1話 「君との時間」
僕は現在病院に来ている。この大学病院には霞が入院しているらしく、いてもたってもいられず霞からメールが入ったその日に、病院へと来ることにしたのだ。
霞からのメールはとても軽い内容のものだった。
まるで白血病とは無縁であるかのような雰囲気を漂わせていた。
幼なじみの目は誤魔化せない。霞は昔から冷静を装って、内心では取り乱していることがよくあるからだ。
今回の診断は笑って済ませられるレベルではないことは、誰よりもわかっているはず。霞が白血病なんて……今でも信じられないが、とにかく彼女と会うことが先決だと感じたのだ。
病院の一室をノックすると中から返事があった。
扉を開けると、ベッドの上で本を読む霞が、笑顔でこちらを見ているではないか。僕はベッドの横にある椅子に座ると声をかける。
「メールで知ったときは驚いたよ、体は大丈夫なのか?」
「うん、まだ平気だよ。私ね急性白血病なんだって、だからこれから治療のために髪の毛が抜けちゃんうんだってさ」
「いいよ、髪の毛くらいまた生えてくるだろ? 僕には霞の命の方が大切だよ」
僕の言葉にどこかうれしそうな霞は、読んでいる本を見せる。
なんだ? ファンタジー?
「これね読もうと思って、買い溜めしていた本なんだ。小説投稿サイトで有名になった作家さんが書いた異世界の物語なの」
「異世界? ファンタジーはあまり詳しくないけど、霞はそういうの昔から好きだったよな?」
「うん。異世界には魔法があって、モンスターがいるから面白いんだよ?」
僕はどちらかといえばSF好きなのだが、これを機会にファンタジー話で距離を縮めることができると薄汚い考えが浮かんだ。帰り道に本屋にでも寄るとしよう。
「ねぇたっちゃんは、どうしてこんなに早く来てくれたの? まだ誰もお見舞いに来ていないんだよ?」
「そりゃあ心配だから会いに来たに決まっているだろ、大切な幼馴染なんだからさ」
「……幼馴染かぁ」
霞は意味深につぶやいたが、告白を失敗した僕にはそうじゃないなどと言い出せる勇気など持ち合わせていなかった。正直メールを受けた今日は生きた心地がしなかったのだ。霞の元気な顔を見られただけでも僕には大きな収穫である。
「なぁ白血病ってちゃんと治るのか?」
「ぶはははっ! 馬鹿だねたっちゃんは! 今時、白血病なんて治る病気だよ? 大丈夫心配ないよ!」
彼女は小さくガッツポーズをとると、ピースサインを出した。そうか、そうだよな。医学も発達しているし、昔は難病だと言われていた病気でも、治る病気へと変わってきているよな。僕はどうやら深刻に考えすぎていたようだ。
「だったら今日のところは帰らせてもらうよ、明日また来るから」
「……もう帰っちゃうの?」
「うん、霞の顔が見られたから安心したよ。明日必ず来るからさ」
僕は霞に手を振ると部屋を後にした。
その足で本屋に行き異世界ファンタジーの本を買い込む。
これから愛する霞のために猛勉強だ。
そう意気込んだ僕はファンタジー小説を読み漁った。そして、気が付けば小説の世界に夢中になっていた。まさかファンタジーが、こんなにも面白いとは知らなかったのだ。少しだけ霞の見えている景色が見えた気がした。
数日経って病院へ行った時だった。
ベッドで苦しそうにしている霞を目撃してしまう。額には熱さましの冷却シートが貼られ、顔も赤く色づいている。恐る恐るベッドに近づくと、彼女は嬉しそうに笑顔を見せた。身体を起こそうとしたので僕は急いで止める。
「熱が出ているんだろ!? 起きなくていいよ! 今日は顔を見に来ただけだからさ」
「ごほっ、ごめん。なんか熱が出ちゃったみたいなの、吐き気もするしさちょっとだけそばにいてほしい」
「わかった、だからしゃべらなくていいよ」
僕と霞は特にしゃべることもなく、ただ窓から見える空を見ていた。今日は停滞している寒気のせいで、雪が降るそうだ。帰り道はきっと一面真っ白なのだろう。そんな事を考えていると霞がしゃべりだした。
「この世界にはどうして魔法がないんだろ。魔法があれば自由に空だって飛べるのにさ」
「何言っているんだよ、魔法がないから科学力が発達したんじゃないか。科学こそが人類の夢や希望を叶えてくれるんだ」
「じゃあ魔法には夢も希望もないの?」
霞の言葉に僕は言葉に詰まってしまう。
ないモノを科学と比べられてもどうしようもないじゃないか。
ただ、僕が読んだ作品の中に登場する魔法は未来を感じさせた。希望の未来。ここで空想を否定することは出来るが、霞の気持ちを考えるととてもそんな気にはなれなかった。
「魔法も……あるよ。夢や希望」
すると霞が驚いた表情で、こちらを見て来るのだ。僕は可笑しな事を言った?
「あのSF好きのたっちゃんが魔法を認めた!? どうしたの!? 何か変な物を食べた!? ごっほ、ごっほ」
「違うよ僕もファンタジー小説を読んでみたんだ。魔法は非科学だけど夢があって面白いかななんてさ」
「ふーん、あのたっちゃんがねぇ」
彼女は嬉しそうに口元を緩める。SF好きの僕がファンタジーに惹かれている事を喜んでいるのだろう。すると霞の咳の出る回数が増え、僕は帰る事にした。
「たっちゃん帰るの? ごっほ、ごっほ!」
「霞の身体が心配だし今日は帰るよ」
席を立つと霞が僕の服の裾を握る。なんだか今日はやけに可愛く見えるのは熱のせいで弱っているからだろうと思うが、たまにはこういった霞を見るのもいいかもしれない。
「……また来てね?」
「うん、必ず来るよ」
僕は家に帰り、デスクにあるPCの電源を入れる。霞が言っていたサイトを探す為だ、確か『カクヨム』なんて名前だったと思うけど、有名なのだろうか?
すると検索結果の一番上に表示されたサイトは、小説を無料で読めるなんて謳い文句がある面白そうなサイトだった。僕は迷わずクリックをし、膨大にある作品に胸をときめかせてしまう。その日は深夜まで小説を読みふけり『カクヨム』に登録をしたのだった。
――それから一週間が過ぎ、霞は日に日に体調が悪くなっていった。
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