93話 「師匠との戦い」


 王都は悲しみに包まれていた。


 白亜の王城デストロイヤーキャッスルには、黒い垂れ幕が吊り下げられ訃報を知らせる。それでも僕はまだ信じられなかった。あの元気だった陛下が亡くなるなんて、あまりにも突然だ。


「僕はシンバルさんを迎えに行きます。みなさんは各々で待機していてください」


「分かっている。こんな時こそ、警戒をしなければならない」


 あとのことをフィルティーさんに任せると、僕はリリスとロキを連れて魔法の絨毯でシーモンへ向かう。陛下の遺体が埋葬されることを考えると、あまり時間はない。せめて顔だけでも見せてあげたいのだ。


 絨毯が王都の上空に浮かぶと、僕は絨毯を変化させる。

 今までは空気抵抗を考慮していなかったけど、今度は考えうる限りの工夫を凝らして最速を叩きだすつもりだ。

 物質化された魔法が葉巻のような形になると、一気に空気の壁を突破して高速飛行を始める。景色はあっという間に流れて行き、三時間ほどで地平線にクリモンド高地が見え始めた。


「降下するよ」


 眼下には懐かしのライド平原が広がり、サラマンダーやクレイジーディア―が闊歩している。シーモンが見えてくると、絨毯を地面に下ろして魔法を解いた。


「ここは温かいわね……」


 平原を眺めるリリスが呟いた。

 戻って来て改めて感じる不自然さ。ここは標高が高いのに、あまりにも温かく地上と変わらない気温だ。女神の何かが関わっているのだろうか。


「とりあえずシーモンへ行こうか」


 視界には懐かしき第二の故郷が映っている。

 旅立った日と変らないシーモン。


 町の入り口へ近づくと、見知った顔を見つけた。


「兵士さん!」


「大友君じゃないか! 王都での活躍は聞いているぞ!」


 門番である兵士さんと握手を交わす。どうやら僕が英雄になったことは、シーモンでも伝わっているようだった。


「シンバルさんはいますか?」


「配送から戻って来たばかりだから家にいると思うぞ。しかし、どうしてまたこんな田舎に来たんだ?」


 僕はシンバルさんを迎えに来たことは伏せて、陛下が亡くなったことを兵士さんへ伝える。


「陛下が亡くなられたとは……」


「今は落ち込んでいる時ではありません。聖教国が滅んだことも考えると、辺境とはいえシーモンも狙われる可能性は十分にあります。領主様に報告をして、警備を強化してください」


「ここも狙われるのか!? それは不味い!」


 兵士さんは入り口の警備を放置して町の中へと走って行った。

 王都を見た今だから分かるけど、この町の警備はすごく緩い。普通、門番が一人だけなんてありえないのだ。その代り町の住人は強いし、魔獣もうかつには近づかない。


「ここが達也の育った町?」


 リリスはシーモンに興味を持っているようだ。


「ここでは三年くらい過ごしたかな。でも、僕の本当の故郷はもっと遠いところにあるんだ」


「どれくらい遠いの?」


「分からない。きっと遠すぎて戻れないと思うよ」


「ふーん、じゃあ達也はどこにもいかないのね?」


 彼女の言葉には安堵の色が感じられた。

 もしかして僕がいつか何処かへ消えてしまうと思っているのかな? その可能性はないとは言い切れないけど、そもそも僕がこの異世界へ来た原因が分からないと肯定も否定もできない。始まりにして一番の謎だ。


「シンバルさんに会いに行こう」


 僕らは町の中へと足を踏み入れた。



 ◇



「さぁ、今日の昼食だ!」


 ヒルダがいつものように食事をテーブルに出した。

 所々焼け焦げているが、最初の頃に比べると随分とマシになったものだ。


 魔族のヒルダが俺のところへ嫁入りに来てから、致命的なことが判明した。それが料理下手だったのだが、俺の為に必死で勉強を重ねてようやくまともな物を出せるようになった。時には俺も手伝ったりと、この歳になって甘い新婚生活と言う物を満喫している。こういうのも悪くない。


「それじゃあいただくか」


 左腕がない俺は、フォークとナイフを器用に持ち替えて食べる。気が短い俺は不便なことにイライラしがちだが、失って分かることも沢山あった。修行不足だったってのも思い知った訳だが、それよりも人の優しさってものがあってこそ俺は生きて居られるってことをしみじみ思う。

 普通の奴がすぐに気が付くことを、俺はこの歳になっても本当の意味で理解してなかったってことだろうな。やっぱりガキだな俺は。


「どうした? 美味くなかったか?」


「あ……いや、少し考え事をしていた」


 妻のヒルダは俺を心配しているようだ。彼女を見ると、美しい顔に鍛え上げられた筋肉と豊満な胸が服を着ていても主張している。思わずムラムラしてしまった。


「なぁ、もっと美味い物が目の前にあるときはどうすればいい?」


「な、なにを言っている? そんなもの……」


 何を言っているのか気が付いたヒルダは顔を赤くする。

 モジモジしながら上目遣いで、チラチラと俺の表情を窺う姿は何度見てもたまらないものだ。


「こっちへ来いよ」


「優しくしてくれ……」


 俺の隣へ座ったヒルダを抱きしめると、深いキスをする。

 唇が擦れあい、くちゅりと舌が絡み合った。


 ふと、彼女が体を離す。


「そろそろ子どもが欲しい……」


「そうだな。じゃあ四人くらいがいいか?」


「五人は欲しいぞ」


「じゃあ頑張らないとな」


 家族六人を養って行けるかは正直不安だ。

 俺が父親になるというのもピンとこないし、ヒルダが魔族ってことも不安要素だ。今は隠しているが、いつかはバレる日も来るのだろうな。


「シンバル……」


「ヒルダ……」


 本格的に愛し合おうって時に、玄関のドアが勢いよく開かれた。


「シンバルさん、ただいま戻りました! ――うわぁ!?」


 王都に居るはずの大友が何故か戻ってきたのだ。

 しかも隣には女がいるじゃないか。


 ヤ、ヤバい! ズボンを下げたばかりなんだぞ!? 


「でで、でてゆけ!! 今はダメだ!」


「はい! 失礼しました!」


 ぴしゃんとドアは閉められた。


「今のは誰だ?」


 ヒルダが不思議そうな顔で俺に聞いてくる。

 さらけだした胸が実に魅力的だが、弟子が戻ってきた以上はお預けだろうな。


「弟子の大友だ」


「ほぉ、あれが大友か」


「変なことはするなよ?」


「夫の弟子だ。そんな事をするわけがないだろう」


 可愛い妻は微笑む。

 俺は少々残念に感じながらも、彼女の唇にキスをした。



 ◇



「……で、どうして戻って来たんだ?」


 テーブルを挟んでシンバルさんが質問する。

 僕としてはシンバルさんのお尻が脳裏に焼き付いていて、質問に答えられる状況ではない。それに隣にいる女性もすごく気になる。


「えっと……それに答える前に、隣にいる女性について聞いてもいいですか?」


「名前はヒルダ。俺の妻だ」


 えええ!? いつの間に結婚したの!?

 だって僕が旅立つ前はそんな気配すらなかったじゃないか!


「妻のヒルダだ。さすがシンバルの弟子だな、見た目はともかく実力はありそうだ」


「あ、ありがとうございます……」


 とりあえずヒルダさんに頭を下げるけど、彼女からヒューマンとは違った気配を感じる。まさかとは思うけど……。


「行き遅れのヒルダ」


 リリスが言葉を発すると、ヒルダさんが殺気を飛ばす。


「その二つ名をなぜ知っている……」


「魔族では有名じゃない。結婚相手を求めて、魔族やヒューマンに喧嘩を吹っ掛ける厄介者。噂では三百年も処女だって聞いたわよ?」


「もう処女じゃない! 俺は結婚したんだ!」


 リリスとヒルダさんが立ち上がると、お互いに隠していた黒い翼が現れる。


「おい!? まさか、その女は魔族か!?」


「ヒルダさんって魔族ですか!?」


「「……え?」」


 僕とシンバルさんの視線が交差した。

 あれ? 何かおかしい?


「あの……みんな落ち着いて話をしませんか?」


「そうだな。俺も事情を説明しないといけないだろうな」


 僕はリリスとの関係を説明し、シンバルさんはヒルダさんとの馴れ初めを話し始めた。


「――という訳で、俺はヒルダと結婚することにした」


「そう言うことだったんですね。僕の方も結婚とは違いますが、交際をしているような状況です」


「そいうところは俺の弟子だな」


 シンバルさんはそう言って笑う。

 弟子は師匠に似るとは聞いたことがあるけど、まさかこんな所まで一緒だったなんて複雑な気持ちだ。じゃあヒルダさんも魔族では変わり者なのだろうか? 霞の欠片を持っているってことはないよね?


「まさかがヒューマンと一緒とは驚きだな」


「余計なお世話よ。それに達也は特別なの、他のヒューマンと一緒にしないで頂戴」


 リリスとヒルダさんはお互いに話をしている。

 魔族同士の会話に興味はあるけど、リリスが妙にピリピリしていて今にも喧嘩が始まりそうな感じだ。


「おおっと、リリスはまだ結婚していなかったのか。じゃあお姉さんが色々と教えてやろうか?」


「私より先に結婚したからと言って調子に乗らないで! ぶっ殺すわよ!」


「ああん? じゃあ表で決着をつけてやろうか!?」


 二人は再び立ち上がって額と額をぶつけ合う。まるで不良の喧嘩だ。


「リリス、ダメだよ」


「ヒルダ」


「「ちっ」」


 二人は椅子に座る。

 仕方ないので紅茶を淹れることにした。


「ヒルダさん台所を借りますね」


「ああ、好きに使ってくれ」


 お湯を沸かすと、適当なコップに紅茶を注ぐ。こうやっているとシンバルさんの元で修行をしていた時を思い出すな。


 テーブルへ出すと、それぞれが香りを嗅いでから口にする。


「やっぱり大友の淹れた茶は美味いな」


「俺が淹れたものとは違うな……美味い……」


「これよこれ。やっぱり達也の紅茶は落ち着くわ」


 ようやく落ち着いたようだ。

 あまり時間もないので、本題に移らないといけない。


「シンバルさん、僕と一緒に王都へ来てください」


「王都? どうしてまた俺が行かないといけない」


 僕は一拍置いてここへ来た理由を切り出す。


「陛下がお亡くなりになられました」


「…………」


「陛下から生前に、シンバルさんを王都へ連れて行くと約束をしていました。今の僕の力なら三時間で王都へ行けます。どうか一緒に来てください」


 シンバルさんは黙ったまま腕を組んでいる。

 噂ではあまり親子関係は良くなかったと聞いたけど、本当に嫌っていれば連れて来て欲しいなんて言わない筈だ。


「俺は王都には行かない」


「どうしてですか!? お父さんが亡くなったんですよ!?」


「普通の親子なら死に顔を見に行くかもな……けど、あいにく俺と父上の関係は普通じゃない」


 納得が出来なかった。きっと親は子供に死に顔を見て欲しいと思う。何故なのかは分からないけど、僕は両親の死に顔を見て本当に失ったと実感したんだ。もしかすれば、子供にちゃんと生きて行けと言いたかったのかもしれない。だからシンバルさんの言葉は受け止められない。


「僕は意地でもシンバルさんを王都へ連れてゆきます!」


「俺に勝つつもりか?」


「弟子は師匠を超えるものです!」


 僕とシンバルさんは武器を持つと、外へと出て行く。


 町の外へ出ると、互いに武器を構えた。


 平原に風が吹き、草をざわざわと揺らす。

 青空に浮かぶ雲が線を引くように流され、張り詰めた緊張感を視覚化しているようだ。


「片腕でも手加減はしません」


「そんな心配は必要ない。俺には奥の手があるからな」


 ぐにゃりと空間をゆがませて、赤いオーラが腕を形成する。

 恐らく闘気の物質化だと思うけど、そんな方法があったのかと少し驚いた。


「じゃあハンデは必要ありませんね」


「どれくらい強くなったのか見せてもらおうか」


 始まりは唐突に訪れる。

 一気に間合いを詰めると、槍と剣がぶつかり合った。


「くっ! これほどか!」


「まだ本気を出していませんよ! 僕は魔族四強の一人を倒した英雄です!」


 剣を弾き飛ばすと、次の斬撃を繰り出す。

 体勢を崩したシンバルさんは、左手から何かを放り投げた。


 しまった! 閃光玉だ!


 パッと視界が真っ白になって、完全にシンバルさんの姿を見失う。


「俺が道具を使う事を忘れていたようだな!」


 後ろから人型の気配が切りかかろうとしていた。

 眼は麻痺しているけど、気配を掴む感覚はまだ健在だ。剣があるだろう場所へ槍をぶつけると、気配を追って追随する。


「嘘だろう!? 見えているのか!?」


「僕はシンバルさんと違って現役ですよ? 気配察知は日々研ぎ澄まされています」


 槍と剣が交差し、金属の甲高い音が聞こえて来る。見えなくても気配を辿れば、シンバルさんの場所を追う事が出来る。むしろ邪魔な要素がなくなってますます気配に敏感になって行く。


 手数が減って来たところに、すかさず槍で足払いをするとそのまま喉元へ切っ先を突き付けた。勝負ありだ。


「ははっ……負けだ。現役の俺でも今の大友には勝てなかっただろうな」


「今の僕があるのはシンバルさんのおかげです」


「…………今の俺は格好悪いか?」


「はい。今のシンバルさんは拗ねた子供のようで格好悪いです」


「はっきりと言ってくれる……」


 顔は見えないけど、シンバルさんは乾いた笑いを吐き出していた。いつだってカッコイイ師匠の負ける姿は見たくない。だから目が見えなくてよかったのかもしれない。僕は貴方に憧れて生きているんだ。


「うし、王都へ行くか!」


 次第に目が見えてくると、シンバルさんはすでに立ち上がっていた。その後ろ姿はさらに大きく、そして小さく見えた気がした。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る