第12章 お弁当屋の女主人
時計が午後一時半を指した。遅くお昼を取る人もいるが、この時間ならもう店も空いているだろう。外に出ているとしても、
再び〈とらとりあ〉に足を運ぶと、先ほどまでの喧噪が嘘のようにお客さんは引いていた。見ると、さっきまで空だった店の脇の駐車スペースに、側面に店名のロゴが入った軽ワゴン車が停まっている。
「ごめんくださーい」
「あー、理真ちゃん、
エプロンをしたあれさんこと
背が高くルックスもいい。お客の中には、このあれさん目当ての男性客も少なからぬ割合で含まれるのではないかと思う。セミロングの髪を今は結わえて帽子の中に押し込んでいる。年齢は私と理真より上のはずだが、その喋り方や佇まいなど、端々に幼さを感じさせる。見た目だけなら、
店先で立ち話も何なので、私と理真はカウンターの向こうに入れてもらい。差し出された小さな背もたれのない丸椅子に腰を下ろした。
「あれさん、どうですか、お店のほうは順調ですか」
理真が煎れてもらったお茶をひと口飲んで訊いた。
「うーん、順調って言っていいのかなー。でも色々とあるわよー。やっぱりね、女手ひとつでお店をきりもみしていくって大変よー」
きりもみ、じゃなくて、切り盛りだろ。旋回飛行をしてどうする。
「今日なんて日替わり弁当が全部ハケなくってね。余っちゃったから、理真ちゃん、由宇ちゃん、食べて行ってよー」
亜麗砂はお弁当を二つ私たちに差し出した。私と理真は、代金は出すと言ったが、亜麗砂は目の前に挙げた右手と顔をぶんぶん振って固辞した。
「その代わり、食べたら感想聞かせてね。自信作だったんだけどなー、どうして売れ残っちゃったんだろ。いつもなら日替わりは一番最初に売り切れるのになー」
「あれさん、これは売れなくても仕方ないわ」
受け取った弁当を見ながら理真が言った。
「え? どうして? まだ食べてもいないじゃない」
亜麗砂は目を丸くする。
「あれさんのお客って、ほとんどサラリーマンやOLでしょ。お昼ご飯食べた後もオフィスで仕事したり、職種によっては、取引先に出向いたりもするでしょ。そんな人たちがお昼にこれは食べられないんじゃない」
理真は弁当を指さした。私も自分の弁当を見て、いや、そこから立ち上る香りを嗅いで納得した。
「あれさん、このお弁当の名前は?」
「え、スタミナポークガーリック弁当……」
「お昼に、にんにく料理を食べて得意先に行ける?」
「ああー」亜麗砂は両手で頭を抱えしゃがみ込んだ。「下手こいたー」
いただきます、と私たちは、しゃがみ込んだままの亜麗砂を前にスタミナポークガーリック弁当を食べ始める。うん、おいしい。その名の通りメインは豚肉のガーリック焼きなのだが、このガーリックライスが絶品だ。バターと豚肉の焼き汁を混ぜて炒めているのだろう。バターとガーリックと肉汁の味と香りが米粒ひとつひとつに絡みついて、たまらない。まったく飽きがこない。おかずなしでこれだけでいくらでも食べられそう。別に肉用に白ごはんが欲しくなるという、贅沢な悩みを抱える弁当だこれは。店主が頭を抱えしゃがみ込み、丸椅子に座った二人の女性が黙々と弁当を食べる中、
「すみませーん」カウンターの向こうから声がした。それを聞いた亜麗砂は、生き返ったように立ち上がり、はーい、と対応に行った。
「さすが理真ちゃん、相変わらずの名推理ぶりねー」
お客に幕の内弁当を手渡して亜麗砂が戻ってきた。
「推理ってほどのものじゃないけどね」
私と理真は弁当を完食して、ごちそうさまをした。私たちはこれから誰と会うわけでもないので、にんにく臭のする息を吐いても別に気にしない。
「今後の参考にするわ。で、理真ちゃん、今日は何? 久しぶりに私のお弁当を食べに来てくれたの?」
「うん、それもあるんだけどね」
「あ、分かった」理真が用件を言う前に、「
「そうなの、その事件について、あれさんに訊きたいことがあってね……」
理真は訪れた理由を亜麗砂に話した。
「うん、事件のあった炉端町の近くにいつも車停めて商売してるよ。十一月五日前後……うーん、ちょっと待ってね」
亜麗砂は店の奥へ姿を消した。見たところバイトの子もいないようだし、カウンターを空にしていいのか。お昼時も過ぎていることだし、お客が来ないことを祈る。と思った矢先。「すみませーん」とカウンターの向こうから声が! 急いで亜麗砂を呼んでこようと腰を浮かせたこれまた矢先、
「はーい、いらっしゃいませー」
理真が立ち上がってカウンターに出てしまった。何やってるんだよ!
「あれ? 見かけない子だね、最近入ったの?」
「よろしくお願いします」
相手は常連らしきお客のようだ。理真は、はい、はい、と、応対をしている。
「理真ちゃん、由宇ちゃん、あのねー……」
店の奥から亜麗砂が戻ってきた。開いたノートを手にしている。
「店長、唐揚弁当とカツカレーひとつずつ」
理真は戻った亜麗砂に向かって、お客の注文を繰り返した。それを聞いた亜麗砂は、
「え? あ、はいはい。あ、
カウンター越しにお客に頭を下げ、厨房へ向かった。
「少々お待ち下さい」理真は山田と呼ばれたお客に愛想良く言った。
「普段この時間は亜麗砂さんしかいないのに、バイトが入るなんて珍しいね。おや、そちらも?」
お客の山田は、椅子に座ったまま気配を殺していた私をみつけたようだ。私は少し笑って頭を下げた。
「どうですか、うちのお弁当」と理真。
「いつもお世話になってるよ。ここのカレーはレトルトじゃなくてちゃんと店で煮てるからいいね。レトルトカレーを出す弁当屋は腹が立つもの。レトルトカレー食べるんなら、わざわざ弁当屋で買わないでスーパーかコンビニ行くって」
うむ。それには全く同意見だ。
「はい、お待たせしました」
しばらくして亜麗砂が弁当を入れたビニール袋を提げて戻ってきた。山田は代金を支払い帰って行く。帰り際、理真と私に、また来るから、と挨拶していった。すっかりここのアルバイトだと思われたようだ。エプロンもしていないし、帽子も被らないで髪をそのままにしてるんだから気付けよ。
「理真、何勝手に接客してんの」
「何事も経験だからね」しれっと返された。
「理真ちゃん、助かったわー。暇なときここでバイトしない? 由宇ちゃんも」
「あれさん、それより事件のこと」
「え? ああ、そうだったわねー」
理真に促されて亜麗砂は一旦厨房に戻り、先ほど持ってきたノートを手にしてきた。
「十一月五日はねー、トリプル唐揚げの日かー。うーん、特に何もなかったかな。その前日はー、チーズハンバーグ、その日はねー……」
亜麗砂はノートのページに目を落とし、顎に人差し指を当てながら小首を傾げて考えている。こういう動作に幼さを感じるのだ。ノートに記載されているのは、恐らくその日の日替わり弁当のメニューなのだろう。どのメニューを出した日かで記憶を辿っているのか。
「あ……でも関係ないな」
亜麗砂はノートで口元を隠しながら理真をチラ見したが、
「あれさん、どんな関係なさそうなことでもいいの。少しでも何か普段と違ったことや、気が付いたことがあったら言って」
理真は発言を促した。
「そ、そう? チーズハンバーグの日、十一月四日なんだけどー」
「うち、路上販売をするのに軽のワゴンを使ってるんだけどね、中古で急に用意したものだから、結構ガタが来てて、もっとよくて大きいのに代えたいなって思ってるの。ハッチバックってやつ? セダンの後ろがワゴンみたいになってるやつ。目を付けてるハイブリッドの車種があって、町で見かけるとつい目で追っちゃうのよね。でね、そのチーズハンバーグの日、お弁当を売ってたら、その車が近くを走っててね、あ、あの車だ、やっぱりいいなーって思って。それがね、あんまり見ない黄色い色でね。あ、黄色もかわいいなーって、さすがハイブリッド車、静かだなーって思って……そういう話。ね、事件とは関係ないでしょ?」
黄色いハイブリッドのハッチバック? 最近どこかで見たような。理真と目を合わせる。
「あれさん」理真がすかさず、「その黄色い車、どんな人が運転してたか、憶えてる?」
「え? 運転してた人? うーん、そこまでは。車にしか目が行かなかったし、お弁当売りながらだったから……」
「そう。じゃあ、ナンバーは? 富山ナンバーじゃなかった?」
理真のその言葉で思い出した。黄色いハッチバックをどこで見たか。
「えーと……ああ! そう、富山ナンバーだったよ。お隣の県から来たのかーって思ったの憶えてる。さすがに番号までは憶えてないけど」
「理真!」
私は小さく叫んだ。理真も私を見て頷いた。そうなのだ。
「事件の前日にどうして? そうか、下見か」
私は自分の質問に自分で答えた。理真も頷き、
「でも」理真は腕を組んで、「事件の前日、十一月四日のアリバイは聞かなかったね」
「あ、そうだった」
そう、六田殺害日の十一月五日のアリバイは聞いた。この日に確固たるアリバイがあるとしても、その前日に現場にいたというのは、何かしら事件と関わりがあるのではないか。富山ナンバーの黄色いハッチバック車は何台もあるだろうが、これを偶然と片付けていいはずがない。
「あれさん、ありがとう。とても助かったわ」
「そう? うれしいわー。またいつでも遊びに来てねー。ねえ、今度、丸ちゃんたちと一緒にみんなで飲もうよー」
「うん、伝えとく」
そう言って理真は椅子から立ち上がった。丸ちゃんこと丸柴刑事も事件で亜麗砂と顔見知りになったのだ。私も立ち上がり、理真と二人で辞する挨拶をする。
「貴重な情報教えてもらったから、お弁当買っていこうか。あ、どうせなら捜査本部に差し入れ用に……二十もあれば足りるかな? 常時それくらいも人はいないだろうけど」
「いいね」
理真の提案に私も賛成した。
「そんなー、悪いねー。じゃあ、これはお代金いただくけど、まけとくわよー。何にします?」
「もう、適当に二十個ばかり包んで」
「毎度ありがとうございますー」
亜麗砂はお辞儀をして厨房へ駆けていった。
「理真」
「何?」
「途中コンビニで口臭を消すタブレット買っていこう」
「……そうだね」
私たちは互いに息を吹きかけ合い匂いを嗅いだが、にんにくを食べたもの同士では臭いかどうかは分からなかった。
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