【非日常】鮎川羽龍【真性怪異ヴァンパイア 五】


                    ◇



『やあ、わざわざ電話をかけてくるということは、彼女と出会ったんだね鮎川くん』


 電話機の先、憂里みくには見通したようにそう言った。

 飛倉さんが去って言った後、どうすればいいのか解らなくなったぼくは憂里に電話をかけてみた。理由は正直なんとなく。後はぼくが話せる相手がそれぐらいだから。真性怪異絡みで話を出来る存在はそうそう数がいる訳でなく、そのうち一人は怪しんでるので論外だ。


『クロアから話は聞いててね。また一人悩める少女に手を貸したってさ。くっくっく、いつのまにか彼も恋愛問題に関して手助けできるような人間、いや人外になっていたとはね』


「やっぱりあいつの仕業なんだ」


『それ以外の誰かであるよりはマシだと思うけどね? 生まれつきではなく強制昇華でもなくクウェンディ症候群から自然覚醒する真性怪異の類は大抵は異常深度の渇望を持った常識埒外の存在だ。自分の身近にそういう人がいて気づけなかったことはかなり悔しいことだと思うけどね?』


「それって嫌味かな。それとも自虐?」


『好きに捉えればいいよ鮎川くん。ボクに言えるのはボクはボクのことを恥じていないし鮎川くんのことは大好きだってことだけだぜ?』


「はいはいありがとう。それで、ぼくは一体どうすればいいか悩んでるんだけど」


 憂里のラブコールを無視して、自分の悩み事を問いかける。

 フォークロアが何をしたかだとか憂里のいつもの冗談だとかより、重要なのはこの先だ。


『むぅ、相変わらず淡白だね鮎川くん。

 そして何をすればいいかだって? 決まってるだろうにそんなのは。

 ? 別にキミに何かする義務はないだろう』


「…………」


 そして戻ってきた返答は、ぼくの以上に辛辣で。


『そもそも鮎川くんは勘違いしているようだけどね。


 人の別れって、別によくあることだろう?


 喧嘩転校進学死別、人と人とがコミュニケーションを断絶するような要因はこの世のどこにでもありふれて転がっている。相手がついた嘘に触れてしまってそのままディスコネクトとかきっとそうそう珍しいものではないパターンだ。キミがやったのは特別な何かでもなんでもないんだよ。一々そういうことで気に病んでいたら人間は生きていられない。罪過を忘れ責任を転嫁し日々の流れで希釈してあーあんなこともあったなあと失敗を適当な思い出に作り変えていく醜悪な精神活動こそが健全な人間の生き方だ。それに倣っても誰も責めない。


 それにだよ鮎川くん。あいつはなんだかんだで自由意志を何よりも大事にする男だ。そもそも自由意志を尊ぶが為に夜の世界に踏み出して百鬼夜行を率いることを決めたのがあの真性怪異フォークロアだ。だから無理強いをしたり口先で人を変心させたりするようなことを奴はきっとしないだろう。ウェアウルフという失敗を得た今なら尚更で、人選は熟慮を持って誘うだろうというか後悔と決意を直接聞いた。つまりこの決別も変異も彼女の意思で、他人がそれに口出しするのも大きなお世話が正確だ。


 償うべきような罪過でもなければ、誰かに義務を課せられた訳でもない。

 当たり前だがそのことの理解認識把握をしなよ。

 キミが抱いてる感情はそのどちらでもないことを』


「…………」


 確かに憂里のいう通りなのだろう。

 フォークロアが嘘につけこんだとしても、闇夜への跳躍は飛倉さんの自由意志で。

 同じ嘘つきとしては、嘘をつき続けていることの辛さは正直解ってしまうのだ。

 砂上の楼閣。崖縁の踊り。

 延々と続く自殺遊戯に終焉を。それも出来れば都合よく。

 その渇望を抱いたことが一切ないとは、口が裂けても言えなくて。

 ならばこれは嫉妬なのだろうか。憂里みくにのいう通り。

 嘘つき同盟から一抜けを決めた飛倉ちぎりの、その勝利を滅茶苦茶にしてやりたいのか。


 それ以前に。

 そもそもぼくは飛倉さんにどうなって欲しいと思っているのだ?


 飛倉ちぎりとぼくの関係は、別に深くもなんともない。

 クラスメイト。四十人ぐらいいるうちの誰か一人。

 世の中の常識はクラスメイトとは仲良い友達で当然であると謳うけれども、実際の教室は限られた相手以外とはディスコミュニケーションが当然だ。ぼくが話す相手はせいぜいが委員長、剣月さん、そして宮雨と名賀さん程度のもので、飛倉さんとの関係は『友達の友達』程度と言うのが表現として完璧だろう。友達を他人より一つ上の存在と定義するなら、友達の友達なんて距離はまさしく他人に他ならない。そして他人に対する過剰干渉はどちらも幸せにならないということは人間社会の常識の最たるものだとぼくは思う。


 なのに。

 どうして。

 自分はこんなに、何かに迷っているのだろう。





「――鮎川くん!」


 その呼びかけが耳に届き、ぼくはふと我に返った。

 声の方向へ振り向くと、委員長がこちらに向かって駆けてきている。


「ごめん憂里、人が来たから電話切るね」

『あら残念。まあもう少し悩んでみるといいさ鮎川くん。決断するのは君自身だ。気にするべきは君の内面の問題だ。答えを出せることを祈ってるぜ』


 通話が切れる。

 ぼくは委員長と目を合わせ、彼女に声をかける。


「……あ、委員長」


 特に感情とかを込めた気もない応答は、あんまり元気のあるものにならなくて。

 それを聞いた委員長の顔が心配の色に少し曇って、なんとなく軽い罪悪感。


「さっきの飛倉さんでしたよね? なんだか別人みたいな雰囲気漂わせてましたけど」

「うん。ていうか見てたんだね」

「話してる最中だったから、声かけるタイミングつかめなくって」


 委員長は申し訳なさそうにもじもじしている。

 真性怪異がその存在感を出している時は、人間はそこに近づきにくい。

 そこにいるだけで空気を幻想に幽玄に非日常に、そう作り変えるのが真性怪異の特性だ。


「何を話していたのかはよく解らなかったんですけど、変わってしまったんですね、彼女」

「うん。どうも本当に人間をやめて、本物のホラー映画の吸血鬼になっちゃったみたい」


 どうやってかは解らないけど、と一拍遅れて付け加える。

 もちろん嘘だ。あいつのことまで委員長に話すわけにはいかないから。


「……やっぱりそうだったんですね」


 委員長は軽く一人で頷いて、


「飛倉さんは、ただの人間だったんですね」

「何時から気づいてた?」

「今さっき。話を盗み聞いてるうちになんとなく」


 そう言えば委員長も正体を隠している組だったなと思い出す。


 人間であると誤魔化し続けている真神はずきと。

 人間でないと誤魔化し続けていた飛倉ちぎりと。


 求める結果は真逆であるけど、しかし彼女たちも同類だった。


「追いかけましょう、今すぐに。まだ遠くへは行ってないはずですからっ」


 訴えかける委員長に、だけどぼくは首を横へ振った。

 そのまま俯いて、重力に任せて落ちろとばかりに言葉をこぼす。


「ごめん、ぼくにはもうどうすればいいか解らないんだ」

「……えっ」

「飛倉さんを連れ戻すっていうことは、彼女の邪魔をすることだろう」


 人の嫌がることをしちゃいけません。

 それは人間関係の最優先注意事項。

 彼女は吸血鬼になることに憧れていたんだろうというのは、ぼくでも流石に解るから。

 どういう手段であろうとも、彼女の夢は叶ったのだから。

 あの夏にぼくが願い続けていたのと同様に。


「第一、飛倉さんがああなったの、間違いなくぼくが理由なんだよ。

 昨日の夜に、うっかり口を滑らせちゃったから」

「…………」


 そう。嫌がることはもうしている。失敗は既に刻まれている。

 失敗なんて人でなしの必然で、そしてこれからも繰り返し続けるに決まってる。


「そもそも。連れ戻した方がいいんだというなら、なんでぼくはさっき、突き放すようなことを言ったんだろう」

「…………」


「あんな言葉をかけた後で、戻ってこいなんて言っちゃってもいいんだろうか。

 そもそも、次会った時にしっかりとそれを言えるんだろうか」


「それは……」


「初めてなんだよ。こういうことは。ただ思ったことを言っただけで何故か人でなし扱いされることなら数えるのを忘れた程度には沢山あった。そのぐらいならぼくはそういう生き物なんだって理解してるから気にしないことだってできた。けど。それは失言だろうと解ってるのに串刺す言葉を重ね続けるのが止まらないのは今までなかったことなんだよ。どうしてこうなってしまうのか自分でも解らない経験はこれが最初で、だから次に何をすればいいかなんて全く考えつかないんだ」


 人でなしなんてこんなものだ。

 正しいことなんて出来やしない。

 何をすればいいかも解らない。

 人間なら出来て当たり前の事を成し遂げられない。

 一度枷を外すと、堰を切ったように流れ出す。

 呼吸が荒くなる。肩が上下する。

 正しいってなんなんだろう。

 人間ってなんなんだろう、

 ぼくって一体なんなんだろう。

 解らない。


「何をすればいいかが解らないんですよね?」

「うん」


「それじゃあ、んです?」


「え……?」


 俯いていた顔を上げた。

 考えていなかったことを尋ねられて、ぼくの思考が停止する。


「『やっちゃいけない』で悩むってことは、やらないのは嫌だってことでしょう?」


「だけど、ぼくにはそれをする資格も理由も――」


「ないから困っているってことは、それが欲しいってことですよね」


 だったら。


「私を理由にしちゃってもいいんですよ?」


 恥ずかしそうにそう言って、委員長はにこりと微笑んだ。


 真神はずき――確かにきみは委員長だ。

 クラスメイトの事を考えられるいい人だ。

 きみを委員長と呼ぶ事が出来て本当によかったと思うから。


「私は飛倉さんに勝手にいなくなられるのは嫌ですから。

 そんな私のお願いに付き合ってくれると、そんな理由で動いてみるのは嫌ですか?」


「そうだね」


 呟く。

 自分の意思を、思っている事をはっきりと。


「ぼくも、飛倉さんがここでいなくなっちゃうのは困る」



                    ◇



「ところで委員長、」


 結論がいい感じに出たところで、気になっていたことを聞いてみよう。


「……どうしてそんなに服乱れてるの?」

「えっあっあのっ、それはですねっ」


 ばばばっとスカートを押さえる委員長。

 その格好は飛倉さん家の前で別れた時と比べてかなりぐしゃぐしゃと言っていい。

 まずこの寒い時期なのにコートを脱いだ制服一枚。凍えているのか震えているし。

 そしてその制服も体育の時間の後のようにしわが寄っていたりシャツがはみ出ていたり。

 極め付けに腰のところは何かを隠そうとしてるかのようにもじもじしている。

 まさかその下はとんでもない事になってるんじゃないかと、宮雨みたいな邪推まで抱く。


「飛倉さんを探すのにどうしようと思った時、に気がついたから、えと、その、あの、……一回脱いで来たのでそのっ」


 納得。

 道理で飛倉さんが去った後すぐに出てこなかった訳だ……。



                    ◇



 という訳で人目につかなさそうなところでの委員長お着替えタイムである。

 委員長の姿は近くの草陰に隠して、そしてぼくが見張り番。


「見てないですよね……? 誰も来てないですよね……?」

「大丈夫だよ。委員長の恥ずかしい姿を見れる相手は誰もいないから」

「恥ずかしい姿とか言わないでくださいー!」


 やっぱり人型で全裸は恥ずかしさが違うらしい。

 なぜだろう、一糸纏わない姿での外出とか日頃から一緒にやってるというのに。


「い、今から脱ぎますからちゃんと見張っていてくださいね……?」


 不安そうにそう言葉を漏らして、彼女は茂みに身を隠していく。

 その姿が見えなくなったのを確認し、ぼくはそこから背を向けた。

 変身中とかあんまり見せて面白いものでないのは、少し考えれば解ることだし。

 人間の形を崩していくのは、そんな見目麗しいものでもないだろう。


「人いませんよね……? 見えてないですよね……?」

「あっ宮雨がお巡りさんに連れられてこっち来てる」

「きゃいん!?」

「冗談だよ、誰もいない」


 そして聞こえるため息の音と安堵の気配。打てば響くとはこのことか。

 委員長の反応は楽しいから、ついつい遊んじゃいたくなる。


「……きゅ、ん……みっ……」


 枯れかけた枝葉が擦れる音に混ざって、衣摺れの音が聞こえてくる。

 そしてそれが止んだあと、一拍遅れて耳に届く嬌声。


「んっ……はっ……あんっ……」


 散歩の前には毎回聞いているものなのでそろそろ慣れて来たつもりだったが、こうやって野外で聞くとなんとなく気持ちも違ってくるなと感想を抱く。

 このまま見張りを続けるのをやめてここを去ったら、それに気づいた委員長は一体どんな顔をしてくれるんだろうかと、そんな嗜虐的な仮想が頭に浮かぶ。


 やらないけどね。


「うきゅ、……ふう。終わりましたっ」


 そうして草の陰から這い出してくる灰色狼。

 さあ、ここからは非日常の本格開始。オカルトクエストの時間が始まる。


「私のこれで時間とっちゃいましたし、急いで飛倉さんを探しに行きましょう」

「そうだね。早く行こうか。案内してくれる?」

「はいっ!」


 大変で面倒な非日常のスタートに対し、ぼくは一体どんな表情をしていたのか。

 誰も見てない夜の中。星散る空のその下で。

 日常の一部を取り返すための探索行へ、全力で最初の一歩を踏み出した。



                    ◇



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