5話 「異世界」
霞が死んでから一年が経った。
病状がステージ3からステージ4になってから、たった十日で死んだことには担当医も原因が分からないと言っていたし、霞を失った僕は取り乱して一年間の記憶がボンヤリとしていて思い出せない。
葬式には出たが、なんだか霞がまだ生きているような気がして実感が湧かなかった。
高校三年になった僕は、もうじき就職が待っている。すでに就職活動はしているが、不景気の煽りかまだ採用は決まっていなかった。もちろん僕にも原因は大いにあるだろう。霞を失ったことで覇気がなくなった僕を、雇う気になる企業が果たして居るのだろうか?
今日は家で”カクヨム”を覗いていたのだが、異世界転移の話を見つけて夢中で読んでいた。深夜に突然チョコが食べたくなり、コンビニへと足を運ぶ。霞が好きだったチョコレートは僕もお気に入りで、今でも時々食べたりしている。
コンビニを出ると、空から雪が舞い降りていた。霞と気持ちが触れ合った時も、こんな雪が降っていたように思う。結局ちゃんとしたキスすら出来ずに、霞を失ってしまった。僕の臆病な心のせいだろう。
霞はよく「異世界に迎えに来てね」なんて言っていたが、実際異世界なんてどうやって行けるのか分からない。夢ですら、会えれば僕は涙を流すほど喜ぶのだが、霞はなかなか夢には出て来てくれなかった。
雪がゆっくりと降り積もる中、帰り道を歩いて帰る。
今から帰ってファンタジーの続きを読むのだが、最近自分で小説を書こうかと考えたりしている。霞と僕の話を書きたいのだ。
書いてどうなるわけでもないけど、霞との出来なかったことを物語に託したい。霞とデートや霞との小さな幸せを僕は創りたいと考えていた。
ふと、霞の家が目に入る。桜道寺家は、一人娘の霞を失ってから雰囲気が暗くなった。恋人である僕でさえこんな状態なのだから、両親である二人は抱えきれない悲しみを背負っているのだろう。僕にありがとうと言ってくれた霞の両親を見ると、やるせない気持ちになる。
霞の家を通り過ぎようとした頃、突然足元に紫の渦が出現した。
逃げる事も出来ないまま渦に吸い込まれた僕は、叫び声を上げながら落下する。空を切る両手は入口から遠ざかり、天井が閉じて行く瞬間を目撃する。
渦の中は真っ白い地平線が上と下に広がり、何処までも落ちているようだ。
な、何だこれは!? どうなったんだ!?
さらに落ちているのか上がっているのかさえ分からなくなり、真っ白い地平線は光を放ち始める。
眼が開けていられない程の光に覆われ、浮遊感を味わった後に意識が途絶えた。
◇
頬に涼しい風が撫で上げ、眼を覚ました。
まばゆい光が目に飛び込み、青々とした雲一つない快晴の青空が映る。
……は?
すぐに周囲を確認すると、何もない草原のど真ん中に横になっているようだった。
……え?
何もわからないまま僕は呆然とし、右手にコンビニの袋がある事に気が付いた。
そうだ、混乱した時はチョコが良いって聞いたことがあったな。銀紙を破ると、チョコを一口齧る。
うん、ダメだ。ぜんぜんわからない。
服装を見ると何処も異常は見られず、コンビニに行ったままのセーターとジーンズだ。しかし、マフラーは外れ僕の横に落ちていた。
ここは何処だろうか? もしや小説でよく聞く異世界転移と言うものだろうか? だけど、異世界なんてどう考えても科学的じゃないし、地球の何処かなんて可能性も十分にあり得る。
チョコを食べながら思考をフル回転させるが、どうにも解決の糸口は見つかりそうにはなかった。やはり探索をするしかないだろう、ここが外国だと分かる材料を探さないとどうにもならない。
コンビニ袋をポケットに詰め込み、宛てもないまま歩き始める。
フラフラと照り付ける太陽を受けながら歩くが、地平線に続く草原以外は何も見えない。山すらも見えずただただ歩き続ける。
チョコはすでに食べきったが、幸いにも空腹は感じない。むしろ体は軽く調子が良いくらいだった。もしかすれば有名な小説のように、地球人には特別な力が備わっている可能性もあり得る。いや、まだ異世界だと決まった訳ではないので、偶然だって事もあり得るだろう、変な考えは捨てておこう。僕は異世界だったらいいな、なんて考えを頭の片隅に追いやり、思考を切り替える。
すると遠くから何かの音が聞こえ始め、だんだんと僕に近づいているように感じた。
後ろを向くと、土煙を出しながら走る馬車のようなモノが、僕に一直線に近づいていたのだ。やった! 会話が成立すれば、乗せてもらえるかもしれない!
馬車を待つ僕は、段々と見えて来る馬車に一歩後ろに下がってしまう。
馬車は”幌馬車”と呼ばれる一般的な物なのだが、馬がどう見ても緑色をしているのだ。たてがみは白く、体は薄い緑。頭部には一本の角が生え、猛然と僕へと近づいて来る。
「どう、どう! 止まれ!」
馬車の運転席から聞こえる声に視線を向けると、馬車は目の前で止まる。
運転席には金短髪の中年白人男性が手綱を握り、僕を凝視していた。
「あ~え~っとマイネイムイズタツヤ・オオトモ。OK?」
とりあえず知っている言葉を男に投げかけると、彼はしげしげと見つめながらしゃべりかけて来る。
「あん? よく分からない言葉だな、お前さんどこの国の者だ?」
「え!? 日本語!?」
「なんだ通じるじゃないか、お前さんどうしてこんなところで歩いているんだ?」
まさか日本語が通じるとは驚きだ。もしや彼は、日本語を勉強していた人だったのかもしれない。ただ緑色をした馬は、どうにも異世界感を醸し出しているが、世の中にはこんな生き物が居るのだと無理やり納得した。
「僕は、突然此処に放り出されて困っているんです。もしよろしければ、近くの町まで連れて行ってもらえませんか?」
「もしかして人攫いにあったのか? それは大変だったな、町まで送ってやるよ。しかし、エドレス王国も物騒になったものだ」
一礼すると、馬車の荷台に乗り込んだ。
エドレス王国とはどこの国だろうか? 世界は広いから、知らない国があっても不思議じゃないからな。しかし、樽や木箱が多くて座るスペースがほとんどないよ。僕は身を寄せて何とか荷台に座る。
走り出した馬車はとても乗り心地が良いとは言えず、激しく上下にシェイクされる。床も跳ねるので尻を打ち付け、馬車には二度と乗らないなどと心で決意する。
「そういえば、坊やの名前は何だい?」
「僕は、大友達也と言う名前です。坊やって……僕は十八歳ですよ?」
「えぇ!? その姿で十八なのか!? それは悪かったな、まさか成人しているとは思っていなかったよ」
男性は驚いた表情でこちらを向くが、できれば前方に注意してもらいたい。
「あなたの名前は?」
「俺はシンバルだ。荷運び専門の業者なんだが、これでも魔獣と戦えるくらいは剣は使えるぜ」
シンバルさんはそういうと、腰にある剣をちらりと僕に見せた。魔獣? この人魔獣って言ったか?
「魔獣ってどんな生き物ですか?」
僕の質問にシンバルさんは笑い出す。
「ブハハハッ! 魔獣を知らないのか!? お前さん、結構良い家の坊ちゃんなのか? よく見ればかなり良い服を着ているみたいだし、そりゃあ人攫いにさらわれるはずだ!」
「シンバルさん、魔獣のことを教えてください!」
「わかったわかった。魔獣っていうのは、魔力で変異した動物のことを言うんだよ。しかも普通の動物よりも凶暴で、人種族を目の敵にしたように追い掛け回すのさ。頭がいい人が言うには、人種族が持つ魔力が美味しそうに見えるだとよ、まったくいい迷惑だよな」
確定した。ここは間違いなく異世界だ。学んだファンタジー知識が、この世界を異世界だと言っている。僕は異世界に飛ばされたのだ。だけどなぜ日本語が通じるのかはわからないが、都合がいいと言えるだろう。
「しかし、大友は危なかったな。武器も持たずにライド平原を歩くなんて、自殺行為だぞ?」
「ライド平原?」
このどこまでも続く草原地帯は、ライド平原というらしい。だが自殺行為というのは聞き捨てならなかった。
「ライド平原には、Aクラスの魔獣がウヨウヨしているんだぞ? お前さん下手をすれば、魔獣の胃の中に入っていたところだ」
シンバルさんの言葉に青ざめる。Aクラスの魔獣がどんなものかわからないが、可愛い相手でないことはすぐにわかった。要するに僕は、地球で言う虎やライオンがうろつく場所を、歩いていたということなのだろう。シンバルさん助けてくれてありがとう!
「お、おい。急に眼をウルウルさせるな、助かったんだから泣くなよ?」
「泣きませんよ。でも助けていただいてありがとうございます」
「おう! こちとら情に厚いシンバル運送会社だからよ!」
シンバルさんは軽装備に身を包んでいるが、体つきは大きく男らしい人だった。僕が女性なら惚れてしまうところだろうけど、あいにく僕は男性だし霞一筋だ。
霞、僕はお前が憧れた異世界に来ているぞ。霞がやりたいと言っていた事を僕が異世界でしてみようと思う、きっとこれは霞がくれたプレゼントのような気がするんだ。だから霞のためにも悔いのないように生きてみたい。そうだろ霞?
なでつける風がそうだと言っているように感じて、少し心が軽くなった。霞がずっと憧れていた異世界は、まるで夢の中に入り込んだ気がして心地よく感じる。
「夕暮れまでには町に着くから、寝ているといいさ」
「そうはいきませんよ。シンバルさんに助けられたのに、僕だけ寝るなんて失礼ですよね」
「なんだ、お前さん良い奴そうだな。ちなみに大友は何処から来たのか覚えているのか? しばらくならウチで世話してやっても良いぜ?」
そうだ、僕はこの世界では無一文で行く場所もないのだった。ここはシンバルさんに甘えた方が良いのだろうか?
「僕は何処から来たのかすら分からないのです。だからもしよろしければ、しばらく雇っていただけないでしょうか?」
「もちろんだ! お前さんは人柄も良さそうだし頭も悪そうには見えない、帰る場所を見つけるまでウチで頼む! なんせ王国は頭の悪い奴や乱暴な奴が多くてな、ウチみたいな商品第一が理解できない奴らが多すぎるんだよ! 思い出しただけでも腹が立ってくるぜ!」
「あ、ありがとうございます。頑張って働かせてもらいます……」
シンバルさんは良い人だけど、王国の人達はそうじゃないみたいだ。小説でよくある展開があるかもしれないけど、当事者はちょっと遠慮したいなぁ。ギルドで喧嘩を吹っかけられるなんて、どう対応したらいいのか困りそうだ。そうだ、ギルドはあるのだろうか?
「シンバルさん、ギルドはありますか?」
「あん? ギルド? ああ、冒険者の事か。あるけど景気は良くないだろうな、なんせ魔人が出るようになってから、軒並みやられちまったからさ、国としては冒険者よりも傭兵や兵士を増やしたいんだろうよ」
冒険者は居るのか。だけどシンバルさんの口ぶりからすると、あまり待遇が良い仕事ではなさそうだ。しかし、魔人とは何者なのだろう?
「なんだ、魔人について聞きたそうだな? よし、簡単に話してやるか」
「重ねてありがとうございます」
「良いってことよ。魔人っていうのはだな、魔力を持ち過ぎた”人種族”の事だ。魔力は場所によれば”魔力溜まり”なんて場所があるそうだが、そこで長い時を過ごすと動物や人は変異するらしい。そうなると、人だった頃の気持ちや記憶も変異して心まで化け物になるそうだ。魔力が体に悪いかなんて俺は知らねえが、在りすぎると良くない事が起きるってことだな。んでもって魔人は魔王ってやつが支配していて、いろんな国を荒らしまわっている」
ま、魔王が居るのか……。しかし、シンバルさんの言葉は何処か他人事だった、魔王や魔人は生活には影響はないのだろうか?
「その魔王は恐ろしい奴なのですか?」
「いや、俺は詳しい事は知らん。魔王なんて魔族を束ねる王様としか知らねぇし、そもそもこんな辺境には来ないからな」
ちょっと安心した。此処には魔族や魔王は来ないらしいから、安心して生活して行けるだろう。きっと何処からか勇者が出て来て、魔王を華々しく倒す事だろうけど、僕はこの世界で生きて行くだけで精一杯のような気がする。魔族を見てみたい気はするが、恐ろしいので遠慮したい。
「そうだ、大友は町に着いたら魔法力を調べた方が良いぞ。すでに調べているならいいが、魔法は使える奴と使えない奴が居るからな」
「え? シンバルさんは魔法を使えるんですか?」
馬車はゴトンゴトンと上下に揺れ続けているが、魔法の事に興味をそそられ、いつの間にか揺れには気を取られなくなっていた。
「あいにく俺は使えねぇんだよ。炎の適性があるらしいんだが、魔力が少なくてな残念だけど諦めた」
適正と言う事は、魔道具みたいなもので魔力量を測るのだろうか? だったらまるで小説みたいな展開になるのだろう。出来れば全属性や無属性の適性が出ると嬉しい。今からでも魔法は使えないだろうか? 僕は掌に意識を集中させるが、何も起こらなかった。
「シンバルさん、魔法ってどうやって使うんですか?」
「魔法っていえば魔法陣だよ、魔法陣がないとどうやっても使えないだろ? あ、いや、稀に使える奴が居るんだっけな。でも魔法陣ナシは本当に稀らしいぞ?」
そうなのか、と言うことは僕も魔法を使うには、魔法陣を学ぶ必要があると言う事なんだな。そう考えた矢先にシンバルさんは馬車を急停車させる。ど、どうしたんだろ!?
「大友、魔獣だ」
シンバルさんが指差した方向には全長五mはあろう、大きな鹿がこちらを見ていた。
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