第9章 アリバイ聴取

 翌朝。病院へ行く前に、理真りま丸柴まるしば刑事に電話をして、瀬峰せみね保永ほながのアリバイの有無を尋ねた。丸柴刑事は、さらに富山県警の刑事に訊くために一旦電話を切った。

 程なくして着信。答えは、まだ聴取していないということだった。理真がこれから病院へ行くと伝えると、丸柴刑事が自分も一緒に行ってアリバイの話を聞きたいと言ってきたため、十五分後に富山県警本部前で落ち合うことにする。理真のR1は本部に置いて、覆面パトで向かうことになった。


守田もりたさん、怒られてたわよ。どうして昨日行ったついでにアリバイを聞いてこなかったんだって」


 ハンドルを握る丸柴刑事が、後部座席に座る私と理真に言った。その守田刑事は今日は別班に入って聞き込みということだ。


「私もうっかりしてたわ」と理真は、「まあ、忙しいからって瀬峰さんに聴取切り上げられちゃったしね」

「理真は瀬峰さんが怪しいと?」


 疑問を投げかけた丸柴刑事に理真は、昨夜の大浴場での話をした。


「突き落とされた、か。確かにマスコミ発表では死因や死体の状況は伏せられていたからね。私も一緒に聞いてたのに、全然そこまで気付かなかったわ。さすがね」


 単なるレトリックだよ、と、理真は、


「まあ、他に疑うべき人がいないから、無理矢理瀬峰さんを色眼鏡で見ようかっていう、ちょっと乱暴な話なんだけどね。それに、アリバイの他に肝心なのは、動機」

「動機、か……」


 丸柴刑事はハンドルを切り右折。タイヤが路面電車のレールを踏み越える独特の感触が伝わる。

 動機。仁藤にとうに何らかの恨みを持っていたとしても、その前の三件の殺人はどうなるのか。真のターゲットである仁藤を殺す動機を隠すための捨て殺人? そこまでするだろうか。一昨日のサウナでの理真と丸柴刑事の会話を思い出す。瀬峰の印象から、実は彼女が快楽連続殺人犯シリアルキラーだ、などとはとても想像がつかない。そんなことを考えているうちに病院の建物が見えてきた。海沿いに建つ白い瀟洒な建物が。



 昨日と同じように受付に警察手帳を見せ、瀬峰に面会を求める。昨日と違うのは、手帳を見せる役が守田刑事から丸柴刑事に変わっていること、それに、事前に連絡を入れていないアポなし聴取だということだ。

 受付の看護師は、少々お待ち下さい、と内線電話を掛ける。「はい、昨日と同じ、いえ、今日は三名です、はい」受付と内線先とのやりとりが続く。「了解しました」と受話器が置かれ、待合の椅子に掛けて少々待つよう言われた。

 待合には、数名の患者もしくはクライエントが座っている。主婦に見える人が多い。平日のこの時間だからなのだろうか。腰を下ろしていくらも経たないうちに、静かな足音とともに白衣の人物が廊下から歩いてきた。瀬峰ではなく、助手の保永だった。

 保永に促され、私たちは病棟を出て、すぐそばにある公園へやってきた。病院から歩いて一分もかからない。数脚のベンチが備え付けられただけの簡素な公園だが、富山湾を一望できるいい眺めで、ベンチ以外の装飾は不要と思わせる公園だ。


「困ります。先生はお忙しいんですよ。昨日だって、事前に連絡をもらったから、何とか時間の都合を付けたんですよ。突然来られても対応できません。それに、あまり警察の方に院内を歩き回られると」

「すみません。ほんの一、二分だけでもと思ったのですが」


 少し鋭い口調の保永に理真が詫びた。


「で、今日は何ですか。先生のアリバイでも聞きに来たんですか」

「実はその通りなんです。話が早くて助かります」


 保永は、いつです、と、懐から手帳を取り出した。


「十月十日の午後五時から六時、十一月五日の朝六時から八時、十一月六日の午後十一時から翌一時、それから、十日の午後九時から十一時です」


 理真が口にした日にちは、いろは殺人被害者の死亡推定日とその時刻だ。もっとも近い十一月十日午後九時は仁藤の死亡日時。保永は聞きながらメモを取り、しばらく手帳をめくる、


「……その時間には全てアリバイがあります。十月十日は通常勤務。午後六時半まで病院、正確にはセンターですが、で仕事でした。十一月五日も通常勤務。朝七時半に出勤しています。翌六日はセンターや病院の人たちと飲み会でした。翌零時まで駅前の飲み屋です。十日は神奈川に出張でした。カウンセラー協会の報告会に出席するためです。ここを車で朝八時に出て、午後一時から五時まで会に出席。その後すぐにメンバーと会食に出かけていますね。翌日の昼に帰ってきています」


 保永は手帳を閉じた。


「瀬峰さんのスケジュールは全て把握されているんですね」

「ええ、助手ですから。これで先生の容疑は晴れましたね」


 最初とは一転、保永は実に機嫌の良さそうな表情になった。


「瀬峰先生に直接お話を聞くことは」

「先生はお忙しいんです。ご理解下さい」

「では、今のアリバイの証言を取るために、職員の方々にお話を聞くことは。保永さんのお話だけではアリバイが立証しないこともご理解いただけますよね」

「仕方ありません。でも、患者さんやクライエントの目につくところで聴取するようなことは控えて下さい」


 言い終えて病院へ引き返そうとした保永を、理真が引き留めた。


「すみません。保永さんのアリバイも聞かせてもらえますか」

「僕の?」


 保永は立ち止まって振り向いた。海風が吹き付け、白衣の裾と茶色い髪をなびかせる。


「はい。関係者の方々皆さんに聞かせてもらっていますので」

「警察や探偵の常套句ですね。いいですよ。僕のほうもほとんど先生と同じですよ。先生が勤務の時は僕もセンターに出ていますから。十一月五日夜の飲み会にも参加しました。十一月十日の先生の出張の時は留守番です。他の臨床心理士の先生についていましたよ」

「そうですか。どうもありがとうございました」

「じゃあ」


 今度こそ保永は病院へ引き返した。


「あそこまで自信満々ということは、アリバイは確実と見ていいね」


 理真は保永の後ろ姿を見送る。


「でも、職員の人たちには聞き込むわよ」


 丸柴刑事の言葉に、もちろん、と、理真も答えた。

 病院に入り、受付に事情を説明して中に入れてもらった。手の空いている職員に聞き込みをしたが、保永の言は本当のようだ。勤務表を見せてもらうと、瀬峰が十月十日、十一月五日に、ここに勤務していたのは間違いない。他の臨床心理士や職員も、ここひと月程は無欠勤となっている。ここに勤務するもの全員にアリバイがあるということになる。十一月五日の飲み会にも瀬峰、保場の二人とも間違いなく参加していたとの証言も得られた。瀬峰の十日の出張も間違いはない。報告会に参加した協会のメンバーも教えてもらう。後で電話確認をするためだ。その日は保永も間違いなくここで勤務している。

 同時にそれとなく瀬峰の個人的な評判なども聞いてみたが、悪い話はほとんど聞かれない。仕事熱心で、職員や心療内科の医師、他の臨床心理士からの、さらには患者、いや、クライエントからの評判もいいということだ。保永も同様だった。保永の話をするとあからさまに口ぶりの変わる女性看護師もいた。いい男だから人気もあるらしい。瀬峰に対して悪い話をするのは、決まってそういう女性看護師だった。しかしそれも、常に保永と一緒にいることに対するやっかみ以上のものとは思えなかった。ひと通り聞き込みを終え、そろそろ帰ろうかと廊下を歩いているとき、角でばったりと瀬峰と鉢合わせた。


「あら、刑事さんに探偵さん」

「先生、ちょうどよかった」


 理真は瀬峰に話を聞きたいと申し出た。断られるかと思ったが、


「いいですよ。お昼休みまで待ってくれるのでしたら」

「ええ、待ちますとも」


 理真が威勢良く答えたためか、瀬峰は少し笑って、


「では、近くにある『シーサイドエッグ』っていうカフェで、お昼ご飯を食べながらでも待っててくれますか? 場所は病院を出て左にまっすぐ行けばすぐに分かります。午後一時十五分くらいに私も行きますから」


 それでは、と瀬峰はそのまま廊下を歩いて行った。



 皿ばかり大きくて乗っている料理は小さい、おしゃれなランチを食べながら瀬峰を待つ。『シーサイドエッグ』はすぐに見つかった。病院から車で五分も走らないうちに。海を眺めながら食事やお茶ができる、富山海浜クリニックにも負けない瀟洒しょうしゃな店構えのカフェだ。

 冬が近づいた日本海は荒々しいイメージだが、今日は晴れて凪いでいる。客は私たちの他に数名。ランチを取るものもいれば、本を読みながらお茶しているものもいる。


「アリバイありね。理真、瀬峰先生は犯人じゃないみたいよ」


 丸柴刑事はパスタをフォークに絡める。


「うーん、考えすぎだったかなぁ」


 理真は、この程度か、と言わんばかりに、すでにランチをぺろりと平らげていた。ひとりだけ食後のコーヒーを飲んでいる。


「関係ないけどさ」と丸柴刑事。「保永さん、瀬峰先生に惚れてるね」

「うん、多分ね」


 理真も同意した。私も同意見だ。男女の恋愛の機微に疎い私でもさすがに分かる。


「瀬峰先生のほうは、どう思ってるのかな」


 丸柴刑事もブラックのまま食後のコーヒーに手を付けた。私もランチを食べ終わり、三人ともコーヒータイムに突入している。


「そんな気ないみたいに見えるけどね」理真の感想だ。「社内恋愛って大変そうだね。両思いにしても片思いにしても」

「保永さんは女性の職員や看護師に人気みたいだからね。本当色々大変そう」


 私も感想を述べた。


「丸姉は、そういうのないの?」

「え? 何が?」

「社内恋愛。丸姉の場合は、署内恋愛か。いや、本部だから署内とは言わないか。何て言うの? 本部内恋愛?」

「そんなのないからね」

「本当? 丸姉、もてるんじゃない?」

「あんまり余計なことに気を回すんじゃない。事件に集中しろ。そう言う理真こそ、誰かいい人いないの?」

「いない」間髪入れずに理真は答えた。

由宇ゆうちゃんは?」

「私もいませんよ」

「いい歳した未婚女性が三人も揃って殺人事件を追いかけ回して。世の中どうなってるのかしらね」


 丸柴刑事は軽くため息をつく。


「しかも、こんな美人揃いなのにね」と理真。

「お、自分で言うか」笑って丸柴刑事が突っ込む。

「回りを見回してご覧よ、私たちよりも綺麗な女性が果たしてどれくらいいることか……」


 理真は実際に店内を見回した。私も釣られて見るが、店内に私たちと比較対象となるような若い女性の姿はない。カウンターに営業をサボっているらしきスーツの男性。テーブルには井戸端会議真っ最中のおばさん数名。窓際のひとり席には、本を読む女性。井戸端会議出席者と比べたら若い年齢に見えるが、私たちと張り合うような歳には見えない。それに落ち着いた雰囲気を纏い、そんな下世話な話題の渦中に巻き込むことは失礼と思ってしまう。理真はといえば、視線をその女性に止めたままだ。


「由宇、あの人」視線を止めたまま、理真が話しかけてきた。

「何?」私もその女性に視線を向け直す。

「丸姉も。あの人、病院の待合にいたよね」


 それを聞き、丸柴刑事も視線を向け、


「あ、そうかも」


 私には分からない。保永に公園に連れ出される前、待合で待っていたときのことだろうが、正直、私はそこまで気を配っていなかった。さすが探偵と刑事だと感心した。理真は席を立ち、その女性のもとへ歩いて行く。


「すみません。午前中に富山海浜クリニックにいらっしゃいましたよね」


 理真に声を掛けられ、その女性は顔を上げた。


「はい、そうですけれど?」

「やっぱり。すみません、少しお話聞かせてもらってもよろしいですか?」


 理真の頼みに、ええ、構いませんよ、と女性は読んでいた本を閉じ、テーブルに置いた。



「まあまあ、刑事さんに探偵さんですか。もしかして、仁藤さんの事件のことで?」


 私たちの自己紹介を聞き、その女性は驚いた表情を見せる。女性は三宅みやけと名乗った。いろは歌ではずっと後のほうだな。この事件が起きてから、つい人の名字を聞くと、いろは順に当てはめて考えてしまう。三宅の席はひとり用だったため、私たちのテーブルに席を移動してくれた。飲みかけだったコーヒーも運び終わったところで、理真が質問する。


「差し支えなければ教えていただきたいのですが、心療内科とカウンセリングセンターのどちらに?」

「センターのほうです」

「そうですか。では、仁藤さんともお顔を会わせたことは」

「はい、あります。グループカウンセリングで何度か。本当にいい人でした。まさか殺されてしまうなんて……」

「グループカウンセリングですか。どんなことをするんでしょうか。あ、もちろん差し支えなければ」

「構いませんよ。同じような問題を持つ人が集まって、それぞれ体験談を話したり、先生と会話をしたりするんです」

「そうなんですか。同じようなということは、三宅さんも、その……」

「……はい、私は息子を亡くしました。交通事故、ひき逃げでした」

「そうなんですか……」


 三宅が目を伏せたため、理真はそれ以上聞くことを躊躇うように語尾を弱めた。それに気が付いたのか三宅は微笑んで、


「いいんですよ。犯人は逮捕されていますし、先生のカウンセリングを受けて、私も随分と変わりましたから。以前でしたら、とてもこんなふうに外へ出てお茶をしたり、知らない人とこうして話をすることなんて考えられませんでしたから。瀬峰先生のおかげです。それにグループカウンセリングで一緒になった方々のおかげでもあるかしらね。だから、仁藤さんをあんなにした犯人を早く捕まえてほしいわ」


 これには理真と丸柴刑事は異口同音に、全力を尽くします、と答えた。


「瀬峰先生って、どんな方なんですか」


 理真が尋ねると、三宅は目を細めて、


「すばらしい先生です。カウンセラーの方って、頭ごなしにこうしなさい、ああしなさいって患者、ああ、クライエントと言うんですってね、に指示したり、カリスマ教祖みたいにクライエントからあがめ奉られるような人を想像していたのですけれど、先生はあくまで私たちに決定を委ねるんです。そこへ向かうためのヒントをくれるだけ。ですけれど、先生が責任を放棄しているとか、そういうことはなんですよ。私たちの話を本当に真摯に聞いてくれて。二回目にカウンセリングを受けたときに、私が先回話したことを隅から隅まで憶えていてくれて。二回目以降もです。私が話したことを、私が忘れていることまで全部憶えているんですよ。先生は私の他にも何人もクライエントを持っていらしゃるのに、すごいなと感激したんです」

「そうなんですか。すごいですね。じゃあ、きっと仁藤さんのことも」

「ええ。仁藤さんも先生には全幅の信頼をおいていたんじゃないかしら。だから、今度のこと、先生がどんなにか悲しんでいらっしゃるかと……」


 三宅は顔を伏せた。


「……でも」と三宅は再び顔を上げて、「こんな偶然ってあるのかしらと不思議に思いました。刑事さんや探偵さんの前でこんなこと言うのは申し訳ないのですけれど、私、仁藤さんがあんな事になる前は、この事件の犯人を少し応援する気持ちがあったんですよ」

「偶然? 応援? どういうことですか?」

「本当に偶然なんです。仁藤さんの二人前の被害者、六田ろくだという人だったでしょう。あの人は……人殺しだったんです」

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