第14話 side祐二
映画が終わって開放されたフロアは、これから映画を見る者と見終わった者とで混雑していた。
じりじりと進んでは止まりを繰り返し、ようやく外に出た頃には二人はすっかり熱気に当てられてしまった。それでもぐったりした祐二とは別に、真生はどことなく楽しそうな表情だ。
「あそこが面白かった」「あのアクションシーンが格好よかった」などと、頬を赤く染めて拳を握り締めたまま熱弁している。それに適当な相槌を打ちながらのんびりと足を進めていると、手前に喫茶店を見つけた。
「昼飯もまだだし、少し休憩してこうぜ」
「そうですね、賛成です。わたしもお腹空いちゃいました」
二人は連れだって店内に入った。人気が少なく、静かな音楽と小さな話声が聞こえる。ほっと息をつけるような雰囲気の店だ。
窓側の奥の席には三十代と見られる主婦の集団が陣取り、午後のお茶を楽しんでいる。かと思えば、仕事中なのかパソコンを開いてコーヒーを片手にした背広姿の男がいたり、子供連れの親子いたりと数は少ないものの、その種類は多様だ。
二人は人の少ない奥に進むと、壁側の席に着いた。祐二はさっそく上着から煙草を取り出し、ライターで火を付ける。じっくりと肺に煙を満たして、ようやく人心地ついた気分になった。
「あ、先輩、未青年なのに駄目ですって。せめて今日くらい禁煙してくださいよ」
吸い始めたばかりの煙草を真生の指先が奪っていく。
「おい、返せよ」
「駄目です。祐二先輩を肺ガンで死なせたくないですから」
真生はきっぱり答えると、煙草を灰皿に押し付けて消してしまう。引きそうにない様子に、祐二は仕方なくライターと煙草を片付ける。
「仕方ねぇ、今日だけだ」
「ありがとうございます。やっぱり先輩は優しいですね。映画で疲れちゃいましたか?」
「まぁな」
「わたしは凄く楽しかったですよ。今日のことはわたしにとって一生ものの思い出になりました。ほんとに誘ってくれてありがとうございました」
「大げさだぜ。ただ映画を見ただけで、そこまで思うほどのものでもねぇだろ?」
「いいえ、わたしにとっては祐二先輩が一緒に見てくれたってことに大きな意味が生まれるんですよ。学校っていう囲いの中じゃなくて自由な休日に、先輩と一緒にいられたんです。それだけでわたしは十分過ぎるくらいに幸せでしたから」
まるで十分満足したと言わんばかりの真生の態度に、しんなりと眉が寄る。どうしてこれで終わりのような物言いをしているのだろうか。
「ちょっと待て。お前、このまま帰る気なのかよ?」
「はい? 違うんですか? 午後まで先輩を独占しちゃうのは悪いと思ったんですけど。わたしのことなら全然気にしないでください。問題ないですよ?」
悪気なく首を傾げられて、祐二は頭を抱えたくなった。一緒に遊びに来て、どこの若者がこんなに早い時間帯に帰ろうと思うだろうか。
──いや、言わなかったぜ。確かに言わなかったけどよ、この場合、こいつに普通を求めたオレが悪いのか?
こっちは誘った時から一日がっつり遊ぶつもりでいたのだ。それなのに、彼女は変な遠慮を滲ませて、ぶんぶんと立てた手を振っている。
「一応、聞くけどな。お前この後用事でもあるのか?」
「ないですよ。後は家に帰るだけですもん」
「それならまだ帰る必要ねぇだろ。だいたい悪いも何も誘ったのはオレだろうが」
「そうですけど……でも、先輩昨日もバイトだったんでしょう? 映画館も随分込んでいましたし、疲れてませんか?」
祐二は僅かに目を見張った。その言葉で心が仄かに熱を持つ。
──こいつ……オレの心配をしてたのか。
心の何所かが指先で擽られたようにむず痒くなった。しかしそれはけして嫌なものではなく、暖かなものが心を満ちた気がした。眉尻を下げて戸惑った顔をする真生を見ていると、ふっと自然に笑みが浮かぶ。
「バイトごときで疲れちまうような柔な身体してるかよ。今日はお前に独占されてやるから、もう少し付き合え」
「……はい」
真生が戸惑いからか、はにかむように小さくうなずいた時、狙っていたのかと思うほどタイミングよく店員が現れた。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
愛想よく笑う店員に、祐二はメニューを開いてパラパラと流し見ながら、肉を中心に二、三品注文した。彼女は慌てた様子でどれにしようか悩んでいる。
「そんな悩むことか?」
「うーん。だってどれも美味しそうなんですもん。ピラフも捨てがたいんですけど、このハンバーグも美味しそうですし……」
真剣に見比べては唸っている。まるで幼い子供のようだ。喉の奥で笑えば、真生がじっとりとした目をして、こっちは切実なんですとふくれっ面をする。それにまた笑いを誘われながら、祐二はメモを片手に立つ店員に言った。
「悪りぃけど、さっきの注文を一つピラフに変えてくんねぇか? オレの分を少しやりゃあ両方食えるだろ? そんでこいつはハンバーグな」
「はい。大丈夫ですよ」
「先輩それは悪いですって。待ってください。すぐに決めますから!」
「いい。どうせ適当に注文した奴だ。悩むくらいに食べたいんだろ? オレは食えればそれでいいからな」
肉を中心に頼みはしたが、どうしても肉じゃなきゃいけないわけでもない。
「それなら、わたしのハンバーグもあげますね! 半分こしましょう」
にこにこと無邪気な顔で笑う真生に、祐二は不思議なほど穏やかな気分で頷き返した。
昼を食べた二人は、午後の街をぶらぶらと歩いた。特に何をしているわけでもないが、のんびりした時間が緩やかに流れるのを祐二は悪くないと思った。
しばらく商店街を冷やか気の向くままに進んでいると、学校の近くまで戻ってきていた。そこで二人は近くのゲームセンターに寄ることにした。そこで二人がまず向かったのは格闘ゲームである。カチカチと手元のボタンを連打しながらの攻防戦は続く。
「これでオレの勝ちだ!」
「悔しい! もう少しでわたしの勝ちだったのに!」
足技を使い一気に叩き込んだ祐二に、とうとう真生の使っていたキャラが宙を舞った。心底悔しそうに恨めしげに画面を見やる真生に、祐二はふふんと得意気に鼻で笑う。
「オレに勝つにはちぃっと早かったみたいだな? ま、出直して来いや」
「今度対戦する時は絶対に勝ちますからね!」
「それにしても、お前意外とうまいのな? けっこうやり込んでるだろ」
手慣れていた動きは明らかに素人のものじゃなかった。それを指摘してやると、真生は照れたように笑って頬を掻く。
「いっくんがこういうの好きなんで、いっつも付き合ってる内に段々腕の方も上がってきたみたいで」
親しげな呼び方に、祐二は自分に噛みついてきた彼女の幼馴染の姿を思い出す。
「あいつか……」
些かうんざりした口調で呟いた祐二に気付かず、真生は周囲をきょろきょろと見渡し、次の獲物を探している。
「祐二先輩、次はあれをしましょう」
うきうきと弾んだ声と同時に腕を引っ張られ、祐二は小さな人形の付いたストラップがずらりと並んだゲーム機の前に半ば引きずられる様に連れて行かれた。さっそくお金を落とし、真生は慎重に手元のボタンを操作する。が、どう見ても行き過ぎで止まってしまう。
真生は悲鳴を上げるが、それでも諦めずに操作している。しかし案の定と言うべきか、惜しいどころか掠りもせずにゲームは速やかに終了した。あまりの下手さ加減に唖然とする祐二を知らずに、真生はしょんぼりと肩を落として溜息を吐く。そして肩越しにちらりとこちらを振り返った。
「祐二先輩……」
その縋るような目差しに、祐二は笑いを口元に滲ませ、真生の額を拳で小突いた。
「格ゲーはあんなに上手いのに、なんでこっちはこんなに下手くそなんだよ?」
「だって、こっちはあんまりやったことないんですもん。先輩って手先が器用そうだしこういうの得意だったりしません?」
「お前のは器用とか不器用以前の問題な気がするけどな。オレの腕は今から見てりゃあわかるさ。で、狙うのはさっきのあれでいいのか?」
こくこくと懸命に頷く真生に、祐二はリラックスしたままゲームを始めた。力を抜いて操作すれば、人形は簡単に機械に挟まれる。今度は持ち上げたそれを穴の上まで持ってきて、挟んでいた機械を開けばすとんと穴に落ちた。
受取口に手を突っ込んで、掴んだ景品を真生に渡してやる。彼女は頬を紅潮させて、とろけそうな笑みを浮かべた。
「すっごく嬉しいです。ずっと大事にしますよ。あんなに簡単に取れるなんて先輩凄いですねぇ。わたしじゃ絶対十回やっても取れませんよ」
たかだかストラップを取ってやっただけで、そんな顔を見せられては、なんだかこちらの方が照れ臭くなる。
「さっきのを見ちまうと冗談でも否定できねぇな。本当にそれでよかったのか?」
それまで付けていたストラップを外し、さっそくショルダーバックに括りつけている真生に、祐二は疑問を口にした。
「へ? なんでですか? 可愛いじゃないですか」
不思議そうに首を傾ける真生に、祐二は引き攣った笑いを浮かべるしかない。彼女が可愛いと評した通り、ウサギのマスコットというのは一般的に可愛い部類に入るだろう。だがしかし彼女が可愛いと評した奴の表情を見てほしい。
眉間に深々と皺を刻み、鼻と思しき場所には先のとがった黒いサングラスをかけ、その目は鋭くこちらを睨みつけている。しかも着ている服はライダースーツと呼ぶもので、背中に喧嘩上等と書かれていた。口の端に銜えた人参といい、奴はどう見てもぐれている。
「そうか……これが可愛いのか……」
「可愛くないですか? この子ちょっと先輩に似てますよ。ほら、この煙草の吸い方とか、深く刻まれた眉間の皺とか」
「やかましいわ。そんなとこ似てても嬉しくもなんともねぇよ」
嬉々として人形を指さす真生の額を叩いてやると、いい音がした。
「でも、これなら絶対に無くさないですよ?」
赤くなった額をそのままに笑顔を見せる彼女に、祐二は胸を突かれた。たしかにこれだけ派手なら滅多なことでは失くしはしないだろう。
──だからこれを選んだのか?
「次はどれをします? 今度は先輩が選んだのに付き合いますよ」
真生の言葉に込めたれた意味に祐二はようやく気付いたのだった。
二人がゲームセンターを出た頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「なんか久しぶりに遊びつくした感じです」
のんびり歩きながら、真生は気持ちよさそうにぐんと伸びをする。
「楽しかったです。それからこれ、ありがとうございました」
「大事にしろよ? せっかく取ってやったんだからな」
何度も言われたお礼をもう一度口にして、真生がショルダーバックを嬉しそうに揺らす。それを眺めながら、ちらりと時刻を確認すれば、丁度いい時間帯だ。
「そろそろお開きにするか。送ってくから、道案内しろよ?」
「バイクに乗せてくれるんですかっ?」
「あいつが言ったみたいに傷が付いたのでよけりゃあな」
「そんなの気にしませんよ」
肩を竦めて答えれば、間髪入れずに興奮気味の真生が返事を返した。二人は他愛ない話をしながら駅に向かう。後少しで駅に着く、そんな時だった。祐二の視界の端に何かが映った。反対側の歩道にまるで何かに惹かれるように視線が流れる。
その先に目に映ったものに、祐二の目は動けなくなった。
「こ……っ」
走り去る背中に気づかぬうちに足を踏み出す。
「今の……琴美先輩?」
真生の言葉にはっと祐二は我に返った。走り去る背中を思わず追いかけそうになっていた。そんな自分に苦いものが込み上げる。
「また涼と喧嘩でもしたんだろ」
努めてなんでもないことのように言って、佑二は踵を返す。
「……先輩」
「あんまり遅くなったらまずいだろ? 行くぞ」
「先輩」
「気にするな。どうせ明日になりゃあ、ケロッとした顔してやがるんだ」
「祐二先輩」
袖を後ろから引っ張られ、とうとう祐二は足を止めた。追いたい気持ちはもちろんある。けれど、同時に彼女をこんな所に置き去りにはしたくなかった。誘った責任もある。なによりも、彼女が自分に寄せる好意を知っているのに、そんな残酷なことをしたくはなかったのだ。真生を、傷つけたくなかった。
「琴美先輩を追いかけてください」
穏やかな声がそう告げた。咄嗟に振り返れば、彼女は優しい顔をしていた。
「先輩だって、泣いてた琴美先輩が気になって仕方ないんでしょう? だったら追ってください。わたしなら一人でも帰れますから」
迷う祐二の背中を押すように、真生は明るく笑う。
「けど、お前……」
「わたしが大丈夫って言ったら大丈夫なんです。そんなことより、ほら、早く追わなきゃ追いつけませんよ? もし琴美先輩を泣き止ませられなかったら、涼先輩と二人で悪戯を仕掛けちゃいますからね」
全身で大丈夫だとアピールしている。その様子には、暗いものは一切なかった。彼女も本気で琴美を心配しているのだ。
「──悪い!」
佑二は躊躇いを振り切って、駆け出す。だから、気づけなかったのだ。自分の背中を見送った真生が、どんな表情をしていたのかを。
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