6話 「初めての魔獣」

 

 遭遇した大きな鹿は全身が赤い毛に覆われ、頭部からは枝分かれした大きな角を生やしている。鋭い眼は僕やシンバルさんを捕らえたまま、小さく唸り声を上げていた。


 確かに大きな鹿だけど、シンバルさんはちょっと警戒し過ぎだろう。草食動物である鹿が、人間である僕たちを襲う理由はないように思ったのだ。


「シンバルさんあれが魔獣なんですか? ただの鹿にしか見えませんよ?」


 シンバルさんは腰に装備している片手剣を抜くと、馬車から離れようと移動を始める。


「大友も馬車から離れろ、俺に着いて来れば安全だから心配するな。アレはクレイジーディアーと言う肉食の鹿だ、この辺りでは一番凶暴な奴だから甘く見るなよ」


 に、肉食の鹿!? それは大変だ、シンバルさんが負ければ僕は食べられてしまう運命じゃないか! 頑張れシンバルさん! 負けるなシンバル! フレーフレー、シンバル!


「大友、早く馬車から離れろ。お前がそこに居ると馬車が破壊されるだろ」


 若干混乱気味の僕をシンバルさんは注意すると、すでに移動している場所から手招きする。

 

 そうだ、商品第一だから僕が移動しないと馬車は破壊されて、此処まで荷物を運んできた苦労が水の泡になってしまう。だけど僕を警戒している鹿は鋭い牙を剥きだしにして、肉食獣の凶暴な気配を放ち続ける。だ、だめだ足に力が入らない。


「ダメですシンバルさん、足に力が入りません」


「おいおいマジかよ。しょうがない、このまま戦うしかないってことか」


 そう言葉にしたシンバルさんは、突然大声を出して鹿の注意をひきつけ始める。


「鹿野郎、お前の角は大したことねぇな! お前この辺りで一番弱い鹿だろ!」


 言葉が通じたのかクレイジーディアーは怒りだし、辺りに重い咆哮をとどろかせた。僕は鹿らしかぬライオンのような咆哮に身震いし、馬車の荷台で身を縮めるしかできることはなかった。

 だが、シンバルさんは怯むことなく腰に付けている袋から小さな塊を取り出すと、指先から小さな火花を散らし塊をクレイジーディアーに放り投げた。


「鹿野郎にはこれがお似合いだぜ!」


 空中でバラバラになった塊はクレイジーディアーの周辺に落ちると、激しく閃光を放つ。僕は視界が真っ白になり、シンバルさんの地面を駆ける音だけが聞こえて来る。

 これはもしかして閃光弾と言うものじゃないだろうか? まさか異世界で閃光弾を味わうとは、人生とは不思議な物だと内心でしみじみ思う。


 次第に視界が戻って来ると、すでに鹿は地面に横たわり首だけが切り落とされていた。シンバルさんはすでに解体を始め、内臓を取り出している姿が印象的だ。生き物を解体する姿は見た事がなかったのでグロテスクに感じるが、これは良きる為なのだと、こみ上げて来る吐き気を飲み込みシンバルさんに手伝いを申し出る。


「ん? なんだ手伝ってくれるのか?」


「戦いでは役に立ちませんでしたが、せめて解体だけでも手伝いたいんです」


「それじゃあ、毛皮を剥いでもらおうか」


 シンバルさんはそう言うと鹿の足に切込みを入れ、軽く毛皮をめくる。


「鹿は毛皮が剥ぎやすいから、俺がめくった処から剥いでゆくと良い」


「はい」


 シンバルさんの言う通り、毛皮は思うよりも綺麗に剥がれ始め、下からはピンクの筋肉が姿を現せた。これが現代人である僕たちが忘れてしまった、弱肉強食の元来の姿なのだと思い知る。食べるために殺しその肉を喰らう、そんな当たり前の営みを現代人は忘れているのだと言う事だ。


「おい、解体くらいでそんなに思いつめるなよ。もしかして初めてだったのか?」


「はい。こんなに大きな生き物が、目の前で殺されること自体初めてでした。でも頑張ってシンバルさんを手伝えるくらいには、強くなるつもりです」


「ふはっ、大友は気負い過ぎだぜ。俺クラスはなかなか難しいだろうから、まずは逃げる事が出来るようになるところからだな」


 僕はシンバルさんに大きく頷くと、先ほどの戦闘で気になった事を聞いてみる事にした。


「そういえば、シンバルさんが指先を擦った時に火花が散りましたけど、あれはなんですか?」


「ああ、あれは魔法だよ。見ろ」


 シンバルさんが指先を見せると、親指と中指の先に小さな魔法陣らしきものが刻まれていた。魔法は使えないと言っていたのに、嘘だったのだろうか?


「これは火花を散らす魔法陣だ。俺にはこれくらいが限界だな、魔法なんてたいそうな物は俺には扱えないってことだよ」


 僕は魔法陣に見入っていた。複雑な模様だがそれぞれ何かが足りない気がするのだ。恐らくは親指と中指に描かれている魔法陣が重なる事で、初めて発動するモノなのだろうと推測するが、まだ知識がない状況では複雑な模様にしか見えなかった。


 解体が終わると、肉を馬車へと積み込んでゆく。するとシンバルさんはたき火を始め、馬車からフライパンを取り出すと肉を焼きだした。


「ほら、大友も食え。コイツはあまり時間を置くと味が落ちるから、今が一番美味いぞ」


 皿に乗せられた肉は香ばしく焼き上がり、美味しそうな匂いを辺りにまき散らしている。僕はフォークを使って口いっぱいに肉を頬張る。ジューシーな脂と肉汁が口に中で広がり、まるで高級ステーキを食べているような幸福感を味わった。きっと今後は鹿を見れば、ステーキにしか見えないだろう。


「美味いだろ? ランクが高い魔獣は味が美味いから、狩りをした者の特権だな」


「冒険者は美食家が多そうですね」


「はははっ! 言えてるぜ、かくいう俺も昔は冒険者だったんだ。狩った獲物は味が気になって、すぐに食べたくなる衝動に駆れたものだ。美食家は大正解だな」


 シンバルさんは元冒険者だったのか、だからあんなにも強いのだと納得する。まぁ実際に戦った所は見えなかったが、素人ながらに見た限りでは首を切り落とした切り口は綺麗だったので、かなりの強さなのだろうと思う。


「さて、肉も食ったし馬車を走らせるか」


「そういえば、馬車を引いているこの生き物は何ですか?」


 ずっと気になっていたのだが、馬の姿をしたユニコーンらしき緑色の生き物が、時々僕を観察するように見て来るのだ。眼は穏やかだが、何だか僕の心の中を透かし見ているようで妙な気分になった。


「あいつはエメラルドホースのサイアスだ。俺の相棒でかなり強いんだぜ。人を見る目はあるみたいで、信用できない奴は背中には乗せない頑固者だな」


 サイアスを見ると、僕に「俺がそうだ」と言わんばかりに大きく嘶いた。とても賢い馬なのだと思うけど、改めてみるとその体はエメラルドグリーンの体毛に覆われ、純白のたてがみが風になびき、頭部にある角は茶色く枯れた樹木を連想させる威厳のある素晴らしい馬だと感動を覚える。


「サイアスは素晴らしい馬ですね」


 そう言うとシンバルさんは自慢げに、サイアスを撫でながら言葉を漏らす。


「こいつは小さなころからの相棒なのさ。俺には嫁も子供も居ねぇが、こいつさえ居てくれれば何処までも行ける気がする。大友も良い相棒を見つけろよ」


 僕は返事をすると再びサイアスを見た。いつかサイアスみたいな相棒を得る事が出来るのだろうか? だとするなら、やっぱり強い魔獣を仲間にしたいところだ。そこで馬車に乗り込むと、シンバルさんに魔獣の事を聞いてみる事にした。


「そうだな、世の中には魔獣をテイムする奴らが居るそうだぞ。もちろん動物でも魔獣にも引けを取らない物は居るが、攻撃重視なら魔獣のテイムはかなり頼りになるだろうな」


「テイムですか……難しそうですね」


「そうだろうな。だが俺が聞いた話では、魔獣をテイムする魔法陣があるそうだぞ? そいつを体に刻んでやれば、魔獣でもテイムは可能だと言う事らしいが、そもそも魔獣に複雑な魔法陣を刻むこと自体が難易度が高いからな、結局難しいと言う事だな」


 僕は胸をときめかせてしまった。もしテイムが上手く行けば、ドラゴンなんかも従わせることが出来るだろうか? 

 この世界にドラゴンが居るのかは分からないが、霞がよくドラゴンをテイムさせたいなどと言っていたことが現実となるのだ。出来ればゲームのようなレベル99のドラゴンや、モンスターをテイムさせてみたい。


「シンバルさん! ドラゴンって居ますか!?」


「あん? ドラゴン? そりゃあ居るけど、まさかテイムさせたいなんて言うなよ? ドラゴンは国を亡ぼせるほどの化け物だからな、出会っちまったら死を覚悟した方が良い」


 やっぱりいるんだ! だけどテイム出来る様な存在じゃなさそうだな。

 僕はクレイジーディアーですらあの様なんだから、ドラゴンは夢のまた夢の話だろう。そう考えると少し気落ちした、あの世に居る霞に自慢するのはまだまだ先の事だと言う事だ。


 馬車は草原を走り、何処までも広がる地平線目指して駆け抜けて行く。未だに町の陰すら見えず、激しくシェイクする荷台で揺られながら、これからの事を考えていた。


 これから先シンバルさんの運送会社でお世話になるのだが、目標や目的がない事に気が付いたのだ。

 

 突然放り込まれた異世界だが、前の世界で思い残すようなことはすでに何もない。僕を支えてくれていた霞はすでにいないのだ。だけど霞が憧れていた異世界なら、生き方が見つかるような気がした。そして本気で生きるには、目標を持たないといけない。


 でも異世界で何をするべきなのかは、思い当たらなかった。


 とりあえずは生活の基盤を作るのが先決にしよう、冒険もしてみたいけどまだまだ先の話だと思う。だから目標はちゃんと生活をすることだな。よし、決まりだ。僕は安心、安全、快適な生活をまずは獲得する!


「シンバルさんは、何処に住んでいるんですか?」


「俺はシーモンに住んでいるな。そういえば大友は地理が分からなかったな、エドレス王国の一番南にある町がシーモンで、これから行く町はリスアっていうんだ。シーモンは田舎町だからリスアの方が都会ってことだな」


「シンバルさんは、どうして田舎町に住んでいるんですか?」


 気になったので質問すると、シンバルさんは頭をポリポリと掻きながら恥ずかしそうに理由を説明する。


「この辺りは魔獣が強すぎて運搬が少ないんだよ。だから俺が商売にしてもっと町を大きくしてやろう、なんて考えたわけだ。まぁ世話になった人たちが居るからな。恥ずかしいだろ言わせんな」


 シンバルさんを見て感動した。この人はそれだけの為に、こんな危険な仕事を続けているのか。僕には到底真似できない事だ。きっとこの人はすごい人に違いない、そうでなくとも僕にはヒーローに映った。この人の元で仕事が出来るのは幸運だと思うのだ。


「僕、仕事頑張りますね!」


「お、おう。けど張り切り過ぎんなよ? そういうやつに限って早死にするからよ」


「はい!」


 それから僕とシンバルさんはたわいもない会話を繰り返し、夕日が見えるころには町が見えてきた。

 話に聞くと、僕が最初に居た場所はライド平原のほぼ中央だったらしく、運が悪ければ何日も平原を彷徨っていたと、シンバルさんは笑いながら言っていた。僕にすれば他人事ではないのだが、助かったのだからいつまでも引きずる事ではないだろう。


 町は外壁に覆われ、外から見た感じでは多くの人が居そうな雰囲気だ。馬車は外壁に造られた大きな門の前に停車すると、鉄の鎧に身を包んだ兵士がシンバルさんに声をかけてきた。


「なんだシンバルか。調子はどうだ?」


「ぼちぼちだな、そっちはどうだ?」


「最近、近くの町で魔物が出たそうだ。俺達は警護を強化するように命令されたんだが、どうもきな臭い感じだな。魔族がこの辺りに来るかもしれんぞ?」


「そうか、それは良い話じゃないな。うし、分かったありがとよ」


 そう言うとシンバルさんは兵士と別れを告げ、町の中へと馬車を進ませる。シンバルさんは、この町では顔が知られているような感じだ。賑わいを見せる町の中ではシンバルさんに挨拶をする人たちが大勢いて、僕は新鮮な気持ちが湧き起こる。

 なんせ異世界に来て初めての町だ、町の中はどこも露店が並び様々な衣装に身を包んだ人が売り買いを行っている。そんな光景に僕の心はときめいていた。


「なんだ町は初めてか? お前、本当に何処から来たんだ?」


「いえ、僕の住んでいた町とは違っていて面白いんです。どこも活気があって、なんだか興味がそそられますよ」


「まぁリスアの町は人口も多い場所だからな、だがこれでも王都と比べると田舎町だぞ?」


 シンバルさんの言葉に驚いた、これでも田舎町なのか。王都はどれほどの大きさなのか気になるところだ。しかし日本育ちの僕からすると大都会を知っている分、驚きは少ないかもしれない。


 するととある店の前で馬車は停車した。




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