第14章 張り込み

 その翌日、私と理真りまは再度富山に向かって出発した。タイヤもスタッドレス。雪でもあられでも何でも来い、でもなるべくなら来るなと、雪道の運転に弱い私は思った。

 今ハンドルを握っているのは理真だが、同じように思っているに違いない。理真は一度カチカチのアイスバーンで車をスピンさせたことがある。幸い車が全然通っていない朝の早い時間で、他の車にぶつけたり、自損ということにはならなかったが。私も助手席に乗っていたのだが、あの感覚は忘れられない。車が浮くような、あの異様な感覚。理真も同じ事を言っていた。今まで自分の意のままに動いていたものがコントロール出来なくなった瞬間というのは、とても恐ろしいと語っていた。

 幸いのところ、北陸自動車道にはまだ積雪はない。天気予報を見てきたが、向こう一週間は新潟、富山とも雪が降る可能性は低いだろうとのことだった。


 富山県警に到着した。先回泊まった大浴場とサウナがあるホテルを取ったのだが、まだチェックインには早い。駐車場へ車を入れロビーへ行くと、丸柴まるしば刑事がソファに座って待っていてくれた。


「理真」丸柴刑事は私たちを見つけるや、すぐに声を掛けてきた。

丸姉まるねえ、わざわざ迎えに出てくれてたの?」

「ちょっと気になることが。すぐ電話しようか迷ったんだけど、もう着く時間だなと思って待ってたの」

「何? どうしたの?」

瀬峰せみねさんと保永ほながさんが、そろって医院を休んでるの」


 丸柴刑事は、理真が来るため、まず瀬峰に謝罪に行くのでは、いや、謝罪にかこつけて聴取に行くのではと考え、アポイントメントを取ろうと富山海浜クリニックに電話を入れた。そこで瀬峰と保永の二人が休みを取っていると知らされたという。


「二人そろって?」と理真が聞き返す。

「そうなの。理由は体調が優れないからって言ってたそうだけれど。理真、医院に行ってみる?」


 腕を組んで少し考えるように黙っていた理真は、


「……行こう」顔を上げた。


 富山県警から覆面パトを借りて丸柴刑事の運転で富山海浜クリニックへ向かう。いつものカラフルな駐車場へ車を入れ、足早に受付へ。警察手帳を見せると、奥の部屋へ通された。


「今日は瀬峰さんと保永くんはお休みですよ」


 白衣を着た中年男性が応対に出てくれた。カウンセリングセンターではなく、医院のほうの医師だろうか。


「体調が優れないとか」


 勧められたソファに腰を下ろして、理真が質問した。


「ええ、今朝電話がありましてね。幸い瀬峰先生担当のクライエントの来院予定はありませんでしたので。しかし二人揃ってねえ。二人でどこか飲みに行って夜風に当たりすぎたんですかね」


 答えてから、申し遅れました、と、その男性は心療内科医の富永とみながと名乗った。


「お二人、瀬峰先生と保永さんは、今先生が言われたような、二人だけで飲みに出掛けるようなことは多かったんですか?」


 理真は質問を再開した。


「そうですね。ここに入ったのは同期で、東京の頃からの知り合い同士ですからね。飲み会なんかでも、二人で一緒にいることが多いかな」

「その、瀬峰さんと保永さんが、男女の関係ということは?」

「ああ、それはないでしょう。保永くんは純粋に瀬峰さんを尊敬してるだけじゃないかな。第一、瀬峰さんにはもう結婚予定の人がいるって聞いてますよ」

「どなたなんですか」

「ここの人間じゃありませんよ。東京の頃から付き合ってるっていう男性です。エイチスティールに勤めてて、今は北陸の支店長なんですってね。名前は、何て言ったかな……」

長谷川はせがわさん」

「ああ、そうそう、長谷川さんね。何だ、御存じなんですか。私は会ったことないけれど、いい人だって噂ですよ」

「その長谷川さん以外に、瀬峰さんが誰かと付き合っているという話は聞いたことはないですか?」

「いや、それは聞かないね。瀬峰さん、ああ見えて一途なんじゃないかな。ああ見えて、なんて悪いね。今の話、瀬峰さんには言わないでね」


 やはり、瀬峰自身が口にしていた恋人とは、長谷川のことだったのか? しかし長谷川は……


「最近、二人に何か変わったことはありませんでしたか? どんな小さな事でもいいんです」

「うーん、そうだね……そう言えば、昨日一昨日くらいから、少し元気がなかったように見えたかな」

「どちらが?」

「瀬峰さんです。仕事はきちんとこなしていたらしいですけれどね。それ以外の時間は何だか上の空というか。他の看護師の人たちもそんなこと言ってましたよ。本人に聞いても、何でもないからと言われたそうですけれど」

「二人の住所を教えてもらえませんか?」



 教えてもらった住所をカーナビに入れてみると、なるほど、瀬峰の家は保永のアパートと医院の途中にある。通勤にピックアップしてもらうには絶好の位置だ。近いほうの瀬峰の家から向かうことにする。


 瀬峰の家は富山市中心部から少し奥まった住宅地にあった。亡くなった祖父母の家に住んでいるという話だったが、みつけたその家は、祖父母が長年住んでいたとは思えない少し洒落た外観だった。恐らくリフォームしたのだろう。車庫スペースに車はない。あの黄色いハッチバックは。呼び鈴を押してみたが応答もない。当然鍵も掛かっている。私たちは諦めて保永のアパートへ行くことにした。

 保永のアパートまでは、瀬峰の家から車で五分もかからなかった。モダンな外見の木造アパートだ。こちらもリフォームが入っていると思われる。保永の車の車種とナンバーは聞いていた。駐車場で探すと、それはあった。シルバーの軽スポーツカーだ。保永の部屋の前へ行き呼び鈴を鳴らすが、こちらも応答はない。


「いないみたいね」


 何度か呼び鈴を鳴らしたが全く応答がないことを確認して、理真が呟いた。施錠もされている。


「管理人に入れてもらう?」と丸柴刑事が言ったが、

「まだ何の容疑もない状態でそれは無理でしょ」

「そうよね」


 それは丸柴刑事が一番分かっているはずだ。


「でも車はあったわね」と続けた。

「徒歩でどこかへ行ったのか。それとも、瀬峰さんと一緒なのか」理真は腕を組む。

「どうする理真。張る? それとも二人の携帯に電話してみる?」丸柴刑事が訊いた。

「……そうね。携帯に電話しても、変に警戒されるだけかも……じゃあ、私と由宇ゆうはここに残って張り込むから、丸姉は瀬峰さんのほうを頼むわ」

「大丈夫なの?」

「私や由宇が丸姉をここに残して覆面パトを運転するわけにはいかないでしょ。何か不穏な展開になっても、男の保永さんのほうに二人いたほうがいいって。まあ、そんなことにはならないとは思うけど」

「うん、分かった。何かあったらすぐに連絡するのよ。それと、暖かくしてるのよ」


 屋外での張り込みになる私たちの体を案じてくれ、丸柴刑事は瀬峰の家を張り込むべく、覆面パトに乗り込み走り去った。


「どれ」と理真は辺りを見回して。「コンビニとコインランドリーがあるね。便利なところじゃない。あまり一箇所に長くいると変に思われるから、場所を変えながら見張ろう」


 確かにコンビニやコインランドリーに長時間いるのは怪しまれる。ほとんどの時間を屋外で張り込むことになるだろう。丸柴刑事の忠告通り、まずはコンビニで使い捨てカイロを買ったほうがいいかもしれない。私はまずコンビニで買い物をすると理真に言うと、


「じゃあ、あんパンと牛乳も買ってきて」

「そういうのいいから」



 長期戦も覚悟していたのだが、私と理真の張り込みは意外に早く終わりを告げた。理真は結局あんパンとパック牛乳を両手に、意味もなく電柱に寄り添いながらの張り込みとなった。本当にあんパンと牛乳を飲食しながら張り込みする人を初めて見たよ。しかも刑事じゃないし。

 理真があんパンを食べ終え牛乳の最後のひと口を飲み終えた頃、向こうの路地から保永が歩いてくるのが見えた。デイパックのような鞄を肩から提げている。理真はあんパンの袋と空になった牛乳パックをコンビニの屑籠に押し込むと、足早に近づいていった。私も追う。


「保永さん」


 理真が声を掛けるのと保永がこちらに気が付くのは、ほぼ同時だった。


安堂あんどうさん、江嶋えじまさん。どうしたんですか。いつ富山に?」

「今日です。それより保永さん、お休みだと伺いましたけれど」

「ええ、体調が優れなくて、病院に行ってきた帰りです」

「歩いて?」

「はい、頭がぼうっとして車の運転が億劫だったもので。暖かくして歩いて行ったほうがいいなと。そんなに遠くない病院ですし」

「今日は瀬峰さんもお休みだそうですけれど」

「聞いています。センターに休ませてくれと電話を入れたときに聞きました。今日は先生のクライエントの予約は入っていないんで問題ないと思いますよ」

「一緒じゃなかったんですか」

「僕が、先生とですか、どうしてです」

「いえ、そんな気がしたもので」

「そう言えば、色々と先生の回りを嗅ぎ回っているらしいですね。警察の方が謝罪にみえましたけれど、僕は安堂さんが裏で糸を引いていると思っているのですが」

「これは手厳しいですね。そうなんです。すみません」


 理真はペこりと頭を下げた。


「先生にどんな疑いを掛けているのか分かりませんが、見当外れもいいところですよ。先生のアリバイは証明されたはずです。すみません。もういいですか。部屋に戻って寝たいもので。一応病人ですから」

「これは外で立ち話をさせてしまって。こちらこそすみません。どうですか、少しお邪魔させていただいてお話を聞かせてもらっても――」

「駄目です。明日は予約のクライエントが入っているので、休むわけにいかないんです。今日中に治さないと。失礼します」


 保永は、半ば振り切るように理真から離れ、アパートの階段を上っていった。鍵を開ける音がして、ドアの開閉音が続いた。


「振られたか」理真はため息をついた。

「本当に病気なのかな。そんなに顔色は悪くないように見えたけど」


 私は階段の先を見上げた。むしろ血色は良さそうに見えた。


「まあ、仮病である確率が高いね。病院に行ったのは本当だろうけど。気分が悪いとか言って、適当に栄養剤でも出してもらったんでしょ」


 言いながら理真は携帯電話を取りだしてダイヤルした。


「丸姉。保永さんが戻ってきたわ。……うん、駄目。そっちは?」


 理真の会話の内容によると、瀬峰はまだ戻ってきてはいないようだ。


「さて、こうなった以上、ここで張ってても仕方ないね。丸姉と合流しようか」


 さっきの電話でもこれからそっちに向かうと、そんなことを言っていた。


「ここから瀬峰さんの家まで行ける?」


 車で通るのと歩いて行くのとでは勝手が違う。一発で道を憶えるのは難しい。自分で運転していなければなおさらだ。


「ふふ、文明の利器を使おう」


 理真は携帯電話を操作して、地図ソフトを呼び出した。私はメモしておいた瀬峰の住所を読み上げ、理真が入力する。


「徒歩三十分か。結構歩くね」


 理真は参ったといった風だ。車で五分なら、歩けばそれくらいのものだろう。見たところバス路線も近くにはないらしい。


「タクシー使うのも贅沢だし、まあ仕方ない。暖かいコーヒーでも飲みながら歩こうか。さっき冷たい牛乳飲んだからお腹が冷えるんだよね」


 理真はコンビニに入っていった。



 私たちが近づいていったのがバックミラー越しに見えたのだろう。丸柴刑事は運転席の窓を開け、出した右手を振った。


「うわー、足が棒になった」


 覆面パトの後部座席に座るや否や理真は、ため息と一緒にその言葉を漏らした。


「丸柴さん、これ差し入れです」


 私はコンビニ袋を差し出した。


「あー、ありがとう。ひとりだし、ここ離れるわけにいかないからさ、お腹空いてたのよ。これ食べたらトイレ行ってくるから、その間お願いね」


 丸柴刑事は袋の中身を確認している。


「あんパンと牛乳もあるよ」と理真。

「それは理真にあげるわ」


 丸柴刑事はホットミルクティーと、あんパンではない菓子パンを選んだ。


「どうですか、何かありましたか?」


 私は菓子パンを頬張る丸柴刑事に訊いた。


「何もなし。この車に気が付いて引き返したのかとも思ったけど、ここは瀬峰の家の前を横切る道路からは見えないからね。私の目に入らない位置から気付かれるはずないのよ。向こうが気付くとしたら、私も向こうに気付くはず」


 丸柴刑事の言った通りだ。向こうがこの場所に車があることに気が付くなら、こちらも同じだ。瀬峰家の車庫は相変わらず空のままだ。いつもはここに、あの黄色いハッチバックが入っているのか。


「どうだったの、保永のほうは」丸柴刑事は理真に訊いた。

「ありゃ仮病ね」


 理真は本日二度目のあんパンを頬張った。もう一方の手には牛乳パック。丸柴刑事はミルクティーをひと口飲んで、


「瀬峰のほうはどうなんだろう。保永と途中まで一緒だったのかしら」

「分からない。一緒だったとしたら、二人で何をしていたのか。会った時間も、ほんの二、三時間かそこらのはず」


 その後、交代で何度かトイレに行き、小腹が空いたと(理真が)言い、食料の買い出しに行くほどの時間が過ぎたが、瀬峰は一向に戻らない。すでに辺りは暗くなってきた。


「どうしたんだろう。今日は戻らないのかしら」


 丸柴刑事が不安そうに呟いた。保永の張り込み時に買った使い捨てカイロも、もう暖を取る効果はなくなりつつある。

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