第29話 wwようこそwwwボイスBBSwwwにまいじたへw。

「なんだとお、黒い乗用車に乗った、濃いファンデーションの女を探せってか。ふざけてるのか、このチビ」

 運転席に座る野獣のお兄さんが、後部座席に乗る僕に向かって激しくつばを飛ばしている。あまりにも下品な態度を目の当たりにして、僕はこの車に乗ったことをひどく後悔した。隣にいる光のやつも、僕とまったく同じ意見だったにちがいない。

「ほらほら、ちゃんと前を向いて運転しな。危ないでしょうに」

 ハンターなお姉さんがなだめてはいるが、野獣のお兄さんは怒り心頭、僕に向かって激しく舌打ちを繰り返した。

「わかってるけどよお、こんなチビに好き放題いわれて、運転手にされたおれの身にもなってみろよ」

「もういいから、もちつけ、もちつけ」

 助手席のお姉さんはそう言ってから、僕のほうに視線を向けた。

「ほかに特徴はないの」

「特徴と言われても、ことばには表しにくいです」

 あえてファンディーション以外で探すとすれば、際立ったものは脂肪率くらいしか思い浮かばない。

「まあいいわ。その代わり、その人と君との関係を教えてくれる?」

 ここまで言われると僕もつらかった。見ず知らずの他人である僕に対して、お姉さんはとても親切にしてくれる。

「ゴッサムシティへ向かっているのは、僕のママです」

 こうなったらすべて、打ち明けるしかないと思った。

「お前な、ママを探してくれって言うんなら、その辺にあるポリボックスにでも行けばいいだろうが」

 野獣のお兄さんが僕に向かって、乱暴な口をきいた。

「ほえるな、浩、ここはわたしに任せてよ」

 たしなめられるとお兄さんは、シブい顔をしながらルームミラーに手を添えた。

「ねえ君、なぜママはゴッサムシティなんかに行こうとしてるの」

 お姉さんの顔がすぐそばにあった。それがなんだか僕にとっては気まずくて、呼吸が普段とはまったく変わってしまう。

「パパの仕事場があるからです」

 なんとなく、息苦しかった。

「お前ひょっとして、やきもちやいてるのか」

 野獣のお兄さんがまた、僕らの話に割り込んできた。

「そんなんじゃないです」

「じゃあなんだ」

「ママをパパに会わしたくない、ただそれだけのことです」

「ほらみろ、それを一般的には、やきもちって言うんだ」

 ――いちいちかんに障る言い方をするやつだ。

「会わしたくないって、いったいどういうことなの? さっき君はサンサンシティに住んでるって言ってたよね。そこでパパも一緒に暮らしてないの?」

 なんだか僕はどんどん、追い詰められていくような感じである。

「いいえ、パパとは別々に暮らしています」

「お前って、やっぱり複雑だったんだな。なんとなくそんな気がしてた。それで、お前の両親は離婚でもやらかしたのか」

 野獣のお兄さんがすかさず食いついた。さっきまでとは大違い。僕に興味津々といったところである。何度もこちらを振り返っては、返事を待つような態度を見せた。その仕草からは、明らかに交通ルールを無視した違法性が感じられる。そんなお兄さんをにらみつけながら、ハンターなお姉さんが口を開いた。

「ところで君はなぜ、F1シティなんかにいたの?」

「少し事情があって――」

 僕らは犯罪者なわけだから、下手なことをしゃべると警察に通報される恐れがあった。ごまかそうとしても、お姉さんは結構、勘が鋭いみたい。どこかママをほうふつさせるような決断力を感じてしまい、話せば話すほど、問い詰められているような気分になってしかたなかった。

「大したことじゃないんです。おじちゃんという人にだまされて、家に帰れなくなっただけです」

 ――うそではないと思う。

「その人にどこかへ連れて行かれそうになったということ?」

「いえ、そう言うわけじゃなくて、途中ではぐれたんです」

「おじちゃんというのは、親せきの人なの」

「いいえちがいます。赤の他人です。ZOOの飼育係をしている人で、名前は――ええっと、忘れました」

「お前って、なんかうさんクサいよな。チビとは思えないような話し方だ」

 野獣のお兄さんのことばに対して、僕は内心ひどく憤慨した。この人にだけはことば遣いを注意されたくないと思っている。

「浩がしゃべると話がまたややこしくなるから、もう口出ししないでしっかり運転しな」

 ――まったくだ。

「黙ってるのはいいんだけどよ、特徴のはっきりしない女を、いったいどうやって捜せって言うんだ」

 生意気にもお姉さんに向かって、口答えをした。

「行き先がわかってるんだから、あんたの同類でも使ったら?」

「どういう意味だ」

「浩ってボイラーなんでしょ。いつも自慢してるじゃない」

 なんとネットの汚物、あのボイラーがこんなところにもいたなんて、驚きとともにひたすら軽べつしてやった。ただしそれからすると、今までの言動にもいちいち納得がいった。

「このおれがママを探してくれなんて、恥ずかしくてネットで頼めるもんか」

 お兄さんは必死に抵抗している。ボイラーのくせに内気だなんて似合わないと思ったし、もちろんハンターなお姉さんが、そんなわがままを黙って見過ごすはずはなかった。

「とにかくつないでみなよ」

 そう言ったあと、お姉さんはコンソールにあるボタンをいじり出した。そのとたん、背後のスピーカーから、おかしな声が聞こえてきた。

『wwようこそwwwボイスBBSwwwにまいじたへw』

 まさに音声の公害、ネット社会の不信を今や一身に背負った感のある『にまいじた』は、各方面から痛烈に非難されているにもかかわらず、すきあらばネット上のプライベートページにトラックバックし、大の大人がたあいもない口げんかを繰り返す。あまりにも幼稚なその主張にはあきれ果てる人たちも多いのだが、その一方で、非難している側にも実はボイラーが存在するので要注意、どこまでが虚実でどこからが真実なのか見当もつかず、ひぼう中傷のたぐいは散らかし放題の身勝手さ。うかつにかかわれば、お前も今日からボイラー、なかまなかまなどと言われてしまう。そんな連帯感を武器にするのが得意の攻撃で、なによりも孤独な人は特に注意が必要らしい。

 確か、インターネットガイドには、そんな風に書いてあった。まったく、やっかいなやつらである。

「おい、おまいら、ショタがママを探してくれと頼んでるんだが、なんとか助けてやってくれ」

 野獣のお兄さんは巻き舌で、訳のわからないことをしゃべり出した。にもかかわらず、すぐさまそれに対して、スピーカーが反応した。

『wwつりだカーポwwwwwそんなネタにはだれもwwくいつかないw』

 聞こえてくる声は、肉声とはほど遠い。なにやらBBS側で細工がしてあるようで、金属片にマイナスのドライバーを突き立てて、それをゆっくりと引きずればきっとこんな音がするはずである。その上、お兄さんは意味不明な会話を繰り返すばかり。それにじれたお姉さんが、たまらず強い口調で割り込んだ。

「F1シティからゴッサムシティへ向かう幹線道路、四十三号線に暇なやつは集合してよ」

『wwワロスwwwwwうえからものをいってもwwwだれもはんのうせずwwwwwひょっとしてwwwおまいwwwじょしかwwwwwこえのちょうしがびみょうにクールw』

 お姉さんの機嫌は最悪みたい。まゆを寄せながら、何度か舌を打った。それも無理はなく、僕だってボイラーなんかを相手にするのは、絶対にごめんである。

「女子だったらなんなのよ。ひょっとして怖い? 確か前に、ボイラーが熟女スレに乗り込んで、返り討ちにあったと聞いたことがあるんだけど」

『wwきーんwwwきーんwwwwwいかwwwななしにかわりましてwwwきちょうめんなボイラーがおおくりいたしておりますw』

「無駄口をたたかずに、はやく四十三号線に車を入れて、目標を探して連絡しなさい」

『wwこりはひじょうにコワスwwwwwどうしてもママがひつようならwwwどうかうちのママでがまんしてほすいw』

 なにが言いたいのか、まったく意味がわからない。

「敵にまわすとしつこくてやっかいだけど、味方にするとどうしようもなく頼りない、それがボイラーだってみんな言ってるけど、ほんとにそうね」

『wwあたってるだけにwwwテラワロスwwwwwきんじょでひょうばんwwwかんばんwwwエレキバンw』

 笑えなかった。どう考えても、滑ったような気がしている。

『wwいまのところwwwママよりもダーリンがあつくてほっかいろwwwwwいたいやしがwwwテレビきょくをのっとってwwwまぬけにもじらいをふんだwwwwwところがけっきょくじばくwwwどこかカワイソスでwwwみんなでこれからなだそうそうw』

「そう言えば、さっきもラジオでダーリンのニュースが流れてたよね」

 お姉さんがダーリンの話題に興味を示している。野獣のお兄さんに向かって、話しかけた。

「やってたやってた。テレビ局でいたずらをしたやつが、ダーリンの人権を守れとか言ってわめいてたらしい」

 僕らはやっぱり有名人だった。

「月に帰してあげれば、ダーリンは死ななくても済むという話でしょ」

「らしいな、けど考えてみれば当たり前のことだよな。もともと一週間の寿命というわけでもないだろうし、それを飼育するために、地球へ連れてくるというのがおかしいわけだ」

「そうだよね。かわいそうな話だと思う。月に帰してあげればいいのにね」

『wwそれはぜったいにwwwむりぽw』

 突然ボイラーが会話に口をはさんでくる――なんてやつらだ。

「なぜ無理なの」

 お姉さんは声のトーンを一段上げて、ハンドルの内側にあるマイクに向かって、問いかけた。

『wwきーんwwwきーんwwwwwもうじきZOOはwwwダーリンのしいくからwwwてをひくらしいw』

「それならなおさら、好都合じゃない。人間に捕獲されることもなくなって、月で平和に暮らせるってわけでしょ」

『wwでもだめぽwwwダーリンにあすはやってこないおかんw』

「どういうことよ」

『wwZOOがてをひけばwwwこんどはみんかんがダーリンのしいくをやるw』

「民間が始めたら、なにか都合でも悪くなるの」

『wwきぎょうはらんかくwwwダーリンはかねかねwwwたすかるみこみはwwwどうやらかいむw』

「そこまでひどくないよ」

『wwもうすぐダーリンはアイドルへwwwフュースはいまでもしょくにくしょくにくwwwそんなあいつはテラカワイソスw』

 毒ガスのおじいさんが、話していたことを思い出した。今、僕らが食べてる肉は、どうやらフュースのものらしい。ひょっとして、そのうちダーリンも食用にされるのだろうか――哀れとしか言いようがなかった。

『wwじゅうねんかwwwにじゅうねんでwwwつきにはダーリンとフュースのきねんひがたつwwwwwかつてここにはwwwにひきのけものがくらしていたwwwwwアーメンw』

「趣味の悪い冗談は、やめて」

『wwもうだめぽw』

「やっぱりボイラーって、噂通りどうしようもないやつらね。なんの根拠もないくせに、ねつ造したネタでみんなが好き放題、話してる」

 ついにお姉さんの怒りはピークに達し、ボタンを指ではじいてネットを切断した。

「まあそう怒るなって、それほど悪いやつらじゃないんだ」

「どうだかね」

「うそじゃない。あいつらみんなバカだから、二日前の出来事を思い出すくらいがせいぜいで、根に持って嫌がらせするようなやつも、ほとんどいないしな」

 お兄さんは必死でボイラーの弁護を繰り返していた。それにしても、自分のことをバカだと潔く打ち明けられるあの態度には、ほんの少し同情できる部分があったし、ひょっとすると記憶の有効期限は二日ではなくて、分単位なのかもしれないと予想した。

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