【非日常】名賀かがし【真性怪異ウェアウルフ 六】

                    ◇



 夜――

 そのケダモノは遠吠えをあげた。

 何かを求めて響く声。

 まだ見ぬ誰かを探す声。


 ケダモノは何かを探していた。それはケダモノがケダモノとして目覚めた時から、見つけなければいけないと本能が求めているものだった。

 ケダモノはまず街を駆けた。ニンゲンに見つからないように、日が沈んだ後の静寂の中を、音も立てずに風のように。

 しかしソレは見つからない。


 だからケダモノは次に印を残した。

 小鳥を殺し、猫を殺し、血と肉を路上にバラ撒いた。

 自分がソレを見つけられないのなら、代わりにソレの方から自分を見つけてもらおうと。

 だがソレは現れない。


 なぜだ、とケダモノは思考する。

 己の行いが根本的に間違っているなどとは夢想もせずに、単純な答えに辿り着く。

 残す印に欠陥があった。


 もっと大きな印を残そう――例えば、ソレより大きなモノを引き裂いてみて。

 もっと派手な印を残そう――例えば、道が真っ赤に染まるぐらいの量をぶちまけて。

 もっと異常な印を残そう――例えば、印を見た者たち全てが異常と断じて怯えるほど。


 月が一巡りするぐらいの前――ケダモノは早速動き出した。

 冬が始まるところだった。夜は昏さを増してきていて、ニンゲンたちは出歩く数を減らしていた。

ケダモノにとっては都合のいいことだった。


 月が綺麗な夜だった。ケダモノは一匹のニンゲンを引き裂いた。

 月夜に弧を引いて血が飛んだ。

 ニンゲンは何が起きたか解らないような顔をしていた。

 程なくそれは騒ぎになった。ニンゲンたちは喧しくケダモノのことを話していた。


 嬉しかった。

 楽しかった。


 あんまりにも満足がいったので――

 ソレを見つけることなんて、正直どうでもよくなっていた。


                    ◇


 街というものは、基本的には人の領域だ。

 二十四時間朝昼晩、年中通して全ての時間一番多く見かける生物は人間以外ありえない。

 他に見かける生き物と言えば、電線に止まるスズメやカラス、塀の上で寝ている猫、夏場に邪魔な小蝿や蚊、とにかく人より小さくて、生活に無害なものばかり。

 そうなるのは当然だ。有害なものを排除して、有益なものを収集して、人間が生きることの出来る環境を作るのが街というものの本質だ。

 最近は人間ならぬ幻想の異人種たちの姿が混ざるようになったものの、それも人間『社会』に属する存在だ。街という城壁システムに守られるべき住民たちだ。

 街の中には人間とその仲間しか存在しない。それが絶対の不文律で――

 だから私は、名賀かがしは、眼前の光景を疑った。


「――――」


 狼がいた。

 約一メートルの体高は、犬とは違うと如実に告げる。

 街頭に照らされた毛並みは、灰被りのようなホワイトグレー。

 ふとすれば見落としてしまいそうなぐらいごく自然に、さりとて存在自体が不自然に。

 その狼は、私の眼前に佇んでいた。


 それは街にはありえない存在だった。

 大型の肉食獣。人間にとっての有害の極致。

 まず人前に現れず、どこかの山か動物園にいるべきような生命体。

 そもそも日本の狼はとっくの昔に絶滅していることは、今日日小学生だって知ってる常識で、なおさら脳裏に疑問符乱舞。


 認識を拒む非常識。

 理解のできない非日常。

 それを目にして私の頭は混乱し。


「――へ?」


 間抜けな響きが口から漏れる。それは致命的だったと、直後に私は感じ取る。

 冬の風に揺れる体毛。冬の風が運ぶ獣香。否定の出来ない現実味。

 脳裏にさっきまで私を悩ませていたものが再来する。

 既に五人が犠牲になった、まるで獣が食い荒らしたかのような殺人事件。

 聞いた時にはなんでそんなに残虐なんだと思っていたけど、ここで私は納得した。

人の仕業じゃなかったんだと。本当に獣の仕業だったんだと。

ただの人間なら、きっと生き延びることはできないだろう。


 その未来を想像するまでもなく、狼の顎がぬるりと開く。

 血で牙を濡らしたその顎が開く。

 獲物を求めて開く。

 私を引き裂き食いちぎろうと、邪悪な食欲を見せつけて――!


「――――」


 血と臭みの混ざった息を吐き、狼が私目掛けて飛びかかる。

 退却は不可能。そもそも走れないこの蛇体で逃走できる可能性は絶無。

 私が取り得る選択肢は二つ。

 黙って死ぬか、それとも――


「ぁぁぁああああああぁぁぁぁあ!!」


 ――!


 狼が飛びかかってきた瞬間、私は尻尾を閃かす。

 縄跳び、投げ縄、もしくは鞭。その要領で向かってくるケダモノを捕まえる!

 とっさの判断で思いついたことで、はっきり言って無策同然。

 常識的に考えれば無茶無謀で、失敗すればそのまま死亡。

 そんな不確かなものに命をかけた一振りは、


「――っ、は、は、出来、あ、」


 成功。

 驚くほど、そう、驚くほどあっさりと狼は私の蛇体の中に収まった。

 脂でドロドロベタベタしたものが私の体の中でもがく。うぅ、物凄く気持ち悪い! 

蛇体は晒しっぱなので雨の日の泥とかうっかり吐き捨てられたガムだとか、そういう物に触れることも少なくなんてないんだけども、こうやって動く気持ち悪さは初めてで、こんなの締め上げ続けてるぐらいなら宮雨で暖を取っていた方が十倍百倍数千倍マシ!


 だけど怯んでいる場合じゃない。蠢くケダモノは今も私の拘束を振りほどこうと暴れている。牙をガチガチならしちゃって、爪を必死で動かそうとして。


 っていうか近い近い近い近い近い! 頑張って出来るだけ遠ざけながら締め上げているつもりなのだけども、それでも狼の凶器は私の胸元を狙って動いてくる。狼の口から漏れる生臭い血と肉の腐臭は生暖かい温度で私の顔面へと投げかけられる。


 私の体のすぐ側で、死の塊が動いている。


 だから死にたくないなら締め落とすしかない。向こうに殺される前にこちらから殺し返すしかない。それは自然界の不文律で、しかし街という空間の中では明確な想定外。

 やれと命じる理性と裏腹、体の動きは全然強まったりなんてしないで。

 それは優しさだとか甘さだとかそういうプラス――この場合はマイナス――の感情を理由とはしていない。そもそも私は山から下りてきたクマだとかにまで優しくしましょうなんて博愛主義者を気取ってはいない。相手は人食いかもしれない狼だ。今ここで私を殺そうとしている相手だ。そしてかばねちゃんを殺したかもしれない相手だ。怒りも恐怖もないまぜになってこいつを早くやっつけたいと叫んでいて慈悲なんてかける必要理由はあり得ない。


 だったら私の体を動かさないものはただ一つで――

 勇気が、足りない。


「――、はっ、――」


 私は日常の住人だ。命のやり取りなんかやるような人間じゃないのだ。いやまあ今は人間じゃないのかもしれないけど、それでも非日常の中に生きるキャラクターじゃないのだ。


 スポーツの経験があるけどもあくまでもそれはスポーツだ。更に言えば私は自分と戦ったことはあるけども他人と競ったつもりでやった経験はあんまりない。そもそも誰かに勝ちたい倒したいと願った訳じゃなくて、あくまで走るのが楽しかったからやってただけだ。

 ここで生き残るためには切り替えが必要だ。非日常のスイッチを入れることが要件だ。


 だけど。

 そんな切り替えのやり方を、私が知ってる訳がない――!


「だからって、諦められないってー!」


 叫ぶ。入れた気合は効果抜群で、狼の体を締め上げる力を増していく。

 腹鱗に感じる不快感を一緒に押しつぶすようにぎちぎちみちみちめしめしぎしぎし。

 さっきまで私を殺そうと息巻いていたケダモノは、諦めたようにぐったりと頭を垂れて動かなくなり。

 だけどそいつは演技であると、殺意を残した瞳だけがこちらを睨んで告げている。

 涙が出てきた、震えて脅える、だけど怯むな力を抜くな、終わりが来るまであと少しだと必死で自分に言い聞かせて、握りの硬さを増していく。

 巻きつきの中から聞こえる軋みの音はこの辺で止めたほうがいいんじゃないかと私の良心を刺激して、一線を越える前にもう緩めてしまいたいという衝動が湧いてくる。だけどそれが間違いなのは、やったら終わりで私が死ぬとは、理性の方では解っているのに。

 だからお願い早く倒れてよと、一生のお願いをするより強く、神様とかに祈ってみて。


 でも。

 それを。

 笑って馬鹿にして踏みにじるように。

 非日常の世界のケダモノは、私の常識を破壊する。


 狼が爆発した。

 

 それは私の錯覚だったのだけれども、しかしあまり間違っていない表現だろう。

 締め付けを解こうとする圧力が突然、異常なまでに高まった。

 その上昇はあまりに一瞬。

 風船が一気に膨らむように強まって、私の拘束は振りほどかれる。

 そしてそのまま投げ飛ばされて、地面に転がる私の体。

 ちょっと待った――、ありえないでしょそんなこと!

 意識したくはないけれど、私の体重今一体何百キロあると思ってるのさこの世界!

 現実逃避のように馬鹿な思考が頭をよぎる。だけど投げ飛ばされたのは真実で。

数百キロを投げ飛ばす狼だとか、物理的にあり得る訳がないはずなのに。そもそも狼が投げ飛ばすってどういうことだと混乱疾走する私の思考。恐怖と困惑がないまぜになる。


 そして私は顔を上げ、もっとあり得ないものをその目で見た。



 ――怪物がいた。



 その怪物は全身に一分の隙もなく灰色の毛皮を纏っていた。

 その怪物は二本の足でアスファルトを踏みつけて立っていた。

 その怪物はなんだって咬み殺せそうな牙をその口の中に揃えていた。

 その怪物は二メートルを超す巨体で倒れ寝転がる私を見下ろしていた。


 昔絵本の中で見た、怪物の名前を思い出す。

 その名は邪悪なウェアウルフ。

 お伽話の怪物が、第四の壁を引き裂いて、私の前に現れた。



「――はへ、」


 変な声が出た。

 ただでさえ加熱していた頭が、さらに混乱で沸騰する。

 人蛇だっているし吸血鬼だっているこの時代だけども、あくまであれはただの病気だ。

人間を変異させるだけのもののはずだ。魔法でも奇跡でもオカルトでもないイルネスだ。

 だけど、目の前の人狼は紛れもなくオカルティクスの怪物だ。

 膨れ上がって立ち上がる狼なんて、常識のルールに真っ向歯向かうイレギュラー。

 人であるのはそのシルエットと、後は両目の色ぐらい。

 その両目だって、食欲と嗜虐心で爛々と邪悪に光らせて。


 蛇体が引き千切られなかったのは幸いで、だけどそれも時間の問題に違いない。

 だってあの爪。あの牙。あの筋肉! どこをどう見ても強さの塊。赤頭巾ちゃんを引き裂いて、子ヤギたちだって食いちぎって、人間だって嘘つき少年を捌くようにめちゃめちゃのぐちゃぐちゃにしてしまえるに違いない。


「――、――、――――――――――――!!!!!!」


 人狼が吠える。

 月まで届けと言わんばかりに、天に向かって咆哮する。

 骨まで響くその叫び。尻尾が凍る、両手が震える、体の全て、動かなくなる。

 早く、早く、立ち上がらなくちゃと思うけれども、竦んだ体は動いてくれず。

 そんな私を見下ろしながら、人狼はにやにやと牙のあるその口を深く裂いて。

 ねとねとした涎の糸を引きながら、舌なめずりなんかをしちゃって。


 頬に涙が伝うのを感じる。

 あいつなんかに見せたくないと嫌だと強く思っても、涙腺は言うこと聞いてくれないで。

 路上に散らばる肉塊の幻視は恐らくきっと未来の自分。それが一体何秒後かは想像するかも恐ろしく、しかしこのままだったら確実にすぐにきてしまう末路。


 怪物が迫る。

 一歩一歩、遊ぶように、嬲るように、私の方に近づいてくる。

 尖った爪を、汚れた牙を、私の体につきたてようと、汚れた笑みを浮かべながら。

 恐怖のあまり目を閉じる。視界が闇に包まれる。

 その闇が、永遠のものになる瞬間を、来ないでくれと怯えながら――



「うらあああぁぁぁぁぁぁ!」


 突如。

 闇の中、明るく軽い打撃音が響いた。


「みや、さめ……?」


 目を、開ける。

 幼馴染が、宮雨才史が、人狼を金属バットで殴りつけていた。


                    【NeXT】

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