2話 「君の薬にはなれない」
吹き付ける雪と風を教室の窓から眺めている僕は、霞の事で気分が晴れない日が続いていた。
昨日も面会に行った時に霞は熱を出し、全身が気怠いらしく会話もそこそこに帰らざる得なかった。今の僕に出来ることなど何もないのだ、彼女には抗がん剤だけが救いで僕にとってもそうだった。
教室に並ぶ机の右端前は霞の席で、クラスでも人気が高い霞は、誰もが病気で学校に出られない事を嘆いていた。特に男子が悲しんでいるように見えたが、その気持ちは痛いほど分かると言うモノだ。
霞は美少女だ。性格も良く成績だって上位に入る才色兼備、学年を代表するアイドル的存在であるのだ。そんな彼女と僕が仲が良いなんて、クラスでは七不思議に数えられるほど摩訶不思議に見えるらしい。失礼な話だとは思うけど、実際に僕はその程度のルックスと知能しか持ち合わせていない事は事実だった。
「なぁ達也、帰りに飯食いに行こうぜ」
僕に話しかける男はクラスでも一番仲が良い、
「今日は止めておくよ、霞の所に顔を出さないといけないからさ」
「お前まだ桜道寺さんの事諦めてなかったんだな。止めておけよ噂に聞いたけどウチのイケメン竹田や、サッカー部の佐々木が見舞いに行っているって話じゃないか、お前が行ったところで敵う訳ないだろ?」
「確かにそうだけど……幼馴染だし顔を見るだけで嬉しいんだよ」
佐藤はため息を吐くと、言い聞かせるように話し始める。
「幼馴染なんて現実ではただの友達だぜ? アニメじゃあ幼馴染はヒロインだけど現実はそうじゃない、女子は顔を見て判断するし金や頭の良さがない奴には目も向けないのが普通だ。お前はどうだ? 平凡そのものじゃないか、裸で逆立ちしても実らない恋だよ諦めろ」
佐藤の言葉は的を得ていて言い返せなかった。
分かっている。僕だってわかっているんだ、霞は美少女で望めば理想の彼氏を捕まえる事は簡単だろう。だけど僕には霞は特別でどうしようもないんだ。霞の病気が治るのなら裸で逆立ちなんていくらでもできるだろう、もし誰かと付き合う事になっても、僕には霞が特別のままなのは変わらないと思う。
教室を出ると、伊吹山病院へと足を運ぶ。
伊吹山病院は大学病院で、この辺りでは一番大きなところだ。当然、設備は整っていて、白血病患者を治した事も数多くあるそうだ。
僕は表面上は病院を信用しているし、霞の身体は治ると信じているが、どこかぬぐえない不安を感じていた。
病院に入ると霞が居る608号室に向かう。個室だから遠慮なく話もできるし、今日は霞の好きなファンタジー小説を持ってきているのだ。きっと霞は喜んでくれるだろう。そう考えて部屋の前に来ると突然扉が開き、中から制服を着た男子が出てきた。
ウチのクラスでも有名なイケメン竹田だ。
彼は僕を睨み付けると、なにも言わずに去って行った。
とりあえず病室に入ると、霞は不機嫌な顔で本を読んでいた。ヤバいこんな感じの時は怒っている時だ。どうしよう今からでも帰ろうかな。
「たっちゃん、どうして帰ろうとするの?」
ドアノブに手をかけた時、霞から声がかかる。やっぱり怒っている時の声色だ。
「あ、いや。竹田が来ていたから、僕は邪魔だったのかなって思ってさ……」
「え? 竹田君? ああ、最近付き合ってくれってしつこいのよ。好きな人が居るって何度も断っているのに、諦めが悪くて本当に困るわ」
そんな霞の言葉に僕はホッとした。竹田と付き合っているのかと思ったのだ。
ベッド横の椅子に座ると持って来た本を渡した。霞が欲しがっていた異世界ファンタジー作品だ。
「やった! ありがとう! ”カクヨム”で書籍化した本だから発売を狙っていたんだ!」
「僕も”カクヨム”で作品を読むようになったけど、あれは良いサイトだね。無料だしSFだってあるから僕にはたまらないよ」
「たっちゃんが”カクヨム”信者になったのは嬉しいなぁ。私も病院からノートPCでサイトを覗いているけど、良作を探すのが面白いんだよね! 暇な時間もできたし、いざ行かんファンタジーの世界へ!」
霞は窓を指さすと、外にはチラチラと雪が舞っていた。彼女が白血病なんてまるで夢のようだし、物語の世界へと飛び込んだような錯覚さえ起こしてしまいそうだった。だけどこれが現実だ。ファンタジーなんて物は、何処にも存在しない事は僕も霞も理解している。だからこそ魅かれるのだろうか?
霞との時間が楽しすぎて、時間はいつも早々と過ぎ去ってしまう。もっと霞との時間があればいいのにと、いつも心のどこかで考えていた。
「あ、七時だね。もう帰らないといけない」
「……帰っちゃうの?」
「うん、面会時間は八時までだろ? 高校生の僕がそんなに遅くまではいられないよ、また明日来るからさ」
しょうがないねと言った霞は、寂しそうな表情をする。霞にとって僕は特別だろうか? きっとただの幼馴染だろうけど、本当は僕にはそれだけで十分かもしれない。もちろん恋人同士になりたいけど、それは僕の高望みだ。霞の傍に居られるのなら友達のままでも悪くない。
「ねぇ……たっちゃんはどうして私の傍にいてくれるの?」
霞が不安そうな表情で不思議な事を聞く。
そんなの好きだからに決まっているだろ!
――なんて思うが、心の準備が出来ていなかった僕は当り障りのない事で誤魔化す。
「だって幼馴染だろ? いつだって傍にいたんだから、これからもそうだよ」
「……うん。そうだね。 帰り道に気を付けてね」
なんだかしばらく間があったが、最後は元気よく見送ってくれた。
僕の言葉は正しい選択だったのだろうか?
病院を出た帰り道は、雪に覆われ一面が真っ白だった。
空を見上げるとまだ雪がゆっくりと舞い降りて来ている。
鋭い寒さを顔に受けながら、僕は家へと足を踏み出した。ファンタジーのような魔法があれば、僕でも霞を助けられるのだろうか? そんな考えが頭に浮かび、無理だとすぐに頭を現実に引き戻す。異世界もないし魔法もないのだ、そして霞を助けられるのは抗がん剤だけだ、僕にはどうする事も出来ない。
雪を踏みしめながら、僕は霞の事だけを考えて家に帰った。
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