第7話 怪獣、フュースの登場。
さあいよいよだ。フュースに会える。電気が通ると、スピーカーが荒い息を吐き出した。音がやんだと思ったら、今度は画面が真っ黒に塗りつぶされて、次には薄ボンヤリと光るドットがいくつも現れた。それらは像を成すために、まるでそれぞれが生命を宿しているかのように、モニターの中をすばやく移動した。やがて輪郭は奥行きを手に入れて、薄暗い画面の中で踊り出す。灰色の影は徐々に、鮮やかな色に変化した。
「この子がフュースなの」
光が質問した。
「そうだよ」
それに答えるおじちゃんの声も、耳もとにあった。今やフュースの姿をモニターが鮮明に映し出している。皮膚はまるで古くなった金属を侵すさびのよう、今にもぼろぼろと、めくれ上がってしまうような錯覚があった。ただし色は赤ではなくて、緑に黒をしこたま混ぜたような感じである。しかもやつのすぐそばで、ウジ虫のような白い粒がいくつも飛び跳ねている。
それにしても、なんだかすごい。
十七インチのモニターに収まった宇宙、それが僕らの目前に広がっていた。その上フュースはひどく不細工なやつで、あれが合理的だと言うんなら、僕は決して外見には機能性を求めたりはしないと誓うのだった。
ため息を漏らしながら、目を凝らす。もう一度、彼の姿をくまなく観察した。
首の上には丸い突起物がぶら下がり、その真ん中には大きな穴が開いている。人間の顔の作りに置き換えればおそらくあれは、鼻の穴にちがいない。本来ならその上にあるはずの目は、蛇のようにとぐろを巻きながら、用心深く辺りを探っていた。だけど近くに口らしき物は一切確認できず、胸にある裂け目がそれではないかと予想した。その奥には牙らしき物も見えている。あの中にダーリンがのみ込まれる場面を想像すると、僕はやりきれない気持ちでいっぱいになった。
「なんておぞましいやつなんだ」
思わずそんなことばを漏らしてしまう。
「確かにダーリンとはちがい、フュースはかわいいとは言い難いよね」
おじちゃんが僕の独り言に応えてくれた。
「でもこのフュースの体内で、生命を維持するための物質が生まれてるんだ。それは人類の未来にとっても、重要な意味を持ってるし、もちろんフュースがいなければ、ダーリンだって生きられやしない。それを考えるとね、僕にはどうしても、こいつの姿が醜いとは思えないんだよ」
おじちゃんが一生懸命、フュースをかばっている。
僕らはモニターを見ながら、しばらくフュースのことについて語り合った。有意義な話題だったと思うし、おじちゃんの優しさも十分に理解できた。そんなとき、僕はおかしなことに気がついた。
フュースの姿を見てから不思議と光の存在感が薄く、もじもじとひざを動かしたりするだけで、あのうるさいやつが一切、しゃべることもなくなった。それが少し気になったので、僕はおじちゃんとの話を中断して、隣に座るやつの姿に注目した。
普段なら、僕らの話にずうずうしく割り込んでくるはずの光、それが声一つあげるわけでもなく、お地蔵さんのような格好のままで鎮座している。
なんとなく、いやな予感がした。
人間には予知能力というものがあるらしい。虫の知らせや枕元に立つ、そんなものだってあるんだと、月曜日の夜九時から始まる、『なんでも不思議』という番組で司会の人が話していた。
それがどうやら、僕にも起こったみたい。
もう一度やつの周辺を、注意深く観察した。すると僕の視線に気づいて、光のやつが愛想笑い。そのあと体を一度、ぶるんと大きく震わせた。そんなしぐさでさえも、僕には不審に思えてしかたなかった。とはいうものの、取り立てて特別、怪しいと思えるようなところもなかったのだが、ただ一つ、気になることがあったので、それに対してしっかりと目を凝らして確認してみた。僕らが腰の下に敷いている段ボールの箱が、どことなく不自然である。さっきまでとはほんの少し、見た目がちがっていた。
――あの箱は確か、きつね色だったはずだ。
なのに今は焦げ茶色に変色している部分が目立ちすぎ――光のお尻の辺りから床にかけてが一番ひどかった。顔を近づけて確認すると、こんもりと立ちのぼる湯気の存在にまで気がついた。
しかもそれには、どことなく臭気がある。
こうなってしまうと不審どころか異常な事態と言ってよく、状況を把握したとたん、目の前が真っ暗になって、光の姿でさえもかすんでしまう。やつが着ている洋服はお出掛け用の一張羅なわけで、もしもそれを汚してしまったら、いったいママからどんな目にあわされるのか、想像しただけでも恐ろしかった。しかもその仕打ちを受けるのが、当の本人だけであればなんの問題もない。
――人ごとだ。
だけど世の中はそんなに甘くはない。ママに言わせると、光の不始末はいつも僕のせい、その上、僕の失敗はやっぱり僕の責任だと言うんだから、どう考えてもおかしいような気もするが、女王様的な性格に充ち満ちたママには理屈なんてどこまでいっても、通用しなかった。僕の十二年間の歴史が、それをむやみに主張していた。
やがて光のやつが、哀れな顔でこちらを向く。
「お兄ちゃん――」
どうしようもなく、情けない声だった。
「おじちゃん、どうやら光がオシッコをちびったみたいだ。なんとかしてよ」
「えーっ、えーっ」
僕のことばを聞いたとたん、おじちゃんがいきなり叫び声をあげた。その慌て方を目の当たりにして、僕はおじちゃんの人間性をかいま見た。
――絶対に、のろってやる。
はっきり言うが、ああいうものを子どもに見せるときには、事前にある程度の心の準備というものが必要で、それにしてはおじちゃんの説明は相当な舌っ足らずとしか言いようがなく、光がオシッコをちびったしたとしても、兄である僕としてはそれをどうしてもなじれなかった。
「困った、どうしたらいいのかさっぱりわからないよ。僕はまだ二十五歳独身で、子どもどころか結婚だってしたことがないんだ。そんな僕が女の子のお漏らしの後始末をするなんて、とてもじゃないけどできるはずがない」
なんて言い訳がましい人なんだ。結局のところ、オシッコまみれのパンツなんて、汚くて触れないと言いたいにちがいない。
言っとくが、僕だってまったく同じ気持ちだと白状したい。
とにかくひきょうでこそくなおじちゃんは、訳のわからないことをほざきながら、意味もなく部屋中を歩きまわった。おまけに外の気配が相当、気になるらしく、別人のような身軽さを見せて窓のそばへ忍び寄る。そのあとパープルのカーテンを、すばやく閉めた。その姿はまるで、テレビでよく見かけるサスペンスの犯人のようだった。
こうなったら、僕がしっかりするしかない。
「おじちゃん、なにか着替えを用意してほしいんだけど」
「着替え? 着替えと言ったって、僕のジャージーくらいしかないよ」
この際なんでも着せるしかない。
「それで構わないよ」
僕のことばを受けて、おじちゃんは部屋の隅っこにあるロッカーの扉を開けた。そこからグリーンのジャージーを取り出した。そのあと光のそばに近寄って、どこまでも遠慮気味な態度でお願いを始めている。
「光ちゃん、これと着替えてよ」
だけど光のやつは相当、ご機嫌斜め。
「光、はやくしろ」
やつの様子を眺めていると、いらいらした。
「わかったから、そんなに大きな声を出さないでほしいの。それからね、二人とも着替えが終わるまで、あっちへ行っててよ」
この期に及んでも、まだ女の子ぶることをやめないなんて、ほとほとあきれ果てたやつだ。
「言っとくが、僕はお前の着替えをのぞくほど物好きじゃない」
だけどよくよく考えてみれば、おじちゃんの場合はわからない。
「ほんとに手のかかるやつだ。しかたがないから、お前の言うとおりにしてやる」
光にそう言ってからおじちゃんに目で合図をし、そのまま部屋の外に出た。カウンターに背中を向けて、おじちゃんと並んで立った。そのうちおじちゃんが僕に向かって、小声で話しかけてくる。
「洗濯機があるよ。乾燥機まであるんだ。すぐに乾かしてあげるからね、そんなに深刻な顔をしないでよ。まさかこんなことになるなんて、夢にも思わなかったし、全部、僕のせいだと責任を感じてるんだ」
おじちゃんが耳もとで、しつこく言い訳を繰り返していた。それを聞いていると、なんだか無性に腹が立ってきた。
「どのくらいで乾くのさ」
「洗濯と乾燥で、二時間くらいかな」
ため息をついてから顔を上げた。壁にかけてある丸い時計に視線を向けた。時刻は四時を少しまわったところである。服を洗濯して乾かすのに二時間もかかってしまうと、どうやら際どいことになりそうで気持ちが急いた。ママは六時ごろマンションに戻って来る。いつもどおりなら、ママよりもはやく僕らが家に帰るのは難しいように思えた。
「もっとはやくしてよ」
「わかった。すぐに始めるからね」
おじちゃんはそう言ってから、背後に向かって大きな声で呼びかけた。
「光ちゃん、もういいかい。はやく洗濯を始めないと、お兄ちゃんにしかられちゃうんだよー」
必死なおじちゃんとは対照的に、光のやつはあまりにものんきな構えである。うんうんうなるばかりで、いいのか悪いのか見当すらつかなかった。
「どっちなんだ、ちゃんと返事をしろ」
「そんなに言うんなら、別にかまわないけど――」
光はようやくそう答えたが、なんだか煮え切らない返事をした。だけど汚れた洋服を、できるだけはやく洗濯機にほうり込む必要があったので、いつまでも待ってばかりはいられなかった。まさしく今の状況は、時間との戦いだと言える。ひじを突っ張っておじちゃんの腕を押す。タイムリミットが来たことを、僕は態度でわかりやすく表現した。それからすぐに通路を抜けて、奥の部屋に足を踏み入れる。
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