【非日常】????【真性怪異ヴァンパイア 六】
◇
冬の夜気が、熱の失せた体に心地いい。
大きく一つ深呼吸。冷気をいっぱい吸い込んで。
そして私は、飛倉ちぎりは、真性怪異ヴァンパイアは、夜の世界を見下ろした。
丘の上から見下ろす景色、人の営みが作る光の群れは、まるで地上の星のよう。
その一つ一つが人間で生活で同じ世界を生きていると言うことに、私は昔恐怖していた。
世界にはこんなにも沢山の人間がいて、それらの大半が乾いた日々を送っていると、そう思わせてしまうだけのおぞましさを、街の光は持っていたから。
夢がない。願いもない。昨日が今日で今日が明日。代わり映えしない退屈な日々。
魂は日に日に膿んで行き、人生の意味など感じられない。
そんな明日が未来が将来が、私の前に横たわっているのだという焦燥感。
お前も所詮は人間でしかないから、彼らと同じ運命を辿るのだと言う絶望感。
街を歩く塵の欠片に、システムを回す歯車に、何が幸福かも忘れてしまった灰色の大人たちに、そういうものにしかなれないんだとずっとずっと恐れていた。
「――まおり」
愛しい彼女の名前を呟く。
幻想の、本物の、御伽噺の吸血鬼。
その隣に立ち続けるのに、ただの人間は相応しくないから。
何時か灰色の大人になった私は彼女を忘れて忘れられて、そのまま死ぬに違いないと。
そんな未来が来なければいいと、何時だって呪い続けていた。
しかしそれらも過去形だ。
私はやっと私になれた。
大人も明日も常識も真実も現実も、私の行く手を阻めない。
やりたいことが次から次へと頭の中に湧いてくる。
やっぱり希望や理想というのは力を源泉にするものなんだなと、そんな真理に苦笑して。
さあ――次は一体何をしよう。
秘密基地でも作ってみる?
河原にミステリーサークルでも描いてみる?
春先にあった吸血鬼幻想を再興するのも面白そうで。
今の私の力なら、きっと
退屈な大人達の灰色を打ち破るような、万色に輝いた素敵な未来。
それを掴んで手に取った先で、まおりを迎えに行くために――
「――邪魔をするって言うのなら、容赦はしないっすよ。鮎川くん」
◇
中津国高校のグラウンド。
人間のいない空白のフィールドを満たすのは、昼間からは想像もつかない静寂だ。
その広い空隙の中に一人立ち、ぼくは校舎の屋上を見上げた。
高みから街を見下ろすモノと。真性怪異ヴァンパイアと。
飛倉ちぎりと目を合わせた。
「ほんっと、なんで追いかけてきたりするんすかね。訳わかんない」
呆れたように呟きながら、彼女は軽く足元を蹴った。
そうして軽く羽のように校庭にすっくと着地する。
ぼくとの距離は十メートルほど。数歩で埋まるその長さは、彼女に取ってはないに等しい。
「友情、だなんてツマラナイ答えが返ってきたりはしないっすよね。
そもそも私と鮎川くんって、別に友達じゃなかったはずっすし」
「随分と冷たいことを言うんだね。一緒にパーティした仲だってのに」
「だって真実じゃないっすか。
委員長とかまおりとかを挟んでたまに見かける程度の距離感でしかない。
どの辺に家があるのかも、どんなテレビを見てるのかも、好きなおかずの種類も知らない。
そもそも二人きりで話したような記憶もない。
クラスが変われば顔をあわせることさえ無くなるような、細い細い繋がりでしかない。
これを友達なんて定義するのは、同じ箱の中にいれば全員友達であるはずだと信じ込んでいる、頭がおめでたい大人達ぐらいっすよ」
「そうだね」
そのぐらいは解っている。
友達がどういう概念なのかを、他人の一段階上程度の意味でしか認識してないぼくだけど、その一段が重いものであると言うことだけは一般常識として知っている。
時間とかお金とか立場とか命とかを賭けられる間柄になるためには、きっと幾つものハードルが存在していて、多分そこまで辿り着くためには相当の物語が必要なんだろう。
平穏な日々を、凪いだ時間を、昨日と同じような明日を求めるようなぼくにはきっと得難い存在なんだろう。
「だけど友達じゃないからって、それらを賭けない理由が無い訳じゃない」
「……はぁ?」
眼前の吸血鬼は理解できないものを見た時の声を上げた。
「まさか一般常識だとか当たり前の道徳だとか、そんな面白みもなく薄っぺらい人間の道理を持ち出して来たりしないっすよね? いいや鮎川くんがそういうキャラでないことは友達じゃなくても解るっすけど、だからそんなのを持ち出されたら失望も驚きでいいとこなんすが」
「そんなもの持ち出したりしないよ。第一知ってるかどうかも自信ない。
いや、これはある意味当然のことなのかもね。直接飛倉さんに関わることじゃないけれど」
「……何を言いたいのか解らないんすけど。
とにかく、私と鮎川くんは友達でも何でも無い。
友達の友達とぐらいしか言いようがない、事実上の他人であることが間違いない。
だと言うのに、なんでわざわざこんなお節介を焼きに来ちゃった訳っすかね?」
「それが理由だよ」
「……?」
「『友達の友達だから』。うん、それが連れ戻しに来た理由」
どうも、人間のキャラクターというものは、一人で完結したりはしてないらしい。
環境の影響を受けるのは避けられない当然で、その最たるものが人間関係だ。
出会ったり仲良くなったり喧嘩したり別れたり。
そういった刺激を日々受けることで、その日の気分が変わってくる。
他人のそんな気分の連鎖が回り巡って、ぼくを取り巻く日常を形作る。
だから自分の直接知らない人間だろうと、いなくなられると影響がある。
この前の人狼事件の時の名賀さんの沈み具合で、それがなんとなく解ったから。
自分が一応知っている相手なら、なおさら去らせる訳にはいかないだろう。
「失望とは別の意味で驚いたっすね。まさかそんな友情に篤いキャラだったとか思わなかったっす」
「まあぼくも普段はそんなキャラじゃないと解ってるんだけどね。でも、委員長が友達だって言ってたんだから、飼い主としては友情の手助けやるしかないじゃんと」
「まってなんかおかしなセリフが聞こえた気がするんすけど」
さて一体何のことだろう。
ぼくには見当がつかないな。
「とにかく、鮎川くんは今から私の敵に回る。そういうことでいいんすね?」
「勿論。非日常なんかに渡さない。ぼくの日常と平穏のため、こっちに帰ってきてもらう」
「はっ、はは、善人ぶったことに加えて我儘まで重ねて気にくわないっすね。
そもそも最近まおりの視線を集めてる感じがしてたから、一回殴っておきたいなーって思ってたとこなんすよ丁度いい! 新年を病院のベッドで迎えさせてあげるから、覚悟しやがれ人でなし!」
構えをとったのはお互い同時。
雲のない真冬の星空の下。ただの喧嘩が始まった。
◇
真性怪異ヴァンパイアVS真性怪異シェイプシフター。
お互いに純粋人型の真性怪異同士。しかし取れる手段は互いに未知数。
こちら側の権能である変身や記憶喰らいは流石に身内相手には使用不可。ぼく自身が真性怪異であることを隠し通したいから以前に、記憶喰らいは相手の恐怖感情をトリガーとしてそこから全てを食い尽くすものなので、そもそもの発動条件が満たせない。
解りやすい身体変化を取らない代わり、全身のリミッターはコントロール可能な範囲で解除済み。吸血鬼の基礎権能である超身体能力相手にもついていけると思いたい。
一方。
真性怪異ヴァンパイアの権能は様々だ。欧州の怪異幻想を満遍なく網羅している怪物であり、その為せることは個体差があまりにも大きすぎる。そもそもがオーソドックスなステレオタイプでさえも怪力、魅了、非実体化、攻防搦め手取り揃えられたオールラウンダー。飛倉ちぎりが一体どのヴァンパイアをベースに変化したのか解らない以上、正直ぼくの方が圧倒的に不利だと言わざるを得ない訳で。
「それじゃあいきなり全力で――叩きのめさせてもらうっすよ!」
だから最初の一撃は、全力回避から始まった。
十メートルの距離を二歩で詰め、吸血鬼が突撃する。
爆発的に砂塵を吹き上げ一直線の勢いはまるで列車の高速進行。
ギリギリのところで右側へ跳んで直撃を回避。
顔に砂粒を受けながら、右足を軸にぐるっとターン。
こちらに振り向く飛倉ちぎりと丁度器用に目があった。
「へぇ、鮎川くんって結構動けるヒトだったんす、ねっ!」
「いやコレそこそこ無茶してるつもりなんだけどね。
それよりも校庭めちゃくちゃにしちゃって大丈夫? 片付けとか大変だよ?」
「そんなの人間に任せておけばいいんすよ。明日のネットニュースでも騒がしとけば喜ぶ人だって出てくるでしょう、と!」
そして飛んでくる攻撃の二発目。
顔面を掴み上げようとするアイアンクローを上半身を振って回避。
その勢いのまま倒れこんでハンドスプリング、飛倉さんの後ろへ回る。
狙うは背後からの羽交い締め。
地面を蹴って近寄って、組みつこうとしたところで――
「――英国方面ドラキュラ選択」
呟きと共に、吸血鬼の姿が掻き消えた。
「……!?」
ついた勢いは止まらない。
そのまま彼女がいる筈の場所を通り過ぎ、グラウンドにごろごろと転がるぼく。
無様な姿を嘲笑うように、虚空から聴こえてくるのはげらげらという笑い声。
「吸血鬼といえば霧になるものだってのは有名な話っすよね?」
「っ……あっ……」
上下逆さまになった視界の中、半透明の飛倉ちぎりが口元抑えてぼくのことを見下ろして。
「しかし実体をなくすってすごい不思議な感覚っすねー。体の奥まで夜気が染み込む感じがして冷たくってぞわぞわして正直絶頂しそうなぐらいに堪らない!」
恍惚の表情を浮かべる吸血鬼。
向こうが余裕に浸っている間になんとか、早く、立ち上がれと、四肢に慌てて力を込める。
「私、吸血鬼伝承については色々詳しいつもりなんすよね。まおりの側に居るための努力の一環として図書館巡ったりとかして調べてたんす。
だから吸血鬼の特性は大体覚えて使いこなせる。世界中の吸血伝承その全てが私の力。
これぞ【
真性怪異ヴァンパイアが権能、無敵の力のその名前っす」
「……それ自分で名前考えたの?」
「えっそりゃそうっすけど。格好良いでしょラテン語っすよ?」
「確かにSanguisugaは”吸血の”って意味だけど、それ一般的には吸血ヒルの学名だよ?」
「――マジで?」
「マジだよ」
ちなみにソースはフォークロア。
吸血鬼話をする時に豆知識だよと笑いながら教えてくれた。
衝撃の真実を知って飛倉さんが呆然にかられているその隙に、ぼくは急いで立ち上がる。
まずいなこれは……相手の攻め手は文字通りの千変万化。
吸血鬼に対する信仰全て――欧州の夜への恐怖全てが彼女の力に他ならない。
対策準備ぐらいはして来たつもりではあるけれど、一体どこまで通じるものか。
「降参するなら今のうちっすよ? こちらの手札は何十枚も、けれどそっちの手段は何枚ある? 実力差なんて歴然で、早めの諦めが推奨っすけど」
「そのおすすめに従った場合、飛倉さんは一体何してくれるのかな」
「優しく意識を刈り取ってあげて救急に電話ぐらいはサービスで。会うこと二度となくなるだろうし、そのぐらいの気遣いは安いものっすよ?」
「そう……だね」
飛倉さんはどこかへ去ろうとしていて、そして引き止めるぼくが邪魔だと。
これはそういう戦いだ。非日常へ羽ばたこうとする飛倉ちぎりと、日常に留め置きたいぼくとの戦いだ。
ここで諦めを選んだとしたら、彼女は本物の吸血鬼として夜の世界に消えてくだろう。
それこそ完全にぼくのせい。言い訳不能のパーフェクトギルティ。
取り返せるまでが失敗でないなら、一線を越える結末は何としてでも避けたい訳で。
自分のせいで日常の一部を崩しちゃったとか、そんな結果は嫌だから。
「残念だけど降参する気は毛頭ないね。付き合ってもらうよ吸血鬼」
「――ハッ、鮎川くんは馬鹿っすね! いいっすよ厳しく意識を刈り取ってあげる。そして明日の朝に寒空の下でボロボロになった状態で惨めに見つかれ人間め!」
そして再び、ヴァンパイアが攻撃に動き出す。
疾駆の速度はバレットスピード、こちらに向かって一直線に。
「――アイルランド方面カーミラ選択。痺れて凍えてしまうといいっす」
選んだ権能はデスタッチ。
生命力を奪う亡者の
彼女の振るう一撃は、吸い込まれるようにぼくの胸へと飛び込んで――
――そして、弾かれるように横へと逸れた。
「……!?」
そのまま彼女はたたらを踏んで、右足を軸にきゅいっとターン。
疑問符を浮かべた表情を、こちらの方に向けて来る。
「おっかしいっすね、首筋掴み上げるつもりだったはずなのに、まるで弾かれるような感触で外すとか物理的に何かがおかしいとしか思えない……」
右手をぐーぱーさせながら眺め考え込む吸血鬼。
その姿を見て、策が通じた手応えに内心安堵。
「物理的におかしいのなら考えられるのはオカルトのロジック。……成る程。魔除けっすか」
「……気づくの早いね?」
「吸血鬼ほど弱点が多い怪異もそうそうないっすからね。パッチワークを一纏めにしてるんだから当然っすけど。鮎川くん、その服の下に何か仕込んでるっすね? 恐らくはそう――柊あたりを」
「正解。クリスマス明けた夜だから、その辺のリースの残骸から簡単にね」
オカルトの吸血鬼に転じた以上、弱点もまたそれに殉じる。
ポケット全てに柊の葉を詰め込んだコートは対吸血鬼用の装甲服。
真性怪異相手に戦いを挑めた理由がこれだ。勝算自体は持っている。
けれど。
「直接触れないと言うのなら、それはそれでやりようがあるっすよ?」
ヴァンパイアは笑った。
不敵なそれは自信の表れ。矮小な人間の小細工なんて踏み潰してやると奢っている。
「――スラヴ方面クドラク選択。邪悪の炎で焼かれてしまえ」
選んだ伝承は悪なる黒鬼。
あらゆる災禍の原因にして、善なる存在クルースニクと永遠の戦いを続ける吸血鬼。
彼の吸血鬼は黒獣や火輪に転じ暴れるという。
その通りに、彼女の右腕は黒い炎に包まれて。
「物理が無理なら特殊で行けばいいだけの話。邪魔な雑草の処理法なんて焼き払いこそが一番っすよね?」
獰猛な獣の笑みを浮かべて、吸血鬼が再度攻勢に移る。
腕に纏わせた黒炎が鞭のように伸びて、しなって、ぼくへと向けて襲いかかる。
後退するのでは避けきれない。
横へ避けるのでは逃げきれない。
だったら。
「………っ!」
身を守っていたコートを脱ぐ。
それを体の前面に構えて、盾にしながら炎の壁に突撃した。
「なぁっ……!?」
身を守るものを捨てたことに対してか飛倉さんの驚きが聞こえ。
その反応も当然だ。生命線の放棄に等しい自殺行為。
常識的に考えるならまずありえない選択で、しかしだからこそ効果的だ。
熱さは通り抜ける一瞬だけ。
火が燃え移ったコートを投げ捨てて、ぼくはグラウンドの上を転がった。
炎が残っている部分がないことを熱感覚で確かめて、両手をついて立ち上がる。
そして全力で走りだす。
飛倉さんとは逆方向に。
「なっ……逃さないっすよっ!」
呆然から立ち直った吸血鬼が追走を始める。
人外の速度は凄まじく、しかし呆然の隙に距離は稼げた。
勿論刻々詰められていくが問題ない。十分目的地まで辿り着ける。
あと五メートル、四、三、二、一――
「捕まえたっす」
「こっちがね。――GO!」
ぼくに伸ばされた吸血鬼の腕、そこに横から飛びかかるものがあった。
約一メートルの体高、灰被りのような体色、そして鋭い牙を構えたそれは――
「――!」
切り札その二。
人狼の牙によるサプライズアタック。
スラヴやジプシーの伝承曰く、狼は吸血鬼の敵である。
ユーゴスラヴィアの伝承曰く、地上の吸血鬼の最期は狼に引き裂かれることである。
吸血鬼に対する護身ではなく攻撃型の伝承特攻。
結局ここまで付き合わせちゃった委員長には後でお礼でもしとかないとかなと、そんな場違いを考えながら、追撃に移ろうとしようとして――
「――ポルトガル方面ブルクサ選択」
右腕に噛み付いた狼を、軽く振り払うヴァンパイアを見た。
ぼくは予想外の展開に一瞬怯み、そして吸血鬼はそれを逃さない。
守りを失ってガラ空きのボディに正面からキックが叩き込まれる。
「ぐッ……かッ……」
人外の膂力を受け止めて、後方へと吹っ飛ぶ体。
おかしい。どうして伝承特攻が効かなかったのか。
最初の柊は効果があった。つまり相手はしっかりオカルトの吸血鬼。
真性怪異は物理を無視した超常だ。
だけどもしかしそれが故に、独自のルールに逆らえない。
それがオカルトの存在であるはずなのに。どうして。
「抗菌剤を使えば耐性菌が生まれるように、伝承特攻を生み出せば効かない例外もまたあるってことっすよ。ポルトガルに伝わるブルクサという女吸血鬼は、通常の吸血鬼の弱点が通用しないという伝承を持っているんす。
やー、驚きの不意打ちだったっすよ。そういえば名賀さんがちょくちょく喋ってたっすねえ鮎川くん家の犬の話。吸血鬼的な視点を除けばそんな嫌いじゃないんすけど、やっぱり狼の眷属と吸血鬼は相いれないっすよね」
両手を広げて嗤いながら、吸血鬼が答えを告げる。
弱点無効化だなんてそんなのありかという反則ギミック。
弱点を持たない人間以上。そんなもの、本物の怪物だ。
「まあ鮎川くんは十分頑張ったんじゃないすかね。人間のままで吸血鬼に対して食い下がろうとしてるだけ凄いことっすよ。大賞賛で勲章もの。それだけの事実で誇れるんだからここで諦めたっていいじゃないっすか」
「人間のままで、ね」
苦笑する。痛みをずきずきと感じながら。
滑稽な話だ。人間を辞めれたと歓喜する吸血鬼は、眼前の相手が人間でない事を知らない。
そしてぼく自身だってその全開を振るわないのはただの信条と心情の問題でしかないというのが輪をかけて。
「罪悪感でも感じてるのかも知れないけど、今は別にもう気にしてないっすよ。むしろ吹っ切るきっかけとして感謝に変えてもいいんじゃないかなーとすら思ってるから、それを受け入れてこの辺で自分はよくやったしこれぐらいでいいやと、引き下がるべきじゃないっすかね?」
「かもね」
それは憂里にも言われた事だ。罪に思う必要なんてないと。
そもそもぼく自身だって抱いた感情が罪悪感であるかどうかさえ解らない。
感情に名前をつけることを放棄したままでここまで来たのは事実だから。
そう。ぼくがここまで来た理由はきっと罪悪感ではない。
常識だとか道徳だとか思いやりだとか正論だとか、そういうものですらなく、
「だけど、委員長に言われちゃったから。私を理由にしていいって。人に頼まれた事だったなら最後までやらないと不義理だろう」
「……驚いた。本当にそういうキャラだったんだ。人でなしとばかり思ってたのに」
「……?」
それはどういう驚愕だろう。
そんなに驚くような事を言っただろうかぼく。
「まあいいっす。自分の意思で引き下がってくれないというのなら、私の意思で引き下がってもらうしかないっすかね」
吸血鬼は笑う。
その牙を剥き出しに見せつけるように。
「血を吸った者の奴隷化は吸血鬼の権能として有名だと思うんだけどどうっすかね。
大丈夫、恐れる心配はないっす。痛くしないし、むしろ気持ちいいぐらいだから」
誘うような甘い声。
とろけるようなヴァンパイア・キッス。
身を委ねてもいいかなあと、一瞬くらりと思うぐらいにデンジャーで。
「残念だけど遠慮したいかな、それ。キスマークとかつけて帰ったら怒られる」
「へえ。そういう相手が鮎川くんにもいるんすか。けれどダメっす。誰のものかも解らなくなる口づけを持って帰って勉強代にしてちょうだいなと」
そういって、飛倉ちぎりはぼくへと迫る。
倒れこんだままのぼくに顔を近づける。
吸血鬼の体温は冬の空よりなお冷たくて。
熱のない吐息が首筋にかかる。凍りつきそうな寒気が背筋に走る。
数秒後に来るだろう痛みを、無念とともに待ち受けて――
「――あれ?」
しかし、その瞬間は来なかった。
「――やっと見つけたわ」
代わりに響いたその声は、剣月まおりのものだった。
◇
【NeXT】
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