家族
雨降りの空の贈り物
第35話 雨降りの空の贈り物 1/2
雨の下校時刻。
今日も雨。昨日も雨。ついでにその前も雨だった。
いつも通り太一は剣道部。凛子はスーパーのバイトだがまだ時間があるとかでテルと一緒にCDショップに行くらしい。
「ダーリン。どうする。私たちもCD見に行くか?」
「うーん。あの二人と行くと長いんだよな。しかも凛子の音楽のうんちくとか聞きたくない。どうせラップかレゲエしか聞かんのだ、あいつは」
「おい、将。ラップが悪いみたいな言い方するな。ヘイ、YO、YO! お空にあるのマジたいYO! お前とこのままいたいYO!」凛子のライム。
「YO、YO。今日は雨だYO。夕飯はオムライスにするYO。明日は休みだYO」そこにテルも続く。
「凛子のラップも大概ヒドいが、テルのはもうラップじゃなくて感想だろ」
「だが湯本らしさが出てて可愛いがな」
「氷雨。ダマされるな。こいつは自分が可愛いと思われてるの分かっててこういうキャラで攻めているんだ。知っててやってる辺り、よりタチが悪いぞ。そしてよく見て見ろ。顔はまごう事なきブサイクのそれだ」
「ヒドいYO」
「それもうやめい」
そんなこんなで、校門で二人と別れ、俺と氷雨は歩き出す。
「しかしどうするかな。ジョナサンでも寄って今後のデートの打ち合わせでもするか」
「なんか、そういう言い方されると会議みたいだな」
「この梅雨が明ければ夏はもう目の前だ。ちょっと気が早いが、夏休みとかどこ行きたい?」
「コペンハーゲン」
「お前ナメてんのか」
「クゥーン」
「鳴きマネすんな。ちょっとしか可愛くないぞ」
「待て。今のは私ではない」
「はあ?」
ではなんなのだ、あの麻薬のような声は。見ると、道端にこいぬイン段ボール。小さく、ふわふわの茶色い毛玉が雨に濡れている。
「さあ、行こうか。どうする、明日は…」
「氷雨・グレイト・目つぶし!」
「おぎゃあーーー」
目、目だぞ! もっとも繊細な部位の一つだぞ! ああ、もう、超痛ってえ。
氷雨が段ボールを覗き込み、指でこいぬの頭を撫でる。
「ねえ、あなた捨てられちゃったの? 寒いの? 可哀想に、震えてる。オジサンといいとこ行こっか。はあはあ。大丈夫。怖くないから。お、おかしあげるから。はあはあ」
「俺はツッコまんぞ」
氷雨は傘を差すのも忘れて、アスファルトに膝をつき、こいぬを抱き上げる。俺は仕方なく氷雨とこいぬに傘を差し掛ける。毛玉は震えながら氷雨の指を舐め、そして一声ワンと鳴いた。
「ダーリン。この子は私が育てる。絶対に幸せにしてやるんだっ!」
「勝手にしろ。俺は知らん。帰る。その毛玉と幸せにな」
「そう言わないでくれ。今手持ちのお金が足りないんだ。少し貸してくれ。ペットショップに行きたい」
「金なら貸してやる。一人で行け」
「ダメだダメだ。私が買い物をする間、アインツベルンの面倒を見ててくれないと」
「アインツベルンって日本人で言う名字じゃないのか?」
「う。と、とにかく一緒に来てくれ。名前はまた改めてゆっくり考える」
「ふざけるな。俺は飼うとしたらバッファローかタイガーマスクと決めていたんだぞ」
「タイガーマスクは人だ。まあそう言わないでくれ。試しにちょっと抱っこしてあげてくれないか」
氷雨の小さな両手にすら収まってしまういと小さき毛玉。うるうるした瞳はくりっくりなのにタレ目で、耳はへちょんと垂れている。恐る恐る毛玉を受け取る。くっ、何だと言うんだ。この、温かさ。この、安心しきった顔。匂いを嗅いでみる。
「キャン。はっ、はっ、はっ」
「ど、どうだ、ダーリン。これはもう兵器のレベルだろ」
「いや、この毛玉、生殖器の匂いがするんだが」
「それは抱いているダーリンの手の匂いだっ!」
ウィー、アライ、アッ、ペッショッ!
店内に入ると、そこはもうエデン。わんわんにゃーにゃー天国だ。
「あら。可愛い赤ちゃんですね。今日はこの子のお買い物ですか?」
見ると店員が横にいる。うむ、なかなか綺麗な女だな。
「この子の身の回り一式買い揃えたい。安心してくれ、金ならいくらでもある」
「氷雨よ。ちゃんと返すんだろうな」
「あら、カレシさんかしら。恋人とペットショップデート。ステキね」店員が言う。
「エロしく頼む」可愛いからちょっとボケてみる。
「ふふっ。担当の豚山サカリです。こちらこそエロしく」
「名前、不憫だな」
「ぷいっす」氷雨が焼きもちを焼いてスネる。
「そうですね、まずは、この子だとミルクが必要ですね。本当に生まれたばかりみたい。ペットフードはもっと後になると思います」
「サカリの母乳は売ってないのか?」
「ぷいっす。ぷぷぷいっす」
まずは粉ミルクを買う。次いで、おしっこシート、ドリンクホルダー。ここまではいい。そこから更に散歩用のリードに首輪、遊ぶようにボールやおもちゃ、外でフンした時用にトイレグッズ、スコップまで買わされる。サカリ、けっこう商魂たくましいな。
「ダーリン。この洋服も可愛いぞ。茶色いストレートの毛並みにピンクが良く似合う」
「待て。別に洋服はいらんだろう。俺は犬に服着せるの反対派だ。って言うかそいつそもそもオスメスどっちなんだ?」
「うん、オスみたいだ。名前、悟空にしようかな」
「オスからの悟空か。どんな連想したのかすぐ分かるな。だがそれなら悟空じゃなくて悟天っぽくないか? なんか甘えた感じがそっくりだ」
「なるほど。ごてん。ごてんちゃん」
ごてんはだんだん氷雨に慣れてきたようだ。氷雨は胸の前でごてんを抱きながら絶え間なく話しかけ、ごてんは相槌を打つようにワンワンと答える。
雨の中、氷雨は
二人と一匹はもうびしょびしょだ。
「おい。この量をお前の家まで運ぶのか? リアカーが必要なレベルだぞ」
「えっ、何を言っている。当然、ダーリンの家に行くつもりだったのだが」
「ふざけんな。家では飼わんぞ。お前んちあのデカい寺だろ、境内で放し飼いにすればいいじゃねーか」
「寺を訪れる人の中には動物が苦手と言う方もいらっしゃる。それにうちは山が近い。外は危険だ」
「中で飼え」
「いや、母様が動物の毛アレルギーなんだ」
「その毛玉元の場所に返して来い」
「イヤだっ! お願いだダーリン。ちゃんと面倒見るからっ!」
「俺はお前のオカンか!」
「ダーリンの分からず屋! おたんちん!」
「何だと。氷雨のくせに生意気だ」
俺は氷雨を威圧するが、氷雨は俺を睨みつける。珍しいな。こいつは俺に従順だと思っていただけに、この状況は初めての経験だと言っていい。そう言えば俺たち、初めてケンカしてるな。
「氷雨。冷静に考えろ。お前は毛玉を俺の家で飼いたい。家主である俺の意思を無視してだ。普通そんなワガママがまかり通る訳ないだろ」
「押し通る!」
「アシタカのマネをしとる場合か」
「ダーリン。何故分からない。ワガママを言ってる事など充分に承知している。それでもダーリンにワガママを押し通したいんだ。ごてんの事はもちろん可愛い。だが、私の無茶なワガママを、ダーリンに聞いて欲しいんだ」
「………」
ごてんは俺たちの言い合いを分かっているのかいないのか、抱かれた腕の中でしっぽを横に振り、とぼけた顔で俺と氷雨を見ている。
「ダメだ。いじわるじゃないぞ。こいつはまだ赤ちゃんだ。俺たちが学校に行っている間、こいつはアパートで一人。犬だから吠えたりクソだってする。病気にだってなるだろう。何かあった時どうする? 可愛いのは良い。だが生き物だ。途中でやっぱりムリだったでは済まんのだぞ」
「そんなの分かってる。分かってるんだ。でも雨に濡れたあの場所にまた返すのか? 通り過ぎる人が『可愛い』とか『可哀想』とか、そんな人間の勝手な意見に晒されて、いつか来るかもしれない飼い主が現れるまで、ただあそこに置いておくのか? そんなの、そんなのってないっ!」
「ああ、間違っているな。だが、それが捨て犬の宿命だ。悪いのは捨てた奴で、それだって理由があるのかもしれなくて、通りすぎる奴だって、それぞれに事情がある。可哀想だから助けてやりたい。きっと心はみんなそうだ。氷雨。はっきり言うぞ。こいつは幸いにも可愛い。拾ってくれる奴は他にもいる筈だ。家では無理だ。世話をする手間も金もない」
氷雨が俯き、そして嗚咽を漏らした。伏せた頬には涙なのか雨なのか分からない水の筋が道を作り、顎から流れ落ちる雫が、ぱた、とごてんの額に落ちる。
「わふ?」毛玉が笑う。
「無理だよ、ダーリン。やっぱり、誰かは誰かなんだ。私たちじゃない。いつかももしももいらない。ここに私たちとごてんちゃんがいて、私たちには、何かができる。成せる事があるなら成すべきだ。ダーリンの口癖だろう? ダメだった時の事なんて、知らないよ! 精一杯愛して、仮に、いつかダメだったとしても、その間この子は生きられる! 責任が取れないから飼えない、見捨てなさいって、そんなの、そんなのっ、全部ただの言い訳だ! 生きてるんだっ! こんなにも生きてるんだっ!」
氷雨が俺を見る。俺は氷雨を見る。
「分かったよ。だが勘違いするな、今日だけだ」
「ありがとう、ダーリン。今日がなければ、明日はないのだから」
「今日だけだ」
氷雨は震えるように、胸の前で毛玉を抱きしめた。
部屋に着き、雨に濡れた毛玉を洗うために氷雨はバスルームに向かった。俺は荷物を置き、制服からTシャツとジーパンに着替えてタオルで髪を拭く。
しばらくして、氷雨用にトレーナーの上下を持っていくと、風呂場の中から氷雨の声がした。
「ダーリン、いるか? ごてんちゃんを拭いてくれないか?」
「ああ、構わん。替えの服を置いておくぞ」
そう答えると、風呂の扉が開いた。
な、なんだと! 目の前に、毛を洗われてしぼんだ毛玉と、全裸の氷雨が現れる。細く白い手足。くびれた腰。水滴に濡れた身体。頭の中が真っ白になる。
「勇者よ、鎧は装備せねば効果がないのじゃぞ」俺の口が訳の分からんことを言っている。
「何の話だ? ごてんちゃんを頼む。まだ赤ちゃんだから風邪をひかないようにしっかり拭ってやってくれ」
「あ、ああ」
「私も軽く身体を温めたらすぐに手伝いに行く。ごてんちゃん。パパの言う事ちゃんと聞くんですよ」
「はーい」
風呂の扉が閉まる。残される俺と一匹。そして耳に届くメロディ・オブ・シャワー。ちょっと待て。もう一回見たい。
「ふーむ。一瞬過ぎてあんま覚えてないな。乳首何色だったかな?」
「ピンクだったよ」
「ああ、そうか。じゃあ乳輪はどうだったかな? 大きすぎたりしてなかったよな」
「うん。平均くらいで綺麗な円形だったよ」
「そうか。では肝心な事を聞こう。下の方は…。あ、あれ?」
「どしたの?」
「なんか、なんかおかしいな。俺、疲れてんのかな」
「大丈夫?」
「ああ。ところでお前喋れたんだな。パパびっくりだ」
「へへっ。驚いた?」毛玉が笑い、そしてぶるるっと体を震わせて水滴をまき散らす。
「ってちがーう! ひ、氷雨! 大変だっ! ご、ごてんが…」
風呂場の扉を開けて氷雨に助けを求める。
「ダーリン、ちゃんとごてんちゃんを拭いてくれ。すぐに上がると言っただろう」
「ち、違うんだって。ごて…」
目の前に、ピンクで平均くらいの綺麗な円形の豆乳首。
「ら、ラッキースケベえっ!」鼻血が出る。
「氷雨・マイッチング・目つぶし!」
「おぎゃあーーー」
「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム」
「マジ痛いYO!」
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