第13話 side佑二

 翌日、佑二は身支度を整えると、五分前には着くようにバイクで家を出た。メットをかぶる頭がいやに重い。涼の言葉が頭から離れなくて、よく眠れなかったのだ。


 ウィンカーを出しながら、赤信号で停車する。平日の朝よりも道路上を走る車が少ないので、スムーズに進めることがせめてもの救いだ。広い道路をバイクで疾走すれば、寝不足気味の身体を少し冷たい風が叩いて気持ちがいい。


待ち合わせをした駅は学校からは斜め後ろの方向にある。祐二の家からは学校より若干近く、メイン通りにあたる道は十分に整備されていて走りやすい。


駅の裏口から滑り込むように駐輪場に入ると、祐二は空いている場所にバイクスタンドを立てた。メットを頭から取り、バイクの後ろを開く。財布とスマホを取り出して、ズボンの後ろに無造作に突っ込むと、祐二は待ち合わせ場所に向かった。


 駅前通りは休日の影響か、行き来する人で賑わいを見せている。そこに明るい声に呼ばれる。


「先輩っ!」


 祐二が顔を向けると、ぶんぶんと手を振りまわしながら、真生が近づいてくる。今日の彼女は制服姿ではなく、ワンピースを着ていた。白い色に、淡い色の花があしらわれていて、肩から斜めに小さなショルダーバックを下げている。


 随分と女の子らしい格好だ。見慣れない姿が新鮮で、思わず上から下までまじまじと見てしまう。


「そんなに見ないでくださいよ。いくらわたしでも照れちゃいますって」

 

茶化そうとしたのだろうが、真生の頬は紅く染まっていて、照れを誤魔化しきれていない。その仕草にうっかり可愛いかもしれないと思いかけて、慌てて否定する。

 

 ──違う。断じてこいつが可愛いなんてことがあるはずがない。よく考えてみろオレ。相手はオレにラブコールだなんだとふざけたことを言っていた奴だぞ?


 一瞬、浮かびかけた自分の気持ちを祐二は徹底的に否定する。自分を好きだなんて言う真生の策略に危うく引っ掛かる所だったと内心冷や汗を拭う振りをして、うっすらと自分の気持ちに気付きながら、また目を逸らす。


「最初は映画ですよね。何を見ましょう?」


 街中に同じ速度で歩み出しながら、真生が楽しそうに聞いてくる。祐二は、せっかくだからと彼女の意見に合せることにした。


「別にどれでもいい。ただしラブストーリーだけは止めろよ」


 しっかりと、そこだけは先に釘を刺して置く。そんなものを見た日には、全身がむず痒くなりそうだ。


「残念ですねぇ。先輩とロマンチックなものを見て、盛り上がりたかったのに」


「アホか。勝手に盛り上がってろ」


「酷いです。先輩から愛を感じません」


「愛なんか最初からねぇよ」


 何処を見てもカップルだらけで、男女共に甘い雰囲気を垂れ流してるというのに、自分の相手は色気の欠片もなく、会話にはさらに甘さの片鱗もない。


 ──何かを間違えた気がすんのは気のせいか……?


 祐二は誘いをかけたあの時の自分をしばき倒したい気分に駆られた。いや、むしろ胸倉を掴んで、血迷うなと叫びたい。そんなこっちの気を少しも知らない彼女は、小さくはにかんでぽつりと呟いた。


「……なんだか嬉しいです」


「何が?」


「だって私服の先輩を初めて見ちゃいましたし。新しい先輩を発見した感じで、そういうのって、嬉しいじゃないですか」


「そんなもんか?」


「そういうもんですよ!」


 素直に自分の気持ちを言葉にする真生に、ごちゃごちゃ考えていた祐二も自然と笑みを浮かべていた。


「そうかよ……」


 並木道を歩く二人の間に穏やかな空気が流れていく。真生の側にいると、他の誰と一緒にいるよりも気が抜ける。付き合いの長い涼が相手でもこんな気分にはならないのにと、不思議に思う。


 自分からぺらぺらと喋るタイプではないだけに、初対面の人やよく知らない相手には、嫌遠されることが多いのだ。だから、こんな風に慕われることのを物珍しく感じた。彼女の人懐っこい性格もあるのだろうが。


 こっちが赤面を通り越して、砂糖を吐きそうになる程に甘い告白の数々は記憶に新しい。茶目っ気たっぷりに、時には心を込めて真剣に、あの手この手でなんとか想いを伝えようと四苦八苦する真生の姿が、頑なな祐二の我を折ったのだ。


 壁を作ろうにも、それを壊すのではなく、回り込んで僅かな隙間からするりと中に入り込んでくる。そんな彼女だから、祐二も気を許すようになったのかもしれない。


 商店街が連なる中、大きな看板を引っ下げた映画館が姿を現す。開演前の入口には映画券を買う列ができていた。話題の映画が数本、掲示板に張り出されており、二人は足を止めた。


「今、やってるのは……アクション系、感動系、SF系、ラブストーリー系ですね。どれにします? わたしとしてはアクションを押したいですね」


 以外な言葉に祐二は僅かに目を見張った。真生の性格的に、この中でどれを選ぶと言われたら、真っ先に感動系を見たいと言い出しそうな気がしていたのだ。


「お前こういうのが好きなのか?」


 真生が気でも使っているのだろうかと、祐二は訝しそうに尋ねた。


「嫌いじゃないですよ? どちらかと言えば、以前は感動系のものをよく見てましたね。それでよくボロ泣きしてました」


 真生は懐かしそうに目を細める。彼女のことだ、さぞや盛大に涙を零して、鼻を赤くしていたことだろう。その様子が目に浮かぶようで、祐二は小さく噴き出した。しかしそんな彼女の口から続いた言葉は予想外に真摯なものだった。


「けど、どんなに傍から見て感動する話であったとしても、そこに立った主人公にとっては、そんな言葉じゃ補えない気持ちがきっとあるんでしょうね。結局は他人事でしかないから感動したの一言で済ませてしまっていたんだって思っちゃって」


 微笑んだ彼女にぼんやりした曖昧さを感じて、心臓が跳ねた。空気に溶けていく蜃気楼のようだ。優しい分だけ壊れてしまいそうな様子に不安を覚えて、祐二は思わず真生に手を伸ばす。その手が触れる前に、彼女はいつも通りの笑みを浮かべた。


「もちろん、だから感動系を見なくなったかって言うと、そんなことないんですけどね。ただ「もし、自分が同じ立場に立ったらどうするのか」っていうのはよく思うようになりました。もっとも、悲劇のヒロインなんて役、わたしには全然似合いませんけど」


 真生はひょいっと肩を竦めて、悪戯っぽくぺろりと舌を出した。そこには、さっきの儚いとさえ取れしまいそうな雰囲気は微塵も残っていない。だが、自分が伸ばした手がたしかにそこには残されていて、それが気のせいでないことを祐二に教えていた。


 伸ばしかけた手のひらをゆっくりと握りしめる。いつもふざけて、あっけらかんと笑っている印象ばかりが強い彼女が、そんな風に思うことがあるだなんて思いもしなかった。


 自分とは違って、真生がもともと人の心の機微には敏感であり、その場の空気を読むことに長けているのは気付いていた。だが、その明るさから儚いなんて言葉は彼女から一番縁遠い言葉だと今の今まで思っていたのだ。


 祐二はそんな内心の動揺を隠し、真生に話を合わせた。


「……まぁ、お前みたいなのはせいぜい主人公の親友役か、脇役が妥当な線だろ。どう見たって主人公って柄じゃねぇよな」


「そんなはっきり言わないで下さいよ。わたしの繊細なハートが儚く砕け散っちゃったらどうするんですか」


「はぁ? 繊細ってお前、随分可愛らしく自分を表わしちゃいるが、そりゃあ激しい勘違いってもんだろ。図太い上に笊みたいな神経の奴からは一番遠い言葉だ。だいたい、お前みたいなのと比べたら本当に繊細な奴に失礼ってもんじゃねぇか?」


 大袈裟な仕草で右手を胸の上に置き、如何にも「私とっても傷つきました」と言わんばかりに項垂れる真生に、祐二は遠慮なく言い切った。


「せ、先輩。それ本気で傷つきますって。ザクザクきてます」


「っても、お前みたいな奴が脇役じゃ、主役より目立っちまって、悲しいとこだろうが、感動するとこだろうが、全部爆笑に変えちまいそうな気がするがな」


 けちょんけちょんに貶されて項垂れた真生の頭を、祐二は軽く叩くように撫でてやる。その身長は平均こそあるが、祐二と比べればやはり小さい。小さな旋毛を見下ろして彼女の頭を撫でると、手の下で彼女の髪がさらさらと揺れる。

 

 お淑やかとはとても言えない真生だが、その髪は彼女の心と同じように真っ直ぐで、柔らかだった。


「それでいいんじゃねぇの? オレだって、誠実で穏やかな好青年になれっつわれても、そんなもん百万積まれてもできねぇだろうしよ。脇役で上等じゃねぇか」


 大人しく撫でられている真生の頭をついでに掻き回してやれば、面白いくらいに真生が暴れた。


「そうですねぇ……って、放してくださいよ。先輩、わたしの頭を動物か何かと勘違いしてませんかっ?」


 腕を押しのけようとする真生の頭を、笑いながら気が済むまで撫でくりまわしてやる。


 映画館前のせまい通路に響く二人の賑やかな声は、映画館の管理人に注意されるまで絶えることはなかった。

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