第24話 恋は魔法 2/2


 次の日には凛子が学校に復帰していた。幸い、普段通りで変わった様子はなかったので、俺はセコい間男のように安堵した。最低だろう? 笑いたければ笑え。

 そして土曜日。

「見ろダーリン。サイだ。この圧倒的な迫力! 聞いてくだサイ!」「トラだ。うわあー。もう、もう離さん。私のトラをトラないでっ!」「ラクダがいるぞ。知っているか、ラクダの背に乗ると…」

「それやめい! さっきから何なのだ、寒すぎるぞ」

「何を言っている。動物園を楽しむとはこういうものだろう。ダーリン。お題を出すぞ。ヤンバルクイナで何かボケてくれ」

「ムチャぶりをするな。サイとかトラと比較してハードル高すぎるだろう。お前、ほんと子どもみたいにイキイキしてるな」

 そう言うと、氷雨は俺の前に回り込んで、ちょっと前屈みになりながら満面の笑みで手を広げる。

「ダーリンとの初めてのデートなんだ。楽しいに決まってるよ」

 ちょっと待て。むちゃくちゃ可愛いではないか。

「よ、よーし。いいだろう。なんだ、お腹が空いているのか? それなら、ヤンバル、食いな」

 嗚呼、ここ数年で一番スベッたな…。

「言語障害か?」

「やかましい。知らんのか。ヤンバルとはインドネシア方面の餃子の名前だぞ。ヤンバルクイナとはその姿がヤンバルに似ているというとこから名付けられたクイナの事なのだ」

「ヤンバルクイナは沖縄の固有種だ。ヤンバルとは山原の意味で、地元沖縄では…」

饒舌じょうぜつに否定すんなっ!」

 しかし、まさかこの俺が女を笑わせたくてみずからスベリにいくとは。恋とは魔法だ。ん? 今、名言が生まれてしまったな。もう一度言おう。恋とは魔法だ。

 昼飯は園内で軽く済ます。しかし、考えてみたら糞尿の匂いがするところで食事とかスカトロの極みだな。

 見れば目の前のゾウの檻の中ではインドゾウが脱糞している。しかも自分のクソを自分で踏んでいる。人間がやったら悲しみで立ち直れないだろう。うむ、優しい目をしているように見えるが、やはり野生とは偉大だ。

 駄目だ。氷雨には悪いがもう耐えられない。ゾウごときがウンコネタで身を削って笑いをとりに来ているのだぞ。俺も何かしなくてはと言う使命感がこの身を駆り立てる。

 ライオンと同じ檻に入って獣王に飛び蹴りでもするか? たぶん、頑張れば一分くらいもつだろう。

「氷雨」決意して氷雨を見る。

「あっ、そうだ、ダーリン」

「ん?」

「せっかく来たんだ。あとでお土産を見よう。私は何かお揃いが欲しい」

「お土産? 売店の土産など良くて人形くらいだぞ。俺は部屋に人形など置きたくはない。マリちゃんなら別だが」

「私が部屋に行ってダッチワイフを見て、あー、これ懐かしいー、とか言ってたら可笑しいだろう。安心してくれ、何かある」

「そうかな。まあいい。確かに今日の思い出はいつまでも残る。そこに形に残る物もあれば言う事はない。500円くらいの耳かきでも買おう」

「ケチか。とにかく、耳かきとぬいぐるみ以外で何か探そう」

「思ったんだが、縫い、は分かる。ぐるみってなんだ。頭のおかしいヤリマンの芸名みたいだな」

「ぐるみとは、包み、だ。古来裁縫の仕立てで余った生地を編み、中に藁を入れ服を着せた物を…」

「いや、俺が悪かった」

 そして売店に入る。無気力なババアの店員が、何かを悟ったように虚空を見つめて静止している。見えない物が見えているのか? それならば是非、ゲッターズ飯田の仮面を奪って、明日から毎日俺を占って欲しい。覚えているか、俺は占いとか好きな男子だ。

「あーーー! マジヤッベエ、超ヤッベエ、マジこいつパネエ」

「どうした? 完全に死んだ方がいい高校生かパーティーピーポーの発言ではないか」

「見てくれ。このシマウマのぐるみ。うわあ、可愛いなあ」

「シマウマが好きなのか?」

「そうではない。このぐるみが可愛いのだ」

「ぐるみにはツッコまなくていいか?」

「でもなあ、ダーリンはぬいぐるみじゃ嫌だって言うし。仕方ない、たれ蔵、ここでお別れだ」

「お前、実はシマウマ嫌いだろう」

「ならあれはどうだ。1000ピース動物ジグソーパズルだ」

「ううむ。完成したやつならともかく組み上げるのがなあ」

「ではあれはどうだ。ワンピースストラップ」

「いや、動物園関係ないだろ」

「いいんだ。ダーリンと一緒の物を持ちたいんだ」

「お前は。はあ、ほんと色々考えていたのがバカみたいだ」

「色々?」

「いや、こっちの話だ」

 その時、陳列棚の奥に、輝きを放つものが!

「氷雨! あれだ。あれしかない」

「どれだ?」

「マ・グ・カッ・プ! 定番だが破壊力は一、二を争うぞ」

「うん。うん、いいぞダーリン! これだっ! これこそ私たちを繋ぐキーアイテムだ!」

「おい、どれにする。俺はこのゾウのにするぞ。今日で俺はゾウを尊敬し始めているんだ」

「そ、そうか。グットチョイスだぞ。わ、私は、私は…」

 夢中でどのキャラにしようか悩む氷雨を見て思う。ほんとに、本当に、こいつ良い奴だな。ひいき目でも何でもない。俺にはもったいない、最高の女だ。

「ダーリン。クマかライオンか本当に選べないんだ。目をつぶるからどーっちだをやってくれ」

「二つ買うか?」

「ダメだダメだ。それじゃダメなんだ」

「まあいい。それなら俺に任せろ。お前は向こうのフードコートでソフトクリームを買ってきてくれ。そのあいだに俺が決めておく」

「そ、そうか。ドキドキするな。それじゃ、ダーリン、お金を…」

「お前はバカか。俺がお前に買ってやりたいんだ。いいからさっさと行け」

「ダダダダーリン! ダダダダーリン!」

「興奮すんな。いいからはよ行け」

 後ろから見てて分かる。ほんと嬉しそうだ。

 俺はレジのババアを一度見て、それからまた、氷雨の後姿を目で追いかけた。


 口からブタとニラとにんにくの匂いがする。実家である「スーパーマリオブラザーズ」で餃子を食い、電車で下宿方面へと戻り、今は夜道を二人並んで歩く。

「残念だったな。今日は兄嫁がいると思っていたんだが。せっかくだから紹介したかった」

「うん。でもまあ仕事ならしょうがない。しかし桃ちゃんの性格はダーリンやお父上に似ているな」

「あいつが今より小さい頃から、兄嫁が働いている間は俺と父親で面倒を見ていたからな」

「そうか。あ、もうここでいい。それじゃダーリン。今日は本当に楽しかった。今日の日の事を、私は生涯忘れん」

「おい待て。なにか忘れてないか?」

「ああ、そうか。今日は帰りたくない、と言うんだったな」

「そっちじゃない。マグカップの方だ」

「そうだった。結局どれにしたのだ?」

「見ろ」

 カバンから袋を取り出す。

「そうか! ライオンにしたのだな。うん。可愛いぞ。じゃあ今晩はこれで早速お茶でも飲もうかな」

「いや。これは俺の部屋に置いておけ。学校帰りにでも、こいつらで茶でも飲もう。お前が持って帰るのはこっちだ」もう一つの袋を渡す。

「た、たれ蔵ー!」氷雨の顔が輝く。

「うむ。その顔が見たかった」

「ダダダダーリン! ダダダダーリン!」

「興奮すんな。ではな。月曜に学校で」

「うん。ダーリン。大好きだよ」

 照れるからやめろ。俺は今度はごっつんこしないように氷雨にキスをして別れる。

 月明かりがまばゆい。今日は満月か。

 別れを告げて歩きだしたのに、もう、氷雨に会いたくなっていた。

 暖かい気持ちが、胸の中にある。

 どうやら俺はこの女が好きらしい。

 その自覚は、気恥ずかしくて、こそばゆい。

 もう春が終わる。

 袋の中で二つ並んだマグカップたちが、かたり、と音を鳴らした。

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