第4話 優しさ 2/2


 ピンポーン。間抜けなチャイムが響く。俺たち四人はインターフォンの前で立ち尽くす。

「はい?」

 若い声が聞こえる。

「桜花高校のものだ。柴田鏡花しばたきょうかを出せ。出さなければ玄関を爆破する」

「ちょっと、何言ってるの?」うるさいのは相も変わらず湯本照美だ。俺は無視する。

「ゴキブリを百匹家に放ってもいい。お宅の飼い犬を血祭りにあげてもいい。いいから柴田鏡花を出せ」

「わ、わたしが鏡花ですけど」

「三秒ルールだ。それ以内に来なければオマンコを舐める。い~ち、に~い」

「無茶苦茶だ」湯本照美が顔を覆う。

 家の中でバタバタと音がする。しばらく待っていると上下パジャマ姿の柴田鏡花その人が息を切らせて玄関前に立った。小柄で、濡れたような黒髪をツインテールにしている。ここに来てついにロリキャラを登場させたか。捻りがないな。

「す、すみません。お待たせしました」

 弾む息が可愛らしい。だがもう遅い。

「三秒ルールだ。スパッツを脱げ」

「う、ウソですよね」

「ミナクル本気だ。さあ、スパッツを脱げ」

 ゴン、ゴゴン。後頭部が痛い、なんだ、取り込み中であるぞ。

「鏡花、ゴメンね。もう大丈夫だから」

「柴田。元気そうで良かった」

「凛子、井上くん。なに、なんなのいったい?」

「説明しよう」

「あんたは黙ってて」

「はい」

 俺は一旦引き下がる。俺には今未来が見える。どうせ優しくしてもロリータはごねるに決まっているのだ。いいから強制的にほっぺに二、三発ビンタでもして学校に引きずっていけばいい。

 予想通り、奴らは気持ち悪い青春ドラマの様なセリフを言っている。「だけど…」「気持ちは分かるけど…」などなどだ。奴らのあいだに立ってワークマンのCMみたいに水の上でブレイクダンスしたい気分だ。ちなみに最後に胸をとんとんと親指で叩くところで俺はいつも爆笑する。

 我慢できなくて、ちょっとニヤけながら俺は柴田鏡花の前に立つ。

「おい。お前の大切なものは何だ」

「大切な、もの?」

「そうだ。人でも物でも何でもいい。それは何だ」

「………」

「ないのか。ならば何を失っても良いって事と捉えるが構わないな」

「ま、待って。大切なもの。いっぱいあります」

「ああ」

「家族も友だちも、ママがくれたネックレスも、みんな、みんな大切です」

「そうか。では俺が悪人だったとしよう」

「充分悪人だよ」湯本照美、空気を読め。俺は今、重要な事を話している。

「俺が悪人で、理屈も何もなく、悪意でお前の大切なものを壊そうとする。それでもお前は戦わないのか? 何もせず、見ているだけか?」

「そ、その時は戦います。でも…」

「でもではない。後悔した時には、遅いんだ。どれだけ願っても祈っても、失ったものは帰ってはこない」

「麻生…」凛子の声が背後から聞こえる。

「回復魔法が得意らしいな。人を癒す力。なるほど、聞こえがいいな。だがお前が癒したその者は、またお前の代わりに剣を握る。お前はただ待てば良い。自己満足の優しさを持ったまま、誰かが傷つくのを待っていれば良い。優しさとは何だ、友を想い厳しく諫言する者に優しさはないのか」

「違います。でも…」

「でもではない。お前の…」

「麻生くん。もういい、もうやめてくれ」

「井上太一。今俺を止めているお前の言葉は優しさじゃない」

「分かってる。分かってるよ。でも、みんながみんな、お前みたいに強くはないんだ。理屈が正しければ人は従うのか? 違うだろう?」

「なるほど、一理あるな」

 立ち塞がった井上太一の後ろで、不安そうな柴田鏡花が視線を揺らしている。俺は珍しく怒っている。俺が怒りを持つことなど稀だ。逃げたら後悔する。逃げれば逃げただけ苦しいんだ! 何故それが分からない。

「勝ち取る気のない弱者に興味はない。これならケンカっ早いマングースの方がまだマシだ。俺は帰る」

 背を向ける。実家に寄ってマリちゃんをパイパイしなければ気が収まらない。

「わたしだって…」

 呟く声が聞こえた。俺は構わず歩きだす。

「わたしだって、守りたい! 自分の手で、守りたいよ。大切なもの、失いたくないっ! でも、それが何で戦う事なの? 戦わなきゃだめなの? 争いがなければ…」

「うるせえっ!」

 俺は怒鳴る。

「俺は戦闘が好きだ。だが争いは嫌いだ。そんなの、誰だってそうだ! 守りたいものが掛け替えのないものなら、考えろ! お前は目の前で愛する者が死んでも同じ事が言えるのかっ! 考えろ! 俺はっ、俺は二度と失わない。お前の様な甘ったれは、死ねばいいっ!」

「麻生、よせ、言い過ぎだ」凛子が俺の腕を掴む。振り払った。

「お前たちにつまらない話をしてやる。俺には兄がいた。優秀で、優しい兄だった。だが死んだ。理由は簡単だ。俺を庇い、死んだ。全てを呪った。ただ生活を送る事すら苦痛だった。兄が好きだった。大好きだった。産まれた時から傍にいた家族が、虫けらのように殺される痛みがお前たちに分かるかっ! 時間を戻せたらといつも思う。俺は過去を変えるためなら神をも殺す。だから、俺はお前が許せない。お前を待っていた凛子や井上太一の気持ちを一度でも考えた事がお前にはあるのか? ないはずだ。お前のその、お得意の優しさは全て自分のためにしか使われていない。俺には、それが許せない」

 井上太一が、驚いたように俺を見ている。その後ろで、阿呆あほうのように立ち尽くす女を見て、心底やるせなかった。

「本当につまらない話をしたな。失礼する」

 女が、へたり込んだ。泣きながら、俺を見て、言った。

「それでも、それでも出来ないよぉ。怖いん、だよぉ。怖くなっちゃったんだもん…」

 だろうな。俺の言葉も、凛子も、井上太一の言葉も、こいつには響かなかった。

「行こう」

 井上太一が凛子の肩を押す。凛子は泣いていた。俺が歩きだしたのを見て湯本照美も後に続いてくる。

「ゴメン。ゴメンね凛子。でも、でもっ、わたしには、無理なんだよぉ…」

 最悪だ。今日は最悪の日だ。こんな茶番を見せられるだなんて。

 風が吹いていた。まるで空が鳴っているようだった。

 俺は、違う。

「太一。凛子。テル。俺は違う。命を賭けて、お前たちを守ってやる」

 前を向いたまま言った。

 太一とテルが息を呑むのが分かった。

 凛子の柔らかな身体が背に抱きついて来るのを感じ、嬉しかった。


「おい、しょう。私のおにぎりが見当たらないんだけど」

「ああ。それなら俺が食った」

「将。俺のチョココロネもない」

「俺の胃の中にある」

「将くん。僕の…」

「それも俺だ」

『みんなお前かっ!』

 三人が声を揃える。

「うむ。見事にハモったな」

「それはどうでもいいわっ! せめて食ったなら金くらい払え」

「太一よ。お前は金の亡者か。リーダーは悲しい」

「悲しいのは私たちだっ!」

 あれから数日。俺たちはまだ四人のままで、こいつらは俺を名前で呼ぶようになった。

 だが、歓迎会が行われる気配はまだない。

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