【日常】真神はずき【お弁当の話】

                    ◇


 日常の中でも事件は起きる。

 それは誰もが知っている当然で、しかし予想ができないからこその事件なのだ。


 その発端は昨日、学校の調理室が大崩壊を引き起こしたことから始まったりする。

 私たちの学校、中津国高校なかつくにこうこうの学食には一つ非常に変わったメニューがある。週替わりランチと名付けられたそれは――おいしくない。これはかなりオブラートに包んだ表現で、私以外に聞いたならもっと直接的かつ致命的な言葉でその味を教えてくれるだろう。


 学校に伝わる伝説によれば、週替わりランチが生まれてからしばらくの間はごくごく真っ当な料理が提供されていたらしい。しかし回数を重ねると変えるメニューのレパートリーも減っていく。

そこで真っ当な料理人ならローテーションに入るところだったんだろうけど、うちの学校は違っていた。週替わりというならきちんと変えなければならない! と、およそ料理と呼ぶには憚られるようなキワモノを作り出したのだった。私が見かけた一例だけを上げるなら――青魚のチョコレートソースがけとか。故にあだ名は【終代しゅうがわりランチ】。男子たちの間では罰ゲーム用や制裁用として恐れられ親しまれているらしい。


「んでその終代わりランチの鍋が爆発して、本日は学内一斉お弁当デー、とねえ」


 後ろの席に座る名賀ながさんが、呆れた声でそう言った。

 時刻は十二時、つまり学校は昼休み。普段がらがらの教室なのに、今日はみんなが残っている。

理由は単純明白で、学食組が残っているから。ちなみに私も普段は学食組。


「現場の惨状はそれはそれは酷かったってさ。具材に使われていたスイカが飛び散って、まるで殺人現場のような真っ赤っか――」


 今の季節は冬で、そもそも普通は鍋には入れないはずなんですけど。スイカ。


「あの調理室のおばさんたちの考える事はちょっとお姉ちゃんわからないかなー」

「大丈夫、それは私もわかりません」


 曖昧な笑みを浮かべながら、私は机を持ち上げてぐるりと半周回転させる。

 真っ先に目に映るのは、山のように積まれた巨大な重箱のお弁当。

 そして視線を下に向ければ、椅子をぐるりと取り囲む、名賀さんの蛇の尻尾が目に入る。


 ――クラスメイト、名賀かがしは人蛇である。

 クウェンディ症候群については、今更私が解説するようなこともないと思う。

 思春期の少年少女を幻想の異人種へと変える病気。街を歩く影の中に蝶の羽や猫の瞳を見ることは、もはや私たちの日常だ。

 かくいう私も少し前に人狼の特徴が発症して、それを隠すためにちょっぴり苦労してたりするのだけども。


「ん? そんなお姉ちゃんの弁当の中身が気になったりする?」

 ぽんぽん、と名賀さんは尻尾の先で重箱を叩く。ぱっと見ただけでもその高さはおよそ五段分。

おせちと同じぐらいのその分量は、一人の一食分というにはあまりにも多い気がする。


「それ、全部名賀さんのお弁当なんですか? ……なんかとっても多いですけど」


 気になったことは聞いてみる。それが私のスタンスで、勇気を出すための小さな訓練。

 恐る恐る聞いた質問に、名賀さんはにひひひと口元を押さえて笑いながら、


「さすがにこれを全部食べるのはちょっと無理だねえ。――四段分までかな」

「十分多くないですかそれ!?」

「いやぁこの体でしょ私、カロリー消費量多くて困っちゃうんだわ」


 陸上部はもう辞めたのになー、と尻尾をぽんぽんと叩きながら、名賀さんはなんでもないことのように口にする。

 名賀さんが陸上に未練を持ってるのはクラスメイトの間では有名だ。陸上部期待の新星。

中津国の電光石火。全盛期で引退することになったその悔しさは運動とは縁のない私でも少しぐらいは想像できる。気にしないように努めているのだろうけども、無理しているのがよく分かるのが見ていて少し痛ましい。

 私の顔が曇ったのに気づいたのか、名賀さんは慌てたように表情を取り繕って、


「ん、でで、残りの一段分は……っと来た来たおーい」

「んな手を振らなくったって席の位置ぐらい解ってるってーの、かがし」


 教室のドアを開けて入ってきたのは、猫耳が特徴的な一人の男子。宮雨みやさめくんだ。

名賀さんの幼馴染らしく、頻繁に一緒にいる姿を見かけるクラスメイト。

 宮雨くんは手を拭いていたハンカチをポケットにしまってから、自分の机を持ち上げてこちらの島へとくっつける。

 幼馴染が席に座ったのを確認してから、名賀さんは重箱の一番上の段を取り、

それを宮雨くんの机に置いて、


「はい宮雨お弁当ー」

「サンキュー」


 衝撃的な光景に、私は一瞬絶句した。

 お弁当イベント。漫画とかで見たことがないとは言いません。

 だけど目の前で、目の前でこんな光景を見ることがあるだなんて!


「え、えええ、宮雨くん、それって」

「ん。俺の分の弁当」


 クラスのあちこちから呪詛の視線が向けられているのが見えて、廊下からぐーで壁を叩く音が聞こえるが、宮雨くんはそれを気にせず、


「俺が普段学食組なの、たまに出くわす委員長も知ってるだろ? 時々かがしが弁当作りすぎたって分けてくれることあるからなんだよそれ」


 クラスのあちこちから呪詛の言葉をつぶやくのが聞こえて、廊下から金槌で釘を打つような音が聞こえるが、宮雨くんはそれを気にせず、


「コイツ見た目と性格の割に料理の腕上手くてさあ、月二、三回あるそれ楽しみなんだわ」


 クラスのあちこちで消しゴムを投擲する準備をしているのが見えて、廊下で先生が怒っている声が聞こえるが、宮雨くんはそれを気にせず、


「幼馴染の役得っつー奴? いやぁマジ助かるわかがしさん」


 直後、臨界点を突破して降り注ぐ消しゴムのいしつぶて。


                    ◇


 さて、気を取り直してお弁当タイムが始まりました。

 宮雨くんの弁当箱の中身は、焼き魚を中心とした和食弁当。焼き鯖の周りにはかぼちゃの煮物が入っていて、砂糖醤油の甘い匂いが芳しい。青味を忘れないようにほうれんそうや枝豆がついており、栄養バランスについても考えられているんだろうなぁというのが見てわかる。

仕切られた白ご飯のスペースには紫蘇のふりかけで彩りを添えるのも忘れずに。


 ……これは作りすぎたっていうより、完全に別のお弁当を作ってきてるのでは。


「ひゃっほー今回もありがとうございますかがしさん!」

「はっはっは、そうそう褒めるでないわー」


 弁当を拝みながら頭をぺこぺこ上下させる宮雨くん。頭の猫耳もぴこぴこ揺れる。

ヒモ、という単語が脳裏に浮かぶけれどもそれは頑張って沈め直しましょう、うん。


 名賀さんのお弁当はおかずは概ね宮雨くんと同じもの。作った人が同じなので当然だけども、その分代わりに量が多い。1段目が丸ごと煮物で埋まっていて、二段目三段目もそれぞれ青物とご飯がフル投入。それでいて彩とか飾り付けも手を抜いたところがない丁寧さ。


 うーん、これはちょっと困ったかもしれませんと、私は自分のお弁当に想いを馳せる。


 肉マシマシ大容量焼肉弁当。通学路のコンビニでお値段安売り四百九十円(税込)。

 突然お弁当を買ってきてくださいと言われても困ったので、とりあえず入ったお店で一番いい匂いがしていたものを、直感に任せて選んでみてしまったのだけど――

 これだけ気合が入ったものを見せられてしまったら、コンビニで買ってきたお弁当を取り出せるような空気じゃないですよね、これ。


「で、委員長はどんなの持ってきたのさ」


 そうやって悩んでいたというのに、なんてことでしょう、聞かれてしまいました!

 恥ずかしいと思いどうしようか悩むのもつかの間、宮雨くんが鞄の中に手を突っ込んで、


「『肉マシマシ大容量焼肉弁当』……おおこれは意外なチョイスだな委員長」


 ――!


「みーやーさーめー、勝手に人のカバン漁って……怒るよ」


 名賀さんの視線に射抜かれて、宮雨くんは即座凍結。

 尻尾をびん、と立ててぎくしゃくした声で恐る恐ると、


「アノ、締め上げは無いのですかかがしさま」

「あはは、さすがに食事時間にまでやるような危ないことはやらないって。

 ――だから後で校舎裏ね」

「ひいいっ!?」


 さすがにこれに庇い立てはしないかな、と。

 さて、読み上げられてしまったからには諦めて、お弁当パックを机の上に。


「それにしても、本当驚きの選択だねぇ委員長。コンビニ弁当、しかも焼肉マシマシって」


 ええ、私のキャラじゃないですよね。これ。

 肉に惹かれて求めちゃうのは、狼としての肉食の本能。

 夜間徘徊をなくすためにはそれを受け入れるといいよ、と、鮎川くんは言いました。

 だけどなかなかそれはうまくはいかないんです。本能についつい身を任せたりして、だけど後で正気に戻って羞恥に染まるゆらゆらハート。

 首輪が欲しい。手綱が欲しい。私の心以外のところで、私を縛ってくれるような何かが。


「まあ、そういうこともあるんじゃないかな。気分」


 どうすればいいか困っていた私に、意外なところから救いの手。

 他の島でご飯を食べてた鮎川くんが、首だけで振り向いてそう言った。


「あー、うん確かにそういう時もあるよな。なんか突然肉喰いてえ! ってなるときって」

「わかるわかる、肉食のー、本能がー、ビーフをポークをチキンナゲットをぉぉぉ」

「そ、そう。そうですよね。今日はたまたまそういう気分で、お腹が空いて、お肉を!」


 鮎川くんの一言で納得したようで、うんうん、と頷く名賀さんと宮雨くん。

 そういえばこの二人も肉食系です。蛇と猫。


「食生活って気にしないと体に引っ張られるよなぁ、俺気にせず学食選んでたら一週間丸ごと肉づくし! ってことがあったわこの前」

「私は弁当以外は殆どおじーちゃんが作るからなぁ……肉をよこせ、卵食べたい! と思う時はそれなりに多いけどそんな食生活偏った経験はないかも。弁当作る時も彩とか栄養バランスとかちゃんと気にして選ぶように心がけてるし具材」


 あむあむうまーと煮物をつまみながら語る名賀さん。


「んで委員長はどんな感じなのよ普段の食生活。てっきり自炊派かと思ってたんだけど、コンビニ弁当買ってきたってことはどうもそうではなさそうだし」

「あ、私は――コンビニの作り置きで済ませちゃうこと多いですね。私のうちの人ってなかなか料理しないタイプなんで。毎日の食費渡されて、それで適当に何か買って来なさいってのが日常です」

「お、おう……。なんか聞いちゃいけないこと聞いちまった?」

「別に。かまいませんよ?」


 物心ついた頃からそんな感じでしたし。今更気にする時期も過ぎました。


「だから結構憧れたりするんですよね、誰かにご飯を作ってもらえる環境って」


 そう、それは例えばこんな光景。

 小さな一戸建てに鮎川あゆかわくんと二人で住んで、鮎川くんは仕事、私はお留守番。

 毎日遅くまで働いて、日付が変わる前ぐらいに帰ってくる鮎川くん。そしてすぐに気づいて玄関まで駆け寄る私。帰ってきてくれた喜びに私は体をすり寄せて、鮎川くんはそんな私の頭を撫でて、一緒に居間まで歩くのです。

 そして居間にたどり着いたら、鮎川くんは戸棚から私のお皿とご飯を取り出して、それを床の上に置きながら、こうやって囁いてくれるのです。


 ――さあ委員長、食べようか。今日はちゃんと、信頼できるメーカーのだから。


 なんて、なんて、なんて、きゃー。


「委員長、委員長ー、なんか突然トリップしてない?」


 気のせいですよ。


                    ◇


「っかし他の奴らはどんな弁当食ってんだろうね」

 みんなのお弁当が半分ぐらい無くなったあたりで、宮雨くんが疑問を出した。

 ちなみにその半分は当然名賀さんの分も含まれている。量が多いだけでなくて食べるのも早いのは、この量を平らげるのに慣れてる証拠。この体が~とか言ってましたが、そもそも昔から結構食べてたんじゃないでしょうか彼女。運動部員って大食いなイメージあるし。


「あー、確かにうちのクラス””多いもんねえ。あっちの方とかホラ」


 名賀さんが指差した先、少し鉄錆の匂いを嗅いだ。

 誰もが知っている血の匂い。その発生源は二人の女子生徒だった。


「……ふふ、物欲しそうな顔しちゃって。いやらしいわね」

「そんなこと……言わないで欲しい……っす、焦らさないで、早く……」


 指先に血の珠を浮かばせて、嗜虐的に眼を細める金髪の少女と、それに対して懇願するように縋り付く赤メッシュを一房入れた少女。


 剣月けんづきまおりさんと、飛倉とびくらちぎりさん。種族はどっちも吸血鬼ヴァンパイア


 剣月さんは一言で言うなら神出鬼没。話していると前触れもなく現れて、細目の笑顔でこちらを見つめるその姿はまるで童話の魔女みたい。その視線は有無を言わさぬ圧力を持っていて、なぜだか誰も逆らえないだけの貫禄を醸し出している。正体不明の謎の人。


 一方で、飛倉さんはロックな人。風紀が緩いこの学校でもなかなか珍しい派手めなファッションが趣味であり、髪の毛はメッシュで首や腕には十字架アクセ。以前見かけた私服だと赤黒基調のパンクファッションを選んでいた。本人曰く、吸血鬼なんだからそれっぽい格好をしてるんだとか。


 そして、


「ん……ちゅぷ……」

「ふふ……可愛い子ね」


 ””、なのです。この二人。


「うわ、すげえ……垂れてる血でメシが赤飯みたいになってる」

「なんか食事時に見るものじゃないねえ……色んな意味で」


 関心だか困惑だか解らない感想を漏らす宮雨くんと名賀さん。

 一方で私は恋人たちの濃厚なコミュニケーションにさっきから混乱がおさまりません。

 宮雨くんと名賀さんの話に聞く夫婦のような関係も、剣月さんと飛倉さんの性別を超えない背徳的な睦み合いも。


 愛し合う人たちはこういうことをするものなのでしょうか。私にはわかりません。

 いつか私もこういうことをするんでしょうか。こういうことを望むんでしょうか。

 そしてその後は――


「――へえっ!」

「ひいっ」


 宮雨くんの叫び声で、私は急に我に返る。

 さっきまで座って”食事”をしていたはずの剣月さんがいつの間にかすぐ側にやってきていて、その細められた双眸でこっちをじいっと見つめていた。


「馬鹿な、こいつ瞬間移動を……っ」

「瞬間なんて超能力じゃないわよ? 瞬きしてる隙を狙って一気に動いただけだわ」


 なんでもないようにいう剣月さん。

 ……だけどそれって普通の人間技じゃないような。

 驚く私を尻目にかけながら、剣月さんは血の匂いが残る指で唇を抑え、


「ところでお弁当の話ね。確かに普段話すことじゃないし面白そうな話題だわっ」


 踵を軸に振り返り、向こうの机に手招き一つ。

 そして椅子と弁当包みを持ち上げてとてとてと駆け寄ってくる飛倉さん。



 座る面子を増やしつつ、お弁当タイムが再開される。

 剣月さんが取り出したのはとってもシンプルな一品だった。

 ふかふかとした白色のパンに挟まれて、みずみずしそうな具材が覗く。

 特に飾り気もないごく普通の、ベーコン・レタス・トマトサンド。


「””以外はあんまり食べる必要がないから、こんな感じで軽めの昼食ね」


 ぺろり、と舌を出す剣月さん。口元から覗く白い牙が、””が何かを語っていた。


「私はそういうタイプでもないから普通のご飯っすね」


 飛倉さんが見せる弁当箱は小さく可愛いピンク色で、中身は三割ぐらいが食べられた後。

 残っている具はさっき赤飯と化した白ご飯と、タコの形のウインナーに花形のカマボコ。


「ふふふ冷食オンパレード」


 そう言って飛倉さんは笑いますが、見た目に気を使っているいいお弁当だと思います。その見た目は今は真っ赤に染まっていますけど。


「ま、私もこっちを美味しく食べたいなと」

「やんっ」


 そう言って剣月さんに抱きつく飛倉さん。


「随分といちゃつくなぁ」

「恥ずかしくないのかね、堂々と」


 いえ、多分あなたたちも大概だと思います。



「そういや剣月、吸血鬼といえばニンニクに弱いって有名な話だけど、やっぱ食えないとかあったりすんの?」

「別にないわよ?」


 宮雨くんの好奇心の問いに、剣月さんは軽く答えた。


「私も特にその辺無いっすね。まあ餃子とか食べた後にキスするのはムード無いっすからあんま匂い強いもの自体最近は食べてないっすけど」


「そもそも伝承の弱点全てが真実だったら、こうやって学校に来ることだってできないわ」


 吸血鬼には弱点が多い。そんな詳しくない私でさえも、片手の指ぐらいには列挙できる。

 曰くニンニクの臭いに弱い。曰く十字架に手出しはできない。曰く流水を超えられない。

曰く日光を浴びると灰になる。曰く生まれた土地の土の上でしか眠れない。

 それは悉くオカルトで。人狼よりも人蛇よりも、文明社会に馴染めない。


 だからこそこうやって日常ココにいると言うことは、必然それが正しくない証明。

「まあ夜行性なんでこうやって起きてるのが辛い、ってとこだけは正しいっすかねー」


 頭を掻いて笑う飛倉さん。

 そう言えばさっきの授業でも寝ていて先生に怒られてましたね。


「ニンニクといえば、むしろ宮雨くんの方が注意するべきことだと思うわよ? 

猫にネギ科の植物は毒だって話も有名ですもの」


「え、嘘、マジで? 味噌汁にネギ山盛りにすんの好きなんだけど!?」

「ていうかニンニクってネギ科だったの? 初めて知ったよお姉ちゃん!」


 名賀さん、驚く場所はそこでいいんでしょうか。

 ニンニクがネギ科なのは私も知らなかったことですが、猫にネギを食べさせてはいけないというのは知っている。犬にも無理だと聞いたので、最近は私も避けていた。

 ついでにいうならチョコレートが危険物というのも有名で、この先にあるバレンタインデーには気をつけておいたほうがいいだろうかと、気にしてたりもいたのだけど。


「そう。猫の耳が生えたところで猫そのものになるわけじゃない。クウェンディ症候群は幻想の病で、それは決して現実物理に隷属するものじゃないのだもの」


 どこか遠いところへ投げるような言い方で、剣月さんはそう呟く。

 それが意図するところがわからず、私と宮雨くんはそろって頭に疑問符を浮かべ、


「……?」

「つまりは貴方も私もそんなの気にせずネギだってチョコだってニンニクだって食べれるわって、そういう希望の話ってことよ」


 よくわからないけれどわからないなりにそこで話は終了して、剣月さんは立ち上がる。

 そのままするりと椅子と机の間をすり抜け、少し離れた場所に座る男子生徒の席の横へ。


「ところで貴方は何を食べてるのかしら、鮎川くんっ?」

「……別に面白いものじゃないよ」


 謙遜しながらこっちに向けて見せた中身は、コンビニ販売の幕の内弁当。

 中身も特に変わったものなく、卵焼き、かまぼこ、焼き魚。


「うお、本当に面白くないもの久々に見た。相変わらず地味だなあ鮎川」

「別にこういうものにこだわりとか好みとかないしね、ぼく」

「あの夏の終わりから随分無愛想続くねー鮎川くん」


 名賀さんの言う通り、鮎川くんはかなりそっけない人です。

 ですけど私は知っています。あの夜に私に手を差し伸べてくれた優しさを。

 だからちょっと、もうちょっとだけ。こちらから歩み寄ってみたいと思うのです。

 日常の色を、少しだけ明るいものにするために。


「……あ、あの、鮎川くん!」

「なに、委員長」


 お弁当を持ってつかつかと鮎川くんの机の横へ。

 頑張れ私、勇気を出しましょう真神はずき。


「一口交換しませんか!」


 振り絞った一言に鮎川くんは少しだけ目を開き、しかしすぐさま元の顔に戻って、


「口開けて」

「………!」


 返された言葉に、大変なことを言ってしまったと気付かされた。

 こ、これはあの憧れのシチュエーションを要求されているということなのでは。

 振り返らなくてもわかります。背後から視線が注がれていることは。

 高揚していく心拍数。

 紅葉していく私のほっぺ。

 思わず尻尾が出そうになるのを、精神力で押しとどめて。


「あ、あーん」


 覚悟して、ゆっくり顎を大きく開いた。

 目を閉じて、まるで何かを求めるように。


「はい、どうぞ」


 口の中に広がる卵焼きの甘い味。それを噛み締めながら目を開く。

 眼前にあるのは鮎川くんの相変わらずなそっけない顔。

 それを見つめて固まっていると、どこか遠くで午後の授業の予鈴がなった。

 今日も日常は変わりなく。いつもの時間が帰ってくる。


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