【日常】真神はずき【クリスマスの話:準備編 二】

                    ◇


 クリスマスが近づいてくると、学内の空気も変わってくる。

 中止報告の到来を願う男の子たちの怨嗟の叫びだったりとか、冬休みの予定を楽しそうに

語る女の子たちのはしゃぎとか、近づく特別なイベントにみんなの心が浮き足立って。

どちらも私には縁遠く、共感しづらい出来事ですが。

 翌日の学校の雰囲気も、結構そういうとこがありましたが、


「サンタクロースからプレゼントを貰えるのって、良い子だけだっていうじゃん?」

「はぁ。そうらしいね」


「随分と他人事みたいな言い方だな鮎川ー。それはそうとして高校生ってまだ大人じゃ無いじゃん?

 選挙権も無いしお酒もタバコも遠いしエロいゲームも買えないし」

「まあ、法律上はそうだね」


「だろ? 高校生というのは法律的にも精神的にもまだ子供。大人への道はまだ遠く、庇護と愛情を必要とする年代だ。子供時代に注がれた愛情と積み重ねていった思い出が将来の人格形成に大きく影響を与えるというのはもはや言うまでも無い事実。つまり高校時代にはいい思い出を作っておきたいという訳だ、わかってくれるか鮎川」

「……それで?」


「つまりまだ子供である俺たちはお互いにサンタさんになるべきじゃないかな!

 つまりミニスカサンタっ娘からプレゼントもらいたうぎゃらめぶしぎ!」


「何を今日も妄言吐いてるのかな宮雨はー!

 そんなにスカートから覗くものが欲しいなら直接カラダにプレゼントしてあげようかなー!?」


「いや俺が好きなのはどっちかっつーとスカートの奥のパンチらぎゃー!」


 だけどこのクラスでは何時ものようなやり取りが続いていて。

 それがなんだかおかしくて、眺めながら少し笑みが漏れ。


「楽しそうだね。委員長」

「そう見えますか? 鮎川くん」


 気づいてくれているでしょうか。

 こうやってまた笑えるようになったのも、鮎川くんのおかげであるということを。


「――あ」


 がらがらと教室のドアを開けて、飛倉さんが入ってくる姿が見えた。

 昨日はあんなに楽しそうにクリスマスプレゼントを選んでいた彼女。

 だけどもその表情は、何故だかかなり沈んでいて。


「あうわー……」

「どうしたんです飛倉さん、そんな墜落したコウモリみたいなポーズして」

「どういうポーズっすかそれ……そもそも私そんなコウモリっぽいすか?」


 もっと華麗で神秘的なのをチョイスして欲しいと、飛倉さんは更に沈んで。


「無くしたんすよ」

「……?」

「昨日買ったペンダント、無くした……」


 全身からどんよりを発散させつつ、飛倉さんは呻きを上げた。


                    ◇


 あの後。

 私と別れた飛倉さんは、上機嫌で帰路についていたらしい。

 クリスマスの当日のことを思い浮かべながら、流行りの歌を口ずさんで、買ったばかりのアクセサリの紐を握って振り回して。


「――そしたらぴゅーんって飛んでったっす」

「ぶっ」

「んな笑うことないじゃないっすか! ショックすっすよショックもショック

だーいーショーッークー!」


 飛倉さんには申し訳なくとも、光景をイメージしてしまったら、ついつい笑いが漏れてしまって。


「あ、新しいの買ってくるとかあるじゃないですかっ」

「今月。新盤買ったせいでお金の余裕もう無いんすよ」


 思い出すのは昨日たっぷり詰まっていた袋の中のCDたち。

 お小遣いの問題は、私たちのような学生にはどうしようもない天敵で。


「やっぱり慣れないことするんじゃないんすかね……ふふ、久々に死にたい気分っす……」


 そのまま机の上にばたん、と倒れ込む飛倉さん。

 見ていられないダウナーテンション。

 助けてあげたいピンチシチュエーション。

 出来る力が手中にあると、わかっているから悩まずに。


                    ◇


「お願いがありますっ」


 その日の夜。鮎川くんのお家にて。

 私の突然の頼みに、鮎川くんは顔色一つ変えないままで。


「そんな急にどうしたのかな委員長。お腹空いたのならジャーキーでも買いに行く?」

「ちっ違いますっ」

「なら何がいいかな……ドッグフードはダメだったはずだしそれ以外の犬の餌……」

「だからそういう話じゃないです真面目に考え込み始めないでくださいーっ!」


 鮎川くんの肩を持って違う違うとばっさばっさ揺さぶる私。

 私のために本気で悩んでくれるのは嬉しいですけど、もっと別のシチュでがいいです!


 抗議行動が通じたのか、鮎川くんは冗談だよ、と言ってくれて。


「それで一体何を相談したいのかな委員長。

 ぼくに出来ることだったら話ぐらいは聞いてみるから」


                    ◇


 年末が近づいてきた夜の街は、イルミネーションが煌びやか。

 聖夜の準備に照らされる街を、私と鮎川くんは一緒に歩く。


「飛倉さんの落し物探すのに、一緒についてきてほしい、か」

「ごめんなさいね、つき合わせちゃって」


 狼の嗅覚でなら探せるかもしれないと、そう思ったのがあの朝で。

 だけど街中を一匹だけでうろつくのは、幾ら何でも大事件。この前ニュースで大型犬が捕まったという話もありましたし。私まで捕まったらちょっとヤです。


「ん。別に断る理由もなかったしね」


 そっけなく言う鮎川くん。


「それにしても優しいんだね委員長」

「鮎川くん程じゃないですよ」

「………」


 言葉を返すと、急に黙り込む鮎川くん。

 私の視線の高さからだとその表情は見えないけれど、きっと照れたりしてるのでしょう。


「あの夏の始まりの体育館裏も。この前の冬の始めの夜のことも。どっちも私がお願いする前に

助けてくれたじゃないですか」

「……やめてよ。今日もこの前の夜も、なんとなく以上の理由なんてないんだから」


 だから優しいなんて言わないでよと、鮎川くんはそう溢して。


「そんなこと言うんだったら、私も打算でやってますしコレ」

「……?」


「困ってる相手を助けると、こっちを見てくれるじゃないですか。

そしたら友達になれるかもしれませんしって」

「友達になれるか、ね」


 鮎川くんは小さく息を吐いて。


「それじゃあ行こうか委員長。探す手段がすでにあるなら早く済ませて終わらせよう」

「ん。そうですね」


 私は軽く頷いて、感覚をこちらに切り替える。

 世界の感じ方を視覚メインから嗅覚メインに。

 街を照らし出すのはイルミネーションと街灯から街を覆う動きの残滓達に。

 例えるならばマーブル模様。目が回りそうなぐちゃぐちゃで、格好つけて言うなら混沌。

 灰色のがさがさした排気ガス。茶色で湿っている土と草。

 ここにいるよとやかましく主張するものの中から、探してる匂いを見つけ出す。


「――ありました」


 感じ取る。

 銀細工の匂いと一緒に届く、鉄錆と糖蜜の混ざった匂い。

 飛倉さんの、特徴的なフレグランス。

 それを感じる方向へ、鮎川くんと一緒に歩いていく。


「犬類の嗅覚は人間の億倍ぐらいあるって聞くけど、そんな感じ取れるものなのかな」

「飛倉さんはかなり独特な匂いしてますからね。かなり解りやすい方です」

「へえ。やっぱり血の匂い?」

「あとは蜂蜜とかの甘い匂いですかねー。香料とか使ってるそうですし」

「ふーん」

「同じ吸血鬼の人でも飛倉さんと剣月さんは結構匂い違うんですよねー。

飛倉さんは肌とか汗とかの匂いも人並みに混ざってるんですけど、

剣月さんは血と香料の匂いひゃくぱーせんと、ってぐらいで。石鹸の違いとかですかねー」


「石鹸というよりそれは――」


「……?」

「いやなんでもない。気にしないで」


 意味深なことを言いかけて、黙ってしまう鮎川くん。

 こういうことがあると、あんまり心を開かれてないような気がして少しブルー。

 二学期を丸ごと使っても、記憶喪失という負い目は、まだ拭い去れてないのでしょうか。


 そんなことを考えながら夜の散策を続けていて、公園の側を歩いていた時。

 沈んでいた空気をかき回すように、急にどこからか軽快なメロディが聞こえてきた。

 怪物たちの夜を歌う、キング・オブ・ポップの代表曲。スリラー。


「ごめん。ちょっと電話」


 申し訳なさそうな顔をして、ポケットから携帯を取り出して言う鮎川くん。


「私のことは気にせず話しててもいいんですよ?」

「できるならそうしたいんだけどね……。感情的になりやすい相手でね」


 その表情は鮎川くんには珍しく、不機嫌を感じさせるものであって。

 そんな顔させる相手がいることは、俄かには信じがたかった。


「この前の待ち合わせの相手ですか? 面倒臭い人だという」

「……?」


 なんの話かわからない、とでもいうように首をかしげる鮎川くん。

「そのことはともかく、面倒臭い相手であるのは間違いないかな。うん。ちょっと今度あったら一発殴っておくべきかなと思うぐらいの。それも本気のストレートで。

 だからここでちょっと待っててくれないかな委員長。大丈夫、すぐ戻るから」


 鮎川くんはそう言って、私を置いて駆け出していって。

 夜の街の闇の中、私は一匹で取り残される。



「――わふぅ」


 息を吐く。

 人でない姿で独りきりの私は、なんだか周りから浮いてるようで。

 なんとなく感じる居心地の悪さ。

 夜の闇に感じる気味の悪さ。

 それら二つに全身の毛を震わせて。

 鮎川くん早く帰ってきてくださいと、そんな願いを星々にかけて、


「――!」

 こちらの方へと近づいてくる、誰かの匂いに気がついた。


                    ◇


「……剣月さん?」


 その名前を小さな声で口にして、今の姿を思い出す。

 内緒にしている訳だから、知り合いに見つかることは問題で。

 だからそそくさと物陰の方に隠れながら、そっちの方へと目をやった。


 歩いてきた剣月さんは、飛倉さんが語ってた通りに真っ赤なドレス姿だった。ひらひらとかがいっぱいついて、地方都市には場違いな姿形であるはずなのに、それは自然と夜に映えて。

 まるで本物のオカルト世界の吸血鬼。

 闇夜を統べる血の女王。

 そんな印象を抱かせる非日常の風格を、クラスメイトは見せていて。


「さて。時間通りかしら?」

「――そうだね。午後九時ジャスト。指定の時刻丁度だね」


 そしてばさり、と音を立て。

 剣月さんを出迎えるように、一つの影が公園の中に舞い降りた。

 そう、舞い降り。空から降りてきたその影は、赤い翼を持っていた。

 両腕が翼になった翼腕人ハルピュイア

 ギリシャ神話から名付けられた、変異症患者がそこにいた。


「こうやって生身で会うのはあの夏の終わり以来だけども元気をしているようで何よりだよヴァンパイア。

彼女との仲は良好かい?」

「ええ。おかげさまでとても楽しい毎日を過ごしているわっ」


「そうかいそうかい。それはいいことだうんうん。やはり恋をするというのはいいことだね、人でも人ならざるものでも日々に張り合いが出て謳歌できるというものだ。つまらない日常における数少ない価値と呼べる概念だよこれは。そうだとは思わないかい眷月ケンヅキの末裔?」


 翼腕の人は大仰な仕草で剣月さんに語りかける。

 それはオペラの中から抜け出てきたかのような口調に身振り。

 彼女の喋りはそれだけで、公園の空気をまるで舞台の上であるかのように変えていた。


 ……一体どういう関係なんでしょう。


 お互いの口調の雰囲気は談笑で、短くない付き合いであるのを察せるのですが。

 生身で会うのは、って言葉からしてネットとかでの付き合いなんでしょうか。


「そうね。あなたも随分と幸せそうに見えるけれど。あなたも恋を楽しんでるのね」

「はは、そうやって指摘されると随分と恥ずかしいものだけどその通りだよ剣月まおり。

彼と共に歩む日々は刺激的で素晴らしい。代え難い至福だね。

……ちょっと最近女の子を囲いすぎだとは思うけど」


 愚痴をいう彼女の表情は不快感ではなくむしろ笑みで。

 だから逆説そのことが、特別な感情を表していた。

 この人も恋、してるんだ。

 何故だろう、胸のあたりに痛みが走って。


「らしいわね。春先に私が出会った頃からずっと自然体で女の子に話しかけていたわよ、彼」

「やっぱりか。全く悪癖だね。もうちょっと自分がどう見られているかを意識するべきだと思わなくもないけれど、そういう目線を嫌って集まったのがボクたちな訳だからそれを言ってはダブスタか。全く、ままならないね世の中は」


 そう言って彼女はくくく、と笑い。


「ままならないといえば、幻異げんい殺したちの動向はどうだい? ボクも憂里機関ういさときかんの側からはある程度聞いてるんだがなにぶん中核からは追い出された身だ、情報収集も限度があってね」

「そうね、最近話題になってるのはギリシャの魔女がこの国にやってきたって話かしら。

 永楽猟団えいらくりょだんの人たちが走り回ってたわよ、そんな大物の相手だなんてって」

「キルケチューン・ヘレオロイデスの話だったらボクたちも確認済だね。

なかなか素敵そうな人だけども多分友達にはなれなさそうな大人みたいだ」

「それ以外だと後は雅弾部隊がだんぶたいの分家筋から一人引退が出た話かしら。

一人で幻異を討伐しようとして消息不明になったと思ったら、クウェンディ症候群に罹患した状態で帰ってきたとか」

「ああ、それはボクたちの仕業だ。まだ存在がバレる訳にはいかないからちょっとばかし口封じをしておいた」

「やっぱりね。慰めるのにも苦労したのよ?

 あの子そもそも向いてそうになかったから辞めさせるきっかけが出来たのは良かったことではあるのでしょうけど」


 私には意味のわからない固有名詞を乱舞させ、剣月さんと翼腕の少女は笑いあう。

 クラスメイトの知らない顔をこうやって覗き見してるのは、なんだかいけない気持ちになって。

 ぼけっとしながら見つめてる間に、翼腕の少女は姿勢を正し。


「さて、談笑もこのぐらいにしておいて本題と行こうか。

といってもわざわざ呼び出して話すネット越しでは語れないような内容だ、薄々予想はついていると思うけどね」

「それでもあなたの口から聞かせてほしいわ。こういうのは雰囲気こそが大事ですもの」

「ははは、その通りだ。よくわかっているじゃないか剣月まおり」


 公園の照明の光を背負い、影のある笑みを彼女は浮かべる。


「雰囲気を大事にしなくなった世界は彩りをなくす。加速していく物質主義者共のように精神の滅びの道を突き進みたくなかったら、経緯に対する敬意というものは忘れてはならない大切だ」


「そうね。私たちは基本的には幻想の側の住人ですもの。幻想を維持するのは経緯と敬意と想像力。

 それらが失われつつある今だからこそ、私たちだけでも大事にしたいものね」


「そう。そしてそれらを護り、育てて、慈しみ、世界中に放流しようとするワイルドハント。

 消費と歯車の現代文明に対し抗いの声上げる、この世に残った数少ない御伽噺の最後の守護者。

 それがボクとフォークロアの率いる【空想守護聖団くうそうしゅごせいだん】なのでした、と」


 彼女は演劇のように礼をして、それに剣月さんは拍手を送る。

 彼女は演劇部とかそういう集まり……なんでしょうか。

 身振り口調の派手派手しさと単語選択の意味深さからは、その判断が常識的で。


 しかし私の直感が、空気を察する感性が、それではないと叫んでる。

 それはさながらあの夜に出会ったウェアウルフのようで。

 彼女たちは本物の何かだと。非日常に生きる存在であると、第六感が伝えている。


「さて。ボクたち空想守護聖団は今大絶賛メンバーの募集中なのさ。

なにぶんまだ発足から半年ぐらいしか経っていない、歴史も浅ければ面々もまだ力不足な段階だ。

そして一度勧誘に失敗して愛すべきこの街に被害すら与えてしまった失態さえある」


 彼女は胸に翼を当てて、哀悼を示すかのように泣いたふり。

 この街に与えられてしまった被害。その言葉から思い出すのは、今月頭までの人狼事件。

 彼女と――いや、彼女がいう【聖団】と何かが関係あるのかと。

 そんな想像をしてしまって、全身の毛が逆立った。


「そもそもボクらの眼鏡に叶うような人外自体そんな数が多くない訳でね。希望を愛し人々を愛し運命と幻想と非日常を愛し、そして将来と街を歩く塵の欠片共を憎むようなそんな存在はやはりこの時代になかなか生きていないんだよ。忌々しい【毒林檎】のイデオロギーめ」

「彼らは社会の代名詞ですものね。幻想と非日常の対極存在。日々を守り人間の世界を保つという建前で幻想と異常を排斥し世界を平坦にしようとする石工たち」

「そう。彼らによって世界は規則的な運行の代わりに夢と輝きを失いつつある。

彼らと彼らに操られるしか生きる術ない大人達に抗うには、ボクたち夢見輝く少年少女はあまりにも脆弱で少数だ。

必要なのは頼れる味方、それも同じ光景を目にし望んでいるような信頼できる者たちでなければならない訳だ」


 指があったら拳を握っていただろうと思えるぐらいの勢いで、彼女は翼を振り上げる。

 彼女――いや、彼女たちが何者なのか、何をしようとしているのか、何と戦っているのか。

 それらは全く解らないし察することもできないですが、そんな私でも一つだけ解って察し感じ取れることがある。


 彼女たちは危険だと。


 この前の人狼騒ぎに関係があるかのような口ぶり。繰り返す抗いというワード。

 具体的にどういう部分でかは見当もつかないけれど、私たちの過ごす日常に対し相容れない存在であることだけは、本能の部分で伝わってきて。

 そんな日常の敵性存在が、今、私のクラスメイトと話している。


「そして、その信頼できる者はここにいる」


 だから、と彼女は翼を伸ばす。

 誰かを掴めないその腕を、剣月まおりに差し伸べる。



「空想守護聖団が第二席、翼の魔女から眷月の末裔に提案する。

 ――ボクたちについてこないか、ヴァンパイア」



 ダメ、と思わず叫びそうになった。

 その一言が口をついては出なかったのは、一体何という感情のせいか。 

 剣月さんの唇が動く。

 ヴァンパイアのお姫様が、非日常への誘いに対し答えを返す。

 彼女が出した回答は――


「面白い申し出ではあるけれど、遠慮させていただくわね」


 しごく簡潔な拒絶だった。

 意外だったのだろうか、翼腕の少女はその両目をぱちくりさせて黙り込み。


「――――」

「私はまだそれなりに今の生活を楽しんでいるのよっ。

 ですから、非日常の世界に帰るのは今は少しナシにしたい気分かなって」


 にこやかに語る剣月さんに対し、翼腕の少女は表情を真剣に戻して問いかける。


「それはキミの恋の為かい」

「ええ。私の彼女の為に」

「それは共に居たいからという理由かい」

「ええ。青春を謳歌したいという理由で」

「例え破綻が見えていても?」

「それは今でも明日でもすぐに来るものでもないでしょう?」


 その返答を聞いた少女は、にやりと唇を釣り上げて、そして直後に破顔して。


「ああ、畜生、そんな回答をされてしまったら完璧すぎて強引に誘えなくなってしまうじゃないか勿体無いな!

 くくく、そういう回答をする人外をこそボクたちは求めてるのになんていう矛盾だろうか! くくくくく!」


「ごめんなさいね。でもその分日常の側からできるお手伝いはちゃんとさせてもらうつもりよ? 

幻異殺しに対する隠蔽ぐらいなら引き続き、ね」


「いいさ、将来ごときのために今を犠牲にしろなんて要求するのは忌むべき大人たちと同じ行為だしね! 

それでは振られてしまったということでここは大人しく、くくく、大人しくか、引いておくことにしようか!」



 それはともかく、と翼腕の彼女はステップを決めて。


「――そこに隠れてる奴、そろそろ姿を見せないかい?」


 私のことだと気付くまでには、一瞬の時間が必要だった。

 それは不意打ち。青天の霹靂。予想外からの一撃で。

 さっきまでの私は観客だった。彼女たち二人が意味深な話をしているところにただの偶然で居合わせて、

覗き見しているだけだった。生きている世界、住んでいる次元、そういうものが違う場所を、

偶然目にしていただけだって、甘い気持ちで眺めていた。


 だから。

 覗き込んだら覗き返す深淵であると、そういう意識をしてなくて。


 深淵から向けられた視線に対し、私の体はすくんでしまう。


「……? 白を切っても無駄だよピーピングトム。さっきから気配がバレバレだ。

 姿を見せないというのなら――こちらから行くぜ?」


 無造作に。翼腕の少女は片腕を振った。

 それだけで。ただそれだけのジェスチャーで突風が公園内を吹き荒れた。

 冬の冷気を含んだ風が砂を巻き上げ木々を揺らし私の毛を逆立てさせる。

 枯れかけていた公園の茂みの葉っぱたちは、その一撃で吹き飛んでしまって。


「――――」


 彼女たちの前に、私の姿が晒される。


「……あれは確か――なんだ犬か」

「わ……わんっ」


 助かった、助かった、助かった――!

 逸る心臓をドキドキさせて、荒い呼吸をハアハアさせて、私は安堵の気持ちを得る。

 誤解を促進させるためにそれっぽい鳴き真似も一つして。


「首輪もついてるし飼い犬かしらね? 迷子?」

「だろうね。ということはあ――飼い主が近くにいる可能性も考えるべきか」


 翼腕の少女は考え込むように、右の翼で顎に触れて。


「それじゃあボクはお暇させてもらうとするよ剣月まおり!

 今日のお礼にクロアの方にはキミが彼女となれるように取り計らってと頼んでみるさ!」


 軽いステップで滑り台の上、トイレの上、照明の上と飛び跳ねて。

 翼腕の少女は、夜の闇へと消えていった。

 

                    ◇


「……あ、いたいた」

「わんっ」


 背後から聞き覚えのある声がかけられて、私はそっちに振り向いた。

 鮎川くんが少し呆れたような顔をしながら、安堵のため息をついていた。


「あらっ、鮎川くん? 珍しいわね、こんな夜に出会うなんて」

「ちょっとね。最近犬の散歩に付き合い始めて」

「てことはその子?」

「そ。うちの犬」


 うちの、うちの、うちの――

 何故でしょう、その響きだけで全身がゾクゾクと震えちゃって。

 さっきまでとは違った理由で、心地い感じに胸の高鳴りが効いちゃって。

 もっともっととねだる目線で鮎川くんにアイコンタクト。

 だけどやっぱり鮎川くんは、それには答えてくれなくて。


「いいわよねペット。うちの子猫ちゃんも撫でると甘い声を上げてくれるのが可愛くて――」

「それはこの前聞いたよ」

「勿論したの覚えてるわよ?」


 がくっ、とユニゾンで肩を落としかける私と鮎川くん。

 何度自慢してもしたりない、バカップルののろけというものなんでしょうか。


「それはともかく。剣月さんはなんで一人でこんな夜に?」

「あら、知らなかったのかしら? 私夜の散歩が趣味だったりするのよっ」


 何時もの笑顔を崩さないまま剣月さんは細目で笑んで、さっきの邂逅を誤魔化した。

 やっぱりあれは見てはいけないモノだったのだろうかと、そんな恐れを心に抱く。


「夜の空気はいいわよねっ。何かが起きてくれそうだっていう期待感。月光の届く範囲のその全てを独占してるみたいな高揚感。出会った誰かは別の顔を見せてくれたりしちゃいそうで、夜は毎晩来るっていうのに、なんだかとっても特別な時間って感じたりしない?」


 ちぎりと出会ったのも月が綺麗な夜だったわね、と。さらりと剣月さんはのろけを言って。


「……悔しいけど少しわかる」

「でしょう?」


 両手をぱん、とあわせて嬉しそうに、剣月さんは微笑んだ。

 出会った誰かの別の顔。それは今の私の姿であったり、さっきの剣月さんの会話だったり、そういうものであるのかもしれなくて。


 だったら。鮎川くんにも別の顔があったりするのだろうかと。そんな不安を胸に抱いた。


「それじゃあ私はお暇するわねっ。また明日学校で会いましょう?」


 ドレスの裾を揺らしながら、闇夜の中に溶けるように、剣月さんは去って行って。



 そして公園に取り残される私と鮎川くんの一人と一匹。

 なんとなく動き出すきっかけがつかめなくて、夜空の下、一緒にぼぅっと立ちすくむ。


「あのさ、委員長」

「きゃ、きゃいんっ」


 そんな状態で急に言葉をかけられて、変な声を上げてしまう私。


「ぼく『ここでちょっと待ってて』って言ったよね?」

「はい」


「で、委員長はそこで待たずに勝手に移動してたよね?」

「……はい」


「つまりぼくの言いつけを守らない悪いペットだってことだよね?」

「はいっ……」


「……お仕置きが必要かな?」

「お、おしおき!? 一体何をしてくれるんですかっ!?」


「冗談だよ」


 そう、鮎川くんは笑って言って。


「それよりも今日の夜歩きの目的はちゃんとあったはずな訳だし。そっちの方を再開しよう」

「そ、そうですよね! 早く飛倉さんの落としたペンダント探しませんと!」


 慌て慌てで姿勢を戻し、私たちは夜道を再び歩き出した。


                    ◇


「マジっすか」


 翌朝。朝礼前の教室で。

 見つけ出したペンダントを手渡すと、信じられないような目をして飛倉さんは言った。


「昨日の夜にお散歩してたらたまたまこれで遊んでる猫を見かけたんですよ。

 それで大声で『こらー』ってしたら落としていきました」


 と、そういうことにしておいて。

 実際は小学校の裏で群れていた猫たちとの壮絶な戦いがあったりもしたのですが、

言えることでも重要なことでもないので置いておく。


「委員長も夜中の散歩とか好きなんすか? いいっすよねナイトウォーク、何か素敵なことが起こりそうな予感がして」

「くす、剣月さんもそんなこと言ってましたね」

「私とまおりが出会えたのも、私の夜歩き趣味のためだったっすからねー。

 しかし委員長みたいなふわふわぽわぽわしたキャラが夜歩きするってなんか意外な」

「そんなにですか? てかふわふわぽわぽわって一体」

「え、みんなからの評価そんな感じっすよ委員長。なんか目を離したらその辺で野良犬とかに襲われてそうなイメージがあるって」

「ひっ」


 野良犬に襲われるという言葉は、今の私にとってはもう一つの意味の方が重大で。

 だから思わず声を漏らすと、飛倉さんはにひひと笑い。


「だからそんなのが危ない夜に出歩いてるなんて意外なんすよ。

 気をつけないと……お化けに襲われたりしちゃうっすよ?」


「それは大丈夫ですよ」


「……?」


 私が返した即答に飛倉さんは疑問符を浮かべ、しかしすぐさま表情を変えて。


「いやーなかなか隅に置けないっすね委員長! 相手は一体……いやそれ聞くのも無粋っすねはっはっはっは!」

「……? よくわかりませんがありがとうございます」

「やーやーや、友達のことは祝幅応援ちゃんとしないと怠慢でしょう」


「……友達?」

「そー友達。ユーアーマイフレンド。ヤヴォール?」

「や、ヤヴォール。……ところでなんで突然ドイツ語なんですか」

「そりゃまあその場のノリっすね。なんとなく格好いいことをする、が私のモットーっす」


 ちゃきーん、と擬音を口で言いながら、ブイサインを決める飛倉さん。

 そのポーズになんだかくすりと笑いが漏れて。


「なんだか宮雨くんみたいですね」

「またコメントに困る評価っすね!?」

「何々、なんか俺の名前呼んだ?」

「なんでも」「ないです」


 そう言う声も重なって、そのまま二人で笑い出す。


 そして。今日も。

 いつもの日々は過ぎていき――


 ――クリスマス・イブがやってくる。


                    ◇


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