【日常】鮎川羽龍【クリスマスの話:本編 参】
◇
混沌がそこには渦巻いていた。
嵐が吹きすさぶが如く、狂乱の音が場を満たしていた。
そこにあるのはワインの海だ。
そこに降り注ぐはブランデーの雨だ。
芳醇な酒気が大気を満たし、その空間にいる者の正気をゆらゆらと甘く蕩かしていく。
かつて酒の神バッカスの祭りは人間の意識と神の要素を融合させる儀式であったという。
ならばこの宴に興ずる者たちは、果たしてどんな神を降ろそうとしているのか。
さて、現実逃避をやめて前を見よう。
今聞こえてる音をなんとか人語に変換するとこんな感じだ。
「あはーはーはー鮎川くん鮎川くん鮎川くんお代わりくださいもっともっとわんわん!」
「あっれーなんか宮雨が一杯見えるよー? ネコミミがふたーつ、ネコミミがよーっつ、ネコモミがななーつ、きゃはははははははは!」
「まおりー、もっとちゅーしてほしいっすー」
「はい、ちゅー」
どうだろうか。狂乱の一端でも理解して貰えただろうか。
この場で少数派の正気なぼくは、もう一人の正気な相手を見てぼやきを漏らした。
「ねえ、宮雨。この惨状一体なんだろう」
「俺に聞くな鮎川。いや本当に俺に聞かないで答えられないから」
二人で一緒にため息を吐いて、ここまでの経緯を思い出す――
◇
広々とした玄関ホール。
天井にはぐるぐる回る大型ファン。
照明の光は暖色系で灰白チェックの壁紙を橙色に染めていた。
「ほわー」
間の抜けた感嘆を漏らす宮雨。
ぼくも声にこそ出さなかったが、それなりの驚き程度は受けていた。
憂里が見ていた推理アニメーションとかから得ているイメージ通りの館の内装というかなんというか、ここ本当に日本でクラスメイトの家なのかと、そんな思いがもう一度よぎる。
「なんか殺人事件でも起こりそうな雰囲気あるなコレ」
「……宮雨」
低い声で脇腹を小突く名賀さん。
「ん……悪ぃ」
「悪い殺人鬼さんはいないけれど怖い吸血鬼ならここにいるわよっ。がおーっ」
「きゃー怖いー、きっとこの先連れて行かれるのは厨房で今日の夕飯に並べられちゃうんだ」
「デザートはちぎりって決まってるから、あとはどういうメニューにしようかしらっ」
名賀さんはなんだかダシが取れそうだし、委員長はいいお肉になりそうよねっ、とか物騒な品定めをすんすんとする剣月さん。
「いっいいお肉ってどういうことですかっ」
「こういうことよっ?」
後ろから委員長を抱きしめて、そのまま両手で胸をぎゅーっと。
宮雨がそれを凝視し出したので、名賀さんの代わりにチョップしておく。
「お嬢様、人間の乳房は筋張っていてあまり食用になりません」
メイドさんが淡々と少しズレたツッコミを入れる。
そもそもなんでそんなことを知っているんだ、という疑問は頑張って喉の奥に沈めて。
この世には知らないほうがいいであろうことは、当然ぼくにだって分かっているのだ。
「鮎川くんは一体何になりたいかしらっ?」
「人間のままでいたいよな鮎川ー」
「……あ、うん。人間は食べ物じゃないからね剣月さん」
「そもそもここ人間でない方が多くないかな? 鮎川くんと委員長の二人だけ」
「……そ、そうですよねあははははー」
なんでこんな危険球ばっかり飛び交ってるんだこの会話!
全部知ってるぼくは気が気じゃないぞ!
「お客様、そろそろ食堂へご案内します」
頭を抱えそうになったところで、助け舟を出すかのようにメイドさんが移動を促す。
促されるままにぼくたちは洋館の廊下を並んで歩く。
「なー剣月、壁にちょくちょくついてるこの模様何? ♂マークをひっくり返したようなの」
「それは眷月の家紋ねっ。何がモチーフなのかは私も知らないけれど」
家紋……。また日常生活で聞かないワードがそこに。
やっぱりこの剣月邸は、ぼくにとっては異空間だ。
日常を離れた不可思議の異郷。一時を過ごす鶯浄土。
見るなの禁忌はどこにあるかと、少し不安が首をもたげた。
◇
通された食堂の光景も、予想していたもの通りだった。
白いテーブルクロスのかけられた長机の一辺に椅子が二つずつ。
机の上には幾つか燭台が置いてあるが灯る光は蝋燭ではなく電球のようだ。
「おっ、やっと来たっすね。こんばんはー」
先に座っていた飛倉さんがこちらに向かって挨拶をしてきた。準備側だったのかそれとも家が近いのか。ひょっとするとパーティが始まる前に色々二人で何かしていたのかもしれない。何かの内容については、うん、考えないことにしよう。
「こんばんは」
挨拶をし、ぼくたちもメイドさんに促されるまま席に着く。
順番は最上席の剣月さんから時計回りに、飛倉さん、ぼく、宮雨、無人二つを挟んで反対側に委員長と名賀さん。
「そういえば、一日早いですけど誕生日おめでとうございます飛倉さん」
「ありゃま、覚えててくれたんすか委員長。なんか恥ずかしいっすね」
照れ臭そうに頭を掻く飛倉さん。
「友達ですからね! ちゃんと覚えてますよっ」
心なしか『友達』の単語に力を込めるような感じで、むんすと委員長は胸を張り。
しかし友達、友達かぁ。
委員長にもそう呼べる相手が出来ていたのかと、少し感慨を抱いてみて。
……なんだろう、この心によぎるモヤモヤは。
「へーえお姉ちゃん初耳だよ。とりまおめでとー」
「クリスマスが誕生日とかなんか格好いいなあ」
「それ気にしてるんすけどね! ね! 吸血鬼的に!」
そこだけは絶対に譲れないと言わんばかりに、飛倉さんはきしゃーとなる。
一体何を気にすることがあるんだろうか。ぼくにはよくわからないけれど。
「キリスト教のお祭りと被ってるのってなーんかヴァンパイアっぽくなくないっすか?」
「あら。私は別に気にしないわよっ」
「そらまあこうやってパーティ開いた当人が吸血鬼だしなあ、コレ。
ところでひょっとしてこの誘い、誕生会とか兼ねてだったりするん剣月?」
「もちろん。ケーキも用意してるわっ。ベル」
「はいお嬢様。食後を見計らいお出しする予定です」
さすがメイドさん。手ぬかりなく配慮している。
「昨夜からお嬢様が手がけておりましたので出来を楽しみになされるとよろしいかと」
「もうっ、ベル、そういうことは言わないのっ」
そう言ってはにかむ剣月さん。
料理するイメージとかなかったのでなんだか意外だ……。いや、出来ないというイメージもないというか、一体何なら出来ないとお手上げするのかの方が気になるけれど彼女は。
「てててててて手作りですとぉー!?」
「うっひょーやっぱーわかってらっしゃるまおりさん!」
「ちょっと宮雨、私のお弁当は!?」
「はははすまんねかがしさん――その辺は別腹ということで!」
そしてびしいっとサムズアップ。コンビニで済ませているぼくが言うのもなんだけれども、作ってもらっている身でその対応は危ないんじゃないかなあ、それ。女子の手作り料理は男子を喜ばせるものらしいという話はぼくも知識として持ってはいるものであるけれど。
それにしても誕生日。
自分にとって以外だと特に大した意味を持たない日付。
それを祝いの日にする程に、人は祭りを求めている。
クリスマスだってその一種だ。冬至の祭りという本来の意味はともかくにせよ、世間的には聖人の生誕を祝うものとして現代の人口に膾炙している。聖人に何かを感じ捧げたりする訳ではなく、ただ騒ぐ言い訳にそれを使って。
そんなに祭りが欲しいのだろうかと、そう感じる自分自身はやっぱり異常であるはずで、
「……偽物だよなぁ」
「どうしたんですか鮎川くん。またいきなりため息ついて」
「いや、そういえばぼくの誕生日知らないなぁって思い出しただけ」
「あー……」
聞いちゃいけないこと聞いたかなー、という顔をしながら、名賀さんが納得の声を漏らす。
『鮎川羽龍は記憶喪失だ』という設定は、今日も正常に機能中。
「まおりさん実はクラスメイト全員の個人情報握ってるとかで知ってたりしない?」
「流石にそこまでは知らないことねっ」
「ですよねー、安心したぜ」
「私が知ってるのはそうね……家の住所と家族構成と月々のお小遣いぐらいかしらっ」
「十分怖いよ!?」
「ふふ、冗談よっ」
冗談とはいうけれども、一体どこまでが冗談なのか。
少なくとも携帯番号は知らないと言っていた気がするけれど、むしろそれこそ本当なのか。
携帯はともかく固定電話の方ならば世の中には電話帳ってものがある訳だし、
この吸血鬼が調べられることを調べていないとは思えないのだがどうなのだろうか。
……もちろん、それを聞く気は当然出ない。
「色々書類書くときに生年月日とか使ったりするし、早めに調べといた方がいいっすよ」
「ありがと、気を使ってくれて」
手を振る。
感謝の気持ちはあるけれど、それを抱いたりすること以上に、自分の怠惰を感じたりして。
必要ないはずの劣等感。
いらないはずの罪悪感。
こんな思いで悩むことなど、馬鹿馬鹿しいとわかっているのに。
沈み落ちてくぼくの前で、宮雨才史が片手を上げて、
「はいっはいっ、湿っぽい空気吹っ飛ばしてパーティ始めようぜ! お願いまおりさん!」
「そうねっ! まずは乾杯から始めましょうか。ベル」
「はい。それでは皆様、ドリンクをお注ぎいたしますね」
一礼してぼくの側へとまわるメイドさん。
こぽこぽ、と音を立てて、グラスに液体が満ちていく。
その色は血の色にも似た暗い紅。無論本物のそれではないのだろうが。
そうして全員分行き渡ったところで、剣月さんが立ち上がった。
「今日は急なお誘いだったけど、お集まり頂き有難うございました。
――それじゃあみんな、楽しんでいってねっ!」
「「乾杯」」
それぞれで隣の相手とグラスを打ち鳴らし音を立て、今宵の宴が始まった。
「ターキーお代わりー」
「かがしさんそれもう三匹目じゃねーかな? 限度とか容赦とか考えね?」
「大丈夫よ? まだまだちゃんと備蓄あるわっ」
「ホスト側と致しましてはお気になさらず今夜のパーティをお楽しみ頂きたいかと」
「むぐむぐ。このお肉美味しいですね……何の肉なんですか?」
「そちらのソテーはアヒル肉を使用しておりますね」
「むぐ。食べられるんですねアヒル……」
「アヒル、と言うと意外かもしれませんが要するに鴨肉でございますからね」
宴は騒がしく賑やかに、食器の音を立てながら進んで行く。
ぼくはこういう経験があまりないので味や素材の良し悪しはよく分からないのだけど(ついでに言うと好き嫌いもない)、みんなの反応を見る限り、これはいいものなのだろう。
「鮎川くん? なんかさっきから喋ってないし表情暗いけど大丈夫ですか?」
「いや、なんでもない。ただ舌噛んだだけ」
誤魔化す。
表情暗い、かぁ……。自分ではそんな意識は全くなくて。
抱いた感情の名前なんて、そんなの自分自身でもわからない。
少し口の中を潤して気分を変えてみたいかなと、放置していたグラスの中身に手をつける。
口に含んで、味わって、その独特の風味に、気がつく事実が一つあった。
「……ねえ、剣月さんこれ」
言いかけたところで、上座の吸血鬼と目があった。
その視線は語る。『無粋なことは言ったらダメよっ』と。
まあいいか。ぼくそこまでそういうことを気にするタイプでもないし。
第一ダメだと思う人は気づいて飲むのをやめるだろう。自分で。
――そしてこの選択を取った結果起きた惨劇が、冒頭のあの狂乱だった。
◇
以上、回想終了。
いつの間にかみんな出来上がっていて前後不覚、それに気づいた時はもう遅かった。
直接彼女たちの状態を描写するのは気がひけるので、代わりに机の周りの状況を記そう。
空いたお皿やボトルはメイドさんが適宜片付けてくれているので机の上だけは整った体裁を辛うじて保っているけれども、綺麗であるのはその部分だけ。
少し机から目線を離すと、床にはお皿やグラスや胃袋に入っているべきものが散乱しているのが嫌が応にも目に入る。
それから目を逸らそうとして壁に視線を向けたところ、フォークが何本かダーツのように突き刺さっていて、奇怪なインテリアのような様相を示していた。
まさに惨状。
これを視界に留めたくないので、再び現実逃避するように隣に座る宮雨を見た。
「宮雨は随分とピンピンしてるよね」
「いや、俺こーゆーの強いし。親父がよく飲ませてくるけど酔ったことねえから」
ぼくもグラスの中身を何杯か飲みはしたけども、特に熱っぽさやふらつきは感じない。
鮎川羽龍の体、相当分解酵素強いんだな……。
「鮎川、ぼくも素面だよみたいな顔してるけどお前が委員長にやったこと俺覚えてるかんな」
何を言ってるんだろうか宮雨は。ぼくはただうちのペットがご飯食べさせてって言ったから適当に小皿に盛って床に置いて差し出しただけだから。
ぼくは酔ってない。
「まおりさんまおりさん、ちょっとこれパーティ続行不可能な気がするんですけど。というか明日も平日なんで学校あるからヤバいんですけど。なんかメイド秘術で酔い覚ましとかできないですかね?」
「お客様はメイドをなんだと思っているのですか。そんな術など存在しません」
「ないの!? あんだけ人外じみた技見せつけておいて持ってねえの!?」
「だけどもそうねっ、この先にもイベント用意してるのにこんな暴走状態だと勿体無いし……もうちょっとちぎりの可愛いとこ見たかったのだけど――」
猫をあやすように飛倉さんの下顎をさすりながら、剣月さんは名残惜しそうに。
「何か手段があるなら早くなんとかしようぜまおりさん?」
「仕方ないわねっ」
そう言って立ち上がった剣月さんが次に何をしたかというと、
「いただきますっ」
キス。
唐突に飛倉さんの首筋に。
突然の行動にあっけにとられているぼくたちの前で、剣月さんは次々に酔いどれガールズの首筋に熱く口づけを繰り返していく。
「まおり、そんな、いきなり見せつけるなんて、でも、」
「ちょ、お姉ちゃんこういうの初めてだから、痛っ」
「あっダメです剣月さっ、私には鮎川くんってご主人様が」
「鮎川お前委員長相手にどう接してんの普段!?」
「……? 特に変わったことはしてないつもりだけど」
服を脱がせて首輪をつけて夜に街中を連れ回しているだけだよ?
ペットの扱いとしては多分普通のことだよ?
「あー、うん、なんか深く追求しちゃいけないことだと思うんで気にしねえ……」
わかってくれたようで何より。
宮雨が納得してくれた傍、剣月さんは熱烈なキッスを終えてすっきりした顔で、
「吸血で酔い成分を抜いてみたわっ」
「いやまおりさん、それで酔いが覚めるってのはちょっと無理が……いやもうどうでもいいわ、かがしたちが正気に返るなら……」
どうやら宮雨は諦めを覚えたらしい。
その一方で吸われていた酒乱ガールズがゆっくりと現実世界に復帰してくる。
「ありぇ、なんか頭がズキズキします鮎川くん……」
「あっるえー、宮雨いつの間に一人に戻ったの?」
「まおりー、もう一回ちゅー」
「はい、ちゅー」
……やっぱまだ酔ったままな気がするけれど、ぼくは突っ込まないことにした。
「っぷはぁ、それじゃあみんなも我に返ったところで次の出し物行くわねっ」
長めの口づけを終えた剣月さんが指を鳴らすと、その背後にメイドさんが瞬時に登場。
彼女の右手にはおみくじや箸を入れる箱のようなものがあった。
その中から一本、赤色のマークがついた棒を取り出して、剣月さんは笑みを浮かべ、
「王様ゲーム。しましょうかっ」
◇
【NeXT】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。