第8話
山本の妹、唯の家に向かった。
表札には浅香という名が記されていて唯の母の姓なのだとわかる。
インターフォンを鳴らし住人が出てくるのを待つ。
「どちらさまでしょうか」
「先程お電話差し上げた犬飼と申します」
新宿の事務所からこの家に向かう途中で事前に電話をかけておいたのが功を奏したようだ。彼女には唯について話したいと伝えていた。
「玄関先でお話もなんですから上がってください」
唯の母は緊張した面持ちでそう告げる。
彼女の言葉に甘えて家に上がることにした。
この家は離婚した際に取り分として得たものらしい。
灰屋に渡された資料を思い出す。
山本の父は女性関係が派手らしく唯の母もご多分に漏れずきれいな人だった。
茶髪に染められたウェーブのかかった髪は整えられていて身綺麗にしていた。
「それで唯さんのお話なんですが」
「あの娘は先輩の家にいるといってるけれどそれがどこかまでかはわからないんです」
本当なら警察に相談すべきなんでしょうねと彼女はうつむく。
「おそらく唯さんは義兄の秀さんの関わる人間のそばにいます」
「やはりそうですか。山本とは別れましたが長男の秀くんとは仲良くしていましたから」
その言葉にどこかほっとしたような顔をする。
予想していたこととはいえ他人に指摘されれば自分でも納得するのだろう。
「私の方には連絡はありませんが秀くんとは時々唯のことで話を聞いていました」
ということは山本は唯の母と定期的に連絡をとっていたということか。
つまり彼に入った脅しは自作自演だったということだ。
自分に危害が与えられるわけではないから余裕に構えていたのだと結論を出す。
それならばなぜ脅しが入った時点で依頼が入ったのかは不明だが今は唯の母の話を聞くのが先決だろう。
「山本秀についてですがこの頃不穏なことはありませんでしたか」
「いえ私と連絡を取るときはいたって普通でしたよ」
唯が無事であるということを察してかどこか落ち着きを取り戻した様子の彼女だった。
「そういえば、唯と旅行にいきたいと言ってました」
「それは具体的な話があったということですか」
山本は周囲の人間に旅行を誘っていた。その一員に唯もいたということなのか。それともそれ以外の目的があったというのか。
おそらく後者であろう。
「でも旅行には親の同意書が必要なので」
「つまり行くなら国内ってことでしょうか」
それならパスポートがなくても移動は容易だ。
だがそれだけではない気がする。
犬飼は嫌なものを予感していた。
「ありがとうございます。山本秀についてもっと聞かせていただいてもよろしいでしょうか」
「秀くんのことですか」
彼女はしばらく考え込んでから話始めた。
「優しい子でしたよ。真面目で勉強もできて唯のことも可愛がってくれました」
山本にとっては腹違いの妹だ。複雑な感情があるはずだがそれ以上に新しくできた妹がかわいかったのだろう。
唯の母から聞く山本の姿はごく普通の心優しい青年のようだった。
あの自堕落な彼のものとは一致しない。
「山本と別れてからは時々相談に乗っていました。やはり新しくできた義理の母には馴染めないそうで」
山本の父もそれを引け目に感じていたのだろう。
だから豪勢な生活を彼に与えてしまった。
それが山本を狂わせたのかもしれない。
「秀くんはなにか言ってるんですか」
「いえ彼も隠し事が多い人間のようですから」
そうですかと唯の母はため息をつく。
「唯はわがままな娘ですから秀くんの迷惑になっていないか心配です」
案外自分の娘より頼ってくる義理の息子の方がかわいいものらしい。
彼女も唯が山本と一緒にいると確信しているのか口調も落ち着いている。
「ありがとうございました。唯さんと接触できたらまた連絡します」
「こちらこそありがとうございます。なにかあったらすぐに教えてくださいね」
そうして家を出ようとしたその瞬間だった。
懐に入っていた携帯が鳴り出す。
「ちょっと失礼」
誰だろう。事務員の灰屋だろうか。
だがこの時間だと彼はもう帰ってしまっているはずだ。
仕事以外の連絡は来ないので不穏なものを感じながら電話に出る。
すると出てきたのは予想外の人間だった。
「もしもし犬飼さん、ちょっと今から会えない?」
「今日はガールズバーに行けないと言っただろ」
緊急事態なんだと必死な声で山本が告げる。
「違う。俺のことじゃない」
「じゃあ誰のことだ?」
ここまで必死になるのだ。きっとなにかあるのだろうと察する。
「唯がいないんだ」
「嘘だ。彼女は君と一緒にいるはずだろう」
「違う。唯はユカに預けてたんだ。二人は同じ高校の先輩後輩だったから」
仲は悪くなかったから問題はないと判断したのだろう。
「俺はよく分からない脅迫を受けていたから一緒にいたら危ないと思って」
自分でもいいわけだとわかっているのか小声でそう呟く。
「わかった。あと二時間以上かかるが戻ったら話す」
今まで余裕でこちらを見下ろすような態度だった男がここまで必死になる。
それならば犬飼もその分仕事をするべきだろう。
「あとで追加料金いただくぞ」
電話を切ると唯の母が不安そうな顔をする。
「なにかあったんでしょうか」
「唯さんの行方がわからなくなりました」
その言葉に彼女の顔面が蒼白になる。
「でも大丈夫です。私と山本が探しだしますから」
「唯は大丈夫なんですよね」
なんども確かめるようにそう質問される。
彼女の行方なら見当がついている。
犬飼は唯の母をなだめてから新宿に戻るのだった。
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