第15章 行方不明
「
「出ないわ」
「
私は言ったが、
「そうすると、私たちが瀬峰さんの家を張ってたってバレちゃうわね。また色々言われて面倒なことになるかも」
確かに、丸柴刑事の言うとおりだ。
「おっと」携帯電話を懐にしまいかけた丸柴刑事だったが、着信を知らせる振動に、再び携帯電話を構え直した。「
明藤警部からの電話は、丸柴刑事と私たちの帰りが遅いことに対する連絡だった。
「こっちに三人刑事を寄越してくれるって。私も加えて二人交代で夜通し張り込むことになるわ。理真と
「いや、ここまで来て」
理真は残ると言い張ったが、一応民間人の理真と私を、これ以上実捜査に巻き込むわけにはいかない、第一自分が怒られるから、と丸柴刑事は言い伏せようとするが、理真は首を縦に振らない。十分程度そんな押し問答をしていると、応援の覆面パトが到着した。パトカーから降りた刑事は三人。うち二人は見知った顔。
「
中野、守田両刑事は同じような挨拶をくれた。
「お二人も変わりないですか」
理真の言葉に二人はこれまた揃って、元気です、と答えた。残る面識のない刑事は、
「さあ、理真、由宇ちゃんも」
丸柴刑事が理真と私を急き立てるように覆面パトから降車させ、新田刑事がドアを押さえた後部座席に促す。私は降りたが、理真はまだグスっている。
「丸柴刑事、瀬峰さんに電話してみて」
渋々といった動作で覆面パトから降りた理真は、最後の頼みとばかりに丸柴刑事を拝んだ。仕方ないわね、と丸柴刑事は再び瀬峰に電話を掛けたが、
「……電源が切られてる。電波の届かないところにいるのかもしれないけど」
「さっきはコール音鳴ったのよね」
「ええ、何回コールしても出てくれなかったけど」
「何だか嫌な予感がしてきた」
理真は俯き加減になって何か考えているようだ。新田刑事は諦めたのか、ドアを閉めて黙って事の成り行きを見守っている。中野、守田両刑事も同様だ。
「彼氏のところじゃ?」私は思いついて言った。
「それだ由宇。瀬峰さんの彼氏、
「俺が聞いてます」
中野刑事が言って手帳を取り出しページをめくった。面識があるから俺が掛けたほうがいいでしょう、と、そのまま携帯電話も取りだしダイヤルする。
「あ、もしもし、新潟県警の中野です。先日はどうも」
中野刑事は挨拶もそこそこに瀬峰が訪ねていないか聞いたが、
「……はい。そうですか。お忙しいところすみませんでした、あ――来ていないそうです。面倒くさそうに切られちゃいました」
それを聞いた理真は、再び考えるような顔つきになり、
「保永さんに電話して」
「保永さんに?」
丸柴刑事は理由は聞かず、携帯電話の操作を再開した。耳に当て数秒、
「あ、保永さんですか。新潟県警の丸柴です」
保永の携帯電話は通じたようだ。スピーカーから保永が何か言っているような声が漏れるが、保永の声は小さい。静かな夜の住宅街とはいえ、回りからは何を言っているのか聞き取れない。丸柴刑事は理真の顔を見る。表情が替わってくれと言っているようだ。それはそうだろう。保永に電話することを頼んだのは理真なのだ。理真が電話を替わるジェスチャーをしたので、今、安堂さんに替わります、と言って丸柴刑事は携帯電話を理真に手渡した。理真は私たちにも会話内容が聞こえるようスピーカーモードのボタンを押して、
「保永さん。安堂です」
「安堂さん、どうしたんですか」
スピーカーモードでもやっと聞き取れるくらいの保永の声。
「保永さん、今どこですか」
「自分の部屋ですよ」
「瀬峰さんがどこにいるか御存じではないですか」
「どうして僕が」
「携帯電話の電源が切られているんです」
理真のその言葉に保永は数秒沈黙していたが、
「さあ、分かりません」
「どこか瀬峰さんが行きそうなところに心当たりはありませんか」
「……分かりません。長谷川さんのところなんじゃないですか?」
「来ていないそうです」
「もう電話していたんですか。でしたら他に心当たりはありませんね」
「保永さん、あなた本当は今日どこへ行っていたんですか。体調が悪いのいうのは仮病ですよね。瀬峰さんと一緒だったんじゃないんですか」
「……失礼ですね、安堂さん。何を邪推しているのか知りませんが、本当にひとりで病院に行ってきただけですよ。病院名を教えましょうか」
「そんなアリバイ工作はやってて当たり前です」
「何ですかアリバイ工作って。まるで僕が――」
「瀬峰さんは犯人なんですか」
「え、何です?」
「瀬峰さんがいろは殺人事件の犯人、『殺人鬼いろは』なんじゃないんですか」
「何を言ってるんですかあなたは。どうして先生がそんな疑いを掛けられなきゃならないんですか。第一、以前話したようにアリバイが――」
「じゃあ、あなたですか」
「はい?」
「あなたが、『殺人鬼いろは』なんですか」
「わけが分からない。安堂さん、どうかしちゃったんじゃないんですか。もう切っていいですか。これ以上変なことをお話しになるのでしたら、また抗議を入れさせてもらいますよ。それじゃ」
保永は一方的に電話を切った。
「誰か」と理真は刑事たちを振り返り、「保永さんが本当に部屋にいるかどうか確かめてきてもらえますか」
「私が行きましょう」
新田刑事が乗ってきた覆面パト運転席のドアを開けた。
「新田さん、保永さんの顔は?」理真が声を掛ける。
「分かりますよ。安堂さんが目を付けている人物というんで、瀬峰と一緒に写真が捜査員全員に回っています。住所をどなたか教えてもらえますか?」と新田刑事。
私は手帳のページを破り、ここです、と言って手渡した。近いな、と呟いてから新田刑事は覆面パトを走らせていった。遠ざかっていくテールランプを見送りながら理真は、
「『ほ』の地名のパトロールは継続して行っているんですよね」
「もちろんです」守田刑事が答えた。
「瀬峰さんを手配出来ませんか?」
「手配? やっぱり瀬峰が犯人なんですか?」守田刑事は驚いた表情を見せる。
「理真、無理よ、何の証拠も証言もないのよ」
丸柴刑事は自分だけ運転席に座っているのに気が引けたのか、座席を降り、皆と同じように路上に立っていた。
「じゃあ、保護という形でならどう」
「『ほ』で始まる地名でですね」と守田刑事。理真が頷いたのを見て、「やりましょう。明藤警部なら分かってくれます」
守田刑事は車を回り込んで助手席に飛び乗り、無線を手にした。
「こちら本部306号車、守田です。明藤警部に繋いで下さい」
「……明藤だ。どうした、瀬峰が帰ってきたのか」
無線スピーカーから、やや割れた音声で明藤警部の声が聞こえた。
「違います。まだ帰ってきていません。携帯電話も電源が切られています」
「何?」
「警部、瀬峰を手配、いや、保護して下さい。『ほ』警邏中の捜査員に通達をお願いします」
「どういうことだ? 瀬峰が犯人、いや、保護ということは、狙われていると?」
「明藤警部」運転席に滑り込んだ理真が守田の持つ無線機に顔を近づけ、「安堂です。守田刑事に頼んだのは私です。理由はありませんが、何だか嫌な予感がするんです。瀬峰さんは朝から姿を消したままです。一日あれば隣県へも行けます」
「安堂さん。……よし分かった。警邏に通達しよう。隣県県警へも連絡する」
「ありがとうございます」
守田刑事の、お願いします、の声を最後に無線通信は終わった。同時に守田刑事の携帯電話が鳴った。新田さんからです、と電話に出る。
「はい、守田です。はい、はい、……そうですか、分かりました。ありがとうございます」
守田刑事は電話を切り、
「保永は部屋にいたそうです。部屋を訪ねて直接確認したそうですよ」
「そうですか……」理真は運転席から降りて瀬峰の家に目をやり、「瀬峰さんの家に家宅捜索は――」
「さすがにそこまでは無理」
「だよね」
丸柴刑事が突っ込むまでもない。
「安堂さん」守田刑事も助手席から降りて、「瀬峰が犯人? でも、一連の事件にはアリバイがあります。それとも、今までの事件は実行犯が別にいたが、今回は自らの手で犯行に及ぶつもりだと?」
「長谷川のアリバイは完璧でしたよ」
自ら捜査した中野刑事が言った。
「……私の考えすぎ。そうならそれでいいんだけどね。瀬峰さんは、仕事のストレスが溜まって仮病を使ってサボタージュ。鬱陶しい携帯電話も切って、今頃悠々と飲み屋でお酒を飲んでる。それならそれでいいわよ。私が警察の偉い人から怒られればいいだけだから。そのうち、代行運転の車と一緒に黄色いハッチバックが走ってくるかも……」
理真は瀬峰の家前の道路に目をやった。先のカーブを曲がって一台の車が走ってきて、私たちの近くで減速する。暗いので車種と色までは分からない。私はどきりとしたが、その車は保永の確認に行って帰ってきた新田刑事の覆面パトだった。
新田刑事の運転で私と理真は富山県警本部へ戻った。車内で理真は、保永在室の確認をしてくれたことの礼を言った。てっきり荷物配達業者を名乗るとか策を講じたのかと思ったら、新田刑事は呼び鈴を押して正面突破したという。
「車があり、部屋の明かりも付いていましたが、本人に会うにはそれしかないと思いまして」
新田刑事は不器用そうに笑った。保永は別段弱っている様子もなく、健康そうに見えたという。
本部で理真のR1に乗り換えホテルへ向かった。チェックイン時間は午後九時。さすがに空腹を憶えた。人より間食していた理真も、しきりにお腹が空いたを連発する。もう疲れたから、近くのチェーンのファミレスか牛丼屋で簡単に夕食を済まそうかと提案したが、理真の答えは絶対にノー。「どうして○○まで来て、どこでも食べられるチェーン店に行かなきゃならないの?」どこかへ出掛けた先で食事をするときの理真の決まり文句である。そう言うと思ったけど。
というわけで、ホテル近くの回っていない寿司屋の暖簾をくぐったのであった。回っていないとはいえ、壁に貼られた品書には値段も書いてあるので安心だ。
理真と私は、ウーロン茶と本日のおすすめ握り五貫セットを頼んだ。理真は早速五貫をぺろりと平らげ、店内の壁に目をやったまま腕を組んでじっと黙った。
「……瀬峰さんが犯人だと思う?」
理真に突然訊かれた。私はまだ三貫目を食べ終えたばかりだった。
「事件のことを考えてたの? 私はてっきり次に何を食べるか選んでたのかと思った」
「失敬だな。人のことをまるで食いしん坊キャラみたいに。じゃあ、お望み通り頼んでやる。すみませーん。いかとほたてとまぐろを。……で、どうなの?」
「瀬峰さんのこと? アリバイはどうするの? 瀬峰さんだけじゃなく、保永さんも、彼氏の長谷川さんもアリバイは完璧だよ。理真、電話で保永さんに、瀬峰さんが犯人なんじゃないかって思いっきり言ってたね」
先ほどの電話でのことだ。
「ちょっといきり立ってしまった」
理真の前に注文した寿司が運ばれてきた。
「少し整理しよう」
理真は、少しだけ醤油を付けたいか寿司をひょいと口に入れ、食べ終えてから、
「まず、第一の被害者『い』の
第二の被害者『ろ』の
第三の被害者『は』の
第四の被害者『に』の
どう? 何か感想は?」
理真は被害者の情報をそらで言い切った。さすが探偵。こういうところは素直に感心してしまうな。で、感想を求められた私は、
「うーん。六田さんと芳賀さんには、過去の行いで人に恨まれる理由がある。それが犯人の動機だと考えられなくもない。伊藤さんと仁藤さんにはそういった過去はない。被害者が全員曰く付きの過去持ちだったら、法で裁けない犯罪者を断罪する自称正義の味方的な犯人像も浮かぶんだけどね」
「そう」と理真。私が喋っているうちに、テーブルの上の寿司はもう残りまぐろ一貫だけになっていた。「悪い人間二人がいい人に挟まれてるのは、何か意味があるのかな」
オセロじゃあるまいし。理真は最後のまぐろも胃の中に納める。まだ残っていた私の寿司に、いらないならくれ、と手を伸ばしてきたが、私はその手を払いのけて、
「瀬峰さんが四件中二件の被害者に関わっているのが気になるね。仁藤さんはクライエントだったし、六田さんの過去は別のクライエントから聞いて知っていたことが濃厚だし。犯人はやっぱり瀬峰さん? アリバイがあるから、誰か実行犯を雇って」
「それは、あれさんが見かけた瀬峰さんの車を運転していた人物ってことね」
そうだ、その証言もあった。
「瀬峰さんは帰ってきたのかな」私の問いに理真は、
「電話がないってことはまだね。何か動きがあったら、深夜早朝でも構わないから連絡してって頼んであるから。警邏での発見も含めてね」
理真は、テーブルの隅に置いた自身の携帯電話に視線を向けた。
それからさらに理真と私は数貫の寿司を追加注文して、最後はお茶漬けで締めて店を出た。もう午後十一時を過ぎている。こんな時間にたらふく食べて、太っちゃうよ。今夜はサウナでとことん汗を流そう。
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