第12話 side佑二

「琴美先輩、これも可愛いですよ」


「あらほんと! こういうのって女の子の夢よねぇ」


 いつもと変わりばえのない昼休み。佑二は傍らで一つの雑誌を仲良くめくっている真生と琴美を眺めていた。二人は佑二の机を陣取り、まるで姉妹のように顔を突き合わせて、はしゃいでいる。傍らにはお菓子袋が開封され、まるで食後のお茶会のような有様だ。


 視線に気づいた琴美が嬉しそうに笑う。


「明日、涼と遊園地に行くのよ。それでね、そこのことが載ってる雑誌を見てるの」


「凄いんですよ先輩。可愛いぬいぐるみとかアクセサリーがいっぱいあって、アトラクションも充実してますし、カップルには入口でプレゼントが配られるんですって!」


 自分のことでもないのに、真生は興奮に顔を赤くしている。たかだか遊園地がそんなに楽しいものなのだろうか。男である祐二にはいまいち共感しかねた。


「それなら真生ちゃんも一緒に行かない? 祐二も連れてけばWデートになるわ」


「馬鹿言うな。変な気遣いはいいから、楽しんで来い」


「祐二先輩もこう言ってますし、二人で楽しんできてくださいね。せっかく行くんですから喧嘩は駄目ですよ?」


 真生のからかいの言葉に、琴美は照れたように自分の頬を手で押さえる。その表情を見ても、最近は辛くなることが少なくなった。そう思えるようになったのは、やはり彼女のおかげなのだろうか。


 祐二はさりげなく真生を見つめた。興味津津で雑誌を覗き込んでいるその顔は、無邪気な子供のようだった。


「お、盛り上がってるね。いやぁ、まいったまいった。職員室に行ったら先生に捕まっちゃってさ。五百枚もコピーするのを手伝わされたよ。しかもクラス分を配れだって」


 席をはずしていた涼がようやく戻ってきたと思えば、その両手には言葉通りにプリントがあった。すぐに琴美が立ち上がる。


「お疲れさま。あたしも手伝うわ。真生ちゃん達はゆっくりしていてね」


「さすが琴美! 優しい彼女をもってオレって幸せ者だねぇ」


「ふざけないの。さぁ、早く配っちゃいましょ」


 なんて言い合いながら二人は一緒に離れていく。手伝おうとしていたのか半分腰を上げかけていた真生は、ぽんぽんと進める二人の早さに口を挟み損ねたようだっった。


「ほっとけ。どうせ大した時間はかかんねぇよ」


「そうなんでしょうけど。私仮にも後輩ですし、先輩が仕事してるのにのうのうとしてるのもどうなんですかね?」


「考えすぎだろ。頼まれた涼が悪い。それに、なんだかんだ喧嘩しても琴美はあいつと一緒にいたいんだろ。手伝いなんて名前だけだぜ。だから、その間抜け面を直せって」


「失礼な! 誰が間抜け面ですか。まったく、先輩は口が悪過ぎですよ。なんでいつも言葉尻に悪態がついてくるんですか」


「そりゃ悪かったな」


「ちっとも悪いなんて思ってませんよね!」


 眉間に皺を寄せているものの、真生がすると迫力も何もあったものじゃない。子供が拗ねている顔だ。祐二は吹き出しそうになるのを空咳で誤魔化しながら、雑誌を離さない彼女に聞いてみる。


「遊園地ねぇ。そんなに行きたいもんか?」


「乙女心がわかってませんねぇ、遊園地に行きたいんじゃなくて、デートに行きたいんですよ。こういうところでデートするのは女の子の憧れです」

 

 そう熱弁すると、真生はまた羨ましそうに雑誌に目を落としている。その横顔が寂しそうだ。女にはそんなに魅力がある場所なのか。


「なら、明日出掛けるか?」


 向かい側の椅子に腰を下ろして何の気なしに言ってみると、向かい側に座る真生は唖然とした間抜けな顔で動きを止めた。


「ど、どうしたんです? 先輩がわたしを誘ってくれるなんて」


「……たまにはそういうのもいいんじゃねぇかと思っただけだ。別に他に用があるなら断ってくれても構わねぇよ」


「用事があっても絶対行きますよ。むしろ用事を投げ打ってでも行きます」


 速攻で返事が返る。嬉しそうに頬を赤く染めて喜びを露わにする真生に、祐二の方が面食らった。


「おいおい、大げさだな。別に大したとこに出かけようってんじゃないぜ?」


「それでも嬉しいですよ。だって初めてじゃないですか、先輩と出掛けるのって。何着てこうかなぁー」


「ふん……そうかよ」


 素直に喜ばれると、何となくこっちの方が気恥しくなる。祐二は僅かに目を逸らして照れを隠した。


「それで待ち合わせは何処にします? 行く場所は決まってますか?」


「駅前に十一時でどうだ? 映画見て、終わったら飯でも食いに行きゃあいい。寝坊だけはすんなよ?」


「もちろん! 先輩こそうっかり忘れないで下さいよ? あっ、それから念のため、わたしの番号教えておきますね」


 真生は胸ポケットからスマホを取り出すと、自分の番号を表示して見せる。祐二はそれを登録すると、ワン切りで彼女のスマホに電話した。


「やったっ! 先輩の番号ゲットッ!!」


 真生は大喜びして、嬉しそうにスマホを弄っている。その顔を見ただけで嬉しいという感情が誰にでも読み取れるだろう。


「先に言っとくが、くだらねぇことで連絡してくるんじゃねぇぞ。それと、オレはラインとかメールは苦手だからそっちもあんまりしてくんな」


「ええ~? じゃあ、先輩と話すにはどうしたらいいんです?」


「学校で合ってるだろうが。とにかく本当に用がある時以外はやめろ」

 

「わたしがしつこくラインするように見えますか? せいぜいハートのスタンプを連打するくらいですよ」


「そんなことしやがったら、拒否るからな」

 

「冗談ですって。そろそろ時間なんで教室に戻りますね。明日、楽しみにしてますから」


 冷たく睨んでも、真生は懲りるどころか、逆に嬉しそうだ。満面の笑みを浮かべて、浮かれた様子で飛び跳ねるように教室を出て行った。


「こらっ、廊下を走るんじゃない!」


「すみませ─ん」


 叱る教師の声と、彼女の弾むような声が遠くから聞こえて、祐二は一人噴き出した。


「馬鹿な奴……」


 蔑むような言葉が存外優しく響いたのを聞いた者はいなかった。





 五限目を開始するチャイムが高らかに鳴り渡る中、毎度常連になりつつある屋上で、祐二は絶賛サボリ中だった。傍らにはそれに珍しく付き合う涼がいて、のんびりした空気を過ごしていた。

 

 そんな中、唐突に隣人が口を開く。


「お前さ、真生ちゃん好きじゃないの?」


「はぁ? いきなりなんだよ?」


 加えていた煙草を右手に持ち直しながら、涼に視線を流す。何故今更そんなことを聞いてくるのかが、わからなかった。


「変な意味じゃなくてさ。あれだけ想われて何も感じないほど鈍感野郎じゃないだろ、オレの親友は。だから単純に、祐二は真生ちゃんのこと、どう思ってんのかなって」


 普段のふざけた口調が消えて、からかうような色もない。その目が真面目に聞いているのだと言っていた。

 

 答えを待つように黙る涼から視線を逸らし、煙草の煙を吸い込む。誤魔化すことも出来るだろうが、真摯な眼差しにその選択を消す。こちらも同じように返さないといけない気がして、祐二は内心溜息を零す。


 真生のことは、好きか嫌いで聞かれれば、嫌いではない。郁也と琴美の喧嘩に巻き込まれた時も、こっちの心を思いやってくれた相手だ。だが、それが恋愛感情を伴わないものであることも、祐二にはわかっていた。


 自分が想っているのはやはり琴美だった。彼女に向けるような、衝動的で痛みを伴う感情を真生に感じたことはない。後輩でもある彼女に感じるものは、優しい分だけ切なくなるような気持ちだ。それさえも、ごく最近生まれたものにすぎない。

 

 彼女の本心に触れた時から、真生の笑顔を見るたびに切なく心が痛む。どうしても応えてやれないから、やるせなさだけが深くなる。


「嫌うには情が移り過ぎた。けど、あいつを女としては見れねぇよ」


「それって真生ちゃんにとっては、すごく酷なことじゃないの? 優しくはするのに、手を伸ばしても届かない位置に祐二はいつだって立ってるってことだろ?」


 言われた言葉はその通り過ぎて、胸に刃が突き刺さる。


「そうかもな。だからって心だけはどうにも出来ねぇだろ? まさか、好きでもないのにあいつと付き合えって言うのか? それこそ、相手を馬鹿にしてるだろ」


「そんなこと誰も言ってないだろっ? ただ、ただオレは……っ!」


 珍しく声を荒らげる涼の姿に、祐二は違和感を覚える。


「やけに今日は突っかかるな。なんでそんなにあいつを気にする?」


 冷静に切り返すと、涼は口を噤んだ。これまでの奴だったら、からからって面白がることはあっても、こんな風に気を高ぶらせて、感情を剥き出しにすることはなかったはずだ。

 

 ──何かあったのか?


「……オレ、真生ちゃんに聞いたんだよ。ふざけ半分に『祐二みたいな優しくない奴のどこがそんなにいいの? 真生ちゃんだったら他にいくらでも相手はいるのに』って」


 涼は自分の気持ちを落ち着かせるように、静かに話し出した。


「それに、あの子なんて答えたと思う?」


「さぁな」


 素っ気なく答えることで、これ以上彼女の話を聞きたくないと態度で表わしているのに、涼はよく聞けとばかりに祐二を真剣な目で射る。


「『わたしは祐二先輩ほど優しい人を他に知りませんよ。わたしは狡いから、先輩の優しさに付け込んでるだけなんです』って笑って言ったんだ。なんか、その笑顔見てたら、ふざけて聞いたことが申し訳なくてさ。あの子、本当にお前のことが好きなんだってわかったから」


「……そうかよ」


 きっと彼女はその時も、明るく笑っていたのだろう。いつだって太陽みたいに笑う真生は、四人の中の誰よりも強い。それこそ祐二よりもずっと心が強いのだろう。

 

 苦しみも痛みも飲み込んで、彼女は懸命に笑おうとしていた。そうして真生は自分よりも人のことばかり思いやっている。だからなのか、祐二の目に映るのは彼女の笑顔ばかりだ。


 普段の彼女の姿が嘘で塗り固められたものだと思っているわけじゃない。しかし彼女の言葉が本心であればある程に、噤まれた言葉もまたあるのではないだろうか。声にならない言葉も、口にされた言葉も真っ直ぐ過ぎて、祐二の胸はどうしようもなく痛み続ける。


 少しも優しくはない自分を、彼女は優しいと口にする。優しさに付け込んでいるのは、本当はどちらなのだろうか。

 

 吸い込んだ煙草はいつもより苦く感じた。

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