第32話 Dear my angel 2/2


「えー、ビール、ビールにアイスクリームはいかがっすかー。ウーロン、オレンジ、コーラいかがっすかー」

 氷雨が背中にビールタンクを背負って体育館を行き来している。ふむ、ビールは断然黒ラベル派だが、頼むと和子に怒られそうだ。

 時は授業終わりの放課後。予選は朝一限目を費やして終わったが、決勝のドッジボールはこの時間まで待たされている。どうやら理由は和子にあるらしい。

 和子の席替えドッジボールは我が桜花高校の梅雨時の風物詩らしく、他のクラスの生徒や教師たちが見学できるこの時間になるまで待っていた、という事のようだ。加えてヒマなOB、OGたちもこの体育館に顔を出している。実際、さっき隣に居たおっさんはこの後同窓会だと言っていた。いい年してピーターパンか。フック船長にファックされてしまえ。

 む、誰か氷雨にビール頼んだな。あれは保険医の米倉涼子と学年主任の木村か。もう一人、知らない男が二人の傍にいる。誰だあれは? 見覚えはないが、どこかで会った事のあるような? まだ若い、青年と言っていいくらいの男がオレンジジュースを頼み、差し出す氷雨の手を握った。

 俺は強歩でそいつに近づく。

「おい貴様。何をやっている。その女は俺のためなら援交できるくらいのあばずれ女だぞ。その薄汚い手をどけろ」

「援交OKなら手ぐらいいいじゃん」

「なるほどそうだな」

「だろ」

「ああ」

「………」

「………」

「なんか違くないか?」

「僕もそう思ってたところだ」

 男が手を離した。氷雨を見る。こいつ、ちょっとだけ頬赤くないか? 基本ポーカーフェイスのこいつの表情は読みにくい。だが俺だって曲がりなりにもカレシだ。その僅かな差を読み取れるくらいの時間は過ごしてきた。

 男の外見描写などしたくはないが、ブルーのストライプシャツにカーキーのチノパン。髪はワックスで自然な散らし方がされ、二重がくっきりとした若い顔にあごひげ。いかにも今時っぽい爽やかさでムカつくが、加えて誠実そうな余裕もある。

 はっきり言おう。嫌いだ。

「麻生将くんだろ? からかって悪かった。僕も山寺先生に呼ばれてドッジボールに参加するんだ。きみ、有の弟だろ? あいつの葬式以来だけど、きみはきっと覚えてないよね。武藤慎二むとうしんじだ。去年からこの学校で非常勤だけど教壇に立ってる。有と詩織とは同級生だったんだ」

「いっぱいしゃべんな。さわやかくんは中田くんだけでいい。てめーはまずヒゲを剃ってあごをパイパンにしろ」

「あれ、そっけないなあ」

「俺に構って欲しかったら1ダースの美女を用意しろ」

「はははっ。詩織に聞いてた通りだ。やっぱり有とはだいぶ違うな」

「なんだ、未だに兄嫁と連絡をとっているのか? って言うか兄貴の友だちか。正直こんな奴は嫌いだが、悪さをすると兄嫁に殺されるな。仕方ない、我慢するか」

「ダーリンは本当に物怖じしないな」氷雨が感心したように頷く。

「ところでドッジボールに参加すると言ったな。どういう事だ?」

「ああ。山寺先生はお祭り好きでね。たまにこういうイベントがあると昔の教え子を呼んでくれるんだ。僕はたまたま教師だけど、ほら、あの人も今日のゲストだぞ」

 慎二がそう言うので見ると、何やら誰かを中心に人だかりができている。

「氷雨、ちょっと見てこい」

 氷雨を派遣する。氷雨は人だかりに近づくが押し戻される。むっとした顔になった氷雨がビールタンクを開放してビールの雨を降らせる。

 わーわーと人だかりが割れ、俺と中心にいた人物のあいだの障害物が消えた。うむ、さすが氷雨だ。俺は謎の人物に目を向ける。

「な、なんだとっ!」

 ウソだろう? こんな事があっていいのか? 振り返った顔はまるで水に濡れた日本刀だ。シャープで、そして艶のある唇。揃えたセミロングの髪の先がライトグリーンのウィンドブレイカーの襟にかかる。広瀬すずに似て、いや、何でもない。

 まるで後光が差しているようだった。薄暗い体育館に、まるでスポットライトのように花開く一輪の薔薇。

「あ、あれは…」

「そうだ。タレントでアイドルの平野麗美ひらのれいみだ」慎二が得意そうに言う。

「平野麗美って、あのわちゃわちゃ喋るお料理研究家の平野レミと一字違いじゃないか。って言うかすげーな。芸能人ってこんなオーラがあるのか」

 感心していると、和子が近寄ってきた。その姿を見て息を呑む。

 おいおい、和子の奴よりにもよって体操服じゃないか。初老のババアの体操服。目から生気が抜けていくような気がする。正直、抜身のナイフより危険だ。

「麻生くん。聞くまでもないけど、七人目の選手枠、武藤先生と平野さん…」

「平野さんで」

「でしょうね。教え子とは言え一応タレントさんだから変な事しちゃダメよ」

「約束はできん。綺麗な女が傍にいると手が勝手に動いてしまうのだ。私が悪いんじゃないんです、この右手が悪いんです、的なね」

「的なね、じゃない。もういいわ。そろそろチーム発表するからいらっしゃい」

 出場選手が集まっている場所に行く。

 αチーム、俺、太一、めぐ美、正人、凛子、モブ。

 βチーム、テル、和子、プラス、モブ×4。

「悪意しか感じないんだけど」テル言う。

「そして! 本日のスペシャルゲスト! この方!」和子が水曜日の所ジョージみたいな口調で二人を見る。

「非常勤の武藤慎二です。よろしく」

 俺はブーイングしたが、周りの奴らは無言で拍手している。ブーイングって一人がやったらみんな続いてくれる物じゃないの? なんだろう、今日調子悪いのかな、俺。

 そして次。

「アイドルやってまーす。平野麗美だぞ~。ラブ・リー・キュン!」

 ドンドンドンドンっ!

 いつの間にか応援団が太鼓を叩いている。麗美、麗美の大合唱だ。

 俺は参加していいものかしばらく悩み、「良し、いこう」と思って「レ・イ・ミ!」って叫んだ瞬間、太鼓が止んだ。なんだろう、今日調子悪いのかな、俺。

「おい将。前回今回と、私とテルの出番が極端に少なくないか? しかも新キャラの麗美。噛み殺してやろうかっ!」

「さすが凛子。悪役が似合うな。安心しろ。勝利の方程式はもうできている。恋人氷雨、妻凛子、愛人エリザベス、そして天使が麗美だ。ラブ・リー・キュン! あっ、はいっ、ラブ・リー・キュン! 麗美のレの字はどう書くの? あ、はい、こう書いてこう書いてこう書くの~」俺は尻文字ダンスをする。

「将くんサイコー! いいぞ、将くん」麗美に話しかけられちゃった!!!

『あっ、はいっ、ラブ・リー・キュン! あっ、はいっ、ラブ・リー・キュン!』

 麗美とユニゾンする。体育館二階からは麗美ファンのブーイングの嵐だ。

「あっ、はいっ、ラブ・リー・キュン! あっ、はいっ、ラブ・リー・キュン!」

 俺はリズムに合わせてズボンのベルトとボタンを外す。

 その時、太一とテルと正人が俺の横に並ぶ!

「はいっ、ははい! はいっ、ははい!」

 並び立つブリーフ&トランクス!

 会場が熱気に包まれる。


 これが後に言う「ブリトラはい、ははいの宴」である。

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