【日常】鮎川羽龍【人狼の話 参】
【人狼の話 参】
◇
犬用の首輪が一つ、税込み二三〇円。
プラスチック製のリード一本一七〇円。
園芸用のスコップが一つ一二〇円。
ビニール袋十枚綴り、六五円。
送料手数料合わせて五〇〇円。
合計金額しめて一〇〇〇円と八五円。
学校から帰って来たぼくを出迎えたのは、それらのグッズと請求書だった。
「一体これは何なのかな
「おや、解らないのかな
我が家の居候、憂里みくにがぼくに問う。彼女の手には携帯ゲーム機。ぴこぴこと響く電子音は、最新式とはほど遠いレトロ・ゲーム。両手を上げて反り返った姿勢で、天井を見上げながらのプレイング。
「ひょっとしてボクの口から説明させる気かい? ……いやらしい」
「じゃあ今晩のご飯抜きね」
「君は酷い奴だねこの人でなし?」
即座の反応即座に対応。半年間の付き合いがあるから、扱い方は把握している。
「本当の事を言われて痛むような心は持ってない。……で、なにこれ」
「昨晩ちょっと電話がかかって来てね。彼との話が弾んだ結果、鮎川君にはこれらの道具が必要に
なるだろうと思ったのさ」
「あいつか……」
余計な事を。本当に余計な事を。わざわざ憂里経由で手を回してやらせるとは。
憂里の職業は引き蘢りだ。つまりは一人で外出など絶対に有り得ず、必然的に買い物は全て通販になる。つまりは送料がかかって出費がかさむ。必要なものなら自分で歩いて買いにいくと言うのに、憂里を焚き付けるだなんて嫌がらせか何かだろうか。
「ああ、首輪はちゃんと薬品を塗っていないものを用意して来たから安心しなよ」
「本当余計な所まで気が利くね」
犬用の首輪の薬品は、人肌をかぶれさせる事があると昔聞いたような覚えがある。
と言うことは用途までも伝わっていると言う訳か。他人のプライバシーを何だと思っているんだろうかあの男は。
「彼からの伝言を伝えておくよ。『狼である自分を認めさせるには、多少の荒療治が必要になるかも知れない。少なくとも、それは口で説得するだけとかじゃ不十分だ』」
「つまり?」
「『身も心も雌犬に調教してやりなよ』だってさ」
「ふざけるな変態、と返しておいてよ」
「はいはい、覚えてたらね」
軽く手を振って、憂里は携帯ゲームへと視線を戻す。
ぼくは再び机の上のアイテム達を意識する。
飼い犬に付けるのであれば微笑ましいようなアクセサリ。
人間に付けるのであれば背徳的なバインドグッズ。
少しだけ表情を引きつらせながら、さて何処へ片付けようかと思案する。
「しかしキミがこんなものを必要とするとはね。前からサディストの素養があるとは思っていたけれども、ついに実践に手を出そうとはボクも驚きだよ」
「……先に憂里で試そうか?」
「くっくっく。冗談がキツいね。鮎川君」
背筋を反らした姿勢のまま、憂里は横目でぼくを見下ろす。
挑発的な視線にあわせ、ちろりと舌を覗かせて。
「そんなものが無くたって、ボクらは互いに縛り合ってるだろう? 鮎川羽龍。ボクの愛する一蓮托生。
そもそもキミはボクに欲情出来るのかい?」
「…………」
「無理だろうか? 無理だろうね。鮎川羽龍。ひとでなし。だからボクはキミが愛しいよ」
ゲームの電子音だけが、現実味が無く鳴っていた。
チープな銃撃の連射音。爆発のSE。そしてクリアのファンファーレ。
「ハイスコアの更新は出来なかったか。悔しいので今日の夕食は豪華にしてくれ」
「勝った時の為にとっておこうよ」
「成功を祝うよりも失敗の傷を舐める方が気持ちいいんだよ」
憂里の楽しみ方はいつもどこか後ろ向きだ。失敗を祝い、敗北に拍手をし、絶望相手に喝采を送る。
現実をモニタ越しに見ているかのような退廃感。
「キミがこれからすることだってそうだろう? やましさを一つ隠す為の、自慰行為にも似た優しさと、
それ以上に不実な甘さの発現だって」
ぼくは答えを返さなかった。
◇
夕食を終えた午後七時。
お皿を洗っていたら、来客のチャイムの音が鳴った。
「どうやら来たみたいだね」
家主に家事を任せて、車椅子で漫画を読んでいた居候が呟く。
この人魚姫、ぼくが家に居る間には全くと言っていい程の家事をしない。ぼくが外出している間には最低限のことはやっているらしいが、目の前では本当一切何も皆無だ。
以前その事について文句を言ってみたら、
『人に見せたい姿じゃないじゃないか。少なくともボクは見られたら恥ずかしさで寝込む』
などと言う答えが返って来た。
お前はハウスエルフか。憂里。
「ボクは隠れていた方がいいだろうね。可愛い女の子と同棲しているなんてキミのクラスの委員長には、
流石にバレたらマズいだろう?」
「そこまで漏らしていたのかあいつ……」
他人の個人情報を何だと思っているんだろうか。
ぼくだけならまだいい、いや良く無いけれども、委員長の情報までばらすだなんて。
交友関係がぼくしか居ない憂里相手だから許されるけれども、まさか外で吹聴してたりはしないだろうな。あいつ。
「第一可愛い女の子って誰のことかな」
「ボクに言わせる気かな。鮎川君はイジワルだね」
けたけた笑いながら、憂里は自分の部屋へと去っていった。
「…………」
平皿の洗剤を水で流して食洗機にしまう。
さて、そろそろ迎えに出ないと。
◇
冬の時間は午後七時ですら漆黒だ。
住宅街の暗がりを照らすのは、ぽつぽつと立つライトとカーテン越しに漏れる明かり。
その明かりの群れの一つ、鮎川家の玄関灯の光の下に、真神はずきが立っている。
「……こ、こんばんは?」
独りで立つ委員長は泣きそうな笑顔だ。
夜の怖さは解らなくも無い。その辺を考慮しなかった自分の偽物らしさに恥じ入りながら、ぼくは委員長を招き入れる。
「そんなにきょろきょろされると少し恥ずかしいんだけど」
「すいません、あんまり人の家とかに入った事が無くて。……特に男の人のには」
「意外だね。委員長なら友達も多いと思ってたのに」
ぼくと違って。
「……実は私、そんなに深い付き合いの友達ってあんまりいなくて」
「へぇ」
「ずっと委員長をやりつづけてきたせいか、どうも遠巻きだったんですよね。会話になるタイミングは殆どイタズラを注意するか先生からの伝言を伝えるときで」
自分達よりも上の存在と言うのは、子供は案外敏感に感じ取ってしまうものだ。その上位存在が自分に直結する危害を加えて来るのならば不満を隠して隷従するが、危害では無く命令するだけの大人だったら自然現象相手のように唯々諾々、相手を人間だと思わずにそれに従う。
おそらく彼女は認識されなかったのだろう。自分達の環、社会の中にいる存在だとは。
「高校に入ってからは結構話しかけてもらえるようにはなったんですけど、この頃になると今度は私の方が人との付き合い方を忘れてしまって……」
どんよりとカケアミをかけながら委員長は呟く。
人に相談する経験そのものが無かったと言うのなら、成る程それは問題を抱え込むのも仕方が無い。
意外な理由で疑問が解決するものだなぁ、と首を無言で縦に振る。
……しかしあの委員長が、ここまで年期の入ったぼっちだったとは。人は見かけや性格にはよらないんだななんて、それこそぼくにとっては今更にも今更過ぎる話ではあるが。そもそも人間と深く付きあおうと思った事すらない自分が他人のそれに御節介な感情を抱くのは、それこそまさに、
「……偽物めいてるなぁ」
「へ?」
「ああいや、何でも無い自分の事」
ごまかして、ぼくは自室の扉をあける。
ライトが置かれた勉強机と、教科書だけがしまわれた質素な本棚。しっかりと閉ざされたクローゼットに、鶯色の毛布が掛かったベッド。青色の縁の姿見と、カチコチと音を立てる壁掛け時計。最低限の家具だけが設置されているはずのぼくの部屋。
簡素な空間のその中央に、あってはいけないモノが存在していた。
「…………」
犬用の首輪が一つ、税込み二三〇円。
プラスチック製のリード一本一七〇円。
園芸用のスコップが一つ一二〇円。
ビニール袋十枚綴り、六五円。
送料手数料合わせて五〇〇円。
合計金額しめて一〇〇〇円と八五円。
仕舞い込んでおいた筈の、犬の散歩グッズがワンセット。
「…………」
――憂里ぉぉぉぉぉ!
心の中だけで叫ぶが、眼前の物体は魔法の如くには消えてくれない。邪魔な病気の一つがあるだけで、ぼくらの日常には都合のいい奇跡も神秘もありはしないのだ。
殺風景な空間を満たすのは沈黙。お互いに口にするべきものの解らない混乱状態。
『いいじゃないか、彼女の問題の解決の為だぜ強引に押し切っちゃえよ』
と脳内鮎川羽龍Aが言う。
『君だってこの女を滅茶苦茶にしてやりたいと思った事はあるだろう?』
と脳内鮎川羽龍Bが言う。
『言っただろう? 身も心も雌犬に調教してしまえって』
と脳内鮎川羽龍Cが言う。
おかしい、一人としてぼくの味方をしてくれないぞ脳内鮎川羽龍。
見当違いのことを喚く彼らをぼくの頭から追い出して、委員長へと視線を向ける。
「わ……私の為に用意してくれたんですよね、鮎川君?」
いやこれは居候が勝手にと真実を話す訳にもいかず、油切れの機械のようにぼくは頷く。
彼女はおずおずと首輪を手に取る。子供染みた赤色のそれを眺め、何度も首を縦に降る。
「そうですよね……こ、こういうものをつけないと野良犬と勘違いされちゃうし、必要なことですよね……
仕方ないですよね……」
なにやら自己暗示のようなことを呟いて、委員長は首輪をがっしと握りしめた。
眼鏡越し、潤んだ瞳でぼくを見つめて、彼女は懇願するように言う。
「これ。鮎川君につけて貰いたいです」
◇
ぼくの手の中には、てらてらと赤く光る革製の首輪がある。
委員長から差し出された、愛玩犬用のチープな首輪。
「………」
とうの委員長は座り込んだまま、じっと動かず待っている。
眠っているように瞳を閉じて、口付けを求めるように顎を出して。
柔らかそうな手足を投げ出して、白い首筋を覗かせて。
無防備で、まるでこのぼくを信頼しているかのような体勢で。
ごくり、と唾を嚥下した。
ああ、これは確かに沸き上って来てしまいそうだ。
「動かないでね」
情動を振り払いながら、ぼくは委員長に手を伸ばす。
首筋にそっと触れると、彼女はきゃん、と声を上げて跳ねた。
「動くなって言ったよね。……やってあげないよ?」
それを聞いた途端、委員長はしゅんと縮こまった。うん、ちょっと可愛い。
彼女が落ち着いたのを確認してから、首輪をそっと沿わせていく。
押し付けるように、ゆっくりとそれを巻き付けていく。
直接触れる指の先に感じる暖かさが心地いい。人肌の暖かさ。
「あ……ん、……くぅ……」
指が少し動くだけで、くすぐったそうに彼女は悶える。
その呼吸の一音一音が、ぼくの嗜虐心を刺激する。
このまま締め上げてしまいたいと、少しだけ口角をあげている己を自覚する。
ぼくのことを安全だなんて思っているような、その愚かしさがどうしようもなく愛おしくて、どうしようもなく腹立たしくて、だから壊したいと望むような。
「もう……ちょっと、やさしく、触って、くださ、あっ」
「委員長が可愛いのが悪いんだよ」
思わず込め過ぎていた力を緩める。潰さないように、壊さないように。
ぐるりと一周、巻き付ける。長さは十分過ぎるぐらいに余っている。
輪になった部分にそっと通すと、はみ出した指が委員長のうなじに触れた。
「……んっ」
小さく呻く。その声にもっと触れてみたくなるのを必死で耐える。
後は金具を止めようとして、この後のことを考えるとやらない方がいいかと気付いた。
「終わ……り、ましたぁ……?」
上気した顔で、息も絶え絶えに委員長が振り向く。
首輪は付け終わったよ、と返すと、彼女は気が抜けたように肩を落としてへたり込む。
「……ちょっとそれは早いんじゃないかな」
「へ?」
「だから。終わってないってば。まだ」
むしろ始まってすらいないと言える。委員長がしなければいけないのは、ぼくに首輪を
付けてもらうことだけじゃなく、もっとそれ以上のことなのだから。
「委員長が今日ぼくの家に来た理由はなんだったかな」
「…………」
黙り込んでしまう委員長の首筋を撫でて、ぼくは促す。
「きみの口から聞かせてよ」
「……です」
「もっと大きな声で、聞こえるように言って欲しいな」
「……鮎川君に私の問題を解決してもらう為です」
「ぼかさずにもっと直接的に言ってみてよ」
「鮎川君にっ……身も心も狼にしてもらうためです……っl」
「よく言えました」
涙目でこちらを見て来る委員長を撫でる。
こみあげてくるのは嗜虐心と、それと同等量の罪悪感。
◇
昨日の夜、電話の向こうの声は言った。
『なるべくなら辱めるような形がいい。ああ、勿論非性的な意味でだぜ?
君達は社会を生きるんだから、未成年での不純異性交遊は御法度だろうしね』
「…………」
『認められない事を認めさせるには、軽く精神的な苦痛を与えて心を折った所に染み込ませてやるのが丁度いい。
ようは典型的な洗脳の手法だよ』
「ぼくに委員長を洗脳しろと?」
『もしくは調教と言い換えてもいい。相手は狼なんだからそっちの方が適切かな』
「随分と人でなしになったんだね。そんなことを言うだなんて」
『はは、人間関係なんて互いで互いの洗脳し合いじゃないか。俺の価値観に服従しろと言う調教合戦。
自分の脳内社会のルールとマナーを押し付けあい、均一な価値観で世を満たそうとするのが人間という生物の習性だろう。横から観察していれば簡単に気付いた事なんだ、きみが解っていない筈無いだろう』
対するぼくの返答は無言。それを肯定と喜んだのか。それを否定と残念がったのか。解釈はどちらか知らないが、電話の相手はくすくすと笑んで、
『まあいいさ。きみと委員長の未来の為に、調教のコツを教えよう――』
◇
意識を目の前の現在に戻す。
頬を昂揚に紅く染め、荒い息づかいで喘ぐ委員長が、涙目でぼくを見上げている。
「委員長の問題を解決するのには、うん、自覚する事が必要なんだ」
精神的だけでも駄目、肉体的だけでも駄目、その両面からの認識改造。
自分が外れてしまったと言う認識を、異常とはせず受け入れろ。
「それでね委員長――自分から変身をしたことはあるのかな」
きょとん、とした顔で首を振った。
まあ予想出来ていた反応だ。自分が自分でなくなる恐怖。それを自らやってみようだなんて思うのは、彼女にとっては自殺行為にも変わりない。
「だったら……ここで初体験をしてみようか」
ごくり、と唾を飲む音が聞こえた。
まるで眠りにつく前に多量の薬を呑み込むような気持ちだろう。二度と目覚められなくなるかも知れないと言う恐怖心。どんな効き目が現れるのだろうと言う冒険心。
怯えと好奇心の入り混ざる、突き壊したくなるような顔をして、彼女はぼくを見つめている。
「…………」
彼女の無言。それを躊躇だと読み取って、ぼくはそっと立ち上がった。
委員長の表情に絶望と恐怖のような色が混ざる。
それを覆い隠そうとするように、ぼくは毛布を投げつける。
「わふっ」
可愛い悲鳴を上げて、毛布から委員長が顔を出す。ちょうど口元だけを隠すような感じ。
驚いた表情で固まって、一体何かと戸惑っている。
「見られたいものじゃないってのはぼくも少しぐらいは解ってるつもりだから。身体を隠せるようなもの、このぐらいしかないけど」
流石に異性の前で服を脱いだ姿を見せろと言う程に、ぼくは鬼畜めいた趣味嗜好はしていない。
目を閉じてるから大丈夫だよ、程度で信用してもらえるとは思っても居ないし。
……だけど毛布を被ったところで、それと何の変わりがあるのかと言われてしまうと困る訳で、
やっぱり偽物めいている気がしなくも無いが。
「…………」
「大丈夫。ぼくが傍についてるから」
しかし委員長、何時まで固まったままでいるんだろうか。
◇
二分後。
ぼくの部屋のどまんなかには、大きな布団の塊が鎮座していた。
「ちゃ……ちゃんと隠れてますよね? 大丈夫ですよね?」
ぐ、と指を立てて大丈夫だと伝達。
「な、なにか反応して下さい! 黙られてたら怖いです……」
どうやら通じなかったようなので両手でOKサインを出してみる。
しかし委員長は見えていないのか、がたがた震えるのを止めない。
まあ、当然だけどね。
「うん。見えてないよ。安心して」
意地悪するのは止めて言葉でちゃんと伝えると、布団の塊は震えるのを止めた。
「服。脱ぐんだったら離れた方がいいかな」
「……傍にいて、欲しい、です」
毛布越しに聞こえる幽かな声。臆病そうに、不安そうに。
「いいよ。ちゃんとここにいるから」
塊はもぞもぞと蠢いて、可愛らしい制服を吐き出して来る。
こんなときでも畳まれて出て来るそれに微笑。委員長はどんなときでも委員長だ。
「変身した経験は無いって言ってたけど、自分で戻ってみた経験の方はどうなのかな」
たぶん首を振ったのだろう、布団の塊がちょっと蠢く。
「……戻りますようにって願いながらいたら何時の間にか意識が落ちていて、気付いたら目が覚めて元に戻っている感じで」
「そう」
思った通り。人間、そう、人間なら普通は自分の体が願ったら変化するだなんてことは受け入れられないだろう。それが出来たのだったらこの世界はもうちょっと目に優しくなっていたに違いなく、それが出来ないから嫉妬や努力や化粧品の広告が形になる。
「誰にだって初めてはあるよ、委員長」
緊張をほぐそうと、笑みを混ぜながら口にする。
委員長の方に近づいていって、布団の塊にそっと手を置く。
「……ひゃっ」
「落ち着いて。深呼吸だよ。息を整えて」
布越しに彼女の息づかいを感じる。ゆっくり。ゆっくり。
「目を閉じて。……想像するのは毛糸。指を差し込むとほつれていく」
言葉による誘導は暗示の基礎。解りやすいイメージを植え付けて、受け入れやすいように整えていく。
「背骨のあたりを押さえられてるのを想像して。……そこからゆっくり、ゆっくりと砂山を裂いていくような感覚。熱に溶かされるバター。ジュースに落ちる角砂糖」
「……ん、きゅ、くぁ、」
うめき声が漏れるのを聞いて、ぼくは委員長の傍をそっと離れる。
変身行為というのはかなりの体力を消耗する。確固として存在していた自分、と言うものを、一旦崩して壊してほどいて紐解いて、一から作り直すのだ。肉体的にも精神的にも、その疲労度は半端じゃない。比較をするなら全力疾走。自分の全てを出し切る感覚。
気持ちいいのだ。要するに。
全身の神経が過敏になって、肌に当たる風すらも感覚を高める一助になる。
筋肉が変化していく感覚は痒みにも似て声をあげさせる。
「……あっ、わ、ふわ、きゅう、はぁ、」
布団の塊の中から、委員長の嬌声が聞こえて止まない。
姿を隠せるようにと渡したものだけども、直接羽毛が肌に触れるのはかなりのくすぐったさに違い無いだろう。肉体的羞恥と精神的羞恥、どちらが重たいかをぼくなりに考えては見たのだけども、思慮が足りなかったのだろうかと心配する。
「委員長、大丈夫? 毛布、剥がそうか?」
「りゃ、りゃめです! 見ないでくださひ……」
最早ろれつも回っていない舌で委員長は叫ぶ。
……そんな事を言われると、つい逆らってみたくなるじゃないか。
やらないけどね。
「……あう……はう……ふぅ……」
そうしているうちに、段々と声が収まってきた。
身長で大きく膨らんでいた筈の布団は容積を大分失って、半分程の高さになっている。
ちょっとぐらい剥がしてみても良かったかなぁと物足りなさを感じつつ、声をかける。
「……終わった?」
「……はい」
おずおずと、布団の下から這い出て来る狼。
あの夜に見たものと同じ、灰色毛皮に覆われた獣。委員長の髪と同じ色。
「お疲れ」
抱きしめてみて、頭を撫でて、よく出来ましたと褒めてみる。
予想していた獣の匂いはせず、その代わりにちょっとだけ、甘い匂いがした。
体力をかなり使ってしまったのだろうか、ぐったりとぼくにもたれかかる委員長。
その首輪の金具を止めながら、ふと思った事を口にする。
「あ、舐めるのは流石に止めてね」
「……や、やりませんって」
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