【非日常】真神はずき【真性怪異ウェアウルフ 参】
◇
私は夢中を走っている。
夜の街中は静まり返り、昼間とはまるで別世界。
沈黙する街並みは人知れぬ森のようにだんまりと。
降り積もる深夜の夜気は形のない雪のようにしっとりと。
光る車のライトは、見つかってはいけない捕食獣の眼光のようにぎらぎらと。
それを怖いとは思わない。それを異常とは思わない。それを不実とは思わない。
そもそも思いだの悩みだのそういった感情は人間だけが有するものだ。
今の私は獣である。灰色がった毛並みを持って、四足で駆ける狼である。
獣が持つのは単純明解な好悪だけだ。
キモチイイかワルイかだ。
美味しいのか不味いのかだ。
世界の全ては単純な二元論に還元される。
それで言うなら夜の街は気持ちが良い部類に入る。
沈黙する街並みは邪魔するものもなくて気持ちいいし、凍える夜気は火照る体を冷やしてくれて気持ちいいし、光る車のライトはそもそも出会わなければ気持ち良いも悪いもない。
夜という異界を闇に紛れて、私という獣は走っている。
何故かなんてことは解らない。強いて言うなら衝動だ。雨の後に泥だらけになった鉄棒のような朽ちた匂い。どこかからか流れてくるそれを嗅ぐたびに、私はそれを見つけないとという強い気持ちに襲われる。
それが何の匂いだったのか、獣の私には解らない。
人間だった私なら知ってるのかもしれないけれど、そんなの正直どうでもいい。
その匂いを思い出すたびに、何故だか心臓が高鳴るのだ。
キモチイイのかワルイのか。獣の二元論で解らないフシギなフシギなその感覚。
それを求めて、私は今日も走るのだ。獣のままで、夜の街を。
「――――」
その軌道上に、ニンゲンの影を見つけて。
邪魔だな、と私は思って。
だから。
獣らしく。
私は――
◇
今日の朝は普通の朝でした。
鳥のさえずり。窓からの日差し。素肌に感じる毛布の温度。
鉄錆の匂いが鼻をついて、口の中には肉の味。
数日続く気持ちいい目覚めの連続記録は、今日も更新されている。
健康の元は睡眠から。枕元に置いてた眼鏡を手にとって、ベッドのそばのゴミバコに口の中のペレットを吐き出してから、のそのそと寒い外へと這いずりだす。
ここしばらくの寝覚めの悪さは、
週末にでもまたお散歩の約束を取り付けに行こうかななんて、ちょっぴりうきうきしながら考えたりしてみて。今度はリードとか一緒に選びに行ったりして、行き先だって事前に決めておいて、それからそれから重ねながら、未来予定図を組み立てていく。
「わにゃー」
軽く背伸び。ふと目をやった鏡には、半裸の私が映っている。
三ヶ月前から時々ある無意識での狼化は、当然のように服が脱げる。脱げると言うよりは無意識のうちに狼化する前に脱いでるのだろうけども、朝の私から見ればどっちも同じ。
散らばったパジャマは無作法の証で、小学校から歴戦の委員長属性な私にとってはあんまり見たくないシチュエーション。
だからもう最近では寝る前は最初から下着姿で布団に入って、朝の恐れと憂鬱を軽減しようとしてたのですが。
「そろそろ寒さも本番ですしねー」
毛皮のない肌に感じるようになってきた温度は最近は冷たくて、半裸で眠るのにも限界がくるかなと感じてきたところであったわけでして。
ちょうどいい時期に鮎川くんと出会えたんだなー、と自分の幸運に感謝する。
鮎川くん。
私を助けてくれた人。私が安心して身を任せられる人。
そっけないけど、いい人。
どうやって話しかけようかと考えるだけで、今日も学校へ行くことが楽しみになって。
だから綺麗な姿で会いに行こうと、まずは髪を梳かしていつも通り結ぼうと、鏡の方へと向き直って、
――そこでようやく気がついた。
「ぃゃ、なん、で――」
口元は血糊がべったりと赤々しく彩られていて胸元にはナニカの毛がぺたぺたと張り付いていてやだなにこれわからないわからないいやなにがあったかすぐに予想はつくけれども考えたくない気持ちが頭の中でぐるぐるして振り払うために頭を激しく振ってみたら噎せ返るような血の匂いの名残が鼻を刺激して吐き出しそうでくずかごに吐き出したものの中には得体の知れない毛とか肉とか骨の欠片とかが混ざっていて――!
「うぇ、うぇっ、おッ、うぎゅ、――ぱぁっ」
胃袋の中のものを消化液に至るまで吐ききって、私は息荒く肩を揺らす。
口の中は酸っぱさと吐き出した肉の味とまだ残る鉄の不味さでもう滅茶苦茶だ。
ゴミバコの中にぼとぼとと溜まる得体の知れない物体はホラー映画のブロブみたいで、ちらほらと毛が混ざってるのが見えてとっても気持ちが悪かった。
血。肉。骨の欠片。吐き出した生物の残骸は人間が口にするものとは程遠く。
あの夜に鮎川くんと出会ってからは無くなったはずの深夜徘徊が、昨夜になっていきなりに復活したことを物的証拠で示していた。
がくがく。ふらふら。現実味を失いぐるぐる回る。
震える体を強引に横に動かして、そのまま倒れるようにして、私はベッドへ引き返す。
布団を被って体を抱いて、間違っても外には出ないように出れないように。
私じゃない私の存在を恐れるように。
「い、やだ、よぉ……」
自分の手を見る。私の手。人の手。獣の毛なんて生えてない手。
匂いを嗅いでみる。血の匂い。肉の匂い。汗の匂い。だけど獣の匂いなんてしない。
だからきっと大丈夫。そう自分に言い聞かせてみるけども、現実逃避とは解ってた。
認めるしかない。私は私自身を押さえることなんて、これっぽっちもできてなかった。
勝手に変身するのはいつだって無意識のうちにやっていること。だから私が意識を落とさない限りはあり得ない。そう。きっと。
だから私が頑張ればいい。だから私が気を張ればいい。
そうだ。全部私の問題なんだから、解決するのも私なんだ。
「すけて……」
それでも口から洩れる言葉は、一体誰に向けたのか。
解らないまま、私は私に怯え続ける。
◇
私が鮎川くんを知ったのは、夏の始まりのことでした。
空は青く、雲は高く、風に緑の匂いが混ざる頃。
そんな何かが始まりそうな空気の下で、私は窮地に陥っていた。
「あ、あの……ゴメンナサイ」
体育館の裏手の日陰。足元には雑草と煙草の吸殻。明らかな人目を避けたロケーション。
そこで私は、男の人に詰め寄られていた。
相手は三年の
私のことを一目見たときに運命的なものを感じただとか、タノシイ思いをさせてやるからさと言う誘いだとか、彼の大きな口からはそういった浮ついた言葉が次から次へと出てきてましたが、なぜだろう、それは頭に入ってこなくて。
いいや、理由はわかってました。彼の目は獲物を見つけた獣のように、爛々と禍々しく光っていて、これを信じちゃいけないと、自衛の本能が働いていたから。
だけども相手は男の人。力だって私より強い。体だって私より大きい。だからどうすればいいのかなんて、これっぽっちも解らない。
背筋なんてぞくぞくして、足元なんてびくびくして、どうすればいいだろうと混乱して。
そこに現れてくれたのが、鮎川羽龍くんでした。
「あ、いたいた委員長」
体育館の影からひょっこり顔を出した彼は、そのまま物怖じせずにすたすたと私の方まで歩いてきて、先輩との間にするりと割って入ってきました。
先輩が何か言おうとする前に、鮎川くんはなんでもなさそうな顔をして、
「先生が合唱コンクールのことで話があるって呼んでたよ」
そのまま私の手を引いて、暗い場所から引っ張り出してくれました。
初めてでしたそんなレスキュー。思わず心がドキドキしちゃって。
胸の高鳴りにつける名前を、くらくらしながら探し出して。
呆然とする倶猛先輩を振り切って、日陰を一緒に走っていく。
日の当たる場所に出た後で、私たちは壁にもたれて息をついた。
「先生が話って、一体どこでどの先生がです?」
「んー、あれはウソ」
あっけらかんと言い放つ鮎川くんのその時の顔は、いたずらっ子みたいな明るい笑顔で。
なんとなく解ってましたけど、それでもやっぱり堂々と言えたことには恐れ入って。
どうしてわざわざ嘘ついてまでと尋ねると、彼はよくぞ聞いてくれましたと、
「不良に迫られてる女の子を助けるとか、いかにも非日常の始まりみたいじゃん?」
学園ラブコメの始まりだとか。異能バトルのスタートだとか。
そんな本気か冗談か解らないことを、いかにも大真面目な顔をして。
「……期待に応えられないでごめんなさいです」
「いいのいいの、どーせそこまでぼくも信じているわけじゃなし。まさかクラスメイトが人外だとか魔術師だとかそんなエンターティメント、万に一つもありえないって」
だけど、
「だからこそ、その万が一をぼくは逃したくないって思うんだよ」
太陽に向けて手を伸ばし、それを掴もうとするように、鮎川くんはそういった。
「私は平和な毎日が欲しいですけどねえ」
「それでも動く事は大事だと思うよ、委員長」
「……?」
「毎日ってのは放っといたら勝手に変わっていっちゃう。自分が過ごしたい毎日の為には気になるものは放置せず、手入れ整え適度にやっていかないと」
言われてみればそれは納得のお話で。
いつも言われたことを言われたままにこなしながら、本当に嫌なことが起きたら縮こまって去っていくのを待っているだけな自分には、結構刺さる一言で。
「あー、起こんないかなー超常現象。クウェンディ症候群の話を聞いた時には期待したけど、すっかり日常に溶け込んじゃって誰も喜ばないどころか迷惑してるしなー。そんなもの、ぼくが求める非日常じゃない」
どこか遠くを見つめながら、鮎川くんは呟いた。
空の果てよりも太陽の向こうよりも遠い場所を、昼間に夜を求めるような口ぶりで。
「ま、なんか変わった出来事があったら教えてくれればそれでいいさ、んじゃあー」
夏休み前に鮎川くんと話したのはそれだけで。
自分の行動は変えてみようと頑張ってみたけども、同じ教室にいる鮎川くんに話しかける勇気は出ないままに一学期は終わってお休みが始まって。
そしてあの夏の終わりが過ぎ去った後、聞かされたのは記憶喪失という事件。
これまで生きてきた人生も、私とのあの思い出も、鮎川くんは全部忘れてしまっていて。
それを聞いて思ったのは、やっぱり後悔という二文字。
もっと話しておけばよかったと、もっと勇気を出せばよかったと、そんな思いを抱いて。
だから私は、それを振り払いたいと思ったから、あの時鮎川くんに声をかけたのでした。
「鮎川くん、あの……いい、天気ですね?」
◇
変わった出来事があったら教えてくれと、夏休み前の鮎川くんは言いました。
だけども言えるわけがない。噂の連続殺人の犯人が、もはや人ではない原因が、もしかしたら私なのかもしれないなんて。
口の中に感じる血の味も、手足に着いた泥の臭いも、私でない私がしたことは何から何まで私を追い詰めるだけのギルティソーン。
だからあの夜見つかったのは、本当に本当に嬉しくて、だけど同時に後ろめたくて。
助けてもらえると思ったけれど。
助けられちゃいけないかもと、そうとも思って。
結局、なんで黙って欲しいかは、ほんの少しも口にできずに。
最後まで隠そうとしなければ、何か変わっていたんだろうか。
「また、あの時みたいに助けてください、鮎川くん……」
そう届かぬ祈りを口にして、私の意識は闇に落ち、
◇
ワタシの時間がやってくる。
「おはよう、世界――」
【NeXT】
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