【非日常】宮雨才史【真性怪異ウェアウルフ 七】


                    ◇


『突然ですけど宮雨くん、名賀さんがちょっと困ってるらしいのよ』


 という剣月からの電話がかかってきたのが十数分前。

 落ち込んでいて帰るのが遅くなりすぎたから、誰か迎えに行くべきじゃないかしらと。


 かがしが落ち込んでいることは幼馴染的には当然既知。

 だけどうだうだしているあいつ相手にどう接すりゃいいか、丁度迷っていたとこだった。

 自分から悩みを聞かせてと言い出すには、俺の気遣い力がまだ足りない。

 向こうから話しかけてもらうには、もう少し時間がかかるだろう。

 だから誰かに迎えを頼まれたって言い訳は渡りに船。殺人事件の話に触れずに話しかける理由としては十分すぎるぐらいだろう。

 クラスの表の顔が名賀かがしだとするならば、裏の調整役は剣月まおりだ。

 こんな気遣いをしてもらえることに、ほんの少しだけ感謝する。

 そういうわけでそのお願いに、二つ返事で頷いた。


「ありがとう剣月。なんか気を使わせちまったみたいで。

 ……でもちょっと途中まで付いてきてくんね? 今暗いし危ないし気まずいし」

『ごめんなさい、私これからちょっとデートなのよねっ』


 うわあこれ以上無いお断りをありがとうございますまおりさん。

 だけど最近物騒なのに大丈夫なんだろうか。それは俺にも言えることだけど。


『私なら大丈夫よ。護身の心得ぐらいならちゃんとあるもの。

 そしてまおりさん占いによると宮雨くん、あなたのラッキーアイテムは金属バットよ』

「あの、剣月さん? ナニ他人の運命占ってるんですか?」


 電話越しの相手はくすくすと笑って、そのまま通話を終わらせた。

 まおりさん占いって一体どんな占いだよと思うけれども、剣月の助言は大体当たる。

 それに今の夜の危なさを考えると、確かに身を守るものは欲しいかもしれない。

 てことで野球やってる弟からこっそり金属バットを拝借して、夜の街へと飛び込んだ。


                    ◇


 以上、回想終了。

 怪物に襲われているかがしを見つけて、逡巡するのに大体三秒、殴りかかるまで約五秒。

 全力で打ち込んだつもりの金属バットの一撃は、


「――、?」

「マジかよ……」


 完全無血でノーダメージ。

 やっべえちょっとやりすぎた死んだら一体どうしようと思う勢いでフルスイングしたつもりだったのに、怪物は、なんか直立二足歩行してる巨大な狼のバケモンは、全く響いてませんよと言うように、首をこきりとこちらに向けた。

 てかバットの方がぐんにゃりと曲がってやがる。どーしよ弟者に怒られる。


 悩み見上げたその先で、怪奇狼男と視線があった。

 イヌ科の表情だなんてペットを飼ったことの無い俺にはさっぱりすっきり解らないけども、奴の表情についてだけは一瞬で何が言いたいか理解できた。

 怒り。

 狩りの時間を邪魔されて、肉食動物が怒っている。


「うわこれどーしよ……」


 呟く。だけど答えは見つからなくて。

 視線をかがしの方に向ける。動かない。目を閉じている。人体にも蛇体にも切り傷とかは見つからないあたり恐らく単なる気絶だろう。失禁とかしてないだろうなとまた馬鹿みたいなことが気になったので急いで脳裏から蹴り出した。


 このまま放置していたら多分最初に俺が死ぬ。

 そしてその次にかがしが死ぬ。

 明日の朝のニュースになって、お茶の間を震え上がらせたりするんだろう。

 知ってる奴も知らない奴も適当にそれらしいお悔やみの言葉を述べていくんだろう。

 一度聞いたことのある話だとして、記憶に留めず埋もれさせて忘れていくんだろう。


 認められない未来を前に、俺は選択を迫られる。

 かがしを抱えて逃げるのは論外。体長七メートル超えで体重数百キロを一人で運んで走るだとかマンガの超人でも無茶な話。それができれば苦労も何もなかったんだが!

 放置して逃げるもあり得ない。そもそもそんなことが出来るぐらいだったら狼男にバットなんて叩き込まない。知ってる相手を見捨てて逃げたとか、明日以降を生きてられない。

 だったら一体どうするか。答えは考えるまでもなく決まってた。


「やーいばーかばーかクソ犬全裸ー!」


 うっわあ小学生みたいな煽りだな俺! ボキャブラリー貧困!

 とっさに口から出た言葉はそれで、だけどその程度で十分だった。

 さっきまでかがしの方を向いていた人狼の興味は、完全に俺の方に移ったようだ。

 つーか怖い。めちゃくちゃ怖い。視線に込められた圧力は心臓を直接圧迫するそれ。

 あれ絶対何人か殺した後だよ――と言うか多分あいつが連続殺人事件の犯人だ。

 闇夜の街を我が物顔で闊歩する、人間ならざる殺人怪異。

 有り得ざるべきファンタジー。

 伝奇ノベルの一頁。

 そんな相手を前にして、去勢を張れとか無理ゲー開始。


 奴から目を逸らさないように、そろり、そろりと後ろに下がる。

 よし、よし、大丈夫だ、いや大丈夫じゃないけれど奴の注意はちゃんと俺に向いている。

 集中しろ、集中しろ、気を緩めたらその瞬間こそ最期の時だ。

 当然それは、俺だけの話で終わらない。


「――、――、――!」


 狼が吠えた。

 動くなと、裂いてやると、言葉にならない殺意を持って叩きつけられるウォークライ。

 ここだ。やるならここがタイミングだ。

 息を吸う。逸る心臓の鼓動が邪魔臭く、しかしそれを止めないために頑張ろう。

 心の中でカウントダウン。

 三。

 二。

 一。


「うらぁあああああああああああああああああああああああ――!!!!!」


 即座反転して走り出す。

 最初の一歩からフルスピードは出さないように、しかし十分な速さは出るように。

 さあ追いかけてこいよクソ化け物。あいつに手出しはさせはしない。

 生き延びるための覚悟を決めて、夜の街路を駆け出した。


                    ◇


 空には月。街には灯り。そこを走るは俺と狼。

 今宵の街は、異常なまでに静寂だ。普段だったら見かけるはずの人も車も何もいない。

 背後から聞こえる足音がなかったならば、夢の中だと誤解しそうだ。

 無人は俺には都合よく、しかし同時に悪くもあった。

 都合がいい部分はクソ狼野郎が俺以外を襲いに行く可能性が皆無なところ。

 都合が悪い部分もクソ狼野郎が俺を追いかけるのをやめる可能性が皆無なところ。

 この怪物を引きつけてかがしから遠ざけるのには既に成功したと言っていいだろう。

 だけども俺が生き残るための算段の方は正直立っていなかった。

 なんたってしかたねーじゃん幼馴染の危機についつい体動いちゃったんだからこの場合悪いのはテンション様の方だよね! 全く無茶しちまったぜ俺!


 幸い、そう、幸いだ。クウェンディ症候群で猫の特徴が出た俺の体は常人の時よりよく動く。足の速さ、身の軽さ、ついでに言うなら聴力嗅覚、軒並み全部上がっている。幼馴染の人蛇と違って。だから後ろから迫る死相手でも、逃亡劇を続けられてる。

 自分の性能を発揮するのは、予想以上に気持ちが良かった。

 命がかかっていなければ、かがしが昔陸上にあんなにはまり込んだ理由が解ったかも。


 だけど高揚感の理由はそれだけではないようだ。

 命をかけて幼馴染を救うシチュエーションは、正直酔えるぐらいにすかっとした。

 あの春の終わり、あいつが足を失った時にはやりたくても出来なかったことだ。


 ああ、きっとこれこそが俺にとっての「命をかけていいこと」だ。

 日常の中には存在しないことだ。待ち望んでいた非日常だ。


「でもやっぱり死にたくねえ――!」


 叫び、そしてまた後ろを確認する。

 死ね死ねを叫ぶおケモノ様は変わることなく俺についてきて叫んでいる。

 その辺のゴミ袋とか空き缶だとか、使えそうなものはとりあえず後ろ足で蹴り飛ばしてぶつけているけど、全然効果は出てないようだ。生ゴミの袋をぶつけた時にはちょっと効いてたっぽい怯み方をしてたけど、それ以外では全くパーペキにノーダメージ。

 昔アニメや映画で知った、人狼の基礎知識を思い出す。

 魔獣を殺しうるものは、銀の弾丸か同族の牙か。

 はははそんなばーかーなー、と笑ってやるには絶望的だ。

 そもそも人狼って一体なんだよ、クウェンディ症候群はただ体を変化させるだけの病気のはずだ。そんな概念防御能力みたいなものが湧いて出るはずがないだろうが。

 ……なんて否定を断じてみるには、あまりにも状況はオカルティクス。

 そもそも体が変化するだけで本来十分におかしいはずだと、そんな当然の問いかけが脳裏をよぎってすぐ消えた。


 人の大きさをした狼という怪物だけは、俺の背後にちゃんといる。

 今考えるべきことは、そいつの対処だけでいいだろう。


「っかしどうするかねっ!」


 動かす足は止めることなく、逃げ切る算段を考える。

 その辺のマンションに飛び込んで逃げる――却下。

 相手は人食い狼だ。人のいる場所に投げ込んだらそこで大虐殺とか始めかねない。

 電柱の上に登って去るのを待つ――却下。

 ただの四つ足の狼じゃなくて人のように立った怪物だもん、絶対普通に登ってくる。

 どっかに隠れて凌いでみる――これも正直望み薄。

 だって相手は狼だ。俺の匂いは覚えられてるに違いない。視界誤魔化した程度じゃ無駄。

 ずばっと格好良く正面打倒――出来るもんならやっている。

 身体能力あがったけどもあがっただけだもんなぁ! どうせなら超能力が欲しかったぜ! なんかすごいビームを出すとかなんかすごいファイヤーを出すとかその辺の!


 ……あれ、ひょっとして俺これ詰んでねえ?

 うっわーマジでどうすりゃいんだこれ!? 教会の方まで逃げ込んだらなんかエクゾシストが銀の武器を持って退治してくれるとかそんな現代伝奇異能バトルの展開あったりしねえかな! だがそんな不確かな夢想に頼りたくとも、そもそも教会の場所を知らないんだったこの俺は!


 考えろ――奴から離れられる場所、奴の視覚を誤魔化せる場所、奴の嗅覚から逃げられる場所、そんな都合のいい場所が、この街のどこかにないかと必死で脳内検索して――


「――あった」


 光明発見。

 ここから遠くない場所に、ちょうどいい場所があったじゃないか。

 その場所は奴の視界から逃れられる。

 その場所は俺の匂いを誤魔化してくれる。


 ――白虹橋。

 中津国市を貫く玻璃衣川に架かるそこまで行けば、きっと希望をつかめるだろう。


                    ◇


 玻璃衣川。

 中津国市の中心を貫く一級河川であり、その名前は時の戦国大名が趣味の和歌で川の美しさを玻璃色の衣に例えたことから広まったと言われている。

 そもそも中津国という名前自体が明らかに川ありきだったりするし、ある意味ではこの街の名所の一つと呼べるかもしれない場所。

 川辺では夏にはお盆祭りが冬には正月祭りが開催され、市民の集いの場にもなっている。

 白虹橋はその北側にかかる橋のことだ。

 名前の通り白ペンキで塗られており、道は車道二車線と歩行者用でワンセット。

 かがしのとこの神社の名前がそのまんま白虹橋神社なので何か関係があるのだろう。その辺の詳しい話は聞こうと思っているものの未だにそれはやれてない。


 作戦はこうだ。まず橋の上まで走っていく。

 中程まで来たところでいきなり横に向かってジャンプ、真下の玻璃衣川へ飛び込む。

 奴は俺を見失う。匂いは水で流れる。追いかけられなくなる。――完璧だ!

 服を着たまま真冬の川にダイブとか落ち着いて考えると自殺行為にも程近いが、それでも人狼の牙よりは殺傷力も少ないだろう。最悪脱ぐ。半裸で家に帰って風呂に入る。

 そうして明日の朝になって、通学路でかがしと落ち合って、昨日は大変だったねっていい思い出に変えてやるんだ。

 日常の場所へ帰るために。生きる覚悟を俺は決めた。


 高速道路の高架が見える。白虹橋があるのはあの下だ。

 走れ。走れ。あと少しだ。そろそろ足の痛みも限界だけど、終わる前にはたどり着く。

 さあ、あの角を曲がればそこが目指した終着地点――


 あと数十メートルといったところで、再び有り得ないものを目に入れた。


「ん――、な、」


 人影だ。

 今まで都合よく出会わなかった障害が、最悪のタイミングで現れた。

 まずい、これはまずい、道の邪魔であること以上に、後ろのあいつに狙われる。

 逃げろと叫ぼうとしたところで、人影の詳細を俺は知る。

 灰色がった髪の毛は、普段と違って束ね途中で放置され。

 トレードマークのはずの眼鏡は、今宵は何故かかけられてなく。

 凍えるような冬だというのに、どうしてか下着だけを纏った寒そうな姿で。


 うちのクラスの委員長、真神はずきがそこにいた。


 どうしてこんなと問いたくなるのは時間場所格好全てにおいて。

 俺の知っている委員長は当然のように夜歩きをするキャラでもなかったし、殺人鬼が彷徨く中で歩き回れるような命知らずでもなかったし、人の目がある場所でストリップに励むような変態さんでもなかったはずだ。

 何故だとかどうしてだとか露出趣味に目覚めたのかとか、そんな疑問が頭を回るが、しかし今はそれを尋ねる時間じゃない。

 困惑したのはほんの一瞬。

 叫ぶべき言葉は明白で、だから迷いはしなかった。


「委員長、ここから逃げ――ご、はッ!?」


 衝撃。

 何が起きたのかを理解するには一秒さえもいらなかった。

 俺を追いかけていた人狼が、跳ねて、跳んで、俺にキックをかましやがった。

 胸と下顎が地面と擦れて痛、がっ、痛い痛い痛い痛い――

 クソ、血が出るタイプの擦り傷は数日痛み続けるから嫌なのに!

 早く立ち上がらないと、橋のとこまで駆け寄らないと、死にたくないなら早く、早く、体勢を立て直して委員長と一緒に川にダイ――ガッ、


「がっ――はっ」


 背骨が折れたかと思うような痛み。肋骨と肺が圧迫される。

 振り向かなくてもわかる――人狼の足が俺の背中を踏みつけている。

 そのままぐりぐりと踏みにじる行動は獣というより人間のする嗜虐行動。

 畜生……、甚振ることさえ楽しむのかよこの怪物は。

 狼が与える痛みに耐えながら、なんとか首だけ動かして委員長の方を見上げようとする。

 視線に込めたメッセージは俺を助けてくれなのか、それともあんただけでも逃げてくれか、自分でも判断はつかないけれど。


「………」


 委員長の目を見た瞬間、痛みで燃えていたはずの背筋が、寒気に一瞬で凍りついた。

 瞳の色は例えれば無色。

 なんの感動も得ていない色の無い瞳。


「あ、はは……なんだよこれ」


 委員長は動かない。何の反応も示さない。

 凍りついた無色の視線で、ただ俺のことを見下ろすだけだ。

 その目つきを目の当たりにして、何故だかとても気が抜けた。


 ああ――終わりかなあ、俺。


 これで良かったかと言うと答えは間違いなくノー。

 だけどかがしを救えたことだけは正しくて。

 譲れなかった一点だけを抱えて逝くのもきっと悪くはないだろう。


 ……だけどやっぱり死にたくねぇ――!


 心の中だけで響かせる叫びは、当然どこにも届かずに。

 いい加減早く終わらせてくれよ、甚振ったりとか焦らしたりとか勘弁しろよと狼相手に祈ったところで、ふと重圧が軽くなったことに気がついた。

 痛みで体は起こせないけど、人狼の方を向くことはできた。


「…………」


 無言。

 人狼は俺を踏みにじるのを止めていて、ただ委員長の方を見つめていた――


【NeXT】

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