第5章 現代社会におけるABC殺人

 北陸自動車道をひたすら南下し、富山インターチェンジを降りる行程だ。インターから降りてしまえば富山駅前までは数キロしかない。行程のほとんどは高速道路を走ることになる。

 途中、理真りまの携帯電話に丸柴まるしば刑事から宿泊ホテルを知らせるメールが届いた。休憩も兼ね、サービスエリアに入りカーナビに入力する。ホテルは本当に富山駅の目の前だ。運転も理真から私に交代する。


 ハンドルを握っていると、理真がしきりに私のほうを見るので、何かあるのかと思ったが違った。理真は私の体越しに日本海に沈む夕日を見ていたのだ。私も横目でちら見する。夕日のオレンジとまだ青い色を残した空が混在している。凪いだ海にオレンジ色が溶け込み、とても綺麗な眺めだ。こんな時でなければ、サービスエリアに車を停め、コーヒー片手にゆっくりと観賞したいくらいだ。

 車はトンネルに入り、目に入るオレンジ色は、夕日から、トンネル内照明のナトリウムランプのそれに変わった。トンネルを抜けると、もう夕日はその様相を変えていた。オレンジ色はほとんど西の彼方へ追いやられ、青い空ももう見られない。理真はもう窓の外の見るのはやめ、シートを倒して目を閉じている。それから数分で日は完全に沈み、暗い夜の闇とナトリウムランプのオレンジが、交互に何度も私たちを包んだ。


 ホテルのフロントで案内された立体駐車場へ車を入れる。軽自動車の中でも特に小型のR1は、どんな狭い駐車スペースでも問題にしない。その代わり、後部座席に荷物を積んだら、事実上運転席と助手席二人しか乗車できない。駐車場へ行く途中電話を入れておいたため、ホテルのロビーには丸柴刑事が待っていてくれた。チェックインを済ませる。私と理真にはツインの部屋を取っておいてくれていた。丸柴刑事はシングルだ。

 早速夕食も兼ねた捜査会議のため、ホテルを出て最寄りの居酒屋へ入る。殺人事件の話をするが、客の喧噪が多いほうが、会話が紛れて他の人に聞かれにくい。隅の小さいテーブル席が空いていた。格好の場所だ。私も理真も事件の捜査中は、いつ何時事件の招集があるか分からないため、車の運転が出来るようにアルコールは控えることにしている。それに丸柴刑事も付き合ってくれ、せめて気分だけでもと、全員ノンアルコールビールを注文した。


「被害者の名前は言ったわね、仁藤大作にとうだいさく、年齢は五十五歳、今回も財布が残されていて、中に免許証があったから容易に身元は判明したわ。富山市在住。住所は富山の町中だから、同じ市内でも死体発見現場からはかなり距離があるわ。その死体発見現場は、富山市韮岳にらたけの韮岳大橋の直下。浅い渓流の岩場に倒れていたわ。橋の上から落ちて、その下の渓流にあった石に頭部をぶつけたことによる脳挫傷が死因。橋からの高さは約十五メートル。その他にも、打撲や擦り傷もみられ、これらには生活反応があった。衣服も乱れたり汚れたりしていたから、犯人ともみ合ったか逃げようとした結果、突き落とされたのではないかと。死後一日か二日程度経過していると見られてる」


 丸柴刑事は、ノンアルコールビールをぐいとひと飲みしてから状況を語ってくれた。


「渓流ってことは、結構山の奥なの? 死体発見者は?」と理真。

「それがね、今回は特殊で、死体発見より前に犯行声明が届いたの。これ」

 丸柴刑事はテーブルの上の焼き鳥やら刺身やらが乗った皿をどけて、一枚のコピー紙を広げた。



 拝啓 落ち葉散りしく時節、警察の皆様におかれましては、日々犯罪捜査、治安維持へのご尽力、心よりねぎらい申し上げます。

 さて、結論から申し上げますと、警察の方々の懸命な捜査でも、私の行動を止めていただくには今回も至りませんでした。

 富山県富山市韮岳の橋の下をお調べいただければと思います。

 この便りが届く前に死体を発見なさっていましたら、失礼申し上げます。


 それでは、向寒の折、風邪などひかれませぬよう、皆様におかれましては、くれぐれもご自愛下さいませ。


 かしこ

 吉月 吉日

 いろは

新潟県警捜査一課 御中



「これが今朝、新潟県警に届いたわ。届いたと言っても、中央郵便局にひとり警官が詰めていて、県警宛の郵便は配達前に全てチェックしてたから、今朝郵便局でこれを発見したと言ったほうがいいわね。で、富山県警に連絡して、韮岳にある橋をひとつひとつ調べてもらったの。その中の韮岳大橋の下で、死体発見に至ったというわけ」

「富山県警でも『に』で始まる地区は重点警戒してたんだよね」

「そうなんだけどね。富山県警でもショックを受けてるわよ、今回の事は」

「郵便の消印は?」

「富山市内の現場近くから。死亡推定時刻と合わせると、殺害してすぐに投函したと見ていいわね」

「この仁藤という被害者も、今までの被害者との共通項は……」

「ないわ。今まで調べたところではね。でも、この仁藤さん、ちょっと訳ありの過去があってね」

「何?」


 理真は器用にひょいひょいとテーブル上の食事に箸をつけながら会話をしている。私は聞いているだけなので、黙々と富山湾で捕れた海鮮などを堪能している。喋りっぱなしの丸柴刑事が全然食べられてなくてかわいそうだ。丸柴刑事は理真にすぐには答えず、ここで刺身をひと切れ口に入れてから、


「六年前に娘さんを亡くしてるの」

「何で? 病気?」

「殺されたの」


 軽快に動いていた理真の箸が止まる。


「殺された?」

「そう。詳しいことは明日の会議で聞くことになっているわ」


 代わって丸柴刑事の箸がその動きを活発にした。


「それでね」今度は丸柴刑事が食べながら話す。「その時のショックで仕事も辞めちゃって、ずっと塞ぎ込んでたんだけど、去年くらいから心療内科に通い始めたそうよ」

「心療内科。カウンセリングとかそういうの?」

「そう。正確には、富山市内の心療内科病院に併設されたカウンセリングセンターなんだけどね。明日、富山県警の刑事と一緒に行ってみるわ。理真と由宇ちゃんも来るでしょ」

「それはもちろん。でも」

「大丈夫。事件のことで話を聞きたいって通してあるし、探偵とその助手が同伴するって伝えて了解得てるから」

「それならよかった。じゃあ、明日の英気を養うためにも、今夜は食べよう。……すみませーん」


 理真は手を挙げて店員さんを呼ぶ。お酒の入らない居酒屋での宴は、それから一時間程度でお開きとなった。



「最上階に大浴場があるなんて、すごいね。ビジネスホテルなのに」


 私は湯船の縁に腰掛け、ガラス越しの富山市の夜景を見ながら言った。


「そうだね、これは嬉しい誤算だわ」


 湯船に体を横たえた理真も、ほくほく顔だ。


「でしょ。ここを選んだのは、これがあったからなんだよね」


 私の隣で湯に浸かった丸柴刑事も窓の外に目をやる。

 平日のビジネスホテルに女性客はほとんど宿泊していない。この大浴場は私たち三人で貸し切り状態だ。


「サウナ入ろうよ」


 理真は湯船から上がる。なんと、サウナまであるとは。私と丸柴刑事も付いていく。サウナはさすがに三人も入ったらおしまいという広さだった。


「リラックスしてる時に何だけど。理真、とうとう四人目まで行っちゃったわ。何か知恵を貸してよ」


 丸柴刑事が事件の話を持ち出す。仕方がない。そのために富山まで来たのだから。


「今回は探偵の出る幕はないって。多分」


 理真は狭い中、膝を曲げて仰向けに寝そべっている。


「相手が快楽連続殺人犯シリアルキラーだから? そうと決まったわけじゃないでしょ。それに現代では『ABC殺人』で殺せるのは三人までって言ったのは理真よ、責任取ってよ」

「そんなこと言われてもな……」


 丸柴刑事から四人目の被害者が出たことを電話で聞いたとき、理真は心底驚いていたようだった。警察が首尾良く犯人を逮捕できるとまでは思わなくとも、これ以上被害者が出るとは予測していなかったのかもしれない。理真は敷いたタオルの上に仰向けになっていた体を横にして、


「正直、これだけの警察の厳戒態勢をかいくぐっての犯行は無理だと思ってたわ。市民にも、もう『いろは殺人』のことは広まってるからね。どうして今度の被害者、仁藤さんだっけ、は、韮岳なんてところに行ったのかな」

「死体に動かされた形跡はなかったわよ。頭をぶつけた石も、間違いなくそこに元からあったものだし」

「全然関係のないよその土地で殺してから『に』で始まる地名に運んだのではない、と。まあ、そんなことしたら邪道だけどね」

「殺人犯に邪道も王道もないでしょ。そこまでこだわる理由って何?」


 丸柴刑事もタオルを敷いて、その上に横になる。


「これらの連続殺人は、あくまで『いろは殺人』それ以上でもそれ以下でもない、っていう犯人の抗弁みたいに思えるわ」

「どういうこと?」

「いわゆる『ABC殺人』に見られる、真のターゲットを被害者の中に紛れ込ませるなんていう細工はしていません。私は本当に『いろは順』に被害者の名字と殺害場所を合わせて殺しているだけです。邪推はしないで下さい。っていうね」

「やっぱり犯人は快楽連続殺人犯シリアルキラーって言いたいわけね。そういうことにしてこの事件から降りようって魂胆ね。快楽連続殺人犯シリアルキラーは名探偵の天敵だからね」

「いちいち突っかかるね、丸姉。お言葉ですけど、過去に名探偵が快楽連続殺人犯シリアルキラーを見事捕まえた事件だってありますからね。元祖『ABC殺人事件』だって、レジェンド探偵エルキュール・ポワロが見事解決したんだから。ポワロ先輩に謝れ」

「ポワロさんごめんなさい」

「よろしい」


 何だこのやりとりは。


「まあ」理真は上半身を起こし、「正直、この事件は、もうこれ以上は被害者は出ないと高をくくってたのは事実。市民の自警、防犯意識。個人ネットワーク、マスコミによる情報の流布。全くの無差別犯ならまだしも、これだけ規則に則った殺人、有区別無差別殺人とでも言おうか、を続けるのは限界。あとは警察の組織力でおかしな奴をいぶり出すか、最悪でもこれ以上犯行は広がらないまま、殺人犯いろはは永遠に消え去る。そう思ってたわ」

「でも、第四の犯行は起きてしまった」

「うん。ということは逆に考えたら、これはただの有区別無差別連続殺人じゃないのかもしれない。何か殺人に関する犯人の企みが根底にあるのかもしれない。そうであれば……」

「名探偵の出番もあるってことね。さっき理真が言った、犯人が『いろは』の法則性に異様にこだわるのも、あくまで本当の企みを悟られないために、凄く慎重になっている結果だとも言えるかもね」

「本当の企み。要は、本当に殺したい人ってわけね」

「そう。もう犯人は目的を達しているのか、それともまだなのか」

「どちらにしても、ちょっと異常だよね」

「何が?」

「仮に犯人がまだ目的の人物の殺害を達していないとしよう。それなら、今までの殺人は全て〈捨て殺人〉ということになる」

「そうなるわね」

「これはまだいいよね。いずれ達する真の殺人に至る道程。殺人行為を美化するような言い方になっちゃうけど、試練だからね。でも、いざ本当の目的の殺人を達したら、どう?」

「どう、って」

「それ以降は全て〈捨て殺人〉だよ。しかも目的は達成したのに、一連の犯行はあくまで快楽連続殺人犯シリアルキラーによるものと思わせたいだけの、無為な殺人。これは相当なモチベーションと覚悟がないと出来ないよ」

「そうね」

「大体がさ、本当に殺したい人の名字は何なの? そこに至るまでに何人殺すことになるのか、最初から分かるよね。何人〈捨て殺人〉で殺せばいいか。五人くらいが限界? だとしたら、真のターゲットの名字は『へ』だね。いろは歌は全部で四十七文字だから、それからあと四十一人も殺さなきゃならないんだよ。もう目的の人は殺したのにだよ。絶対捕まるって。その前に嫌になるって。途中でやめる? そうしたら、『ああ、犯人はもう目的の人を殺したので殺人を切り上げたな』って思われるでしょ。そうしたら、最後に殺された人から二、三人前くらいまでの中に本当のターゲットがいたなって推測されちゃう。殺したい人の名字が『せ』だったら? いろは歌の最後から二番目だったら? そこに至るまで四十五人殺さないといけない。そもそも、いろは殺人なんてやろうと思わないよね。元祖『ABC殺人事件』と同じくアルファベット順にしたって、『S』だからかなり後のほうだよね。もっと違う殺害方法を考えるはず」


 熱いサウナで勢いよく捲し立てたためか、理真はそこまで言って、ふう、と、大きな息を吐いた。丸柴刑事もひとつ息を吐いて、


「……『ABC殺人』がいかに割に合わず非効率的な犯罪なのか分かったわ。でも、今、理真が言った全てを吹っ飛ばす最強の理屈があるわよね」

「そう」

「犯人は本当に快楽連続殺人犯シリアルキラーだった」


 その言葉を、理真と丸柴刑事は声を揃えて口にした。続けて理真ひとりが、


「本当に殺したい真のターゲットなんていなかった。結局そこに行き着いちゃうんだよね」

「でもまだ分からないじゃない。富山県警も理真の活躍に期待してるって言ってたよ」

「そう言ってもらえるのはありがたいけどさ……。由宇ゆう、何て格好してるの。丸見えだよ」


 理真は私に視線を向けた。私はサウナの暑さに参って、いつの間にか横になるどころか、とても人には見せられない大変な姿勢になっていたようだ。


「うう、先に出るね……」私は立ち上がって出入り口によろよろと歩く。

「大丈夫? 由宇ちゃん」


 丸柴刑事が背中に声を掛けてくれる。涼しい声で。刑事や探偵ともなれば、これくらいタフでなければ務まらないのかもしれない。二人がサウナから出てきたのは、それから十分以上も経ってからだった。



 もはや、お約束を通り越して様式美とも言える、風呂上がりのコーヒー牛乳。湯上がりで喉が渇いた体は、本当はもっとさわやかな清涼飲料水のようなものを欲しているのに、それはそれとしてコーヒー牛乳は別腹(?)に収まってしまうから不思議だ。理真は、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳、白牛乳のコンボを達成してしまった。お腹を壊さないでもらいたい。居酒屋で散々飲んだり食べたりしたくせに、あの細くぺたんこのお腹のどこにあんなに入るんだか。あきれるやら羨ましいやらだ。


「明日は七時にホテルを出るわよ」こちらもコーヒー牛乳を飲み終え、瓶を籠に戻しながら、丸柴刑事が、「八時から富山県警本部で捜査会議だから。その後、被害者の仁藤さんが通っていた心療内科に行くわよ」

「富山県警は近いの?」と理真。

「うん。このホテルから車で五分もかからないわ」

「えー、じゃあもうちょっとゆっくりしようよ」理真は不満を口にした。

「私は新潟県警から来た外様だからね。開始ギリギリに駆け込むわけにはいかないわよ。会議の前に挨拶とかあるし。理真もでしょ。ホームグラウンドじゃないんだから、いきなり会議に参加してたら、つまみ出されるわよ」

「アウェイの洗礼だわ」

「じゃあ、明日七時五分前にロビーに集合ね。おやすみ」


 丸柴刑事は浴場を出た。


「私、先に戻るよ」


 マッサージチェアに身を預け、機械が体を刺激するごとに、小さなうめき声を上げている理真に私は声を掛けた。理真は目を閉じたまま片手でオーケーサインを作った。

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