第28話 誰かに似ている、ハンターなお姉さんと野獣のお兄さん。
「危ないだろうが、保護者はいったいなにをしてるんだ」
頭上でどなり声をあげている若い男がいる。どうやら僕に対して、腹を立てているようである。横にはまるで、オオクワガタみたいな形をした黒のワゴンが止まっている。タイヤはボディーから相当、はみ出し気味で、その上ホイールは金色で、車高がやたらと低かった。シルバーに輝く太いマフラーからは、動物が威嚇するときのようなうなりが聞こえてくる。
「ほら、はやく立て。ほんとに近ごろのガキは、大げさで頭にくる」
腕をつかまれて、引っ張り起こされた。それがあんまり怖かったので、されるがままに従うだけだ。まるでこいつは野獣みたいなやつだと思う。
「へえ、子どもにはえらそうにできるんだから、大したもんだね」
野獣のお兄さんの後ろから、いきなり若いお姉さんが顔を出した。
「人聞きの悪いことを言うな。だいたい今のは当たってないぞ。車に傷もないし、おれの反射神経が人命を救ったとも言える」
「反射神経の話をしてるんじゃない。口の利き方が気に障って、しかたがないの」
「お前に言ってるわけじゃないだろ」
「そうよ。子ども相手にどなってる、それが耳障りだと言ってるの」
相当、険悪な雰囲気だった。
「落ち着いて下さい」
こうなったらしかたなく、僕が仲裁役を買って出るべきだと決心した。すぐさま二人の間に割ってはいる。するとお姉さんがこちらを向いて、ほほえんでくれた。
「大丈夫だった?」
「事故ってないんだから、大丈夫に決まってるだろ」
それにしても、どこまでもうるさいやつだ。
「事故のことを言ってるんじゃなくて、あんたの態度で傷ついてないかと、心配してるんだよ」
もっともな意見だと思う。まるでお姉さんは、野獣を手なずけるハンターのようだった。
「お父さんやお母さんは、いったいどこにいるの」
そう聞かれると答えに困ってしまう。
「おい、聞こえてるか、保護者はどこだと尋ねてるんだ。ぐずぐずせずに、返事をしろ」
野獣のお兄さんが僕に向かって、わめき散らしている。その態度を見て、ハンターなお姉さんがまゆを寄せた。きつい目でお兄さんの顔をにらみつけている。
「ああ耳が痛い。先に車にでも乗ってれば――そのほうがはやく、事情を聞けると思うんだけど」
当事者である僕も、お姉さんとまったく同じ意見である。
「わかったよ」
野獣のお兄さんはおとなしく、車に乗り込んだ。運転席からしきりに、こちらの様子を気にしている。見た目からは想像できないほど、素直なやつである。それでようやく、落ち着いた気分にはなれたんだけど、今度はお姉さんが背伸びをし、そのままの姿勢で辺りを見渡したあと、僕のほおを指で突っつきながら、不平を言った。
「どうやら保護者は、見あたらないみたいだね」
「はい、パパやママとは一緒じゃありません」
「いったいどこから来たの」
「サンサンシティです」
「ふぅん、それで――ここからどうやって帰るつもり?」
そう聞かれた僕は、ママのことがとても気になった。ママが乗っていた乗用車は、タクシーだったように思う。いったいどこへ向かったのだろうか――それを考えてしまうともうだめで、お姉さんの質問に答えることもできず、車が走り去った方向に顔を向けたままで、黙り込んだ。
「あっちはサンサンシティの方向じゃないよ」
耳もとで、お姉さんの声がする。
「じゃあ、向こうへ行けば、どこへ着くんですか」
僕が質問すると、ハンターなお姉さんはいきなり後ろを振り向いて、大きな声を出した。
「浩ぃ、あっちへ行くと、どこにつくんだっけ?」
「あっちって、それだけじゃわかんね」
野獣のお兄さんが車の窓から顔を出して、首をひねっている。日本語が多少、厳しいみたいである。お姉さんはしかたなく、かかとを浮かせて腕を伸ばした。向こう向こうなんて言いながら、説明をし始めた。
「確かKDE書店とか、GTKデパートなんかもあったような気がする」
「そうじゃなくて、町の名前を聞いてるんだよ」
お姉さんはすごく乱暴な口の利き方をするんだけど、野獣のお兄さんはそれには慣れているようで、ほとんど打撃も受けずに、ごく普通の応対をしていた。
「しばらく走ると、レーニングシティに着く。その先はゴッサムシティへと続いているはずだ」
それを聞いてどきりとした。ゴッサムシティは、パパの仕事場がある町だった。
「サンサンシティへ帰るんなら、車で送ってあげるよ」
お姉さんが親切にそんなことを言ってくれたんだけど、マンションに帰ってもママがいないことは明らかである。
「なるほどね、向こうに用事があるっていうわけだ」
お姉さんのことばに対して、僕は黙ってうなずくだけである。だけど別に用事があるというわけじゃなくて、一人では決してパパに会いたくないはずのママが、今日に限ってパパのところへ向かったというのが、どうしても気になるだけだ。
「お願いがあるんです」
ママ以外の人に、虫のいいことを頼みたくない。たとえ相手がパパであったとしても、同じである。だけど今の僕には力がなくて、なんとか助けてほしいと心から願うのみだ。
「どんな頼み? 男子の希望は苦手なんだけど」
お姉さんがひざを折って、顔を近づけてくる。
「実は、ある人が車でゴッサムシティへ向かってるんです」
「ある人っていうのは?」
「それは説明しにくいんですけど、とにかくその人を、絶対に一人でゴッサムシティには行かせたくないんです」
「見かけによらず、わがままなんだね」
そう言うとお姉さんは体を起こして、後ろを向いた。
「ねえ浩ぃ。今からゴッサムシティへ向かうことになったよ」
間髪入れず、野獣のお兄さんが不平を漏らした。
「そりゃないだろ。これから踊りに行く予定じゃなかったか。あそこはビジネス専門の町だから、おもしろい店なんてほとんどないぞ」
「じゃいい。わたしたちだけで行くことにするから」
そう言ったあと、お姉さんは僕の手を強く引っ張った。そのまま歩き出すのかと思ったら、一歩も前へ進まないうちに、また後ろを振り返った。しかも鼻の頭をつんと上げ、黒のワゴンに向かって最後のことばを口にした。
「もう頼まないよ。その辺でほかの車をナンパするから、あんただけで遊んできなよ。今日までほんとにありがと、それじゃ元気でね」
「わかったから、こうなったらどうにでもしてくれ」
結局のところ、背後で情けない声がして、野獣のお兄さんは僕らが乗車することを、快く承諾した。
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