【非日常】宮雨才史【真性怪異ウェアウルフ 弐】
◇
街を騒がす殺人事件に、被害者の数が一つ増えた。
第一発見者は登校中の小学生。
通学路となってる田んぼ沿いの道で、カラスに啄まれてるのを見たらしい。そこでおしっこ漏らして倒れているとこを通りかかったお姉さんが助けて携帯で一一〇番を掛けたそうだが、トラウマ以前に変な性癖に目覚めないだろうかとか心配してしまうのは間違いなくエロ本の読みすぎでそんな自分に嫌悪する。
被害者は中津国高校の女子生徒。
主に遺体の下半身が重点的に損壊していて、傷の少ない上半身も後頭部がカチ割られて脳味噌が丸ごと抜き取られていた辺りになんらかの呪術的イニシエーションを想像する。
夜中に出歩いていたところを襲われて、そのまま手も出ずお陀仏らしい。
殺人犯の噂が街を騒がせている中で深夜の外出をするなんて、きっと抜き差しならない重大な理由があったのだろうと思われる。しかしそれが命を天秤に乗せる程のことだったのかは、今となっては誰一人だって想像を巡らせようと解らないだろう。
そもそも。
命を賭けてもいい物事って、日常の何処ならあるのかは、俺には全く解らないけど。
◇
臨時朝会が終わった後。
校庭から教室へと戻る生徒の群れは、異様な熱気を持っていた。
朝会の中身は大雑把な事件の話。部活動を停止して即時帰宅しなさいという勧告。そしてマスコミに聞かれても余計なことを答えるなという釘刺しの三つ。
一つ目についてはそもそもテレビやネットのニュースで騒がれているのだから、わざわざ校長先生が人を集めていうような話じゃないだろうなと思ってしまう。今時の学生は耳が早い。大人が掛けたいフィルターなんて無視をして、もっと生々しい話を幾らだって耳と口の間で往復させる。
「鮎川」
「……なに」
俺は隣を歩くクラスメイトに声をかける。
常に死んだ目をした男子高校生は、今日も全く同じ顔で、俺の呼びかけに応じていた。
「校長が言ってたことどう思う」
「別に。周りが五月蝿くなるなって思うぐらい」
予想通りの答え。
「淡白だな、鮎川は」
「責めるように言われても困るんだけどね。知らない相手だし」
「……そうか。そうだよな、変なことを聞いた」
知らない相手。そりゃ当然の反応だよなとなんだか肩から力が抜ける。
――被害者の名前は、
ロクに話したことも無い、というよりこの前のデパート閣下で会ったのが最初で最期のかがしの後輩。縁なんてものは間接的で、会話なんてものは殆ど皆無で、この先出会う可能性は当然絶無だ。それでもゼロでは無いというだけで、どうしてこんなに俺は後悔を感じているのだろう。できることなどないはずなのに。
「あんまそういうこと他人に言うなよ鮎川。……かがしの後輩だったんだよ、話の相手」
「わかった」
顔色一つ変えずに、鮎川羽龍はそう返した。本当に解っているのだろうか。それとも解った上で顔色を変える必要はないと、そう無意識で判断しているのか。
周囲のざわめきは相変わらず止まず、下世話な話が聞こえてくる。
異常事態は数を重ねる程に潤いを無くす。
五度目となれば畏れ省みすることも無く、ただ数の増加と捉えるだろう。
驚きを無くしたサプライズ。
感じられないセンセーショナル。
だけどもそれが、俺たちの心を震わせるのは。
画面の向こうと思っていたものが、すぐそこにあったという昂揚だろうか。
「どうでもいいけどさ、ニュースで十代の人が出てきた時って、なんか急に生々しく感じたりするしねえ? あれなんでだろうな?」
「気のせいじゃない?」
切り捨てられた。何時ものようにあっさりばっさり。
「単純に年齢が近いから、変な親近感を抱いてるだけだと思う」
確かにそれはそうかもしれない。
テレビ画面の向こうに映るのは大抵は大人たちの世界であって。そこで語られる子供の姿は何時だってどこか的外れだ。やれ最近の子供はキレやすい、外で遊ばない、漫画ばっかり読んでいるエトセトラ。大人たちが考えている、「子供はこんなダメであって欲しい」という幻想でしか語られない。いわばテレビの向こうにしか存在しない完全架空のフィクションだ。本物の子供なんてものがそこに出るなんて夢の欠片にも思わないから、第四の壁が砕かれた感覚を薄々心が感じるのだろうか。
「そもそもぼく、ニュースあんまり見てないし」
「いやそこは見とけよ人間として」
鮎川の表情を少し沈ませられたのは、勝利と思っていいだろうか。
◇
二時間目から始まる授業も、半ばを過ぎれば普段と同じ空気に戻る。
先生がチョークで黒板を叩く音。それを無視して雑談する生徒達のガヤガヤ声。
聞こえてくる話の中身に朝のニュースの話題はない(俺の聴力は結構いい方だ。むしろ良くなった方だ、というべきか)。そんなことより昨日の夜のドラマの話や放課後に遊びにいく話をした方が建設的だというのは当然で。
単純に興味がないだけなのか。
それとも側まで近づきすぎて、話すことさえ恐れているのか。
「つーわけでだな、ここは文字通りに解釈しちゃダメなんだ。解ったかガキ共」
担任教師、四捨した方で三十歳未婚の
斜め後ろに座る幼馴染の顔を見るには、生憎振り向くチャンスが無い。
普段は一緒に登校してる俺たちだが、今日は久しぶりにバラバラだったから話す機会もなかった訳で。いや別に待ち合わせしているとかじゃなく毎日偶然合流するだけなのだが。
学校に着くまでの間、あの春の終わり以来の隣を歩く幼馴染がいないことに寂しさなんて感じていたが、理由を察せる今では納得だ。多分俺よりほんの少し早く、事件の話を知ったのだろう。
「ああ――くそっ」
頭を掻こうとして、爪が猫耳に引っかかる。超痛ぇ。
知ってる人が死んだ経験とか俺全くないからなあ……。親父の方の両親はまだ健在だし、お袋の方は俺が生まれる前にとっくになので、別れらしい別れとか小学生時代に転校してったクラスメイトぐらいだ知ってるのは。
一般的には恵まれてるんだろう。別れなんて誰もが経験していく中で、それを得ていないということは幸福なことであるはずだ。
だけどその幸福が、他人と共有できない溝を心に刻んでいて。
試しにクラスの誰かが死んだのを想像してみようとして、すんでの所で踏みとどまる。
人を想像の中だけでも殺せる自分とか、それはそれで最低すぎて嫌になる。
第一選んだ相手と今後どうやって顔を合わせりゃいいんだ気まずいぞ、と。
しかも今回はただの死じゃない。殺人事件かあるいは野犬に食い殺されたのか。どちらかわからないところはあるが、どちらにしたって非常識だ。それに対して常識の中の住人たる俺が何かを思い浮かべられるかというと、考えるまでもなく答えは出てくる無理であると。
その無理さがまた棘になって、心のどこかに溝を掘る。
不幸になりたいなんて思わないけど、幸福に引け目を感じる居心地の悪さ。
そいつを吹き飛ばしてくれる、何かが起きてくれないかと、そんな思いを心に抱き――
「――あイタッ」
側頭部に何か軽いものが命中して、思考が強制中断される。
まさかこのクラスでも消しゴム投げのいじめが始まったりしたとか言わないだろうなと思いつつ、投擲されたものを探す――あった。
机の上に落ちたそれは、折りたたまれて小石みたいな形になったノートの切れ端。
誰だこんなのを投げてきたのはと苛立ちながら包みを開く。
『あんまり悩むな』
…………。
投げられてきた方向を見る。
文字を書いた張本人は、何時ものように何事もどうでもいいと思ってるような表情のまま、適当に黒板を見つめていた。
本当に、本当に鮎川羽龍は読めない奴だ。
だけどまあ、考えても仕方のないことに悩んだところでしょうがないのも確かであるし。
時間が解決してくれることを、祈って見るしかないのかね。
かがしのとこで祀られてる神様にでも後でお参りしに行くべきか。
「――、と」
鮎川の席のところまで、障害物がないのに気付き。
……そういえば委員長、今日はお休みなんだなと。
どうでもいいことを気に留めた。
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