第3話 ママから光に受け継がれたDNA。
「卓、もう寝ないとだめよ」ママのそんな声が聞こえてきたからしかたなく、僕は自分の部屋へ戻ることにした。だけど光のやつも一緒なわけで、詰まるところ、ここは僕だけの部屋ではなくて、僕ら二人の部屋だということになる。
早速、パジャマに着替えて二段ベッドの下で、横になった。僕らのベッドはゾウやらキリンやら、動物の絵が至る所に描いてある。光にはいいかもしれないが、僕には少し子どもっぽいような感じがした。
「お兄ちゃん」
上のベッドから、光の声がした。
「もう寝ちゃったの」
本当にしつこいやつだ。
「なんだ」
「ZOOで会ったおじちゃんのところへ、今度、二人で遊びに行きたいね」
また始まった。光のやつは大人の扱いが驚くほどうまい。しかも取り入り方が尋常じゃなくて、とても人間業とは思えないような声を出す。
「あのおじちゃんならきっと、ダーリンのことに詳しいはず。だから知らないことを、いっぱい聞けると思うの」
「今どきダーリンの話題なんて、流行らないじゃないか。第一、知らない人には気をつけろって、ママがいつも言ってるだろ」
「でも、あのおじちゃんは優しそうだったよ」
「そうかもしれないけど、愛想がいいからと言って、気を許すのはよくないぞ」
この世の中で、口のうまい大人ほど怖いものなんて、他にはない。はっきり言うが、僕はその証拠を何度か目撃したことがある。
たまに家に押し売りがやってくる。昼間はママが留守で、応対に出るのはたいてい僕ということになる。その人なんて僕のことを坊ちゃんと呼ぶ。坊ちゃんと呼ばれれば、誰だって悪い気はしないわけで、不覚にも心を許し、一度だけアイドル日記帳を五百円で買ったことがあった。ところが明くる日、百円ショップで同じ物を見つけたときの衝撃は、ママにだまされてかん腸されたときと、うり二つである。あれだけは、絶対にいやだ。
「月にはダーリン以外にもう一種類、フュースっていう生き物がいるんだよね」
光のやつが、またおかしなことを言いだした。
「そんなことは今や、誰もが知ってる話だ。一時期テレビで、毎日のように放送してた」
「でもすごいよね。月にも生物がいたなんて、わたしなんか今でも信じられないよ」
「ほんとはな、だいぶ前から月の生物は確認されていたんだ」
「だいぶ前って――五年前に発見されたんでしょ」
「ちがう。もっと前からだ」
「うそばっかり」
「お前じゃあるまいし、僕がうそなんかつくもんか。なぜかは知らないけど、何十年にも渡ってダーリンやフュースの存在は隠されていたんだ。学校の先生の話だから、まちがいない」
「誰が隠してたのよ」
「知るか、そんなもん」
「でも驚いた。わたしは五年前にダーリンが、産まれたんだと思ってた」
「そんなわけないだろ。公式発表されたのが五年前というだけで、ダーリンやフュースは何万年も前から月で暮らしていたんだ」
「お兄ちゃんって、ダーリンやフュースのことについて、やたら詳しいんだね」
「まあな、テレビの特番なんかはたいてい、欠かさず見てる」
「ところでさ、フュースっていうのは怪獣で、それもすごく凶暴らしいよ」
「知ったかぶりをするな。フュースは誰も見たことなんてない。あまりにグロテスクな生き物だから、テレビでは放送できないといううわさが立っただけだ」
「それで隠してたんじゃないのかな。フュースのことをみんなが知ったら、きっと怖がるだろうから」
「そうかもな」
確かに見た目というものはかなり重要で、地球上の動物なんかでも、姿形で損をしている生き物なんて山ほどいる。だけどそれもこれも、あくまでも人間が基準ということになるんだろうけど――。
「あぁあ、フュースのことやダーリンのことを、もっともっと知りたいなあ」
いきなり読めた。おそらく光のやつは、僕のほうからZOOへ誘うようにとし向けている。そうなれば、入園料も僕が支払うだろうと予想してのことだ。
――なんてずうずうしい考え方をしてるんだ。
言っとくが僕だってまだ子どもだ。その僕に対して、平然とおねだりを繰り返すなんてあり得ない。
「ダーリンってね、すごくデリケートな生き物らしいよ」
「知ってる」
「檻だって特殊なんだよね」
「あの中にいるダーリンは、外の様子を見ることも聞くこともできないんだ」
「でもあの檻って、透明なのにおかしいね」
「ロイドセルとか言う樹脂を使ってるから、一方通行のコミュニケーションしか取れないようになってるんだ。確か、キッドサイエンスとか言う雑誌に書いてあった」
「外が見えないということは、ひょっとして、ダーリンってわたしたちのことも知らないの」
「そりゃそうだろ。やつだけじゃなくて、地球上のほかの動物たちだって似たようなもんじゃないか。それにダーリンは、地球では長生きできない生物なんだ。ZOOでも一週間以上、生き延びた例は一度もない」
「ふぅん――じゃあ今いるダーリンが死んじゃうと、また別の子を月からさらってくるんだね」
「さらうっていうのは、ちょっとちがうように思う」
「だったら、なんて言うのよ」
「捕獲してくるんだ」
日本語って、本当に難しい。
「ちっとも知らなかった」
「ほかの動物の姿形なんて、人間にはほとんど同じように見えるから、ZOOにいるダーリンはずっと、一匹だと思っていたのかもしれないけど、実は毎年入れ替わってた。だけどもう次はないんだ」
「ほんと?」
「今のやつで最後らしい。あの檻も撤去するみたいだ」
「寂しくなるよね」
「そうでもないさ。最近はそれこそみんな、無関心じゃないか。それにダーリンのやつにも責任がある。あんな無愛想な態度で人気が出ると思ったら、大まちがいだ。いつも檻の中で寝そべったまま、ほんとにあいつは怠け者としか言いようがない」
「そんなことないよ」
光が大きな声で反論した。
「静かにしろ、ママにしかられるぞ」
「故郷の月が恋しいだけ。きっと寂しくてたまらないから、動けないんだよ」
「チビのくせに、なんて生意気なやつなんだ。もういい。僕は寝るぞ。ダーリンの話なんてうんざりだ」
そう言って布団を頭までかぶったが、光のやつはどこまでも食い下がってくる。
「ひょっとすると、今度はダーリンの代わりに、フュースがやってくるかもしれないね」
フュースの話になると、僕だって黙ったままではいられなかった。
「そんなはずがあるか。フュースを呼ぶつもりなら、もっとはやくZOOに来てるだろうし、それができないのは、やつが地球には向いていないからだ」
「でもね、おじちゃんがもしかしたらって、言ってたよ」
「いつそんな話をしたって言うんだ」
「檻のそばで、いろんなことを教えてくれたの」
「うそをつけ」
いくらあのおじちゃんでも、光のやつに関心を示すとは思えなかった。
「うそなんか、ついてないよ」
「じゃあ、どんな話をしたか言ってみろ」
「今度ZOOへ遊びに来たら、フュースのことをいっぱい教えてくれるんだって」
怪しい、ぷんぷんにおう。だけどもしもそれが本当の話なら、僕だってフュースのことを知りたいとは思っている。ダーリンなんかに興味を持っているのは今や小さな子どもだけだ。でもフュースの話題は僕らの間でもたまに出るし、わくわくするようなうわさばかりが先行している。
なんと言っても謎の生物フュース、実際にその姿を見たものは存在せず、それでもいまだにテレビで特番を組むと、高い視聴率を稼ぐのだと雑誌にも書いてあった。とにかくさまざまな憶測が流れ、光でなくても興味をそそられる。
僕はしばらく沈黙し、首をかしげて考え込んだ。二段ベッドの奥には大きな窓がある。それのおかげで、横になったままでも夜空の星がよく見えた。そこには真っ赤になった月も顔を出し、向こうからじっとこちらを眺めていた。
「あのおじちゃん、ほんとにフュースのことを知ってるって言ったのか」
「うん、とにかく詳しいらしいよ」
それにしても、光のやつは最後まで、自分からZOOへ連れて行ってくれとは言わないつもりだ。まるで弁護士みたいなやつだ。悪賢いにもほどがある。
「で、僕にいったいどうしろって言うんだ」
「お兄ちゃんもきっと、フュースのことを知りたいんじゃないかと思ったの」
「確かに僕だってフュースには興味がある。だからといって、お前の思いどおりになると思ったら、大まちがいだぞ」
「別にそんなつもりじゃないよ」
「はっきり言うが、お前のために今まで何度も痛い目にあってきた。こうなったら絶対に、お前の言うことなんて信用しないからな」
「あんまり人を疑いすぎ」
「お前の魂胆は見え見えで、気持ちを察していることは事実だ。だけど僕からZOOへ誘うつもりはさらさらない。あきらめろ」
「フュースのことを知りたくないの」
「別にそう言うわけじゃない」
「だったらすぐにでも決断すべき。あのおじちゃんはまちがいなく、フュースに詳しいんだよ」
しつこいやつだ。しかも、なんとなく筋が通っている。
「いやだ。絶対に僕からは誘わない」
「わかった。じゃあお兄ちゃんが一人でZOOへ行って、フュースのことを教えてもらって来ればいいじゃないの」
「確かにそうだ。それなら入園料も、一人分で済む」
「そうそう、帰ってからわたしにも、話を聞かせてよね」
確かに、名案だとは思う――。
「でもねえ、お兄ちゃん一人で大丈夫かなあ」
光にもわだかまるものが、あるようだった。
「いったい、なにが言いたいんだ」
「だからね、お兄ちゃんだけで、あのおじちゃんとうまくやっていけそう?」
それには多少の不安があった。
「確かにその心配は僕にもある。あのおじちゃんの扱いに関しては、おそらくお前のほうが何枚も上手だ。それにもうすぐ中学生になる僕が、たった一人でZOOへ行くのも不自然だと見られがち」
「そうかもね」
「その上まだある」
「なんなの」
「フュースのことを聞き出すにしても、お前がいたほうがいいに決まっている。せっかく行ったのに、僕一人だと世間話だけで終わる可能性が、きわめて高い」
「でしょ。お兄ちゃん一人でおじちゃんの相手をするのは大変だと思う。そうなっても構わないの」
「いや、それは絶対にまずい。僕の場合、大人はやっぱり苦手だ。特に男の人はなにを考えているのか、さっぱりわからない。男同士というものに、一抹の不安を感じている」
「じゃあ、いったいどうするつもりなのよ」
そう言われてしまうと、ことばに詰まる。気後れ気味に窓の外へ視線を投げた。案の定、月が赤い顔をしながら、僕をにらんでいる。しかもそこには黒いシミのような影がいくつも見え、フュースやダーリンのすみかを連想させた。それらを眺めていると、体中が熱くなってくるんだから、不思議としか言いようがなかった。
「なあ光」
「なあに、お兄ちゃん」
「お前がどうしても行きたいって言うんだったら、しかたがない。兄として、僕だって冷たい態度を貫くわけにもいかないと思う」
「それで――」
「今回は特別に、お前を連れて行ってやることにする。だけど言っとくが、絶対に図に乗るんじゃないぞ」
「わかった。ありがと、お兄ちゃん」
そう言いながら、光のやつはとてもうれしそうな笑い声をあげた。というわけで、なんと僕らは明日、二人だけでZOOへ向かうことになった。
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