87話 「愛の行方」
僕は槍を止めた。
「やめてたっちゃん」
目の前に霞が居るからだ。あの頃と変わりない制服姿で僕を見ている。
いや、彼女は霞であって霞ではない。女神テトリアだ。間違ってはいけない。
「霞……」
「たっちゃんがこれを壊せば、邪神が復活するのよ。そうなれば、この世界は破壊される。それでもいいと言うの?」
「僕は邪神を倒すつもりだ。霞もこの世界も救いたいんだ」
「そんなのは幻想よ。私ですら邪神を封印することが精一杯だったわ。なのに人間のたっちゃんに、そんなことができるとは思えない」
正論だ。女神がどれほどの力を持っているのか分からないのに、僕は邪神を倒すと妄言している。それでも僕の気持ちは揺るがない。
「他に方法があるかもしれないじゃないか」
「ないわ。私が全て試した。邪神は人間が考えるような生易しい相手じゃないの」
霞は僕では倒せないと断言する。
「私はそうは思わないわ。達也は強いもの」
話を聞いていたリリスが、割って入って来た。
霞はリリスを見て目を見開く。まるで数年ぶりに友人と出会ったような表情だった。
「貴方……」
「私は魔族よ。何か文句でもあるの?」
「い、いえ……文句はないわ。ところでたっちゃんが強いとはどういう意味?」
リリスは僕を見た。
「勘よ。達也はきっと何かを変えてくれるわ。私の何かがざわざわとしているもの」
霞はリリスを見て悲痛な表情を浮かべる。
「そんな姿になっても……」
「そんな姿ってなによ! 私は私よ!」
「…………そうね」
霞は意味深に呟いた。
リリスの何かを知っている様子だけど、それが何なのかを話すつもりはないようだ。
「自分が捨てたものに未練があるの?」
声が聞こえて振り向くと、そこには眠らせた筈のセリスが立っていた。
いや、雰囲気から察するに霞だ。
セリスの中の霞が目覚めたと言うことなのだろう。
「未練なんてないわ。私は女神であるために捨てたのよ」
「嘘よ。本当は取り戻したいんでしょ? だって、貴方は不完全な女神」
「やめて! 私は女神であることを選んだの! この世界を救うって決めたの!」
霞は両手で耳を塞いでしゃがみこんだ。まるで子供のようだ。
「この世界に来た時、貴方はずっと泣いていたわよね。女神になるってことが受け入れられず、地球に帰ろうと何度も試した」
「止めて! もういいじゃない! 私は女神になったのよ!」
「貴方では邪神を封じ続けることはできないわ。だって”愛”を忘れてしまった女神だもの」
愛を忘れた? それは霞が二人居ることと関係しているのだろうか?
「一万年前、貴方は邪神と戦い深く傷ついた。我が子のように育てた人間が、邪神に殺される光景に耐えられなかったのよ。だから、大切な感情を捨てた。その中でも一番大切な愛さえも」
「悲しみと怒りだけは残したわ! 邪神と戦うには必要だもの! 愛なんて邪魔なだけよ!」
「本当にそう? 愛がない女神にこの世界を本当に救えると思うの?」
「五月蠅い! 今の私こそが完璧な女神よ! 愛なんて必要ない! 貴方のような”希望”も必要ないわ!」
僕は頭が混乱してきた。
セリスの中の居る霞は、すっとリリスを指差す。
「私たちは元々一つの存在。そこにいるリリスもね」
僕とリリスは驚く。
まさかリリスも霞なのか?
「な、なんの話をしているの? 私が霞ってどういう事?」
「女神テトリアはかつて、桜道寺霞という一人の人間だった。でも女神になった桜道寺霞は、邪神によって傷ついた心を分割したわ。そして、この世界へばら撒いた。月日は経ち、ばら撒いた感情は女神の因子となり、人間へと宿った。その二つが私とリリスなの」
「じゃあ……私は女神なの?」
「そうでもあり、そうではないわ。女神の因子を宿した人間と言うだけ。でも、人格形成で間違いなく影響を受けているわ。だから女神の分身と言っても過言ではないの」
僕とリリスは何も言えない。まさかリリスも霞だったなんて思ってもいなかった。事実が僕の中で消化しきれない状態だ。完全に傍観者と化している。
「私は桜道寺霞の希望を司っている。そしてリリスは愛よ」
「ちょっと待って! じゃあ、私の達也への想いは霞って女の気持ちなの!?」
「そうなるわ。だって、たっちゃんを見ると苦しいでしょ?」
リリスは僕を見ていた。
その眼は強く、僕を捉えて離さない。強い感情が僕に流れ込む。
愛している。
強く強烈な愛情がリリスから向けられている。
気が付かなかった……こんなにも強い感情を向けられていたなんて……。
「私は……」
「女神へ戻れば、その感情は消えるわ」
「嫌! この気持ちは私だけの物! 誰にも渡さない!」
リリスは心臓を押さえて後ろへと下がった。
しかし、セリスの中に居る霞は微笑んでいる。
「一つだけたっちゃんをこれからも愛する方法があるわ」
「それを教えて! 私は達也を愛しているの!」
「貴方が桜道寺霞になるのよ」
この場に沈黙が漂った。
「どういう意味なの?」
「簡単よ、貴方が女神のすべてを吸収すればいいの。その時、貴方はリリスであり桜道寺霞でもある存在になるわ」
「私が女神に……?」
僕らは女神へ視線を向けた。
すでに彼女は凛とした表情に戻っている。その眼はリリスを見据えていた。
「嫌よ。私は女神テトリアよ。これから復活するかもしれない邪神との戦いに備えなければならないわ。愛や希望だの、そんな感情は邪魔なだけ」
「貴方は本当に愛を忘れてしまったのね。私がどれほど地球に未練を抱き、たっちゃんと会いたかったのかを」
「それでもよ。もう二度と邪神に子供達を殺させないわ。邪魔をするなら貴方たちでも殺すわよ」
女神は敵意を僕たちに向ける。強い気配は僕の身体を震わせた。武器を持った巨人の前に居るような恐ろしいほどの圧倒的気配。
セリスの中に居る霞は怯えもせず話を切り出す。
「だったらチャンスがほしいわ」
「チャンスね……いいわ。貴方達がもし魔王を倒すことが出来れば、一つの可能性として考えてあげる」
「ありがとう。きっと私たちは魔王に勝つわ」
「…………」
女神は一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべると、その場から消えていった。
僕は混乱したまま地面に座り込んだ。
霞が沢山居る……この事態は喜ぶべきかな?
ただ、僕が本当に会いたい桜道寺霞は、この世界には居ないと言う事だけは分かった。セリスもリリスも女神も霞の断片なんだ。
霞が死んでから何があったのか知りたいけど、僕はそんなことよりも重要なことが頭を支配していた。もうすぐ本当の霞に会える。という事だ。魔王さえ倒せば、本当の霞が現れる。僕が愛した霞をこの手で抱きしめることができる。
僕は狂っているだろうか?
それでもかまわない。失ったはずの霞をこの手に取り戻せるなら。
「たっちゃん、もっと早くに説明できなくてごめんね。でもたっちゃんが封印を解いてくれなかったら、こうやって話す力もなかったの」
セリスの中に居る霞は僕に申し訳なさそうな感じだ。
その姿も仕草も霞そのもの。すぐに抱きしめてしまいたい。
僕は暴れ出そうとする気持ちを落ち着かせた。
「じゃあ僕が封印を破壊しているのは間違いじゃないんだね」
「うん、封印はもう長くはなかったの。だからたっちゃんが居る今がチャンスだと思った。たっちゃんとリリスなら邪神を倒せるわ」
「僕とリリスが?」
「邪神を倒すには愛が必要よ。それを女神も分かっている筈なのに、恐怖がそれを拒んでるの。たっちゃんを失った時を考えてしまうのが怖いのよ」
霞の僕への愛がリリスの中にある。だからこそ邪神に勝てると言うのはよく分からないけど、女神は心の底から僕を拒んでいる訳ではないようだ。
「霞なんてどうでもいいわ。私には達也がいればいいもの」
リリスが僕の隣に座る。肌と肌が密着し、僕が気が付かなかったリリスの強い愛情が伝わる。僕は何時だって鈍感らしい。ごめん。
「では、封印は私が解きますね」
セリスが封印に近づくと、巨大なクリスタルが光の粒子になって消えていった。爆発もなく、光は宙を舞って蛍のようだった。
「これで封印は残り一つ。でも邪神もすでに動き出している筈。これからは十分に警戒をしてね。たっちゃん」
「うん、ところで霞はこれからどうするの? またセリスの中で眠りにつくの?」
「そうするつもり。力が少し戻ったとはいえ、女神と比べると一割も満たない存在よ。もしもの為に、今はリリスと融合することは止めておくわ」
リリスが霞になる。信じられない話だけど、真実なのだろう。
肝心のリリスはそれでいいのかな?
「リリスは抵抗はないの?」
彼女は首を横に振る。
「私は全てを知りたい。達也の事も、達也が愛した霞の事も。私がずっと分からなかったこの感情の行くつく先を知りたい」
リリスは僕の唇へ唇を重ねる。
顔が離れて行くと、甘い残り香が漂う。
「僕のファーストキスが……」
「臆病者の達也から唇を奪ったわ」
リリスは意地悪そうな顔で笑みを浮かべる。
僕の目にはリリスと霞が重なる。気が付かなかっただけで、ずっと隣に霞はいたんだ。ここに霞の愛はあった。
「あの……お二人で何をしているのですか?」
セリスが僕をジト目で見ている。
どうやら霞は眠ったようだ。雰囲気で分かる。
「セリス、ごめん。封印は壊したよ」
僕は立ち上がりながら謝罪する。
「分かっています。私の中の女神様が全てを見せてくれました。大友がこの世界とは違うところからやって来て、どれほど桜道寺霞を求めていたのかを。ならば、私はこの身に抱える”希望”と共に大友へ協力しましょう」
「え? それってどういう事?」
「私も邪神討伐に協力すると言っているのです。この国の人々の犠牲が無駄にならぬように私も立ち上がります。そして、大友の愛する人を取り戻しましょう」
「ありがとうセリス」
僕はセリスへ感謝する。
誤解が解けたみたいだからよかったのかもしれないけど、彼女の心はまだ悲しみが覆っている筈だ。それでも協力すると気丈に振る舞ってくれる。僕の何十倍も彼女は強い。
「さぁ、地上に出て皆に説明しましょう」
僕は倒れている騎士を抱き上げると、セリスの言葉に従い地上へと歩み出した。
◇
暗く闇に閉ざられた部屋。
コツコツと足音が聞こえる。
部屋の中心には、黒く黄金の装飾が施された椅子があった。
座るは一人の男。
漆黒の長髪に、炎を連想するほどの紅い双眸が光る。
肌の色は青白く、まるで死人のようだ。男は部屋にやって来た者へ目を向ける。
「三つめの封印が解けたわ」
「そうか……ならば、もうじき復活するな」
「ええ、私の力が完全に戻るわ」
男へ話しかけたのは女性だった。
透き通るような美しい声を奏で、聞く者を魅了する。この世にあるどんな楽器よりも心を震わせる音をピンクの唇から発するのだ。
「破壊しているのは、大友達也とか言うヒューマンだったな」
「その通りよ。ヒューマンと言っていいのか分からないけど、王国の英雄にして女神の想い人。女神を取り戻そうと必死みたいね」
女性はクスクスと笑う。
漆黒よりも黒い純黒の髪はサラサラと肩から流れ、前髪は目の上で切りそろえられていた。眼は黄金に輝き、ぱっちりと開いている。十人の男が居れば、全員が振り向く美貌を備えていた。身体には黒いドレスを纏い、黒いハイヒールが彼女の色気を引き立てている。
「その様子では、封印を解くために力を貸したのだろう?」
「ほんの少しね。封印がある場所を示してあげたの」
「泳がしていていいのか? もしかすればお前を倒す相手かもしれないぞ」
「それはあり得ないわ。だって私は邪神なのよ?」
女性がそう言うと、男性は鼻で笑う。
「そうだったな。お前は邪神だ。何人たりとも滅することはできない」
女性は男性の傍へ近づくと、細くしなやかな指で頬を触る。
「今度こそこの世界は私の物よ。必ずヒューマンを根絶やしにするわ」
「分かっている。その為の準備も出来た」
男性は椅子から立ち上がると、部屋のカーテンをめくる。
窓からは月明りが差し込み、男の顔を黄緑色に染めた。そこから見える景色は圧巻である。およそ五十万もの魔物が蠢いていた。
「ここまで来てみろヒューマン共よ」
魔王はニヤリと笑う。
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