第14話 というわけで、なぜか今日もまた、僕らはZOOへ行くことになった。
昨日は悪い夢を見たし、今朝は学校にも遅刻した。しかも途中で気分が悪くなり、お昼前には早退する羽目に陥った。僕はあまりにも精神的な重圧に弱すぎる。そのせいかどうかはわからなかったが、足取りも重く、普段なら十分ほどで帰れる道のりであったのに、倍の時間を費やした。
「お帰り、お兄ちゃん」
驚いたことに、リビングにはもう光の姿があった。
「お前、学校はどうしたんだ」
いくら問い詰めても、光はつれないそぶり、ほおを赤らめながらうつむいて、なんだか妙に悩んだふりをする。そんなやつの姿を紫外線がまだらに照らしている。それを見ているとなんとなく、不気味な殺気を感じてしまうのだった。
「光、今朝、ウンコは出たか」
とりあえず聞いてみた。僕は光のウンコの状態がとても気になった。フュースの排せつ物を食べた光のやつが、もしも怪物に変身するのだとしたら、その兆候はおそらくウンコに現れるはずである。
「どうなんだ。僕の質問にはっきりと答えてみろ」
いくら問いただしても光は僕を完全に無視、それどころか不機嫌そうにまゆを寄せながら、鋭い目つきで僕をにらんでいる。
「お前、ひょっとして便秘なのか――」
やつは黙ったままで、そっぽを向いた。そのくせ横目で僕の様子を監視することも忘れていない。そのしぐさは『悩み事相談室』へ通っている、向かいの咲ちゃんとあまりにもそっくりで、僕は理由もなくどきりとした。
光の抱えている問題が普通の悩み事ではないだけに、やっかいだと言えるし、本来なら兄である僕が相談に乗ってやるべきなんだろうけど、ウンコの悩みに答えられるほど、僕にしたって経験がないというのが正直なところである。
「お兄ちゃん、昨日のことは絶対に誰にも言わないでほしいの」
「昨日のことって、いったいなんの話だ」
――おかしなことを言うやつだ。
「だから、昨日のこと、全部だよ」
僕はもう一度、ZOOで起こった出来事を心の中でなぞってみた。光がフュースにおびえてオシッコを漏らし、それにも懲りずウンコをむさぼり食ったこと、あの光景を思い返すだけでもぞっとした。容器の上にまたがった光の姿はおぞましい限りで、兄である僕でさえ、住民票を書き直そうかと迷ったほどだ。
なるほど、そう言うことか――ようやくすべてを理解した。こうなってしまうと仮に光が怪物に変身したとしても、僕の安全はあっさりと保障された。もはや悪魔だって怖くない。
光は昨日のことをひどく気にしている。
当たり前の話だ。普通の人間ならば、とても考えられない行為だったし、一生恥じるべきだと断言できる。しかもその事実を僕は全部、知っている。あの場に立ち会っていたんだから、生き証人と言い換えても差し支えなかった。その上この事実を僕が知っている限り、光が僕に逆らうことは決してないはずだ。光というやつはどんな悪魔に変身しようとも、見栄を張ることだけは絶対に忘れない。この辺りはママとまったく同じである。
とにかく、見えっ張りの怪物ならば全然、怖くなかった。
もしも光のやつが僕を襲おうとしたら、近所の人に昨日のことを全部、言い触らしてやる。回覧板でまわすのもいいだろうし、学校新聞やPTA会報なんかを使ってもかまわない。そんな僕のひきょうな性格を、光のやつはいやと言うほど知り抜いている。
心臓はいきなり落ち着きを取り戻し、細胞はストレッチを繰り返しながら、生き証人などと叫んでいた。僕はようやく安心を得て、テーブルの上に置いてある固形フードにかぶりついた。
「昨日の、あの恥ずかしい行為を、誰にもしゃべるなと言うわけだな。まあ、それはお前の出方次第だ」
僕は慎重にそう答え、横目で光のやつを警戒することも忘れなかった。
「出方ってなによ」
光は鼻の頭を天井に向けながら、不満そうな顔をした。
「僕は男だから約束は必ず守る。だけどもし、お前が僕に対して危害を加えようとしたら、はっきり言うが僕ののどは全開する。言っとくが、僕の言い触らし方は相当ひきょうだ。しかも昨日のことを話したくて話したくて、うずうずしてるんだから、僕を襲うなんて言う考え方は、絶対に改めるべきだと思う」
われながら、迫力にあふれた言いまわしであったと回顧した。仮に光が弁護士を雇ったとしても、今の僕を黙らせることはできないだろうと確信している。
「お兄ちゃんって、ほんとに信じられない性格だよね。とにかく絶対に誰にも言わないと約束してよ。でないとわたしにも、考えがある」
――考えがある? もし約束を破ったら、襲って食うということか。あまりのことに食欲が一気に減退した。
「なんでもいいからさ、はやくZOOへ行こ。ねっ、お兄ちゃん」
光はそう言ったあと、不気味な笑顔をこちらに向けた。それを間近で見つめる僕は生きた心地もしなかった。というわけで、今日もまた、僕らはZOOへ行くためにマンションを出た。
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