第11章 さらなる容疑者?

 新潟へ帰って数日が過ぎた。

 仁藤にとうが殺害されてから、新たないろは殺人は起きていない。犯人からの通知のたぐいもない。ということは、守田もりた刑事が懸念したようなことはなかったと思われる。仁藤殺害が、警察関係者か、その情報を手に出来るものによる便乗犯行だということだ。さらに、ということはと考えると、犯人は四件の『ABC殺人』を実際にやってのけたということになる。「現代において『ABC殺人』を遂行できるのは三件まで」という理真りまの考察から一件分出し抜いたわけだ。


 最後の仁藤殺害からは一週間以上経っている。さすがにこれ以上は無理、と犯人が判断したのだろうか。それとも、もう目的の殺人は達成してしまったのだろうか。だが、一件目の伊藤いとう殺害から、二件目の六田ろくだ殺害までは一ヶ月空いていた。まだまだ予断は許さない。いや、犯人が逮捕されるまで、予断はもとより、『ほ』地名の警戒も解くわけにはいかないだろう。しかしながら、警察もいろは殺人事件のみにいつまでも労力と時間を割いているわけにはいかない。マスコミの論調も、いろは殺人をセンセーショナルに伝えることから、犯人を逮捕できない警察への攻撃に矛先を転じかけている。


 私はアパートの管理人室で雑務をこなしていた。

 ゴミ出しの分別がどうやら徹底されていないようだと、回収業者から言われ、周知のためのチラシをパソコンで作っているのだが、作業が一段落するごとに、インターネットのニュースページや掲示板を覗いてしまう。

 どのポータルサイトも、『いろは殺人事件』の文字がトップにないところはない。特集を組んでいるサイトもある。それらを流し読みしながら理真の言ったことを思い出す。

 確かにこれだけ事件が報じられれば、『ABC殺人』を続けることは難しいだろうと思う。仁藤が殺害されたのは、すでにマスコミが事件の法則性に気が付き、大々的に報じられていたあとだ。なぜ仁藤は犯人、殺人鬼いろはの術中にはまってしまったのか。仁藤はネットはおろかテレビもほとんど見なかったのか? 瀬峰せみねらに聞いた話ではそんな人物に思える。しかし、すべての情報を遮断することは不可能だろう。しかも殺害場所は町外れの山中。死体に動かされた形跡はないことから、確実に仁藤はあの橋の下で死んだのだ。どうしてそんなところへ行ってしまったのか……そんなことを考えながらディスプレイを睨んでいると携帯電話が鳴った。発信者は理真だ。右手にマウスを握ったまま左手で携帯電話を取る。


「理真、どうした」

由宇ゆう、これから県警行かない?」

「県警? 何か動きが?」

「うん、中野なかのさんから連絡があってね。いろは殺人の被害者の事、さらに突っ込んで調べてくれたって。丸姉まるねえは富山に出張したままだから、代わりに中野さんがやってくれたんだって。これから話を聞きに行くんだけど。忙しい?」

「ううん。私も行く」


 私は作りかけのチラシを保存し、パソコンをシャットダウンした。



安堂あんどうさん、江嶋えじまさん、どうも。富山では大活躍だったみたいですね」


 県警の応接室に入るなり、中野刑事に賞賛の言葉で迎えられた。


「何も活躍なんてしてませんよ」


 挨拶を交わしたあとに理真が顔の前で手を振る。


「そんなことないでしょ。犯人と思われる人物を特定したんでしょ。証拠はないけど」

「アリバイはがっちりありますけどね。で、何か分かったんですか?」

「そうです。まずはこれを」中野刑事はテーブルに資料を広げた。「読んでもらうより、話したほうが早いですね。六田のことを聞きましたよ。それで、被害届が出ていなかったり、受理されていないような案件に関わりがなかったか、警察沙汰にならないまでのトラブルなどなかったか、伊藤、芳賀はが、仁藤について調べました。伊藤と仁藤については、何もありませんでしたね。仁藤の娘の事件は別にして、ですけど」

「ということは、芳賀さんは過去に何かあったと」


 理真は、資料の中から芳賀に関すると思われるものを探しだし、手にしながら訊いた。


「はい。芳賀が高卒後、知り合いの立ち上げた会社に就職したというのは御存じですね」


 理真も私も頷く。会議で織田おだ刑事が報告していた。IT関連の会社だったとか。


「その会社が、まあ、かなりいい加減な会社だったらしく。IT関連事業に興味はあるが、内容に疎い金持ちを口車に乗せて、金を出させているような会社だったそうです。そういう口上が通用した最後の時代だったんでしょうね。さすがに数年も経つと、今のままじゃまずいって気が付いた有志が真面目に仕事に取り組みはじめたらしいのですが、時すでに遅し。数ある同業者の後塵を拝したまま、経営は立ちゆかなくなり結局倒産してしまったのですが。そのITという呪文で金持ちを騙せていた時代にですね。芳賀はかなり無茶苦茶やっていたらしいんです」

「無茶苦茶というのは?」と理真。

「安堂さんや江嶋さんのような女性を前に言いにくいのですが、まあ……」

「合コンやなんかで女の子を喰いまくっていたと」


 理真が明け透けに言った。


「……ええ、そういうことなんですけどね。それで、結構な女性が泣かされたそうですよ。被害届を出すまでに至るような事にはならなかったらしいですが」

「それが、芳賀さんの過去……」

「ええ、そんな付き合いでしたので、会社がなくなってから、同僚と連絡を取らなくなったのではないでしょうか。金の切れ目が縁の切れ目、というわけです」

「ということは、刑事事件にまで発展はしなかったけれど、芳賀さんの罪は以下の二つ。口車に乗せて金持ちからお金を騙し取った。不誠実な付き合いで女性を泣かせた」

「そういうことです。過去を洗って、目に付くのはこれくらいです。伊藤と仁藤はそういった悪い噂やいかがわしい話は全く出てきませんでしたね」

「でも、それは芳賀さんひとりだけの罪じゃないですよね。そのバカ会社で甘い汁を吸っていたアホは、他に何人もいたはずですよね」

「そうですね。その会社の人間も何人か足取りを追えたのでコンタクトしてみたのですが、まあ、ほとんどの人間は芳賀と同じように非正規労働に身をやつしているか、ホームレスになっていたものもいましたよ。共通していたのは、皆、過去の自分を恥じて後悔しているということですかね。芳賀のことを憶えているものも何人もいませんでした。殺されたことも知らなかったそうです。その事実を伝えても、特に感慨はないようでしたね」

「芳賀さんの過去の行いが殺された原因だとしたら、どうして芳賀さんひとりが殺されたか。他のメンバーとの違いは何?」

「名字が『は』で始まってるのが芳賀さんしかいなかったとか?」


 私は思いついたことを口にした。


「ううむ、それは間違いないかもね。でも、それだけなのか」

「ちょっと待って下さい」中野刑事は手帳をめくり、「その会社に、『波多野はたの』という名字の人もいましたよ。しかも、芳賀が係長だったのに対して、その波多野は部長でした」

「より悪いことに深く関わっていたと」

「そう見て間違いないでしょうね。ちなみにその波多野も非正規で働いています。それでも芳賀がターゲットに選ばれたというのは……」

「芳賀に対して個人的な恨みがあったからじゃないかしら」

「個人的な恨み? じゃあ、犯人の、瀬峰の本当のターゲットは芳賀?」

「残りは〈捨て殺人〉? 三件も?」


 中野刑事の言葉から間髪入れず私。


「ちょっと待って二人とも」理真は右のてのひらを私と中野刑事に向けた。「まだ瀬峰さんが犯人と決まったわけじゃないのよ。完璧なアリバイがあるんだし。それに、無関係な人間を三人も殺すっていうのは、相当なことよ。しかも、その中のひとりは仁藤さん、瀬峰さんのクライエントよ。殺す? 普通?」

「……身近で『に』の名字の人が他にいなかったんじゃないですか?」


 中野刑事は訊いたが、


「いえ、カウンセリングセンターの出勤表を見せてもらったけど、『二宮にのみや』『西島にしじま』という名字の看護師がいたわ。それに、クライエントも同僚も同じなんじゃないかしら。いくら計画に組み込むためとはいえ、そう易々と殺せるもの? 織田刑事の言葉じゃないけど、人を殺すっていうのは、そんなに甘くないわ」

「それは十分承知しています」中野刑事は大人しく引き下がった。

「瀬峰さんは」私は思いついたことをまた言ってみる。「密かに仁藤さんに殺意を抱いていたとか。まだ誰も知らない動機があるのかも」

「動機」理真は腕を組んで、「仁藤さんの話をしたときのあの涙……」

「あれが芝居とは思えない」


 私は、富山で理真が言ったことを繰り返した。理真は黙って頷いた。


「ああ、それと」沈黙を破るように中野刑事が、「瀬峰さんの彼氏らしき人も見当が付きましたよ」

「そこまで調べてくれたんですか?」理真がその言葉に顔を向けた。

「はい、相手は、長谷川清高はせがわきよたかといいます。〈エイチスティール〉に勤務しているサラリーマンです。現在三十三歳」

「その会社名、聞いたことありますね」と理真。

「大手鉄鋼会社ですよ。公共事業や、大手ゼネコン相手の仕事がメインで、民間のエンドユーザー向けの仕事はあまりしないのですが、イメージ広告やコマーシャルを結構流してますからね。どこかのスタジアムのネーミングライツも取っていますよ。今の辺見忠へんみただし社長になってから急成長した会社ですね。この社長、自らコマーシャルやテレビ番組に出たりしてますね」

「ああ、あの髭で白髪の」


 理真の言葉に私も頷いた。『鋼のように硬くしなやかに』と言って拳を突き出すコマーシャルや、テレビのトーク番組で見たことがある。


「エイチスティールの社員だったら、将来安泰ですよ。瀬峰さん、いい人を見つけましたね。馴れ初めは大学時代の合コンだったそうです」

「へえ、意外な」


 理真が言葉通り意外そうな顔をした。私も同意見だ。瀬峰は合コンに参加するようなタイプに思えなかったためだ。


「長谷川が大学を卒業して、エイチスティールに入社したころから、本格的につきあい始めたらしいです。瀬峰も東京にいたころは二人で頻繁に会っていたそうで、瀬峰の東京時代の同僚に聞き込みをして長谷川の存在を知ったんです。同僚のカップルと一緒にデートすることなんかあったそうで、それでその同僚も長谷川のこともよく知っていたんですよ」

「じゃあ、今は遠距離恋愛?」

「それがですね、長谷川は二年半ほど前に北陸支店に転属になっているんですよ。北陸支店は金沢にあります」

「金沢ということは石川県。富山県のお隣ですね」

「ええ、これで察しが付いたでしょう。いくら故郷からの誘いとはいえ、どうして瀬峰が東京から富山に職場を代えたのか」

「彼氏を追って、ということですね」

「そうでしょうね。瀬峰にとってみれば、富山海浜クリニックからの誘いは、渡りに舟だったんじゃないですか」

「瀬峰さん、そんなこと全然話してくれなかったね」私は理真を見た。

「まあ、事件に関係ないプライベートなことだからね」

「その彼氏が実行犯というのは?」と私。

「それにはアリバイね」理真は中野刑事に体を向けて、「中野さん、その彼氏のアリバイ聴取って可能なものですか」

「うーん、事件被害者の通っていたクリニックの先生の彼氏、でしょう? 通常そこまで広げませんけれど、今回は非公式ながら瀬峰が重要参考人ですからね。警部と相談して当たってみますよ」

「すみません、中野さん。お願いします」理真は私に向き直って、「最後の手段として、私たちが突撃することも頭に入れておこう」


 心得た。私は頷いた。


「それで、その長谷川清高さんって、どんな人なんですか?」


 理真は、長谷川の人となりの情報も得たいようだ。


「評判は悪くないですね。エイチスティール営業部のエースということで、社内の評価も高いです。取引先からの評判もいい。ルックスは並。あ、これは僕じゃないですよ。話を聞いた看護師の女性方の評価です。営業職ということで、主に東日本を中心にあちこち飛び回っているそうです」

「あちこち飛び回っている……」

「新潟、福島、富山にも出張に行くことはあるそうです」


 理真の考えを察知したのか、中野刑事が付け加えた。


「とりあえず」と中野刑事は手帳を懐にしまって、「僕は引き続き長谷川を洗います。また結果が出たら連絡しますよ」

「ありがとうございます」理真は重ねて礼を述べた。

「いえいえそんな。どんどん頼って下さいよ」中野刑事は胸を張り、そして腕時計に目をやって、「いけね、もう行かないと。じゃあ、安堂さん、江嶋さん、また」


 中野刑事は颯爽と応接室を出た。通常の捜査の合間に調べ物をしてくれているのだろう。理真の頼みということで、城島じょうしま警部からある程度行動を自由にさせてもらっているのかもしれない。そうでなければ、東京にある瀬峰の元職場への聞き込みなど出来ないだろう。有難いことだが、反理真派の織田刑事は面白くない顔をしているだろうな。


「さて、私たちは……」理真は大きく伸びをして、「あれさんの所に行こうか」

「あれさんの所?」



 理真のR1に乗り込み、新潟県警を出た。


「あれさんに会うのも久しぶりだね」


 私は助手席で理真に話しかける。理真も、そうだねー、と答えた。

『あれさん』こと能登亜麗砂のとあれさは、新潟市中央区古町ふるまちでお弁当屋を営む女性だ。昔、ある事件に巻き込まれて容疑者にされたところを、理真が事件を解決して助けられたという過去を持つ。その事件で料理屋のコックという仕事を失ったが、理真との縁で新潟に落ち着き、小さなお弁当屋を始めたのだ。


「ところで、何で急にあれさんのところに? 久しぶりにお弁当食べたくなった?」

「うん、それもないじゃないけど、あれさんって、お昼に車にお弁当積んで、路上販売やってるじゃない」

「ああ、そんなこと言ってたね」


 お弁当屋最大の書き入れ時は何と言ってもお昼だ。店舗だけでの販売では集客に限りがあるため、お昼時には店の車に大量にお弁当を積んでオフィス街の路上に売りに出ているという。


炉端町ろばたちょうにも行ってるかなと思って」

「ああ」なるほど、合点がいった。


 警察では第二の『ろ』事件の際、現場周辺に聞き込みを行ったが、めぼしい情報は得られなかったとのことだ。炉端町はオフィス街のため、聞き込みを掛けた人はそこの勤め人やコンビニ店員、喫茶店員といったところ。こういった人たちはほとんど屋内にいるため、怪しい人物が外を歩いていても目撃する機会は少ないと思われる。しかし、屋外売りの弁当屋なら、もしかしたら何か目撃している可能性がある。お昼休みの限定的な時間だが、何か情報を得られるかも知れない。それに理真は気付いたのだろう。警察の聞き込み対象からも、お昼だけ来る弁当屋というのは入っていないに違いない。時計を見るとちょうどお昼休みの時間だ。


 近くのコインパーキングに車を停めて、お弁当屋へ向かった。小さな店先には、お弁当を買い求めるお客さんが並んでいる。結構人気のようだ。お客さんの上には、これまた小さな看板が。『お弁当とらとりあ』と書いてある。これは亜麗砂が昔務めていた料理屋の名前をアレンジしたものだ。とらとりあでは、露天売りをする関係でアルバイトを雇っている。今日店にいるのが亜麗砂なら話しやすいのだが。こういったアルバイトは頻繁に変わるから、私たちも顔を憶えきれない。お客さんの間から覗き見ると、見知らぬ女の子がレジ対応しているのが見えた。ということは、亜麗砂は露天売りのほうへ行っているのか。厨房で働いているにしても、忙しい時間に聞き込みに入って邪魔しては悪い。外にいたら寒いので、私たちは近くの喫茶店で時間を潰すことにした。

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