90話 「コンラート」
目が覚めると、ベッドから這い出て背伸びをする。
「ふぁ~、おはようロキ」
床には体の大きくなったロキが寝ていた。牛ほどもなると、流石にベッドに入れてあげることはできない。なのでせめて毛布だけでもと、背中にかけてあげている。
「くぅぅん」
ロキは眼を開けて僕にすり寄る。大きくなっても、中身はまだ大人ではない。
いずれフェンリルほどの大きさへと成長するのだろう。そうなれば屋敷に置いておくことは出来ない。
そんな事を考えつつ、ロキの顔や体を撫でる。すぐに尻尾を振りながらお腹を見せるので、今度は抱き着くようにじゃれ合う。
「五月蠅いわね……」
部屋の片隅に置いてある天蓋付きのベッドから声が聞こえる。それでも起きてくることはない。彼女は寝起きが悪いからだ。
「リリス、そろそろ起きなよ」
「まだ早いわ……食事が出来たら起こしてちょうだい」
そう言ってピンクの布団の中へ潜る。
そもそもどうしてリリスが僕の部屋に居るかというと、昨日のデートから帰ってくるとすでに部屋の中にベッドが運び込まれていたからだ。もちろん犯人はグリム様達だ。さすが賢者様と言うべきなのだろうか、とにかく手回しが早すぎて驚かされる。
僕はロキと一緒に部屋を出ると、屋敷の裏の井戸へと向かう。
いつもの日課であるトレーニングだ。
「いたたた……」
井戸ではすでに先客がいた。
「おはようございますフィルティーさん」
「ああ、おはよう大友」
フィルティーさんは薄着の上下に、右手には剣を握っている。稽古終わりに顔を洗っていたのだろう。でも、その顔はなんだか苦痛の色が見て取れた。
「どうしたんですか?」
「……頭が痛いんだ。それにレストランで酒を飲んでからの記憶もあいまいだ。大友は何か知らないか?」
僕は苦笑する。やっぱり飲み過ぎだったんだ。結局、昨日は屋敷に戻って来てから、シェリスさんが着替えさせてベッドに横にしたけど、あまりに暴れるからリリスも手伝って大騒ぎだった。
「えーと、すごく酔っぱらっていました」
「そ、そうなのか? 変なことは言っていなかったか?」
「…………」
「お、おい! 何故黙る! 私に何があったのだ!?」
すごく言い難い。あんなフィルティーさんも可愛いとは思うけど、語尾が”にゃ”になっていましたよなんて言えない。きっとショックを受けるだろう。
「……いつもと変わらなかったですよ?」
「そう……なのか?」
「ええ、普通でした」
フィルティーさんはほっとした様子だった。
今後は呑み過ぎないように注意しておいた方がいいだろう。
僕は顔を洗うと、槍で素振りを始める。それが終わると、今度は調理場に向かい食事を作り始める。
この屋敷では現在五名しか帰還していない。クランのメンバーはまだ元帝国領土に居るはずだ。なので僕がメイドの分も合わせて作ることにしている。
「ご主人様、料理なら私が御作りいたします」
シェリスさんが調理場へやってくると、慌てて調理を代わろうとする。
「いいよ、今日は僕が作るからさ」
「それはいけません。聞いたところによると、上流階級の者は自身で調理をしないと言うではありませんか。ならば、ここはメイドである私にお任せください」
「別に上流階級って訳じゃないけど……じゃあ、シェリスさんは野菜の皮を剥いてください。僕は料理を作りますから」
僕は包丁と野菜をシェリスさんに渡す。
「分かりました。ですが、今後はちゃんと料理人を雇いましょう。シルベスターさんが、良い料理人を紹介してくださるそうですから」
「え? そうなの? じゃあ僕の出番が無くなっちゃうなぁ」
「残念ですか?」
「ううん、僕もこれから忙しくなるだろうから都合がいいんだろうけど、少し寂しい気もするかな」
料理は僕にとって気晴らしだ。でも、魔族と戦うことになれば、そんなことは言っていられない。それぞれが出来ることをやるのが効率がいい筈だ。
「じゃあシェリスさんの判断で、料理人を雇ってください。僕は今日から行く場所があってまた屋敷を空けますから」
「かしこまりました」
彼女がお辞儀をすると、僕は気になったことを口にする。
「ところで、シェリスさんはシルベスターさんと上手くいっているの?」
「ち、違います! あの方とはそのような関係ではありません! ただのお友達です!」
「そうなの? でも、昨日も仲が良さそうに話をしていたし……」
「ご主人様、早く料理を作ってしまいましょう!」
シェリスさんは急いで野菜を切り始めた。
別に咎めている訳じゃないんだけど、彼女にも素直になれない理由があるのかもしれない。だから、相談ならいつでも受けるよ言いたかったのだけれど、よくよく考えてみればアドバイスできるような経験など一つもない事に気が付いた。考えるだけ傷つくので忘れることにする。
料理が出来ると、テーブルへ乗せて行く。
今日は久々にハンバーガーだ。落ち込んだフィルティーさんの為に好物を作ってあげたのだ。
四人がダイニングへ入ってくると、それぞれが席に着く。すでに待っていたロキには、焼いた肉を出してあげた。
「ふははははっ! 今日は久々にはんばーがーとやらか! さすが主人だ!」
「美味しそうね。食後の紅茶が楽しみだわ」
「これがフィルティーさんが言っていた、ハンバーガーという奴ですね。パンと肉を挟んだ感じはサンドイッチに似ていますが、食欲をそそるこの香りから察するに別物のようですね」
「おおおお! これは嬉しい! 感謝するぞ大友!」
フィルティーさんは嬉しそうにハンバーガーを食べ始める。シェリスさんも席に着くように指示を出して、僕も料理を食べ始めた。うん、美味しい。
「ところで、今日は行くところがあると言っていましたが、どこに向かうのですか? 出来れば聖王探しを続けたいのですが……」
「うん、実は以前に武器工房でコンラートさんという鍛冶師を紹介されたよね? これから先、魔族との戦いも激しさを増すと思うし、今の装備もボロボロだから新調しようと思ってさ」
「なるほど、それなら私も行かないといけませんね。さすがにこの格好のままでは、魔族の攻撃に耐えられないかもしれません」
「でも、セリスのローブって防御の魔法陣を施しているよね? そこら辺の防具よりも強そうだけど……」
セリスの白いローブは、聖教国が作り上げた聖女用の物だ。裏には沢山の魔法陣が刺繍され、下手な攻撃はすべて弾いてしまうような代物。なので、ローブの下は普通の服を着ている。
「ローブだけでは不安です。なので、私も防具を着こんでおくべきでしょう」
「そうだね。確かにローブだけじゃあ危険かも」
僕はバーガーをモグモグさせながら頷く。
「聖王様がこの街に居ると分かっていながら、見つけられないとはふがいない……」
フィルティーさんは項垂れる。それを見たセリスが声をかけた。
「きっと聖王はこの街に居ます。ですが、今は我慢しましょう。私たちは戦うべき相手が居て、守るべき人々が居るのです。目的を見失ってはいけません」
「そうだな……私は英雄候補だ。冷静さを欠いてはいけなかった。感謝する聖女殿」
「それはいいですが、私はもう聖女ではありませんので、セリスと呼んでくださいね」
バーガーをモグモグと食べるセリスは、以前と違って少し変わった気もする。皮肉だけど、国が滅んで役目から解放されたせいなのだろう。迷いがなくなった感じだ。
「ふははははっ! 主人の料理に筋肉が喜んでいる! この大胸筋と腹直筋を見ろ!」
アーノルドさんは服を脱ぎ捨てると、胸筋と腹筋を僕たちに見せつける。
「ちょっと! 朝から変な物を見せないでよ!」
「む、変な物とは失礼な。俺の筋肉は素晴らしい物だ」
リリスとアーノルドさんがギャーギャー騒ぎ出すと、ようやく日輪の翼らしい朝が来たんだと実感する。
◇
「地図によればこの辺りだと思うのだが……」
フィルティーさんが地図を見ながら景色を確認する。
僕は魔法の絨毯を操作しているので、指示を受けながらの運転だ。
王都から出発して三時間。
コンラートという方の家を探して、ひたすら北西にやって来ていた。
この辺りは山が多く、どこも森に覆われている。特に進行方向にそびえ立っている山々は標高が高く、白く染まっていた。
「あの山はトワイライト山脈と呼ばれている。かつて竜王が住んでいた山として有名だ」
「竜王?」
「ああ、私も詳しくは知らないが、今より千年以上前に竜族の王がいたそうだ。その姿と力は他の竜とは一線を引き、全ての竜の頂点に君臨したとか。だが、そんな竜王も今では存在していない」
「そう言えば以前に、リリスが竜王は空席だとか言っていたね。でも、どうしていまだに竜王はいないのかな? リヴァイアサンが引き継げばよかったと思うけど……」
僕の質問に答える人間はいなかった。よくよく考えれば、人間の僕たちに竜族の事情など知る由もない。竜族の事は竜族に聞けと言う事だろう。なので話を変えることにした。
「それじゃあ、トワイライト山脈には元竜王の巣があるのかな?」
「そのはずだ。噂によれば、竜族はトワイライト山脈に近づかないらしい。そう考えると、どれほどの強さを誇っていたのかよく分かるだろう」
「へぇ、竜王ってすごいんだね」
フィルティーさんと話をしていると、森の中から白い煙が出ていることに気が付いた。コンラートさんの家だろうか?
僕は絨毯を煙が発生している場所へと移動させる。
「村だ」
煙の発生源は小さな村だった。
外壁でしっかりと村を囲み、百ほどの家が密集している。どの家の煙突からも白い煙が立ち昇り、まるで小さな工場のようにも見える。
絨毯を村の入り口へ着陸させると、すぐに村の門へと向かう。
「待て、お前たちは何者だ?」
村の入り口では、槍を持った二人の男が門番をしていた。見た目は兵士という訳ではなく、どちらかと言えば職人といった風貌だった。身に付けたエプロンに腕まくりをした服と、使い込まれた皮の手袋がいかにも職人だ。
「僕は王国の英雄大友です」
「あ? 英雄? こんなガキがか?」
門番の一人がそう言うと、もう一人が膝を叩いて笑いだす。信じてもらえないのは悲しい。
「大友は紛れもなき英雄だ。英雄候補のフィルティー・レイアンが保証しよう」
「フィルティー・レイアンだと? そういやぁそんな名前を聞いたことがあったな……」
フィルティーさんは、二人の男性にギルドカードを手渡す。そうだ、僕もカードを見せればよかったのだ。最近出番がなかったので、すっかり忘れていた。
「お、おい、この女のカードSランクだぞ?」
「マジかよ……初めて見たぞ」
「私の言うことを信用してもらえるだろうか?」
男性はカードをフィルティーさんに返すと、二人とも僕に頭を下げる。
「疑って悪かった。遠慮なく村に入ってくれ」
「それなら遠慮なく入らせてもらいますが、一つ質問をしてもいいですか?」
「ああ、何でも聞いてくれ」
「この村にコンラートさんという方はいますか?」
僕の言葉に二人の男性は表情を変えた。
「あんた、どこでその名を知った?」
「えっと……王都のモルド武器工房で働いているエドガーさんと言う方から紹介を受けて探しています」
「エドガーか。じゃあ間違いねぇな」
二人の男性は僕に、此処までの地図を見せろと言ってきた。なので素直に地図を見せると、二人は何かに納得したようにアイコンタクトを交わす。
「地図は返す。これはコンラートさんへ見せろ」
「じゃあここにコンラートさんが居るんですか!?」
「いや、この村には居ない。師匠はトワイライト山脈の麓で居を構えている。ここから歩いて一時間くらいの場所だな」
男性の言葉からコンラートさんは相当な人物だと分かった。さらに詳しい話を聞くと、この村に住む人は全てコンラートさんの弟子だと言うから驚きだ。僕達は村には入らずに、そのままコンラートさんの元へ行くことにした。
一時間ほどすると、一軒の小屋が見え始める。
ここはすでに山脈の足元だ。小屋の傍にはむき出しの岩肌があり、大きな穴がいくつも開けられている。採掘場という言葉がぴったりな感じだ。
とりあえず小屋のドアをノックすると、老人がドアを開けて僕を見る。
口元には雄々しいほど生えた白髭。髪はなく、光を反射するほどツルツルとしていた。身長は140cm程度と非常に低いが、その体は鉄のような筋肉で盛り上がり、至る所に血管が浮き出ている。僕は小さな巨人だと思った。
「誰だおめーら?」
「あ、あの、王都のエドガーさんから紹介を受けてきました」
すぐに懐から地図を出して見せる。
「エドガー? ああ、そういやぁそんなガキを弟子にとったことがあったな……」
「僕達は魔族と戦う為の防具を求めて此処まで来ました。是非、コンラートさんに装備を造っていただきたいのです」
「ああん? 防具だけ? 魔族と戦うのに、防具だけ欲しいとはどういう――」
コンラートさんと思われる男性は、僕の槍に視線を向けて眼を見開いた。
「こいつは……」
「あの……この槍があるから防具だけでいいかなと……ダメですか?」
「…………いや、十分だ。これ以上に優れた武器は存在しねぇからな」
「え?」
「この槍は俺が造ったものだ」
僕は驚きのあまり、その場から動けなくなった。
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