ去った……のか」


「そうよ」


「どうしてそんなこと」


「どうして? ふん。あんたたちにはわからないでしょうね、絶対に」


「どういう、ことだよ」


 目を細め、雫は無言で虎太郎を睨みつけた。決してこんな目をする人ではなかった雫の変化に虎太郎は驚く。


「ア、アルメリアはなんなんだ? それにあのメール――OSのデータは。雫さんが黒幕ならどうしてわざわざ俺にそんなものを送ってきた?」


「アルメリア? ああ六番ね。それはわたしとしたことが、つい先日まで知らなかった。すべては片山にしてやられたわ」


「片山さんが?」


 虎太郎は倒れた片山に目を向ける。


「三ヵ月と少し前――わたしがあんたに頼んだAZのデザインの依頼は五体だったはず。でも追加で依頼があったでしょう?」


 そう――当初虎太郎は五体分のデザインの依頼を雫から受けていた。しかしそれから一ヶ月後、突然片山からメールがあったのだ。



 ――もう一体デザインして欲しい……と。



 追伸で、誰にも言わないことを条件で自由にデザインしてもいいとあった。なぜ誰にも言ってはいけなのか疑問に思ったが、虎太郎は今まで細かい注文の中でデザインしてきたため、この取引的な依頼は正直嬉しいものだった。そしてすぐに依頼を引き受けたのだ。


「だからそのOSの入ったメールはわたしからじゃない。片山からのわたしを装ったメールよ。きっとあんたにとって片山よりも信頼度の高いわたしの名を使えば、それを必死で守ってくれると思ったんじゃないかしら。製造中の五体になにかあった時に動いてくれることを信じてね。この手際の良さ、もしかして感づかれてたのかなーあたし」


「どうして片山さんはそんなものを俺に?」


「さあ? 社員以外で〝AZ〟に関してよく知っている者に託したかったんでしょう? わたしは当然疑われている者の一人だったみたいだし、そんな話は一切なかったけど」


 雫は上を向きため息をついた。これまで片山の信頼度を上げてきたつもりなのに、結局は信頼などされていなかったことに対して苛立つ。

 雫は倒れて動かない片山に視線を向け、不気味な微笑みを見せた。


「さて、一人死んだ。次は――」


 雫はその表情のまま、未だぶら下げられている残り七人の社員たちに視線を変え、一人ひとりの顔を見ていく。中には雫と目が合い、小さな悲鳴を漏らす者もいた。


「あんたたちは絶対に許さないからぁ。恐怖という恐怖を味わってから死ぬの」


「雫さん……あんたは一体……誰なんだよ」


「まーだ気づかないの? 虎太郎くん、特に碧」


 未だわからない。何故これほどまでに雫がアースヴィレッジの社員を憎んでいるのか。〝あの事件〟となんの関わりがあるというのか。


「わからないのなら教えてあげる」


 そう言って首だけ虎太郎たちの方を向け、言った。


「わたしも〝あそこに〟いたの」


 虎太郎は七年前のあの時のことを必死に思い巡らす。ロボット博物館でのことだ。

 あの時の被害者は、若いカップルと――


「四人家族が……いた」


 碧がそう言うと、虎太郎の記憶がだんだんと蘇ってきた。


「そうだあの時、指示を出してくれたおじさんがいたんだ。そのほかに、奥さんと、女子高生と、俺と同じくらいの小学生の男の子がいた気がする」


「わたしもその時高校生だった。つまり――今その女子高生はわたしと同じくらいの年」


「まさか」


 雫は満足そうな笑みを見せ口を開いた。


「思い出したぁ? あれが わ た し。両親と弟を目の前で殺された〝あの事件の〟被害者なのよ」


「こ、殺されたって……俺は全員無事だって聞いてたのに」


「そんなのは嘘嘘嘘! 大嘘よ! もともと親戚がいなかったわたしに対し、この会社は生活させてやる代わりに家族は事故死扱いにしろと圧力をかけてきたわ」


 雫の言葉に社員たちがざわめいた。そして一人の五〇代くらいの男性社員が震える声で言った。


「や、やはりそうなのか……君があの時の……」


「もしかして薄々感づいてたぁ? 昔は太ってたし苗字も家系図も独り立ちしてから改ざんしたんだけど……」


 確かに虎太郎たちの記憶でも、あの時の女子高生は小太りの印象があった。今とは違う暗い印象さえあった。


「我々への復讐……というわけか」


「当然でしょうがッ! あの事件でわたしの家族はすべて事故死扱いにされた……! 誰かに言ってもわたしの言うことなんか誰ひとり聞いてやくれなかった! 被害にあったわたしのより信頼のあるアースヴィレッジの言い分をみんな聞いたのよ!」


「雫……」


 これは事実だ。当時高校生だった碧も起こった全てを警察やマスコミに伝えたが、防犯カメラには何故か不審な様子が一切映っておらず、そもそもアンドロイドがそのようなことをするはずがないと切り捨てられた。子どもの言うことより素直に火災事故を認めたアースヴィレッジと会場側を皆は信じた。両親だけは信じてくれたが、大人二人の言い分も聞かれることはなかった。


「だから復讐するの! あの時関わった奴らにね! 一番!」


「はい」


「こいつらを下ろして。そして逃がしなさい」

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