第24話 かくして僕らの世界デビューは、完了した。

 そのうち悲鳴が消えて、人の気配がどんどん遠ざかる。それを確かめてから、もう一呼吸、そのあと用心深くドアを開け、顔だけ出して左右をにらんだ。ここから見る限り、どこにも人影は見あたらなかった。そこで僕は何度か深呼吸をし、目的の場所を頭の中でなぞってみた。

 スタジオは確か、エレベーターを出て、二つ目の部屋だったと記憶している。ドアに貼られたステッカーには『ライブスタジオ』と記されてあったはずだ。室内に入れば部屋の中央にはカメラが設置してあり、そのカメラから映像ファイルをサーバーに落とし、あとはコンピューターで編集しながら、ニュースとして配信する。あのときママが、そんな風に説明してくれたのを覚えている。

 目を凝らして、目的の場所を探してみた。奥から二つ目の右側の部屋、あそこがライブスタジオにちがいないと思った。NET放送を乗っ取るためには、あの部屋を占領する必要があった。おじちゃんに合図をしてから、廊下に出た。

「大丈夫かな」

 さっきまで平然としていたおじちゃんが、今度は一転、弱気なことを言いだした。

「どうするの、やめるのかい」

 いらつきながら、吐き捨てた。

「そんなことは言ってないよ――」

 僕のほうは、こうなったらもう、あとには引けないような気持ちになっていた。これまでのいきさつを考えれば、このいたずらがママにばれる確率は、かなり高い。そうなると、ダーリンのためにしかたなく事に及んだ、そんな言い訳がぜひとも必要だった。

 右手をあげて、先へ進む合図をした。そのまま目的の部屋を目指して歩く。廊下を進むと、両側にあるドアはほとんど開けっ放しになっていた。それだけ見ても、慌てて逃げた様子がよくわかった。そのうちライブスタジオと書かれたドアが現れる。

 ついに僕らは犯罪現場に、到着した。

 扉が重くて開け閉めするのも苦労したが、ようやく部屋の中に入り、内側からロックをかけて、そのあと辺りを見渡した。室内の様子はガラスの壁が中央に立ち、向こう側がスタジオで、こちら側にはファイルの編集用と思われる機器類が並んでいた。視線を移せば、たくさんのモニターが左の壁に埋め込まれてあった。僕の注意がそちらへ向いているすきに、おじちゃんが無謀にも、編集用の機械に触れようとした。

「それに触っちゃだめだ。もしも壊したりしたら、大変なことになるよ」

 僕のことばにおじちゃんは、体をびくつかせた。慌てて後ろへ飛びのいた。

「向こうのドアから、スタジオのほうへ入ってみようよ」

 僕と光は奥の部屋へ向かい、おじちゃんもあとに続いてきたが、そこでもまた、むやみにカメラやコンピューターに触れようとした。

「それにもさわっちゃだめだ」

 おじちゃんは両手を広げて、顔を左右に激しく振った。おそらく、どうしたらいいんだ、そう言いたかったにちがいない。だけど僕だってただおろおろとするばかりで、実のところ、おじちゃんとまったく同じ気持ちである。

 そんなとき、光がおかしなことを口走った。

「ドアの横にある黒いボタンを押すと、オンエアになるって、ダーリンが言ってるよ」

 ――なんてやつだ。こんなときにまで、うそをつくなんて。

「これかい、光ちゃん」

 おじちゃんは光にすっかりだまされて、言われたように黒いボタンに指をかけた。

「下手なものに触らないほうがいいよ。最近は精密で高感度な防犯設備だってあるんだからね」

 僕と光に挟まれて、おじちゃんは優柔不断にも立ち往生した。

「どうしたらいいんだ。もうすぐ警官がやって来るっていうのに、このままじゃ計画がすべて台無しだ」

 わかってはいるけど、慎重に事を運ぶほうがいいと思った。なのに光のやつが、またもや横やりを入れる。

「はやくボタンを押してよ。でないとなにもできないまま、わたしたちみんな警察に捕まるってダーリンが言ってるもん」

 今のことばはまちがいなく、犯罪を教唆したことになる。裁判では相当、不利になるはずだ。

「考えてもみてよ。なんでこいつが遠くにいるダーリンと話ができるんだ。おかしいよ。出任せに決まってる」

「そうとばかりは言い切れないさ。ダーリンの檻は明かりや音を通さない。なのに光ちゃんはダーリンと会話ができた。それからすれば、距離なんて関係ないということになる」

 僕の常識的な意見に対して、おじちゃんが珍しく反論を口にした。

「それもこれも、本当にダーリンとコミュニケーションが取れてたらの話だろ。こいつのうそつきはみんなが知ってるし、いつだって僕らをだまそうとしてるんだ」

 必死な思いで、おじちゃんを引き止めにかかった。誰がうそつきで、どいつが本当のことを話しているのか、見分けることは誰にとっても容易じゃなくて、このままだと光が言ったとおり、僕らはなにもできないまま、捕まるのがオチである。そうなると、ここまで来た苦労も、すべて水の泡になる。

「もういいよ、好きにしたらいい」

 誰かが決断する必要があったから、ここはおじちゃんに任せようと思った。それに正直なことを言えば、僕だってダーリンと話ができればいいと思っている。だからおじちゃんが光を信じたい気持ちも、ほんの少しわかるつもりである。

「本当にいいんだね」

 そう言いながら、ついにおじちゃんがボタンを押した。そのとたん、いきなりさわやかなミュージックが室内にこだまして、スタジオ中のライトが一斉に点灯した。しかもこの音楽には、聞き覚えがあった。軽快なテンポと、『あなたの三時』などとうたっているこの曲は、確か三時のワイドショーで流れている、あのミュージックにちがいない。

「あっ、わたしたちが映ってるよ」

 光がガラス越しに見えるモニターを指さした。確かに僕が映っている。それを見たとたん、体がぴくりと反応し、腰の辺りを中心にしながら上体をいつものように前方へ――あいさつはやっぱり大切だと思う。

「こんにちは」

 カメラに向かって白い歯を見せる。笑顔は好感度を上げる重要な要素だし、涙を流すのもいいと、雑誌には書いてあった。

「相川卓、十二歳、もうすぐ中学生になります」

 自己紹介の途中であったにもかかわらず、光のやつがいきなり僕の前に立った――本当に非常識なやつだ。

「光、そこはだめだ。きちんと横に並ばないと、みんなが映らないじゃないか」

 ところが光のやつは、僕の注意にもお構いなしである。小さな体をめいっぱいに伸ばしながら、おじちゃんに向かって強い口調で訴えた。

「はやくダーリンやフュースのことを、話してあげて」 

「わかった。精いっぱいやってみるよ」

 ついにおじちゃんの世界デビューの瞬間がきた。僕と光の間に立ち、カメラに向かっておもむろに口を開いた。

「お願いです。どうかダーリンを助けてやって下さい。月に戻してやらないと、彼らは繁殖できないんです」

 おじちゃんの声が震えている。無理もないと思った。僕にしたって、気持ちはまったく同じである。

「実はダーリンの食糧は、フュースのウンコです」

 おじちゃんはいきなり、とんでもないことを言いだした。そんなことを公共の電波で話してもいいのだろうか。

「しかもフュースはダーリンを食べるんです。だけどそれは残酷なことじゃない。ダーリンはフュースの中で死を迎えて、新たな生命を生む。それを僕たちは発見しました。ダーリンは地球では長く生きられない。フュースのいないところでは暮らせないんです。ダーリンとフュースはまるで親子のようです。本当は一つの生命体だったのかもしれない。だからダーリンを月へ、フュースの元へ返してやって下さい。フュースは地球にはなじめない生物です。一般的に言えば、怪獣のような外見をしています。だけどダーリンにとっては、フュースこそがパパであり、おそらくママでもあるんです」

 おかしな親子関係としか、言いようがなかった。

「もちろん、これらを科学的に証明する手だては今の僕にはありません。だけどここにいる、この子がフュースのウンコを食べた結果、ダーリンと会話ができるようになったんです。今まで話したことはすべて、ダーリンが訴えたことです。ダーリンは寂しいと言っています。フュースの元へ帰りたいと嘆いているんです」

 ただし、その承認が光というのが、怪しい限りである。

「思い出してみて下さい。小さなころ、虫の声を聞いた人はいませんか。動物の鳴き声から感情を受け取ったことはありませんか。草花からでも、なにかを感じ取ることはできるはずです。だからこそ、ダーリンと話ができるこの子を僕は信じたい。そして必ず僕が、いつか科学的に証明してみせます」

 ここで軽いせき払いを、一つした。話の腰を折るみたいで悪かったんだけど、僕にもやっぱり存在感が必要だと思う。

「とにかく今はただ、ダーリンとフュースを引き裂かないでほしいと願うだけです。どんな生物でも感情を持ち、寂しさや悲しみに胸を痛めることがある。人間はそれを否定してはいけないと思うし、不遜であることが、耳を塞いでいることに気づくべきだ。お願いします。ダーリンを助けてやって下さい」

 おじちゃんはどこまでも、一途な気持ちをぶちまけた。ところがここから先は少し、脱線した。やがて地球は不幸な双子、金星のようになるとか、大量絶滅のために人間が滅びるとか、そうならないためには、人類は宇宙へ出て、宇宙人の先祖になれとか、訳のわからないことを言い出したんだから、たまらない。

 とはいうものの、最後には泣きながらダーリンの無事を訴えたおじちゃん、その姿を間近で見せられて、不覚ではあったんだけど、僕でさえも胸にあついものがこみ上げた。だけどよくよく振り返ってみると、光に比べて僕の話題が少なすぎる――おかしい。

 テレビの場合は露出度が人気に比例するはずだ。このままでは僕の立場は危ういものになってしまうだろう。

「相川卓です。正直に言うと、勉強はあまり得意じゃありません」

 かくして僕らの世界デビューは、完了した。

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