第21話 一二の三、ダンスで主張。

 部屋の中はだだっ広くて、天井も高かった。その上、柱なんかもほとんどなくて、そんな場所に大きな積み木やらボールなどが置いてある。子どもにとってはまるで、屋内に現れた公園のような感じである。案の定、みんな奇声をあげて駆け出した。とりあえず僕もみんなのあとを追うつもりでいたが、二三歩進んだところで、足がすくんで前へ行かなくなった。その理由は向こうにいる、あの女性のせいである。

「はいはい、はやくこっちへいらっしゃい」

 部屋の中央で、僕らを呼ぶ女の人がいた。縮れた髪の毛を後ろで二つに束ね、Tシャツに短パンというラフな格好であるにもかかわらず、顔はまるで落書き帳であるかのごとし、さまざまな色彩に満ちあふれていた。

 しかもおそらく、体脂肪率が半端じゃない。確かママでも数値は、三十パーセント代だったはずだ。それがひょっとすると、三けたにも及ぶ可能性を僕はかいま見た――言っとくが、大げさじゃない。

 果たしてママは、この話を信じてくれるだろうか。『ほんとに卓はオーバーなんだから』などと言われるのは目に見えていたが、もしもこの場にママがいれば、息子を信じることの重要性を、きっちりと再確認したにちがいない。

 こうなると、僕の視線は体脂肪率三けたの女性に、釘付けである。山脈のような胸板が、歩くたびに大きく揺れる。その様子はまるで、甲子園球場のホーム側スタンドをTシャツの中にでも仕込んであるかのようだった。下半身を覆う脂肪に至っては、いやがおうにも極端な外股を演出し、そのため東西に引き裂かれた両足の関係は、ここから眺めていても、やっぱり微妙。そんな光景をまぶたに焼きつけながら、僕はしばらくあぜんとし、ワイドになった視界を修正することさえ忘れていた。

 そんな折も折、いきなり室内に音楽が響き渡る。それにつられた僕は、犬のお巡りさんなどと口ずさんでしまい、思いもよらず、目を見開いてはっとした。しかも何を勘違いしたのか、子どもたちが狂ったように踊り出す。

「さあ、そろそろ番組が始まっちゃうよ。もっと大声で笑ってごらん」

 体脂肪率三けたの女性が、僕らに向かって呼びかけた。だけどはっきり言うが、新興宗教の集会を思わせるこの雰囲気に、僕はどうしてもなじめそうになかった。

「一二の三、ダンスで主張、それって、なんのこっちゃ」

 かけ声さえも恥ずかしく、そのくせついつい乗せられる。ここまでくるとこの番組が、どんな展開を見せるのかも、大方の予想がついた――前に何度か見たことがある。

 この番組の売りは子どもたちがやたら踊りまくること、その中で一番われを忘れた者に対して、おやつを与えるというのがメーンの企画で、スポンサーがドッグフードの会社だったもんだから、なかなかうまく考えられた番組だと、初めて見たときの僕はとても感心した。

 だからなおさら、よく覚えている。

 三十秒間ダンスをしたあと、二分間の休憩がある。それがワンクールで、番組は確か十五分くらいの長さだったと思う。CMの時間をのぞくと、五回ほどダンスの時間がやってくる。しかもおやつというのが超豪華で、デコレーションなアイスクリームや、金銭感覚が麻痺しそうな金粉入りのクッキーなんかもあった。

 こうなると、このまま僕もわれを忘れてダンスに没頭するべきか、悩むところではあったんだけど、今となってはこのビルへ来た目的でさえも思い出せなかったし、おじちゃんに至ってはあっさりと行方不明である。

 目標を見失った人間は、とにかく流されやすい。その上僕はまだ、子どもである。おやつをもらうために、多少ここでダンスを楽しんだとしても、誰からも責められる筋合いなんて、どこにもないはずだった。アーメン――決心したとたんに、体がむやみに反応した。まさにペットフルな条件反射と言ってよく、近所で飼われている、グリーンベレーというドーベルマンの気持ちがよくわかった。

 そんな思いのために、ほんの一瞬だけ意識が飛ぶ――本当だ。気づいたときにはスタジオの真ん中に躍り出て、ひそかに練習していたロボットダンスを披露した。ここでもやはり、僕の負けず嫌いは、いきなり爆発した。

「いいよいいよ。まだまだ元気はつらつぅ、いやなことを忘れるまで、踊り狂え」

 相変わらず中央で山脈が揺れている。それにつられて僕の下半身は左右への激しい振幅を繰り返し、頭の横に置かれた両腕は、首の動きに合わせてシャウトした。

 そんなとき、スタジオの隅から僕らに向かい、熱心に声援を送る集団がいることに気がついた。あの人たちが、ここにいる子どもの保護者であることはまちがいなかった。向こうで声があがるたび、子どもらがしきりにチワワのようなアクションで応えている。怪しまれないために僕だって、手を振る必要があった。好みの保護者を即座に見つけ、両手を上げてはじけてみせる。そんなご機嫌さんな僕に対して、上着のすそを引っ張って邪魔をする、空気の読めないやつがいた。

 先ほどの、情緒不安定な彼である。

「やめろ」

 注意をしてみたが、まるで反応がない。彼は僕をにらんだままで、なにが気に入らないのかわからないんだけど、むやみやたらと絡んできた。

「あれって、僕のママだよ」

 そう言われて、はっとした。選んだ保護者に文句があるようだった。あまり似ているようには見えなかったが、こういう場合の自己申告は、おそらく信用できる。

「すまん――」

 謝るしかなかった。それから休憩になって、係のお姉さんが牛乳パックを配ってくれた。

「さあそれを飲んで、もっと元気に踊ってよお」

 相変わらず、体脂肪率三けたの女性は、テンションが高かった。それはいいのだが、さっきの彼がひどく不器用で、牛乳パックにストローを突き刺すことができずに困っている。丸い印の部分へ、とがった先を宛がえばいいだけなのに、頑固なこいつはどこまでもやり方を変えようとはせず、とがっていないほうを、無理やり突き刺そうとして失敗を繰り返していた。

 放っておいてもよかったんだけど、見ているだけでもいらいらしたし、代わりに突き刺してやろうと思って近づいた。けれどもそれが悪かった。非常識なこいつときたら、僕の指が自分の牛乳パックに触れたとたん、とんでもない大声を張り上げて泣き叫んだ。

「なぜ泣くんだ」

 なだめすかしても、やっぱりだめ。そのうち彼は、牛乳パックを放り投げてだだをこね始めた。しかたなく機嫌を取ろうとしたんだけど、いきなり背後から邪魔が入って、身動きさえも取れなくなった。僕の腕をつかんで離さない。あまりの握力の強さに悲鳴をあげる。振り返って確認してみると、目の前に立っていたのはなんと、体脂肪率三けたの女性だったのだから驚きである。

「高学年のくせに、チビっ子をいじめるなんて、本当にひどい子ねえ」

「僕はなにもしていません。ストローを――」

「もういいわ。すぐに言い訳をするような軽い大人には、絶対にならないでほしいの」

 迫力がありすぎて、言いかけたことばをのみ込む以外に、仕方なかった。

「ただしね、この子にはちゃんと謝りなさい」

 そう言われて視線を移した。するとこいつの目が、微妙に笑っているような感じがして、どうしようもなくむかついた。

「なんか、問題でもあるの」

 体脂肪率三けたの女性が、顔を近づけてくる。こういう状況では大人が味方についたほうに、軍配が上がる。

「ごめん――」

「もっと大きな声で謝りなさい、男でしょ」

「ごめんごめんごめん」

 ささやかな抵抗は、のどの奥で三度、繰り返された。とは言うものの、事が収まれば温厚な僕に限って、文句を言うような卑怯な性格では断じてない。その代わり、ただひたすら怨念を込めて見つめるのみだ。

 そのうち休憩時間が終わる。競うようにして、みんなが踊り出した。だけど不思議なことに、僕の横にはやっぱり情緒不安定な彼がいる。懲りもせず、なついてくるところがわがままとしか言いようがなく、当事者である僕としては、やりきれない気持ちでいっぱいだった。

「お前なんか、あっちへ行け」

 周囲に気づかれないようにしながら、小声で注意をした。ところが彼は反抗期らしく、唇をとがらせて口答えをする。

「だって、一人だと寂しいし」

 身勝手なやつだ――しかたなく、ロボットダンスのステップに手を加え、左右に踏み出していたものを上下に変えた。やつの足の甲目がけて、勢いよくかかとを落としてやった。

「痛いよお」

 大げさなやつだ――言っとくが、相当、手加減したつもり。なのにやつは泣きべそをかきながら、しゃっくりに励んでいる。泣き声は音楽がかき消してくれた。この際やつのそばから、離れたほうが無難である。今のところ、僕の乱暴な行為に気づいた者は、一人としていない。こうなったらスタジオ内を縦横無尽に移動して、さっきの彼からできるだけ距離を置くべきだと考えた。

 それにもめげず、やつは背後霊みたいな使命感を持ち、ただひたすら僕を追いかけて来る。しばらく振り切るのに苦労をしたが、曲が終盤に差し掛かるころになってようやく解放された。

 ただし彼はいまだに遠くから、僕の顔をじっと眺めている。

 本当におかしなやつだ。なぜ僕につきまとうのか、その辺がどうしても謎である。どちらにしても、やっと縁が切れてほっとした。気を取り直してダンスに没頭しようと思ったが、今度はスタジオの中央で、丸い体をくねらせる光の姿を発見した。

 ――おかしい。さっきまではいなかったはずだ。

「お前、なんでこんなところにいるんだ」

 近づいて問い詰めてみたが、光は振り返ることもなく、怪しげなダンスを続けている。

「いったいどこにいたんだ。心配したんだぞ。これからは一人で勝手な行動を、絶対に取るな」

 肩をつつきながら、きつめの口調でなじってやった。

「お兄ちゃんこそ、ここにいる目的はなんなのよ」

 光には反省の色というものが、皆無である。質問には質問で返してくる。本当にこいつは、カウンセラーみたいなやつだ。

「お前がおやつを狙っていることは、すでにお見通しだ」

「そう言うわけじゃない」

「うそをつけ。その必死なダンスが動かぬ証拠だ。だけど残念だがあきらめろ。その踊り方には、相当な無理がある」

「無理なんかしてないよ。音楽が聞こえてくると、体が自然に動くだけ」

 ――なんて生意気なやつなんだ。

「だいたいお前は胴体に比べて、手足が極端に短すぎる。首にしたってやっぱり同じだ。ダンスにはとことん、向いていない体形だと断言できる」

 的確な評価だと思う――とは言っても、光が見つかってほっとした。

 やがて音楽がやんで休憩時間になる。子どもたちはその場に腰を下ろして、当選者の発表をおとなしく待った。

「よかったよ。今日はみんなよく体が動いてた。だけど笑顔も忘れないようにしてね。運動も大事だけど、テレビはやっぱり表情も大切だから」

 大声で叫んだあと、体脂肪率三けたの女性はカメラに向かって、にっこりと微笑んだ。

「こんな感じね」

 おもしろいことがなくても、むやみに笑顔を作る。大人になればそう言うことも必要になってくると、隣のおばちゃんからも、さんざん聞かされている。

「さあ、テレビの前のお友達も、ここにいるみんなと一緒に踊ってね。たまにはゲームをやめて、たまった脂肪を燃焼させようよ」

 はっきり言うが、今のジョークは年少者には、理解できないような気がしている。あまりにも、ブラックすぎる。

 そうこうしているうちに、いよいよ結果発表のときが訪れた。

「では、今回のベストダンサーは君に決定。さあみんな、拍手で迎えてあげて」

 おかしい――選ばれたのは情緒不安定な彼である。

 すねた子どもの機嫌を取るためか、それとも保護者に気兼ねをしたのが原因か、どちらにしても僕はいい迷惑だ。言っとくが、貧乏揺すりのようなあのダンスがベストだと言うんなら、精神的に問題のある者にしか勝ち目はない。そうなると、いくらやっても結果は同じである――ばかばかしい。

 何度か舌打ちをしたあと、光のほうに視線を向けた。

「お兄ちゃん、もっとおもしろいところがあるの。はやく行こ」

 光はほほえみながら、僕を誘惑した。

「いやだ」

 おやつをもらえるチャンスは、まだあと三回、残されている。結果の予想がついてはいるものの、僕は結構あきらめの悪いタイプである。

「向こうへ行けば、おじちゃんに会えるかもしれないんだよ」

 光のやつが、訳のわからないことを口走っていた。ここでおじちゃんと再会する意味が、僕にはイマイチ理解できそうにない。

「絶対に、いやだ」

「もういい、お兄ちゃんなんて放っていくからね」

 今度は僕をむやみに、突き放そうとした。しかもどうやら本気である。立ち上がったかと思うと、部屋の隅に向かって一気に駆けだした。

「待てよ、光」

 しかたがないので、追いかけることにした。独りぽっちになるのは、もうこりごりだったし、ぬぐいきれない不安な要素が多すぎる。

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