interlude

お散歩とすき焼き

第67話 interlude お散歩とすき焼き 1/1


 秋の鰯雲が空にかかる。

 太陽はさっき左側にあったはずだが、今はもう真上だ。ちなみにうちのアパートの部屋は南向きだ。あと、ベッド側の東向きにも小窓がある。

「ショウ。また瞑想? 最近付き合い悪いよねー」

 我が家の茶色い毛玉、犬のごてんがヒマすぎて俺の指に噛みついてくるが、俺はガン無視だ。

「ショウの訓練って変わってるよね。いつも部屋の中で座禅。滝に打たれたり火の上を歩いたりライバルとバトルとかしないの?」

「うるさいな。イメージしろ。カードファイトに置いてイメージが一番大事だとヴァンガードのライバルの櫂トシキも言っていたぞ。そこら辺にDVDがあるからヒマなら勝手に見ていろ」

「もう見飽きたよ。巨乳の女出てくるやつないの?」

「お前ほんとに犬か?」

 話ながらの瞑想だが、俺の集中力は途切れない。朝からだから、もう五時間くらいか。

 集中において、一番必要なのは没入ではなく俯瞰だ。

 周りが見えなくなるほどの集中は、集中ではない。

 真の集中とは、歯の知覚過敏みたいに、僅かな変化すら見落とさない広い視野と冷静さが求められる。

「ボクもう我慢の限界だよ。遊んでよぅ」

「それなら一人で散歩して来い。入口の扉にドア留めを噛ませといてやる」

「ちぇ。じゃあ一人で行ってくる。今日はもう帰らないかもしれないよ」

「構って欲しい倦怠期のカノジョか。勝手にしろ。その方が清々するわ」

「ショウのおバカ! 包茎!」

「誰が包茎だコラー! 犬畜生の分際で人間さまに立てつくつもりかっ!」

 あっさり集中が途切れる。

「死ね、火星人」

「ぶっ殺すぞテメーっ!」


 ボクは街を歩く。

 決めた、今日はもう帰ってやらない。

 一人で散歩するボクを、日曜日のヒマな人間たちが見てくるがボクはもうフィギュアの羽生くんくらい澄ました顔でスルーする。

「自分自身が納得できる演技がしたい」

 そう呟くと、ちょっと笑いが込み上げてくる。昨今の世相で羽生くんをバカにすると物凄いバッシングを受ける気がするけど、ぶっちゃけ羽生くんってカッコいいか? 雰囲気に騙されていないかな?

 はははっ、みんながうっすら思っていた事を言ってやったぜっ!

 何はともあれ、ボクは街を歩く。

 さっきから、すれ違う女のおパンティーを見放題だ。四足歩行の勝利! ローアングルから見上げるおパンティーは、もはやただのおパンティーではない。

 ピッタリッチと名付けたい。

 黙々と歩く。

 駅ビルまでは人間の足で十五分。犬のボクなら二十分の道のりだ。

 そして到着。エスカレーターが、ボクを運ぶ。

 着いた先は、ペットショップ。

 店内に入り、物色しだしたボクに気付くのはもちろんこの人!

「あれえ、ごてんくん。今日は一人?」

「サカリ。久しぶりだね。今日も可愛いよ」

「うふ。ありがと。ごてんくんクッキー食べる? さっき試供用の品が届いたのよ」

「食べるー!」

 豚山サカリ。年は三十四歳。エロい唇とたくましい商魂を併せ持っている妙齢の女だ。

 サカリは既婚者。前の職場で上司だった男と結婚している。だがその男は、今は単身赴任。疼く大陰唇を指と犬で慰めているともっぱらの評判だ。

 ボクはクッキーを食べる。

 超うめーなっ!

「サカリっ! すごく美味しいよっ! このビラビラがたまんないよっ!」

「び、ビラビラはないけど…。良かった、気に入ってくれた?」

「溢れ出す濃厚さがボクの小さな賢者、マロンをコールするよっ!」

「お前いい加減にしとけよ」

 サカリがツッコむ。前屈みのシャツからは豊満な谷間が見え隠れ。

「もう、ごてんくん誰に似ちゃったの?」

「絶対ショウだよね」

「ですよね~」

「サカリ、抱っこ」

「はいはい」

 抱っこされた胸が柔らかい。ああ、気持ちいいなあ。

「うふふ。最初に会った時はこーんなに小さかったのに。大きくなったわね」

「夜はもっと大きくなるんですがね」

「数少ない女性ファンが聞いたら泣くぞ」

 うむ。ボクは満足じゃ。


 サカリと別れて駅ビルを後にする。

 次はどこに行こうか? そうだ、せっかくだからあそこ行こう。

 歩く事三十分。

 遠いなあ。まだかなあ。お腹空いたなあ。道、これで合ってるかな? あ、見えてきた。

『カードショップ、葉山』

 早速店に入る。

「アオー。ボクが来たよー」

「ああ、ごてん。なに、また見学?」

「うん。キングは来てる?」

「まだだ。とりあえずこっち来な。ミルクでいいか?」

「人肌に温めて」

「めんどくさいな」

「アオ、シフト不定期だね。来週はいる?」

「来週は駄菓子屋の方の仕入れがあるから、来るのはおじさんの方」

 いい歳こいたヤンキーみたいなアオに撫でられながら話していると、店の自動ドアが開く。

 瞬間、店がざわめきに包まれる。

「おい、キングだ!」「今日も見せてくれ、ロイヤルパラディンの冴え!」「風格あるよなー!」

 キングがゆっくりと店内に入り、ファイトテーブルに向かう。

「あれ、ごてん。また見に来たの?」入ってきたテルが言う。

「うん。ショウったらずっと修行で。悟空かっての。そりゃチチも嘆くわ」

「ふーん。あ、言うまでもないけど、この店に僕が来てる事はみんなには秘密ね」

「分かってるよ。騎士王の覇道の邪魔はしないよ」

「オッケー。帰りに一緒にアイス食べようね」

「うん」

 会話が終わると、テルの目つきが変わる。

「さあ、オレに挑むやつはいるか? かかって来い、臆病者どもめっ!」

「くっ、なんて威厳だ!」「カッコよすぎるぜ!」「誰か、キングを倒してくれえ!」

 一人のモブが、ファイトテーブルに向かい、キングの前に立ちふさがる。

「行くよっ!」

「来いっ!」

『スタンドアップ、ザ、ヴァンガード!』


「キング。今日も十人抜きだったね」

「ふふっ、カードの声が、聞こえるんだ」

「さすがキング」

 テルと公園に行き、そこでバニラアイス。テルは中身を、ボクはふたの裏をペロペロする。

 風の匂いと肌に触れる感じはもう秋だ。まあボクにとっては初めての秋なんだけど。

 木の葉の音がする。さわさわ、さわさわ。

 世界は眩しくて、美しい。

 生きているんだって、そう思う。

「ねえテル」

「ん?」

「ほんとはね、今日帰らないつもりだったんだ。ショウは鍛錬してて、そんなにヒマなら一人で遊びに行って来いってって言われて。でもさ、ショウはさ、ボクの事飼いたかった訳じゃないんだよね。ヒサメに押し切られて、仕方なく置いてくれてるんだ。だから、ほんとはワガママなんて言ったらいけないんだよね」

「………」

「ボクが生きてるのは、ショウたちのおかげなんだ。それなのにボクは…」

「ごてん」

「なに?」

「子どもがそんな事考えちゃダメだよ。将くんを含めて、僕たちはみんなごてんが大好きだ。義務感で一緒に居る訳じゃない。ごてんのくせに、いっちょ前に気なんか遣っちゃって。生きるってね、考える事の連続なんだ。嫌われたくないな、今の言い方キツくなかったかな、どうやったら好きでいてくれるのかな、とかね」

「よく分かんないよ」

「僕たちは考えてばかりだから、時には間違った事も思う。だからね、そんな時は行動すればいい」

「行動?」

「人間もそうなんだ。大好きな人にはくっついて、嫌いな人とは離れて。手を握ったり抱き合ったりキスをしたり。そうやって、自分はこう思ってるよって、心を身体で表すんだ」

 じゃあボクはどうすればいいんだろう? ショウに会ったら、どうすればいいんだろう?

 そう思っていると、テルが座っていたベンチから立ち、公園の入口を見つめる。

「あ、来たね」

 薄い桃色のシャツとジーパンをはいた人の姿が近づいてくる。

 いつもワックスで立てた髪。

 厳しそうな、優しそうな、大人な顔。

 毎日見ている、アイツの顔。

「テル。悪かったな。うちの駄犬が迷惑をかけた」

「ううん。さっき話してたんだけど、ごてんもちょっとだけ、大人になって来てるんだ。だから、それをちゃんと分かってあげて欲しいな」

「ふん。そう言うのは精通が来てからにしろ」

「ショウ、ゴメ…」

「ごてん」

「はい?」

「さっさと帰るぞ。今日はすき焼きだ」

 ショウがぶっきらぼうに言う。

 ボクは、ボクはどうすればいいのかな?

 この気持ちを、どうやって表せばいいのかな?

 ショウはボクを抱き上げて、肩に乗せる。

 ボクは横に見えるショウの右耳に、そっと鼻を押し付けた。

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