第6章 富山県警へ

 朝食の開始六時ちょうどに、私と理真りまは食事会場へ入った。一番乗りだ。


「バイキングだからたくさん食べなきゃね」


 理真は朝から元気だ。かく言う私も、昨夜サウナで汗を流したのが効いたのか、低血圧なのだが、今朝はすこぶる調子がいい。二人とも身支度は済ませ、荷物も持ってきている。朝食を食べ終えたら部屋へは戻らず、そのままチェックアウトする。少しでもゆっくりと食事を楽しもうという魂胆なのだ。私たちが席に付くと、ちらほらと他の宿泊客も会場に現れ始めた。丸柴まるしば刑事の姿もある。


「朝からそんなに食べるの?」


 私たちと相席した丸柴刑事は、理真の皿を見て驚いた声を上げた。


「何言ってるの。朝食は一番大事なんだからね。朝食をたくさん食べて、昼食は適量取れば、夕食なんて食べなくてもいいんだから」


 理真はそう反論する。いや毎食お腹いっぱい食べてるだろ、あんたは。


「遅れないようにね」


 丸柴刑事が食事を終え会場を去っても、理真はやっと食後のデザートに手を付けたところだった。私はとっくに食べ終えているのでコーヒータイムだ。食事会場からは、富山駅前の大きな交差点が見下ろせる。ちょうど出勤、登校時間。サラリーマン、OL、学生、様々な人たちが行き交う。

韮岳にらたけ仁藤にとうが』

 殺人犯いろはが、本当に有区別無差別殺人犯であるなら、被害者に個人的な恨みなど抱いてはいないはずだ。誰に何の恨みを持たれていなくても、交差点を行くこの中の誰もが殺人の被害者になり得るということなのか。そして、殺人犯は恨みもない人間を快楽のためだけに殺す。私には全く理解できない領域だ。



 富山市内の道路には、新潟にはない路面電車が走っている。交差点を曲がるときなど、戸惑ってしまう。今は行ってもいいのか? 信号は青だが? 電車が来ていないからオーケー? 後ろのドライバーさん、朝の通勤ラッシュ時にぎこちない運転をしてごめん。新潟ナンバーだから許して。丸柴刑事の覆面パトの後ろについて走っていたのだが、私がもたついているうちに丸柴刑事の覆面パトは先に行ってしまった。大体、普段運転好きなくせに、こんな時だけ私にハンドルを握らせるから困る。バイキングで調子に乗って食べ過ぎて動けなくなったというのは分かるが、助手席でシートを倒して横になっているこの素人探偵は。


「ごめんね由宇ゆうー。ああ、私お昼食べられないわ」


 今はこんな事を言っているが、賭けてもいいが昼になったら、富山名物ます寿司を食べるなどと言い出すはずだ。


「ほら、富山県警に入るよ、しゃんとして」


 私はハンドルを切り県警の駐車場へ車を入れた。先に入っていた丸柴刑事が、車から降りて駐車場所へ誘導してくれる。


「ごめんね由宇ちゃん。振り切っちゃったね。無事着けてよかった」

「いえ、私が交差点でもたもたしてたから」


 私たち三人は県警本部の建物へ足を踏み入れる。すると、ロビーのソファに座っていた背広姿の男性が立ち上がり近づいてきた。


「新潟県警の丸柴刑事ですね?」


 丸柴刑事は、警察手帳を見せて、そうです、と答える。


「私は富山県警の守田もりたです。本日はご一緒させていただくことになっています」


 顔は正面に向けたまま頭を下げ、守田刑事も警察手帳を見せた。中々精悍な男性だ。短く切りそろえ整髪された髪が清潔感を与える。新潟県警の中野なかの刑事に引けを取らない逞しい体に紺色のスーツを羽織っている。


「そちらは、例の?」


 と丸柴刑事の後ろにいた私と理真に覗き込むように目をやる。


「はい。日頃から不可能犯罪の捜査に協力してもらっている、安堂あんどう理真さんと、助手の江嶋えじま由宇さんです」


 丸柴刑事の紹介に私と理真は、よろしくお願いします、とお辞儀した。


「こちらこそよろしくお願いします。いや、噂には聞いていましたが、本当に美人のコンビなんですね」


 ええ、そうなんです、とまでは言わないが、理真はいつものように、美人と言われたことを決して否定することなく微笑んだ。


「会議は八時からですが、その前にうちの一課を紹介します」


 私たち三人は、守田刑事について階段を上がっていった。

 富山県警捜査一課へ挨拶。ひと通り話は通っているようで、つつがなく挨拶は済み、会議の打合せをして会議室へ向かった。会議室の入り口で私と理真は丸柴刑事と別れる。ゲストの丸柴刑事は事件の説明のために前方のメイン席へ座るためだ。私と理真は、ここでもいつものように一番後ろの席に陣取ることにした。

 時間となり会議が始まった。富山県警の刑事から、昨日富山市韮岳で発見された死体が、一連のいろは殺人の一環であると思われる旨が説明される。新潟県警に届いた犯行声明が画面に映し出され、丸柴刑事が紹介される。


「新潟県警の丸柴です」


 丸柴刑事は立ち上がり、新潟県村上市五十谷いそやでの伊藤孝子いとうたかこの事件に始まる、いろは殺人の経緯を説明した。続いては『に』殺人の被害者の詳細だ。語り手は先ほどの守田刑事が担当するようだ。


「被害者は、仁藤大作にとうだいさく、年齢五十五歳、死亡推定時刻は十一月十日の夜九時から十一時の間。今日が十三日なので三日前ですね。富山市岩瀬いわせにひとり暮らしをしていました。近隣の聞き込みによりますと、他人に恨みを買うような人物ではないと口を揃えての証言です。現在は無職で、貯金を切り崩して生活していたようです。で、この仁藤なのですが、過去に殺人事件に巻き込まれています。ご記憶の方もいらっしゃると思いますが、六年前に隣の滑川なめりかわ市で起きた女子高生殺害事件です。この事件の被害者、仁藤七海ななみは、仁藤大作の娘です」


 捜査陣の間から、ううむ、と唸り声が聞こえた。


「続けます。仁藤は、この事件で精神的ダメージを受けてすぐに仕事を辞めてしまいました。それから不定期にアルバイトなどをして過ごしていたのですが、昨年奥さんも病で亡くしてしまい、精神が完全に参ってしまったようです。一切の仕事を辞め、家に引きこもるようになってしまいました。それを見かねた近所の人が、心療内科に併設されたカウンセリングセンターを紹介して、通うようになったそうです。

 死亡場所の韮岳なのですが、近所の人の話によると、被害者と関わりのある場所だとは聞いたことがないと。仁藤がなぜ韮岳へ行ったのかは不明です。仁藤は外出といえば、カウンセリングへ通うか、徒歩で行ける近所のスーパーへ買い物に行くくらいしかなかったようで、どうして韮岳なんて山のほうまで行ったのか、皆目見当が付かないとのことです」

「これまでの連続殺人の被害者も、一名を除いて生活圏から外れたところで殺害されている。犯人に連れてこられたという可能性もあるな」


 丸柴刑事の隣に座っていた刑事が言った。先ほど紹介された一課の明藤みょうどう警部だ。新潟県警の城島警部と似たところがある。少し明藤警部のほうが若くスリムだが。


「守田。丸柴刑事のために、六年前の事件の詳細も話せ。ここにいるものも、うろ覚えのやつがいるかもしれんしな」


 守田刑事は、はい、と返事をし、机に置いてあった書類を手にした。


「事件が起きたのは、六年前の七月三十日。当時高校一年生だった仁藤七海さんが、滑川市海沿いの道にて死体となって発見されました。発見したのは近所に住む老人。早朝犬の散歩でその道を歩くのが日課で、その際に死体を発見、警察に通報しています。七海さんの死因は頸部骨折。すぐそばの電柱の地面すぐの位置に血痕が付着しており、そこに頭をぶつけたことにより骨折したものと思われます。

 死亡推定時刻は、その日の前日深夜から未明にかけて。現場周辺では、普段から暴走族のような連中が走り回っており、警察でも苦情を度々受けていました。普通に電柱に頭をぶつけただけで首を骨折するというのは考えがたく、その位置も異様に低かったことから、七海さんは暴走族に拉致され車に乗せられた。そして、自力で脱出しようとしたか、犯人に突き落とされたかして、走行中の車から車外に出てしまい、地面を転がり電柱に頭をぶつけてしまった。当時の捜査本部はそう考えました。七海さんの露出した手足に擦過傷があったことや衣服のすり切れ。また、死体発見を境に付近から暴走族の姿が見られなくなったことから、その線で捜査を進めました。

 市内と近隣の暴走族を一斉に当たり、アリバイ、現場のタイヤ痕の照合などから、犯人が所属していると思われるグループを特定。最終的には自白により、暴走族構成員二名を逮捕しました。供述によると、夜の町で七海さんに声を掛け、無視されたので追いかけて車に連れ込み走行していたところ、七海さんが車から脱出を計り、施錠されていなかったドアを開け車外に飛び出した。犯人も車を止めて七海さんを確認に行きましたが、すでに首の骨を折って動かなくなっていたため、怖くなって逃走したということでした。すぐに警察の捜査が入ると思い、犯人のグループは翌日には滑川市を出たそうです。

 なお、父親の大作さんは、七海さんが夏休み中ということもあり、友達と遊んで多少帰りが遅くなることは大目に見ており、犯行のあった日は夫婦そろっていつもより早めに就寝していました。朝目が覚めても七海さんが帰っていないことを不審に思い、携帯電話に掛けても応答がなかったため、警察に届け出を出した直後の死体発見でした」


 会場に沈鬱な空気が流れる。そんな事件があったのか。


「それで、その犯人らは?」と空気を破るように明藤警部。

「執行猶予なし懲役八年の実刑を受けて、現在も服役中です。その暴走族の仲間が復讐のために仁藤さんを襲った可能性もありますので、その線でも捜査中です」

「逮捕から六年も経ってから復讐というのもな」明藤警部は腕を組んで、「新潟県警に犯行声明も送られてきているしな」


 丸柴刑事はそれを聞いて頷いた。犯行声明のことは公表されていない。いろは殺人に便乗した暴走族による復讐殺人であれば、警察に犯行声明が届くはずがない。


「守田はこの後、仁藤さんが通っていたカウンセリングセンターへ行くんだったな。丸柴刑事も一緒に」


 守田刑事と丸柴刑事は同時に、はい、と答えた。


「名探偵さんも一緒ですよ」


 と守田刑事が付け加えたので、明藤警部は一番後ろの席に座っていた私と理真に視線をよこした。釣られて他の捜査員も振り向く。私と理真は、ぺこりと頭を下げた。


「みんなも知っている通り、新潟県警に捜査協力をしていくつも不可能犯罪を解決している探偵さんも捜査に加わる。主に丸柴刑事と一緒に守田と行動を共にすることが多いだろうが、みんなも協力してやってくれ」


 明藤警部の言葉に、捜査員たちは、はい、と一斉に返答をした。

 会議は終わり、捜査員たちは散っていった。帰り際、「守田、お前うまくやったな」「代わってくれよこの野郎」と、守田刑事は、同僚と思われる刑事から肘で突かれたり、頭を叩かれたりしていた。刑事、探偵、助手、一気に三人もの美人と行動することになり、(どさくさに紛れて私も美人のカテゴリーに含めてやった)やっかまれているようだ。



「仁藤さんが通っていたのは、富山海浜クリニックという海沿いにある病院です。ここから車で十五分くらいです」


 出発する直前、守田刑事は目的地を告げて覆面パトに乗り込んだ。丸柴刑事が助手席、私と理真は後部座席だ。

 走るうちに富山湾が見えてきた。あれです、と守田刑事が指したのは、白い三階建ての瀟洒な建物だった。駐車場もアスファルト敷きではなく、カラフルな幾何学模様のブロックが敷き詰められている。車を降り正面玄関へ。自動ドアを抜けると、いらっしゃいませ、と受付に座る看護師のやわらかな声が迎える。守田刑事はロビーで待っている患者に見えないように警察手帳を見せると、受付は、どうぞこちらへ、と患者用とは別の入り口に私たちを案内した。廊下をしばらく歩き、ドアの前で看護師は立ち止まった。ドアのプレートには『瀬峰せみね』とある。


「警察の方がお越しになられました」


 看護師はノックをしたあとに告げた。どうぞ、と室内から声がした。女性のものだ。私たちが入室すると、


「はじめまして。臨床心理士の瀬峰礼子れいこです」


 白衣を着た長い髪の女性が椅子から立ち上がって自己紹介をした。


「県警の守田です」守田刑事は警察手帳を開示した。


 続いて丸柴刑事が自己紹介しようとしたが、瀬峰は、失礼します、と言って退出しようとした看護師を呼び止め、


「ちょっと上戸うえとくん。『お客様』でいいでしょ。『警察の方』なんて口に出して、患者さんやクライエントに聞かれたらどうするの。変に不安を煽っちゃうでしょ」


 叱られた上戸と呼ばれた若い男性の看護師は、すみません、と平身低頭のまま部屋を出た。


「ごめんなさいね。ここの患者さんはデリケートな方が多いから。私のクライエントならなおさらです。本当は院外でお会いしたかったんですけど、私も忙しくて」

「いいえ、構いませんよ。すみません、クライエントというのは?」と守田刑事。

「ああ、私のカウンセリングに来られる顧客のことです。同じ建物内にありますけれど、私のカウンセリングセンターは、心療内科とは別ですので。カウンセリングでは、薬などによる物理的な治療を行うわけではないので、患者さんとは呼ばないんです」

「そうなんですか。初耳でした」


 守田刑事は一歩下がり、丸柴刑事が自己紹介をした。新潟県警の刑事と聞いても瀬峰は驚くような顔は見せなかった。事件のことで伺うと話は通してあるためだろう。いろは殺人の発端の事件が起きた新潟の刑事も来るというのは自然な流れだ。話が通っているといえば、


「そちらが探偵さんと助手の方?」


 瀬峰は私と理真に目を向けた。


「安堂理真です。よろしくお願いします」


 理真は頭を下げた。続いて私も自己紹介して会釈する。


「刑事さんに名探偵、助手の方まで女性なんて、予想外でした」私たちの会釈に同じように頭を下げて返した瀬峰は笑い、「どうぞ、お掛けになって」


 部屋の隅にある応接スペースへ私たちを促した。

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