【日常】鮎川羽龍【クリスマスの話:本編 五】
◇
唐突だけれど、嘘つきについての話をしよう。
嘘つきが何より恐れるのは、自分の嘘がばれることだ。
嘘は儚い。嘘は脆い。それは誰もが知ることで、だからこそ嘘は悪手とされる。
砂上の楼閣。崖縁の踊り。
いつ崩れるか分からないものを土台にするのは、自殺遊戯と大差ない。
常時常態戦々恐々。安息なんてどこにもない。
一分一秒生きてるだけで、断頭の刃に怯えている。
だから嘘つきは常に気を張り過ごしている。
ばれないように、そぐわないように、自分に課した設定に、迂闊に背いたりしないように。
しかし嘘つきも生きているので、常時気を張ってるわけにもいきはしない。
隠す努力を続けられない。
課した設定を守り続けられない。
それを見ている他人の気持ちを慮れない。
何故ならそいつは日常に生きているから。
何も考えずに生きて行くことを願っているから。
他の人たちと同じように、無思考で生活したいと祈って求めて忘れているから。
なんて怠惰なベルフェゴール。
なんて醜いダブルスタンダード。
嘘つきにそんなものが許されないなんて、心底わかっていたはずだというのに。
そいつを忘れてしまう程、日常のぬるま湯に慣れていた。
そう。嘘つきは常に気を張り過ごしている。
自分以外にも目を向けている。
破滅の予兆に気づくために。気づいた誰かを呪うために。
他人がついてる嘘だって、ひょんなことから気付いてしまって。
そして自らの怠惰によって、最初の煉瓦を崩すのだ。
さあ、日常の終わりだ、鮎川羽龍。
◇
クリスマスパーティも終盤に差し掛かり、遂に主役がやってきた。
つまりお待ちかねのケーキが出た。
ガールズ達のはしゃぎ具合は相当で、疲れかけてたテンションを一気にフルに回復させて。
女の子はどうして甘いものに弱いのか。うちの居候も片手にチョコレートやスナックを手にしている姿を多く見る。体重とか健康とかの話をしてみても「ボクは脂肪が全部胸に行くタイプだからね」といって聞き入れないし、これが事実だから困ったものだ。
「おケーキ様! おケーキ様!」
前言撤回。女の子は、じゃなくて人間は、まで主語を広げよう。
宮雨のはしゃぐ気力すごいなあ……。
「わーたーしーの! 誕生日ケーキっすからね?
わーたーしーのーかーのーじょ! が手作りしたケーキっすからね?」
念入れをする飛倉さん。まさかパーティなのに独り占めする気じゃあるまいな。
とは思うけれども、そんな心配はない程度には大きいホールでお出しされている。
具体的な種類はカカオの香りが漂うショコラケーキ。
量を食べる人がいることを考えてか、大きさは直径五十センチぐらいのビッグサイズ。
だけど多分この八割ぐらいは名賀さんの胃袋に収まるに違いないだろう。
ケーキの表面には綺麗にアイシングがなされており、ホワイトチョコのメッセージプレートには丁寧な筆記体で「Dear My Girlfriend Chigiri! Happy BirthDay!!」と愛のメッセージ。
外見だけで見るなら全体的なクオリティは店売り品と遜色ない。
隣にメイドがついてるとはいえ、どこまで万能なんだろう剣月まおり。
「(……なあ鮎川気づいてるか?)」
「(……何を?)」
「(剣月の指先。バンソーコーついてる)」
言われて視線を向けてみる。確かにさっきまで気づかなかったが、
「(確かについてるね。それが?)」
「(それが? って鮎川お前女の子の指先のバンソーコーをなんだと思ってるんだ! そもそもなぜバンソーコーを装備しないといけないかといえば、用途は一つ傷を隠すため。じゃあ何時指先に傷がついたのか。それはもちろん料理の過程によるものだろう。そしてなぜ傷がついたのか! それは一つの推測を生み出す。
つまり――剣月は、料理が不慣れだということだ! 不慣れな料理で傷を負いながらも好きな相手の為にケーキを作る……その光景を想像してみろ鮎川。何かが胸に込み上がってこないか。俺は来るね。キュンキュン来るね。萌えという感情が心の中に満ちていくね――! くそう羨ましいぜ飛倉さぁぁぁん!」
「宮雨。うるさい」
名賀さんの尻尾によって机の下にずるずると引きずり込まれていく宮雨。
ホラーだ……。
「ま、まおり……私の為にそんな努力を……!」
そして飛倉さんは飛倉さんで感極まってぷるぷるしている。
多分あの指先の傷、料理が苦手とかそういうことではないと思うんだけどなあ。
それはともかく、本題は目の前のケーキである。
メイドさんの丁寧な裁断を経て、まずは一切れずつ配膳。
「ケーキとかあんま食う機会ないんでこういうときお相伴預かれるのはありがたいわマジ」
「ケーキぐらい食べたくなったときにコンビニで買ってくればよくないかな?」
「男と女はその辺感覚違うんでーすー、わかるよな鮎川ー」
「ごめん、どっちもよくわかんない」
反射的にそう答えてしまったけれども、直後、うちの居候のことを思い出す。
アイスやチョコやスナック菓子の買い出しを頻繁に命令してくる憂里を思うと、確かにうん、その辺違いはあるのかもしれない。
そういったことを考えながら、ケーキにフォークを一刺しする。
舌に乗せて感じる甘さは、濃くはなく、くどくもなく、苦みと混ざって程よい感じで、
「うん、美味しい」
「本当に何でもできるなまおりさん!」
「お姉さんも料理できるけど基本はおかずでお菓子系作んないからなー。憧れるかも。あ、もう一切れくださいメイドさん」
早くも二切れ目に突入する名賀さんだった。
「ところでケーキにも色々あるけどさ、みんなはどういうのが好みだったりするのかな?」
そして渡された二切れ目をもぐもぐしながら、そんな質問を投げかけて。
好み、好み、好みかあ……そういうのがよくわからないのもあるけれど、
そもそもあんまりケーキとか食べる機会もなかった訳で、
「特にないかな」
「んもー、鮎川はもー。いや俺も薄々予想ついてたけどさー。
それはそうと俺の場合はチーズケーキが一押しかね。何時か見た甘酸っぱさは初恋の味ってキャッチコピーがちょっとキュンとくる」
「何乙女みたいなこと言ってるのかな宮雨」
「るっせー乙女回路を搭載するのは萌え語りの基本ですー。かがしさんは?」
「フルーツ乗りまくったタイプかなあ。イチゴとかミカンとかキウイとか入ってる奴。沢山トッピングがあるとなんかお得って感じがするし。次委員長パス」
「私は……そうですね、多分普通のショートケーキで」
「うーん、シンプル。理由は?」
「おばあちゃんが昔手作りしてくれたことがあって、それでですね」
語る委員長の表情は、少し懐かしそうにはにかんで。
そういえば委員長の家族の話を聞いたのは、これが初めてな気がするなと。
「んで次、まおりさんは?」
「そうね……ベリー系かしら。赤くて酸っぱいクランベリー。命の色って感じで素敵だわ」
「うわぁーぉベリーヴァンパイア……。
んで主賓、やっぱり好みはチョコレート?」
「そうっすね。前ちょっとまおりには喋ったことあるんすけど、覚えていてくれてたなんて
感激っすよ愛の力っすね!」
キラキラ輝くばかりの表情で興奮する飛倉さん。
「甘いもの好み?」
「まあ人並み程度にはっすけれどチョコレートに関しては特にっすね。
そもそもチョコレートって近代吸血鬼の主食の一つっすし」
チョコレートに血液成分あったっけ、と、脳裏に一つ疑問符が浮かび。
その手の知識もフォークロアなら詳しいんだろうか。
……今のぼくと同じ顔が脳裏でキメ顔を繰り出したので、かぶりを振って追い払う。
「ああ、吸血鬼カーミラのリスペクトな」
みんなが同じく疑問符を浮かべてる中、意外な声が答えを言った。
「……なんで宮雨が知ってるの?」
「それはさすがに傷つくぞ鮎川!? 俺も古典小説読むときだってあるわ!
それはそうと飛倉のネタの話だけど、吸血鬼モノの古典作品のヒロインが、
人前ではホットチョコレートしか飲まないってキャラなんだよ」
「吸血鬼カーミラ……レズビアニズム文学の名著、だっけ」
「おっ、鮎川くんも知ってるんすか? マニアックっすね」
「いや、知り合いがこの前話してただけ。一方的に」
「なんだ、それは残念。傑作なので一読することをお勧めするっすよ」
「美少女同士が気軽にスキンシップで頬にちゅっちゅするんだよなお互い。
全体的に漂うゴシックホラーの儚げな雰囲気と合わせてちょうエロい」
「古典名作を一体どんな目で見てるのかな宮雨……」
「いやいや古典作品ってむしろそういう感じの多いんですよかがしさん?
吸血鬼ドラキュラだって発端は伯爵が人妻に手を出そうとしたとこから始まるし」
「旦那が面倒だからって人妻の友人から狙っていこう、とかかなり酷いっすよねえ」
「それにエロいっつっても下品なエロさじゃなくて上品な耽美さの方でな?
上質な百合とはこういうものかってのが文章だけから伝わってくるんだよアレ。
古典名作は古典名作と呼ばれるだけの力があるんだってのをわからせてくれる一品なので今度図書館で一読してみて百合に目覚めていただきたいと思う所存です」
既に百合カップルのいる場所で布教して意味あるんだろうか。それ。
それはともかく。
「こうやって祝ってもらえるのって嬉しいことっすねえ」
ケーキを食べて、祝福を受けて、今夜の主賓の飛倉さんは満面の笑みだ。
それはとっても幸せそうで、なぜだろう、少し胸のあたりがちくりときた。
「まおりと知り合って、友達ができて、吸血鬼になって本当よかったと思うっすよ」
朗らかな声が胸に刺さる。胸を痛ませる。
なんでだろう、その理由はぼくには解らなくて。
――いいや、理由の半分は明確だ。目を逸らすなよシェイプシフター。
あの男の声が幻聴として、ぼくの脳裏に響いてくる。
――自分と同類の人間が、君と同じ嘘つきが、幸福でいるのが許せないんだろう。
違う、とは即座に言い返せなかった。
なぜなら人でなしの自分には、自分の心すらわからないから。
人間にならわかるんだろうか。
わからない。
ただ始まった胸の痛みは、じくじくずきずきと疼いていって。
理由不明の不快感。
理由明快の不快感。
八つ当たりだ、逆恨みだ、全部理不尽だとわかっていて、それでも痛痒はそこにある。
だからだろうか。
「ねえ、飛倉さん」
胸の痛みのせいだとか。
実は酔っていたのかもしれないだとか。
言い訳だけなら無数の言葉を重ねられて、しかしそんなものに意味はない。
ただ、ぼくは言った。
言ってしまった。
そう、本当になんとなく、悪意なく、躊躇なく、考えなく。
いや、あったはずのそれらを無視して――言った。
「なんで、自分のことを吸血鬼だなんて言ってるのかな」
がしゃん、という音がした。
飛倉さんが持っていたフォークを取り落とす音だった。
それが失言だと気付くまでに要した時間は二秒。
それが取り返しつかないと気付くまで要した時間は更に一秒。
「は、はは、面白い質問をするんすね鮎川くん」
取り繕うとした声が震えているのは、流石のぼくでもすぐに気づいて。
やらかした。
やらかした、やらかした、やらかした――!
そんな思いをポーカーフェイスに押し込める。
こういう時だって嘘つきの腕ならぼくが上だ。
隠す嘘つきと晒す嘘つきでは、嘘つきとしての濃度が違う。
そうやって無意識に張り合っている自分に腹がたつ。
「吸血鬼って見た目からは解りにくい変異ですしね。やっぱり自分から言っていかないと気づいてもらえないんだと思います」
何もわかってないかのように、委員長が予想を言った。
確かにそれは順当だ。解ってもらおうと言葉を尽くすのは、相互理解のために大事な事だ。自分と他人は同じだろうと無邪気邪悪に信じる人間たちに対しては、最初から違うと叫ぶ主張は、きっとおそらく有効だ。
ただし。
日光を忌まず、十字架を恐れず、大蒜の臭いに退けられず、その他思いつく限りのありとあらゆる弱点が存在しない生物としての吸血鬼が、人間にどんな配慮を求めるかという、そんな矛盾に気づかなければ。
「見た目で気づいてもらえるといえば俺牛丼屋行くとよくネギ抜きがいいかって聞かれるなあ。別に食っても大丈夫なんだが」
「あー、お姉ちゃんはバスとかで席譲られるのそろそろもう慣れてきちゃったな……そういう自分に気がつくとちょっと落ち込んじゃうよね」
話はそうやって順調にずれていき、ぼくの発言は忘れられていく。
たった二つ、ぼくの淀んだ後悔と、飛倉さんの笑ってない瞳の色だけ残して。
◇
その後。
結局パーティが終わるまで飛倉さんはぼくと目を合わせることすらしてくれなかった。
当然の結果だというのは、ぼくでも解る。
多分ぼくの失言の意味がわかっているのは、ぼく自身と、飛倉さんと、おそらく剣月さんだけだろう。
救いでもなんでもない。
なぜなら一番届くべきでない相手に、それは的確に届いたのだから。
「ああ――確かにそれは凄いやらかしだね、鮎川くん」
帰宅後。
約束通りもらってきたケーキの残りを食べながら、他人事のように憂里は言った。
「触れられたくない部分をピンポイントで狙い撃つ。本人と大事な人だけが勘づくような言い回しをする。そんな高度なテクニックをキミが身につけていたなんて驚きだよ。それともこれは才能という奴なのかな。うんうんキミにはそういう素質があると前々から思っていたがこれはちょっとボクも気をつけた方がいいかもしれないね。やーい嗜虐魔ー」
「憂里」
「ああゴメンゴメン言いすぎた、だからケーキを返してくれないかな」
取り上げたお皿を机に置きなおす。
憂里は無邪気に喜んで再び食事の時間を再開した。
切る、というより削る、と言ったほうが適切なぐらいに小さく取り分けて、ちまりちまり。
「ところで一体どうやって気づいたんだい? 吸血鬼というのはかなり幅の広い類の変異だ。有名なある特徴がある人には発現しまたある人には全く無縁というのも珍しくない。最低限服の上からでもわかるレベルの外見的変異がない吸血鬼をはっきりと吸血鬼だと認識するのは自己申告にでも頼らなければ殆ど無理だと思うんだけど。気になるね」
「別に。人間だったらそうかもしれないけど。ぼくだから」
相手が人間かそうでないかなんて、
「なってみればわかるものだし」
「ははははは、盲点だった! そういえば新学期初日やっていたねシェイプシフター!
というか頼んだのボクだったね! 暇つぶしにクラスメイトのこと教えてよって言ったら、無言のままきっちり姿トレースして見せてくれたっけかははははははは!」
外見が変異することはなかったとしても、生物学的に変化している以上は内臓の何処かがそういうものになっているのは当たり前で。吸血衝動どうこう以前に、人間の体は血液を受け付けるようにはできていない。舐める程度ならともかくとして、飲むレベルまで行ったなら催吐効果で嘔吐するというのは知る人なら知る情報だ。
当然その日の後に変異が発現した委員長の秘密なんかはわからなかったし、真性怪異の剣月まおりに至っては外見を真似るぐらいしかできなかったが、とりあえず九月の始まり時点でのクラスメイトの体のことは概ね全員分解っている。
「だからさ、その時からずっとこっそり気になってたんだよ」
飛倉ちぎりは。
吸血鬼らしいことにこだわるクラスメイトは。
「なんでただの人間なのに、自分のことを吸血鬼だって言い張ってるんだろうって」
ぼくの素朴な疑問に対し、うちのセイレーンが返した答えは、
「はははははははははははは! やっぱり解らないんだね鮎川くんには! はははははは!」
何時ものように哄笑だった。
「キミはどうだか知らないけどね、人間にはね、理想の自分像というものが存在するのさ。
国語が得意な自分でありたい、誰よりも早く走る自分でありたい、女の子には優しく接する自分でありたい、イケメンでモテモテな自分でありたい、他人の痛みに共感しないで済む自分でありたい、エトセトラエトセトラ、現実にある自分を否定し、上書きしたい自分自身のあるべき姿というものを、誰しも心の中に持っている!
彼女にとっての吸血鬼はソレだよ、鮎川くん。
人間である自分を否定してでもなりたい自分の理想像。己がそれをアイデンティティと決めたのだから吐き通すべき嘘のドグマ。百度千度と唱えたところで真実になんてなりはしない悲しく空しいパラノイアチャント。ドンキホーテは何時か楽しく可笑しい夢から醒めて、羞恥のままに屍を晒すと言うのにね!」
「……ふぅん。だけど、なんで吸血鬼なんだろう」
性格とか、特技だとか、そういう取り繕えるものではなく。
こういう時代でなかったならば、すぐに嘘だとバレるようなオカルティクスに。
「さあね。そんなものは個人の趣味としか言いようがないさ。
何を理想と掲げるかはそいつの趣味嗜好で千差万別万華鏡。それに一々何か言うのは世界を平坦にしたい大人達のような狭量ささ。理想は理想で好きに掲げればいいものだ……と言えたら世界は楽なんだけどね。残念だけどそうはいかないのが人間心理というものだ。
掲げた理想は誰かと共有したくなる。
格好良すぎる理想の自分は誰かにそれを褒め称えて欲しくなる。
自らを吸血鬼と言い張るような非現実的な夢想は結局のところ価値観の共有ができていないだけだ。
それを続けてれば何時か同類が自分を見つけてくれるかもしれないと、何時か他人を感化して同類に引きずり込めるかもしれないという精一杯のあがきなだけだ。
だけどそんなことは誰しもが常識を持っている以上ありえない。
非現実的な夢想は常識の二文字の前に妄想だと切って捨てられる。
己の中にも社会常識はある以上、自分自身のコピーにすら通じない。
深海の奥底で光を求めて窒息するようなもの。
他人と違う憧れを持った人間は、非現実に憧れた人間は、その時点で詰んでるんだよ。
――本来ならね」
意味深に付け加えられた一言に、思い出すのはある男の顔だ。
ここ半年の間、鏡を見るたびに遭遇するものと同じ顔だ。
非常識を、非現実を、非日常を求めた結果、自ら輝くようになった百鬼夜行の主様。
あいつの放つ光なら、海の底にも届くんだろうか。
「とは言ってみるけれども、今回の場合は少し話が違うだろうね。
飛倉ちぎり。彼女の恋人は吸血鬼だ。
彼女が知るかは定かでないが、本物も本物の真性怪異だ。
そんなものに見初められ選ばれたんだ、己自身に不安も持つさ。
自分は彼女に見合うのか、ただの人間でしかないというのにって恐れをさ。
せめて設定の虚勢でさえも彼女と対等にありたいなんて、全く健気な想いじゃないかい?」
「…………」
誰かの隣にいるための嘘、かぁ……。
自分がついてる今の嘘も、広義の意味ではそれに入るのかもしれなくて。
それじゃあ一体ぼくの嘘は、誰のためにあるんだろうかと。
そんな、答えが解りきった疑問が、脳裏に少しよぎってしまった。
「それにしてもキミにも嫉妬心というモノがあったとはね。
くく、ちょっとボクの目も曇っていたかな?」
「……嫉妬?」
「そう、嫉妬。妬み。嫉み。自分の持っていないものを持つ人間を呪う感情。
随分と人間らしくなってきたじゃないか人でなし。半年ってのは早いのかな遅いのかな」
「それは褒めてるのかな、それとも失望してるのかな」
「好きに受け取ればいいさ。どっちだとしてもキミは意に介さないと信じてるよ」
憂里みくにの表情は、相変わらず嘲るようなシニカルスマイル。
感情は見えない。感情は解らない。
この人魚姫がわからないぼくに、果たして人間が解るんだろうか。
「それでもやっぱりボクの元を離れて変化されるのは不愉快かな。
鮎川くん、ちょっとこっち来なよ」
手招き。
誘われるがままにそちらによると、憂里はその細い腕で、
「よいしょっと」
ぼくのことを引き寄せる。なされるがままに寄りかかる。
憂里の大きい胸に、ぼくの頭がすぽりと埋まって。
「こういう時に性的な反応を浮かべないのがキミの素敵なところだよ鮎川くん。
人間に感じるような恐ろしさがないのは、実に実にいいことだ」
そのまま、彼女はぼくの頭を抱き寄せて。
そして耳元で囁くのだ。
「鮎川羽龍。ボクの道具。ボクのしもべ。ボクと繋がる一蓮托生。
あの夏の夜、ボクと交わした契約を、ちょっと今から思い出せ」
耳から毒を流し込むように、彼女の言葉が脳に染みる。
セイレーンが語るカースド・ソング。
それはまるで砂糖菓子のように、甘く溶かしていくウィスパー・ボイス。
「キミは嘘つきだ、鮎川くん」
知っている。
「キミは人間じゃない、シェイプシフター」
知っている。
「キミの秘密は誰にも教えられない、人でなし」
知っていることを、当たり前のことを、憂里はぼくに投げかける。
崩れかけていた鮎川羽龍というキャラクターを、再び固めなおしてくれる。
「だから、キミはずっとボクの隣にいなきゃいけないしそこ以外に居場所はない。鮎川羽龍が人間でないということを知っているのはボクだけでボク以外にそれを受け止められるような存在は何処にもいない。ボクとキミは没交渉で無関係で互いに別々の存在だけども、しかしボクらは運命共同体だ。あの日誓った契約の通り、ボクの隣で手足でいろよ、シェイプシフター」
静かな部屋に、憂里とぼくの心音だけが響く。
どくり、どくりと、一定のペースで鳴る音が、ぼくの精神を調律していく。
ぼくは憂里のことはほとんど知らない。
けれど、憂里はぼくのことをほとんど知っていて。
偽物であるぼくと。
本物である憂里と。
積んできている過去が、中に詰まっている重量が、きっとあまりにも違いすぎる。
憂里みくにはアンカーだ。
流されてしまいそうなぼくを海の底へと引き留めてくれる錘。碇。
彼女に繋がれている限り、ぼくはぼくのままでいられるだろう。
何者でもない人でなしから変われないでいられるんだろう。
「……と、さて、このぐらいでいいだろう」
憂里が下がり、ぼくは抱擁から解放される。
人肌の暖かさから離れたせいか、十二月の室温の寒さが急にしみる。
「ところで鮎川くん、このケーキに魔除けが仕込まれてたの気づいていたかい?」
「……まあ、剣月さんを見てればなんとなく」
自分の味覚や飛倉さんの嘘に合わせていた訳でないのなら。
彼女の指先の絆創膏は、つまりはそういうことだろう。
「というか魔除けなんだ、ソレ」
「まあそんな有名なものではないしね。くく、こんなマイナーなものまで知ってるなんて
眷月の一族とは一体何か、ちょっとばかし興味湧いたりしないかい?」
「別に」
「だろうね。そう答えると思ってたよ」
言葉と裏腹に憂里は少し残念そうで。
だけどぼくは理由もなしに好奇心だけで伝奇小説の世界に踏み入るような、そんな性格はしてないのだ。
どうせ逃げられはしないけどね、と、脳裏であいつが囁くけども。
ぼくは平穏な明日が欲しい。
「まあ飛倉ちぎりには明日の朝にでも謝っておくべきだろうね鮎川くん。
勘違いだと、気付いてないと、そういう嘘で塗替えして、なかったことにしときなよ」
謝る、かあ……。
人間関係に疎いぼくには、どうすればいいかわからないけど。
自分がやってしまったことではあるし、しっかりけじめはつけとくべきで。
「……偽物のくせに」
自分がどこまで相手のことを思えているのか、解らず何時もの口癖が出た。
明日。明日。平穏な明日ではないだろうけど、その原因は自分のせいで。
偽物だからこうなるのか。
本物の人間だったらもうちょっと上手くやれるんだろうか。
そんな思いを抱きつつ、後悔込めて、重い溜息をまた吐いた。
◇
翌日。十二月二十五日。クリスマス。
教室に飛倉ちぎりの姿は、なかった。
【NeXT】
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