第36話 雨降りの空の贈り物 2/2


「哺乳瓶の先をピロピロするな。淫乱若奥様か」

「旦那がEDで欲求不満なんです、的なね」

「出会い系のテンプレートか」

 氷雨にツッコまれて、俺はゴムの乳首から指を離しごてんの口にそれを近づける。

 ごてんはぐびぐびと喉を鳴らして夢中で飲んでいる。

「しかし、ごてんちゃんが話せたとはな。驚きはしたが嬉しい誤算だ」

「何の前触れもなくいきなり喋るんだもんな。最近の子は発育がいいとは言うが…」

「そんな説明だけで済まそうとするダーリンも凄いがな」

「ごてん、乳は旨いか?」俺言う。

 ごてんはガン無視で作り物の乳首をいやらしくねぶっている。乳首を舐る事、それは男子の誇り。そう言えば、心なしか乳首を舐るごてんの顔が男前になってきた気がする。乳首を舐る事、それは古代、紀元前から脈々と受け継がれてきた神聖な儀式。老いも若きも、勇者も凡人も、遠藤さんも若田さんも、生まれてきた人間はすべからく乳首を舐る。

 乳首を舐る事、言うなれば…

「うるさい」

「心にツッコむな!」

「全部声に出てたわ!」

「カミングスーン」

「何がだっ!」

 しばらくしてごてんが乳首を舐り終わる。「眠い」とほざいたかと思うともう寝息。

「あはっ、寝てる。ごてんかあいい」

「お前メロメロだな。でも、お前がそんな風に無防備に笑ってる顔、悪くないな」

「私もいつかダーリンの子を産むつもりだ」

「それなら今にしないか? 今ならおくさまは女子高生、みたいでいいかんじだぞ。あれ、いいな、それ」

「い・つ・か」


 そして翌日は休日。

 我が家に四人がやってきた。

「そうか。俺が出会い系アプリでサクラと戦ってた間にそんな事があったとはな」太一が言う。

「あんたそんなんやってたの?」凛子が太一を見る。

「なんだよ、そのコオロギを見るような目は」

「別に」

「お前、合コンとか出会い系とか、ほんと女好きだよな」俺は答える。

「たぶん太一も将くんには言われたくないよね」テル、言うようになったな。

 氷雨と凛子はもう女子力全開だ。ごてんが動くだけで嬌声、喋るたびに歓声、尿を放出するだけで拍手喝采だ。

「ごてんちゃん。あれやって」氷雨言う。

「かめかめ波~」

「ああー、やーらーれーたー」

「突撃ぃー」ごてんが凛子に向かって猛ダッシュ。

 小さくあこぎな身体で凛子に突撃して、ごてんは頭をこすりつける。

「もう、もうっ、どうにでもしてえー」凛子エクスタシー。

「凛子、小動物好きそうだもんなあ」テルが笑う。

「女どもはもう脳が溶けているが、俺がお前らを呼んだのは他でもない。ごてんの身元引受人を探したいのだ。連帯保証人でも構わん」

「ふざけんな。将。あんた本気か? こんな可愛い生き物を他人に任せるのか? 金の心配ならするな。みんなで出せばいいし、面倒だって交替で見るよ」凛子が頭にごてんを乗せて俺を見る。

「無茶苦茶言うな。金って言ってもこいつが生きている間ずっとかかるんだぞ。面倒もそうだ。俺の家で飼う以上、結局俺に負担がかかるのだぞ」

「まあそうだよな。でも飼い主を探すって、チラシでも配って回るのか?」

「それも手だが、俺は豚山サカリに相談したらいいんじゃないかと思っている」

「ダーリンはサカリに会いたいだけだろ」

「サカリさんって美人なの?」

「ああ。エロい唇とたくましい商魂を併せ持っている」

「サカリはどうだっていいよ。私たち学生なんだからさ、学校でビラ配りとかしたら飼い主くらいすぐ見つかるんじゃない? でも、出来ればここで飼って欲しいんだけどなあ、私は」

 凛子の頭の上に乗ったいと小さきこいぬさまをみんなで眺めて腕を組む。

「将はさ、何が心配なんだ? ペットを飼うって、最初はこんな感じだぞ。ちゃんと面倒見れるか自信はない。でも可愛い。可愛いって思う心があるなら、その気持ちだけで充分なんだぞ」太一が訳知り顔で俺に説教をする。

「そうじゃない。俺は学生だ。金もないし、平日の日中は毎日家にいない。ちゃんと遊んでやれるのは帰宅後と土日だけだ。その土日だって俺に予定が入ってる時もある。家に母親がいて、傍にいてやれる環境とは違うのだ」

「違うよ。将くんは過保護なんだよ。動物って一人なら一人で、ちゃんとやっていける。この子たちは、見た目よりずっと強いよ」

「うっ、そうではなくてだな」

「ショウ」その時、ごてんが口を開く。

「ボクここにいたいよ。ヒサメもリンコも大好きだ。タイチも、テルの事も好き。ショウ。いい子にする。だからここにいさせてよ」

「何でそこに俺の名前が入ってないんだ。お、俺は騙されないぞ。絶対お前宿が欲しいだけだもん。タダで餌食いたいだけだもん。大体お前に何ができる? ただちっさくて可愛いだけじゃん」

「ケツメイシのさくらとか歌える」

「マジかよっ! あれラップ超難しいじゃん」

「今はウーバーワールド練習してます」

「あの日僕の心は、音もなく崩れ去った!」

「決まりだな」氷雨が口を開く。

「サポートする。将だけにまかせっきりにはしないよ」凛子が微笑む。

「じゃあ休日は短期でバイトでも入れるかな」太一が手を叩く。

「なら男三人でイベントの警備とかやろうよ」テルが瞳を輝かせる。

「仕方ない。おい、ごてん。ちゃんといい子にしてないといつでも放り出すからな」

「分かったよ。そう緊張するな。ま、楽にな」ごてん言う。

「いきなり偉そうだな」

「うっそだよー。わーい。ワン、ワン、オー!」

「今日からお前は麻生ごてんだ。麻生の名に恥じぬ働きを期待する」

「なんか、色々言ってたのに、ダーリンが一番嬉しそう」


 そして一時間後。

「もうとっくにご存じなんだろ? オレは地球からきさまをたおすためにやってきたサイヤ人」ごてん言う。

「よし、いいぞ。その調子だ」太一言う。

「え、えっと。おだやかな心をもちながら、はげしい孤独によって目覚めた…」

「ある意味惜しいっ!」凛子ツッコむ。

 結局我が家で飼う事になったごてんだが、太一たちは話し終わったのに一向に帰る気配がない。そんなこんなでフリーザ編ももう佳境だ。

「フリーザ様、そろそろごてんのミルクと俺にコーヒーを作ってくれ」

「お願いしますよ、ドドリアさん」フリーザ様、もとい氷雨が言う。

「誰がドドリアさんだ」凛子がツッコむ。

「あっ、じゃあ僕は牛乳多めで」

「凛子、手伝うよ」

 太一と凛子が台所に立つ。

「あっれえ、フリーザ様。このマグカップってまさかお揃い?」凛子が目ざとく発見する。例の動物園で買ったゾウとライオンのマグカップだ。

「絶対に許しませんよおー! ああ、そうだ」

「普通に言え」凛子がまたツッコむ。氷雨、今の返し面白かったな。

「ミルク、ミルクっ!」

 思春期だからなのか、ミルクって言葉を聞くと軽く興奮する。あと、若い夫婦がよく子作りの話をおおっぴらにするが、子作りって中出しセックスの事だからね。夫婦だから人前で下ネタもオッケーみたいな社会風潮。以前、若い奥さんが「そろそろ子作りしたいなあ」みたいなことを言ってて、そのままトイレでヌイたのを覚えている。

 しばらくして、ミルクが出来上がる。

「ごてん。おいで、俺が飲ませてやる」

「わーい。タイチ大好き」

「なんか、男の中では太一が一番懐かれてるなあ」テルが羨ましそうにごてんを見る。

「井上は何だかんだで頼りになるお兄さんキャラだからな。地味だがいい仕事をする」

 太一はごてんを抱きかかえて乳を与える。あと、関係ないが、以前牧場に牛の乳搾り体験に行った時、牛の乳首が陰茎みたいで、すごくヘコんだのを覚えている。

「将、インスタントのコーヒー、もうないんだけど」凛子が台所から振り返る。

「ん? ああ、そうだった。少し待っていろ。今買ってくる」

「おいおい、家主が買い物行って私たちが部屋で待ってるなんておかしいだろ。私が行ってくるよ」

「そうか、悪いな」

「それならごてんちゃんに外を見せがてら私とりんりんで行ってくる。みんな、他に欲しい物はないか?」

「女と金と権力」

「井上。ごてんちゃんの前で何を言ってるんだ」

「それなら、僕はコーヒー牛乳お願いしていい?」

「分かった。じゃあちょっと行ってくる」

 まだ外を歩けもしないごてんに、わざわざリードを着けて氷雨と凛子が買い出しに行く。

 部屋には男三人。部屋に男だけしかいないなら、それはそれでやる事がある。

「なあ、お前たち最近どんなAV見てる?」俺聞く。

「未亡人系が多いな。若くて可愛い子も嫌いじゃないんだけど、純粋に性欲だけなら俺は年上が好きだ」

「ふーん。なんかそれ太一っぽい。クラスの女子とも普通に話してるのに、どっかドライだもんね」

「愛想良くはしてるよ。でも、普段の女子観てるとやっぱ子どもだなって言うか」

「その割には合コンしてんじゃねーか。ならばテル、お前はどうだ?」

「ニューハーフのレズ3Pとか」

つわものがいたっ!』太一とハモる。

「じゃあさ、カレシの将には悪いけど、碓氷と凛子。どっちがタイプだ?」

「氷雨だ。と答えるしかないではないか。ここで素人ドッキリとかでカメラでも仕掛けてあったらどうするんだ」

「僕も氷雨さんかな。変わってるけど、将くんに一途なのが好感度高いよね。あと顔がいい。女はやっぱ顔でしょ」

「それは前に聞いたわ。という事は、もしかしたら太一も氷雨か? 凛子の立つ瀬がないな」

 そう言うと、太一は俺たち二人を見て、そして言った。

「俺、凛子が好きだよ」

 澄んだ瞳で、マジなトーンで、太一の意思が声に乗る。

「そっか」

「それなら告白はしないのか?」

「しないよ。あいつは将みたいに押しの強いやつに弱いんだ。でも俺はそうじゃなくて、あいつの気持ちが、自然に俺に向くまで待ってたいんだ。まあ、今だから言うけど、最初に将が凛子のこと妻だとか言い出した時は、どうしてやろうかって思ったけどね」

「それは今でも変わらん。しかしそうか。同じ中学だったと言っていたな。ずっと凛子一筋か?」

「秘密。まあさ、この話したのも、ちょっと牽制もあるけど、仲間として、話したかったってのもあってさ。なんか無理やり聞かせちゃったな」

「太一」俺は真っ直ぐに太一の瞳を見据える。

「言わなくていい事なのかもしれんが、お前の気持ちを聞いたら、言わねばならん事がある」

「なんだ」

「前に、俺は凛子とキスをした。氷雨とより前にだ。だから何だと言う事じゃない。だが、今言わなくて、後から知られるのが嫌だったから言った」

「そうか。そう、そうだな。今聞けて良かった」

「無理するな」

「無理もするさ。男だからな」

 太一の目が笑う。

 俺たちは何だか照れくさくて、少しやるせなくて、氷雨たちの帰りをただ待った。

「青春なんだから、色々あるよ」

 テルが眩しい物でも見るかのように、目を細めて言った言葉が、小さな部屋に満ちていた。

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