第16話 有名な妹の兄にはなりたくない。
おじちゃんは僕を無理やりハウスから連れ出して、ダーリンに向かって話しかけろと脅しをかける。無駄であることは明らかだったんだけど、こうなってしまうと僕も弱い立場である。フュースのウンコに手を出したことがばれた限りは、言われたようにやってみるしか仕方なかった。
檻に近づいて、中をのぞいてみる。探すまでもなく、ダーリンのやつはすぐそばにいた。
「はじめまして、相川卓と申します」
とりあえず自己紹介をした。だけどこの怠け者の異星人は、あいさつを返すどころか僕に目を合わすこともなく、涼しい顔で時たまお尻をかいた――本当に失礼なやつだ。それからしばらく頑張ってみたが、僕とダーリンの間にはコミュニケーションのかけらも生まれなかった。
「だめだよ、ばからしくなってきた」
おじちゃんに向かって吐き捨てた。それを聞いたおじちゃんが、まるで自分のことのように悔しがった。そのあと僕らはまた、やることもなかったので、ダーリンハウスへ戻ることになった。
「いったい、どういうことなんだろうねえ――」
おじちゃんは首をかしげて、うなり声をあげている。それにしても、これだけ真剣な顔が似合わない人も珍しい。その上僕は、おじちゃんの学歴に関して少なからず疑惑を持った。こんなに簡単なことが、東亜大学まで卒業しているおじちゃんになぜわからないのか、それを考えると、本当に不思議である。
ダーリンの声は僕らには聞こえない。なのに光だけは会話までできる。こうなったら事実関係は明らかで、まちがいなく、光のやつがうそをついている。小学生にだってわかる話だったし、僕の家の近所なら、犬や猫でもやつのそばには近寄らない。
「うそじゃないもん」
光はまるで超能力者のように、僕の心を見透かした。うそつきであることはまちがいなかったが、やつには非凡なところがあるのも事実である。
「わかってる。光ちゃんがうそをついてるなんて、誰も思ってないさ」
おじちゃんは独身だけど、一生、独り身を貫いたほうが安全だと思う。普通の女の人は、光と同じような資質にみんな恵まれている。
「僕らにはない能力が光ちゃんにはあるんだ。いや、ひょっとするとダーリンが、光ちゃん以外には話しかけようとしないのかも」
常人にはない能力を光のやつが持っているのは、確かである。だけどそれは、ひきょうでこそくな性格の上に世渡り上手というだけで、そんなものに心を開く宇宙生物がいるなんて、絶対にあり得ない。
「光ちゃん、会話の内容を、もっと詳しく聞かせてくれないかな」
おじちゃんはどこまでも、あきらめの悪い人だった。
「フュースはダーリンのパパだって言ってたよ。それからね、とても仲良しなんだって。だからダーリンはフュースのことを、すごく自慢したりするの」
「そうか――じゃあなぜ、フュースはダーリンを食べたりするんだい」
ハウスの中はいきなり異次元の世界に様変わり、できることなら僕だけは、どこまでも正気でいたかった。
「ダーリンは食べられるわけじゃないんだよ。時期が来たらフュースの中で死ぬんだって、そう言ってたよ」
――そんなばかな、あのフュースがダーリンの棺おけだというのか。
「すごい発見だ……これで謎がなんとか解けそうな感じがする」
どんな謎が解けそうなのか、気にならなかったと言えば嘘になる。だけどおじちゃんの様子がなんとなくおかしかったので、僕は話しかけるのをしばしためらった。
「だから二種類の生物は何万年も共存できたんだ。フュースはダーリンの生を奪ってたわけじゃなくて、死を迎えるダーリンを体内へ送っただけ――」
おじちゃんの様子に、不気味な変化が混じっている。小刻みに震える唇と、ビー玉を磨いたような瞳には、近寄り難いものが確かにあった。そんな雰囲気に気を遣い、僕は遠慮気味な態度を貫いた。それなのに、光のやつはどこまでも無神経と言ってよく、よせばいいのに、危ない目つきのおじちゃんに向かって声をかけた。
「どうかしたの、おじちゃん」
「別になんでもないさ。ただね、光ちゃんのおかげで、ようやく突破口が見つかったんだ」
案の定、おじちゃんが光のそばで跪き、訳のわからないことをしゃべり出した。
「ダーリンはフュースの体内で、治癒素の塊に姿を変える。しかもそのあとウンコになって、体の外に出るんだ。ウンコはダーリンのエサとなり、新たな生を産む役目を負うにちがいない。それにしても、なんて合理的な関係なんだろ」
前にいる光は訳もわからず首をかしげて、かわいいポーズを取った。
「とにかくさ、フュースがダーリンを食べてるわけじゃなかったから、食べ尽くすなんてことは、あり得ないわけだ」
おじちゃんはそう言いながら、僕に向かってにんまりと笑ってみせた。
「その上この関係には、親子のような愛情がきっとある。すばらしいとは思わないかい。これこそが本物の奇跡だ」
僕はいまだに納得できずにいた。棺おけをパパとは呼びたくないし、ママだってとても愛を語るとは思えない。
「ダーリンやフュースには、いまだに謎な部分が多いんだ。彼らがどういう風に繁殖するのか、それさえもよくわかっていない」
「それをおじちゃんが突き止めたって言うの」
もしそうなら、すごいことだと思う。
「残念ながらそうじゃないんだ。僕は光ちゃんにヒントをもらい、ようやく謎の入り口に立つことができただけだ」
おじちゃんのまなざしは柔らかく、僕と光の顔をじっくりと見比べながら話している。
「フュースの中で死を迎えるダーリンに、なにか秘密があると言うのは、光ちゃんの今の話でよくわかったし、ひょっとすると、彼らはもともと一種類の生物だった可能性まである」
「だけど全然、似てないし」
いくらなんでもそれは、おじちゃんの思い過ごしだ。
「似てるかどうかなんて、さほど重要なことじゃないんだよ。エネルギーを摂取するために、一つだった体が二つにわかれ、ちがった形に進化することだってある」
訳がわからない――しかも僕がちょっと黙ったすきに、しばらく影の薄かった光のやつが、僕らの話に遠慮なく割り込んできた。
「それよりね、もっと大事な話があるの。ダーリンは泣いてたんだよ。はやく帰らないともうすぐ死ぬって。ここで死ぬのはいやだ。フュースの中で死にたいよって、泣きながらわたしに訴えたの」
それを聞いたおじちゃんは、顔を真っ赤にしながら体を震わせた。
「繁殖するためにはおそらく、ダーリンはフュースの体内で死ぬ必要があるんだ。だから光ちゃんに助けを求めた。地球で死んだら、新たな生命体が生まれることもないんだろう――ああ、僕だって、今すぐにでもダーリンを月に返してあげたいよ。だけど僕にはそんな力なんてない。あまりにも無力だ」
おじちゃんは髪の毛を両手でつかみ、引きちぎらんばかりに振りまわした。
「なにか方法はないの」
僕までのせられて、そんなことばを口にした。
「みんながこの事実を知れば、あるいはダーリンを月に帰してくれるかもしれない。だけどどれだけの人が僕らの話を信じてくれるだろうか。それを考えると、くやしくてくやしくて涙が出るよ」
そう言ったあと、おじちゃんは黙り込んだままで、しばらくうつむいた。そのあと顔を上げて、今度は力のこもった声で僕らに向かって語りだした。
「でもさ、あきらめちゃだめだよね。僕らにできることはたった一つだ。たくさんの人にこの事実を訴えるんだ。世界中の人がこのことを知れば、必ず多くの人が耳を傾けてくれる、そう信じるべきだ。世の中っていうのは、そんなに捨てたもんじゃないし、僕は生涯をかけて、光ちゃんが言ったことを証明してみせる」
力強く、そして熱っぽく、おじちゃんは目をむきながら、僕らに向かってつばを飛ばした。
「それにしても、今ZOOにいるダーリンを助けるためには、あまりにも時間がなさすぎる。なんとかならないものだろうか」
おじちゃんは天井を見上げながら、ため息をついた。
「そうだおじちゃん、東亜大学研究所に連絡を取ればいいよ。おじちゃんが話せばきっと、協力してくれるはずだ」
僕の考えはうまくいきそうな予感がした。誰かに物事を信じてもらおうとすれば、必ず肩書が必要になるし、それが日本で一番の大学ならば、申し分ないと言える。
「連絡はしてみるけど、おそらくは無理だ」
「そうかなあ」
「研究者を動かせるほどの証拠がそろってるわけでもないし、会話できるのが光ちゃんだけでは、話にもなにもならないよ」
確かにおじちゃんの言うとおりかもしれない。光が証人だというだけで、信ぴょう性は確実に下がる。
「ママにテレビで話してもらったら」
僕の意表をついて、光のやつがとんでもないことを言いだした。
「そうか、君たちのお母さんって、ネットテレビ局に勤めてるんだったね。今朝の電話でも確かそう言ってた」
「ママがおじちゃんに電話をしたの」
なんだかいやな予感がした。
「ああ、昨日のことを謝ってくれたんだ。だけど君たちのお母さんが、僕らの言うことを信じてくれるだろうか」
「無理に決まってるよ。ママが信用するはずなんて、絶対にない」
――おじちゃん、昨日のことを思い出したほうがいい。ママはあのとき、まちがいなくおじちゃんの死刑を望んでいた。
「でもあきらめたら、かわいそうだもん。ダーリンはもうすぐ死んじゃうんだよ」
そんなことを言いながら、光は両手で顔を覆ってうずくまる。
「やめろ、僕には泣きまねなんか、通用しないぞ」
それにしても、なんてあざといやつなんだ――だけどおじちゃんは光のうそに免疫がなく、大きく肩を揺らしながら息を吸い込んで、相当、入れ込んだ顔をした。
「わかった。君たちにも、それからお母さんにも絶対に迷惑はかけないよ。僕の責任でネットテレビを乗っ取り、ダーリンを助ける方法を、なんとか考えてみる」
「おじちゃんって、すごくかっこいい」
頼むから、僕だけは巻き込まないでほしい。
「それはそうと、いったいお母さんのテレビ局って、どこにあるんだい」
「F1シティだよ」
光のやつには隠しごとなんて、絶対にできないと思い知った。
「君たちは局に行ったことがあるのかい」
「何回かあるよ」
「中に入れるのかなあ」
「普通の人なら無理だけど、お兄ちゃんならきっと入れるはず」
これはまさしく誘導尋問だった。光のやつはなんでもぺらぺらしゃべる。
「君たちには迷惑をかけないからさ。ぜひ僕に協力してほしいんだ。あとの責任は誓って僕だけで取る」
「だめだよ」
必死に抵抗した。
「無理は承知さ。だけどね、世界中の人に訴えるためには、それしか方法がないんだ」
「すごいすごい、やろうよ、おじちゃん」
人の気も知らないで、無責任にも光のやつがおじちゃんをおだてあげる――なんてひきょうなやつなんだ。
「焦らずに、落ち着いて考えたほうがいいと思うんだ。もっとうまい方法が、必ず見つかるはずだ」
僕は平和な暮らしが欲しかった。
「卓君、僕だって冷静に考えてみたよ。けどね、これはまさしくノーベル賞ものの発見だと言える。永遠に光ちゃんの名前が、歴史に残るかもしれない。それほど重要な使命を、僕らは神様から託されたんだ」
――危険だ。光の名前が歴史に残る? そんなことになったら、いったい僕はどうしたらいいんだ。
有名な妹の兄、そんなレッテルをはられて、まともな人生を送れるはずがない。光は一躍世界中から注目されて、テレビ局のインタビューを受ける。僕はその横で、光のかばんを持ちながら愛想笑いを生放送。それを見て、陰口をたたいたりするやつが、世間には至る所にいるはずだ。『同じ兄妹でも全然ちがうわねえ』そんな声にも耐えなければならず、そればかりか人目をはばかりながら、光のあとを黙々とついて行くだけの人生しか残らない。そんなときふと、僕は昔を振り返る。いったい僕の人生はどこで狂ってしまったんだ。そうだあのとき、なぜ僕はダーリンを助けようとしなかったのか。
こうなる可能性は極端に低いが、おじちゃんの学歴がどこか不気味に思えてくるんだから、たまらない。そう言えば、人生にはギャンブルも必要なのかもしれないと、いきなり考えを改めた。
「どうやってテレビ局を乗っ取るつもり?」
とりあえず、おじちゃんの計画くらいは聞いてみようと思った。
「ようやくわかってくれたみたいだね」
おじちゃんは僕の変化を感じ取った様子である。にたりと笑いながら、立ち上がった。そのまま部屋の隅にあるロッカーに近づいて、そこから弁当箱のような物を取り出してくる。
「これを知ってるかい」
さげてきた物を僕らの前に差し出しあと、おじちゃんはなんだか自慢げに、小鼻をひくひくと動かした。
「これはバルゴン、いわゆるパニック系の玩具なんだけど、オモチャと言ってもばかにできないような機能があるんだ。このボタンを押すと無害の煙が吹き出して、みんな火事だと思ってパニくるはずだ」
そう言えば思い出した――バルゴンは一時期すごく流行したが、あまりにも悪質ないたずらが多発し、そのために社会問題となり、確か今では発売中止になっているはずである。
「これをビルに仕掛けて火事を装い、みんなが避難したすきに、世界中にメッセージを流すという筋書きさ」
おじちゃんに期待した僕がばかだった。東亜大学を卒業しているのであれば、もっとスマートな方法を考えると思ったのが大まちがいである。煙で脅かしてテレビ局を乗っ取るなんて、まるで強盗殺人のような手口じゃないか。そんな肉体労働者的な計画では、とても成功するとは思えなかった。
「ほかに方法はないの。例えばさ、そこにあるコンピューターでハッキングするとか」
「だめだよ。僕はコンピューターには詳しくないんだ」
「IT関係に強い友達とかいないの。その人に頼もうよ」
「いない」
「じゃあ、テレビ局を乗っ取ったとしても、どうやって放送するのさ」
まるで意味がない――バルゴンでいたずらするだけで、終わってしまいそうな予感がした。
「サーバーくらいは、どうってことないさ」
おじちゃんはそんなことを言いながら、こぢんまりとしたまなこをいっぱいに広げ、どこまでも自慢げな表情を隠そうともせず、ゆるんだ口もとから、あとのことばをひねり出した。
「ネットテレビが普及しだしたころね、僕も一度、テレビ局に見学しに行ったことがあるんだ。仕組みは簡単なんだよ。カメラからの映像をファイルに落とし、それを世界中のサーバーに向けて配信するだけだ。一見しっかりしたセキュリティーのようにも思えるんだけど、内部からの操作にはもろいもんさ」
「ねえ、それっていつ頃の話なの」
「確か、五年くらい前かな」
頭が痛くなってきた――IT業界の進歩の速度はジェット機並みで、五年前なんて原始時代とまったく変わらない。
「おじちゃんの計画には、がっかりしたよ」
まるで恐竜がF1マシンに乗り込んで、やたら目立ちたいもんだから、その辺を走りまわってあがいているような感じである。恐竜ならまだしも、みんなに興味を持たれて、お巡りさんもなんとか大目に見てくれるかもしれないが、僕らにはそんな希望なんてまるで皆無、まちがいなく世界中の人から責められる。
もちろん、ママは恐竜だって許さない。
いくら説得してみても、思いとどまる気配のかけらも見えず、そのうち光までがのんきなことを言いだした。
「おじちゃん、今からすぐに行くんだよね。ひょっとして、わたしもテレビに出演してもいいの?」
なにか勘違いをしている。
「当たり前じゃないか、今回のことは光ちゃんが主役なんだよ。さあ行こう。ダーリンの命を守るため、世界中の人に訴えるんだ」
おじちゃんと光はいきなり両手を突き上げて、「おおお」などという叫び声をあげている。僕もつられてポーズを決めてしまったのだから、群集心理というものは恐ろしいものである。しかも僕らはなんとこれから、テレビ局に向かって出発するらしい。悪夢としか思えなかった。
最後まで抵抗を試みたがそれも無駄、こうなったらどんな事態に遭遇しようとも、おじちゃん一人で必ず責任を取る、そう約束してもらい、結局、僕も同行するしかなくなった。
ZOOの出口を出ると、リニアモーターカーの駅が見える。
「おじちゃん、昼間から無断で出かけたりしても、仕事に支障はないの」
僕の問いかけに対して、おじちゃんの顔がわずかに引きつった。
「今は仕事どころじゃないだろ。ダーリンの命と人類の未来がかかってるんだ」
おもむろにおじちゃんは光と腕を組みながら、スキップを踏んだ。それを見せつけられる僕としては絶望感がいっぱいで、いまさらながらに一緒に来たことをひどく後悔した。どう考えても二人の呼吸があそこまで合うのは不自然に思えたし、当然のことだが、世界を救うコンビにはとても見えなかった。
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