【日常】名賀かがし【お正月の話:六】
◇
巫女さんとは神社で神職を補佐し奉仕するお仕事である。
……と言ってしまうと格好いいけど、実際のところは雑用係のようなものだ。
それがバイトとか傭われとかではなく、神社の娘であるなら尚更に。
よって神社の中で何か困ったことが起きた時、それは私に持ち込まれる。
例えば手水舎の水が出ていないとかいう、そんな機材トラブルであっても。
「なーにが起きたのかなー」
神社の入り口、階段の手前で、こめかみに指あてそう唸る私。
参拝客さんから水道の異常を聞いたものでやってきたけれど、水道トラブルとか私に直せるものなんだろうか。
「まあ見てみるだけ見てみりゃいいんじゃねーの?」
隣にいた宮雨が無責任に言う。
そういうんだったらそっちが代わりに見てくれてもいいだろうに。
「あーいや、それはなー、もしなんか間違えて蛇口を壊したとか柄杓を折ったとかしたら怖いしー」
「なんでそんなところでビビるかな宮雨はー」
「経験者だからだよ!」
ああ、そういえば昔、神社の鈴を壊したの宮雨だっけか、と過去の記憶を思い出す。
あの時はおじいちゃんがめちゃくちゃ雷落として、そばで見ていた私も怖かったっけ。
ただあの鈴は老朽化してたのもあって、結果、おじいちゃんの怒りもすぐ収まった。
第一、怒りレベルが高かったなら、出入り禁止にされてただろうし。
「よーし、頑張りますか!」
腕をまくってぐるぐると。
手水舎とは何かというと、神社の入り口に置いてあるあの手洗い場のことである。
参拝前に柄杓で水をすくって手を清めましょうというアレだ。
うちの神社は少し高めの場所にあるので、入り口には急な階段があり、手水舎はその途中に設置されている。
なんで位置取りの説明をしているかというと、
「やっぱ階段降りるの怖い?」
「ハハハハ何を言ってるのかな宮雨はー」
やっぱり見抜かれていた。
私、名賀かがしは人蛇である。
人蛇だということはつまり、二本の足で立ってるのではなく、蛇の尻尾で這って動いてる訳である。
つまり急な階段は苦手なのだ。だから境内に入るにも普段は横手にある坂道を使っている。
……蛇に詳しい人は階段を上り下りする動画とか見たことあるだろうけれど、あれは蛇のサイズだから問題ないのであって、人のサイズでやろうとすると相当厳しい。それも登る時よりも降りる時が大変なのだ。一気に降りようと体を伸ばすとバランスが崩れてこける。重心の調整をミスすると尻尾の重みに引きずられてこける。とにかく階段というのは人蛇に優しくないものなのだ。
「……よぅし」
手すりを掴んで一段、一段。
ゆっくりと体を持ち上げて、伸ばして、おろして、動いていく。
そしてなんとか踊り場に到達。
「よく出来ましたえらいえらい」
すたすたと降りてきた宮雨からお褒めの言葉。
「そういう子ども相手みたいなのいらないから」
「やーでも頑張ったのなら褒め言葉欲しくね? 俺ならもらっとくけどなあ」
全く、そういうとこだぞ宮雨。
頬を小さく膨らませながら、手水舎の方へと這っていく。
◇
「わ、本当に止まってるよ……何が原因なのかな」
手水舎の屋根の下。水の流れてない水槽を見ながら私はつぶやいた。
考えられるのは誰かのいたずら。
石でも詰めたか蛇口でも締められたか……と思って見てみると、案の定後者だった。
困るんだよねこういうことされるとー、と思いながら、蛇口をひねる。
「……ん?」
あれ、思ったよりも硬い。動かない。
「……んむむむむむ」
力を込めてもビクともしない。開かない。
「……んんんんんんんん! 無理! 宮雨!」
助けを求める。こういう時、代わってもらえる人手がいるのはありがたい。
けれど宮雨は気が進まないと言った表情をして、
「触って大丈夫? 万一壊したりした時俺怒られたりしない?」
「しないしないしないから。そもそもまず壊さないと思うから」
そう言いながら場所を空けると、宮雨は仕方がないなあという顔で蛇口を握った。
「うお、確かにこれは硬い……開けるぞー」
「ばっちこーい!」
「う、お、おおおお、おおお、おりゃーーー!!!」
「よし、水出てき、うわぁっ!?」
勢いよく出てきた水は、水槽を飛び越えて、ばしゃーんと勢いよく私に降りかかった。
「だ、大丈夫ですかかがしさん!? 事故! これ事故だよね!?」
「ふ、ふふ、怒らないって言っちゃったし怒らないから。最初に私の心配をしたことに免じて許してあげるからちょっとあっち向いててほしいかなー?」
水を被ったせいで、今の私は下着が濡れ透け状態なのである。
巫女服は白いから特にその下にあるものが隠れないで見えていて、水の気化熱で寒くなればいいのか恥ずかしさで熱くなればいいのかわからない。
混乱状態コンフューズ。
発熱状態オーバーヒート。
震える鼓動がばくばく言って。
「おっと、シャッターチャンス」
……それを妨害するかのように、下卑た言葉が耳に届いた。
◇
そこにいたのは、さっきの自称ジャーナリスト、盾祭だった。
手にしているのはデジタルカメラ。どう見ても今さっき使ったばかり。
「いやあ帰ろうとしてたらいい光景があったからさあ、つい写真に収めてしまったよ」
ニヤニヤ顔を崩さないままでそういう盾祭。
……最悪だ。
私は内心で毒づいた。こんな恥ずかしいところを他人に見られてしまうだなんて。
しかも写真だ。物的証拠だ。人の恥部を切り取って残す行為だ。それを積極的にするこの男の評価は、今速攻で最低ランクに割り当てられた。
そしてそんなランクの男が一体何をしてくるかとか、当たり前のように決まっていて。
「ところでさあ、取材に応じてくれる気はないかい?」
脅迫だ。
写真を悪用されたくなかったら言うことを聞けと、無言のうちに含めている。
真冬でずぶ濡れになっている人を心配せずこんなことが出来る神経の太さ、信じられない。
もちろんこんな奴の要求なんて突っぱねてしまいたいけれど、しかしそれをさせないのが脅迫で。
「ああ、今は無理な状態だろうから一時間後ぐらいでも構わないよ。その間俺待ってるから」
遅れて気遣っている姿勢を見せているけれども、声のねっとりさがそう感じさせない。
そもそもイエス以外の答えが返ってくると思ってないところがとても気持ち悪い──!
どうしよう。こんな奴の言うことなんて聞きたくないし、聞いたとしてもロクでもないことになるのが見えている。けれど聞かなかったら写真をどう使われるかわからない。
考えるだけで背筋が冷える。
考えるだけで頭が熱い。
熱さと寒さに挟まれて、回らない頭に割り込むように、宮雨の声が聞こえた。
「なあおじさん」
「おじ……?」
「その写真、消して欲しいんだけど」
「は? 俺が撮った写真になんの権利で口出ししてるわけ?」
「被写体の権利だよバカ。少なくとも俺は幼馴染のずぶ濡れ姿を勝手に激写されて許せるような性格はしてないつもりだから」
「宮雨……」
感極まった私の前で、宮雨の体がくの字に折れた。
「ぐ、ふ……」
信じられない……こいつ、宮雨に蹴りをぶちかました……!
そのまま身を翻して逃げ出そうとする盾祭。
追いかけようと足に力を込めようとして────
「あっ……、」
何も起こらず思い出す。今の私についているのは二本の足ではなく蛇の尾で。
呆然としているその間にも、盾祭は階段を駆け下り遠くへ、遠くへ!
困った、どうしよう、立ちすくむ私と裏腹に、宮雨の復帰は早かった。
「かがし、」
ばさり、と音がして、そして肩に重みと暖かさがきた。
宮雨が脱いだパーカーを、私の肩に被せてくれたということで。
「俺が絶対、なんとかするから」
こっちを向いて、痛みをごまかしてるかのように、にこりと笑って。
彼も階段を飛び降りるように、神社の外へ駆け出した。
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